2018年12月30日

アルプスの少女ハイジ(ヨハンナ・スピリ)

 スイス人児童文学作家・ヨハンナ・スピリの作品です。訳は池田香代子、挿絵はいわさきちひろ。
 幼い頃、アニメで見たとは思うのですが、どうもぼんやりと記憶が薄く、話の筋は全く覚えていない。それでも懐かしさを感じるのは不思議な感じです。幼時に見た物語ってどれもそんな印象があります。

 この物語に現れる登場人物は皆、だれかを助けようとする優しさを持っています。だれかを支え、支えられることでおじいさんも、ハイジも、クララも、皆成長してゆく過程が、よく描かれています。
 この本は、先日京都駅のいわさきちひろ展に行ってきたのですが、その際に売店で購入しました。いわさきさんの絵は淡く柔らかな色彩が優しく可愛らしいのですが、モノクロの挿絵でもその優しさがよく現れており、物語とよく合っています。

 意外に思ったのは、キリスト教的世界観が色濃く現れていること。時代や地域を考えれば、当然なのかもしれません。おじいさんーーオンジがキリスト教世界の逸脱者として描かれ、物語が進むにつれ、その世界に復帰していく様が、とても印象的です。放蕩息子の喩えまで出てきます。
 非キリスト教世界ーーアルプス、キリスト教世界ーーフランクフルト、デルフリ村
という対比が考えられますが、アルプスを自然の営み、雄大さを感じさせるように肯定的に描き、フランクフルトを精神的にも空間的にも(デルフリ村も精神的には)閉ざされたように、否定的に描かれているのが、キリスト教への認識と対応せずに不思議な感じ。ーーこの作品は野生の精神とキリスト教主義的精神の止揚の様を描いているのではないか、とふと思いました。さらに、これが書かれたのは19世紀。近代主義の時代が訪れていることを考えると、近代合理主義へのアンチテーゼ・反発運動として、原始的・中世的精神の止揚を描いたとも考えられます。

 そのほかに印象に残ったのは、アルプスの自然を中心に、色彩の描写が鮮やかであったこと。
「しずみかけたお日さまが、もみの緑と雪渓の白にぬりわけられたアルプスの山々を照らしていました。とつぜん、足もとの草の上に赤い光が落ちました。ふりむくと、はるかな岩山のぎざぎざは、空にむかって炎のように燃えたち、広い雪渓は真っ赤にそまって、その手前には、ばら色の雲がぽっかりとうかんでいました。草は黄金色に輝いていました。」(青い鳥文庫、p166)
 普段から色彩に富んだ風景が夕焼けという片時の明かりに照らされ、また別の色に染まっていく。色彩のコントラストが素晴らしいです。

 どうでも良い話なのですが、実は私のワンゲルでのあだ名がペーター。この作品に出てくるペーターから取りました(ハイジ、クララもいます)。ペーターってこんな性格なんや、と思いながら、ちょっと恥ずかしい気分になりながら読みました。
 アニメもまた見てみたいな。
posted by みさと at 12:05| 奈良 ☀| Comment(0) | 読書(児童文学作品) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年12月28日

阪神文化論(川本皓嗣/松村昌家監修)

 川本皓嗣さん、松村昌家さん監修の本です。「大手前大学比較文化研究叢書」の第5弾で、大手前大学の人文系学部の先生方が「阪神間」をテーマに、様々な内容の論文・エッセイを書いたという内容になっております。
 収録作品は川本皓嗣「歌枕の詩学」、杉橋陽一「松瀬青々論」、辻一郎「谷崎潤一郎と阪神間 そして三人の妻」、岩谷幹子「「記憶の場」としての『吉野葛』」、松原秀江「桜と桜守」、尾崎耕司「昭和初期の神戸における青年団運動について」、松村昌家「A・B・ミットフォードと神戸事件」です。

 多くが文学系、最後二編が歴史系の内容。一応「阪神間」をテーマとはしていますが、阪神間モダニズムーー阪神間の郊外文化とはあまり関係の薄い内容も多かった印象。大阪や神戸それ自体を扱った論文もいくつか含まれています。
 近代都市史を専門とする先生の下で場所論の研究をしようと思っている私にとっては、かなり勉強になった一冊です。
 初めの川本さんの歌枕の話は、国文学をほとんど勉強していない私にとって、国文学に基づく「歌枕」ーー社会的記憶としての場所の一つの形ーー研究の方法論を知ることができてよかったです。具体的な「芦屋」を取り上げて歌枕を論じており、本当に参考になります。
 岩谷さんの『吉野葛』論は、「場所」論に深く踏み込んだ内容ではありませんが、「場所」を取り扱った文学を論じた論文として、読んでいて面白かったです。記憶の形を「コミュニケーション的記憶」ーー口承ーーと「文化的記憶」ーー文章、建築などーーに分類する手法を用いて『吉野葛』を分析するというのはとても興味深いやり方。民俗学と歴史学の違いによく似た理論で、これが文学研究にも使えるのか、と目から鱗でした。自由間接話法のもつ意味についても勉強になりあmした。
 松原さんの扱う論文を読んでいて水上勉『桜守』に滝が出てくることから、ふと調べてみると、笹部新太郎の桜園には遡行対象となりうる沢ーー武庫川水系「西ノ谷」があることを知って、ワンゲルの私としては興奮しました。春になれば行ってみよう。桜の季節にでも。
 尾崎さんの論文も、自治と行政のあり方を考える研究として、都市史学徒として勉強になりました。

 この本はタイトルを見て手にとったときは、先週演習で発表した「阪神間モダニズム」について書かれた内容だと思っていました。その期待は裏切られましたが、多様な人文系論文集として大いに勉強になった一冊でした。
posted by みさと at 19:12| 奈良 ☔| Comment(0) | 読書(言語学/文学) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年12月23日

第2回文学登山の会 川端康成『古都』

 先日川端康成『古都』をテーマにした個人山行に行ってきたのですが、ワンゲル部ホームページに記録をアップしました。

京都北山高雄-沢山-中川-半国高山撤退


その他、最近の山行記録です。
台高 宮川東俣谷(大熊谷第二支流)遡行
第3回 北山を歩く会 花背峠〜大見尾根〜大見・尾越集落〜大布施
posted by みさと at 21:10| 奈良 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年12月21日

草迷宮(泉鏡花)

 泉鏡花さんの中編小説です。幼き日、母に聞いた手毬唄を求めて旅をする青年がたどり着いたのは、曰く付きの荒れ屋敷。どういうわけか逗留する青年を数多の人が訪れるが、怪異が相次ぐ、というあらすじ。
 物語は、横須賀市秋谷が舞台となっています。『春昼』『春昼後刻』の舞台は逗子ですし、鏡花はあの辺りにゆかりがあるのかな、と調べれば、胃腸を悪くした際に逗子に静養していたとのこと。
 鏡花の美しく幻想的な、少し妖しい世界は、此の作品でもよく現れています。子産石や団子、西瓜など作品は鞠を連想させる円形のモティーフが散りばめられており、過去に今に行ったり来たりの物語は、表題通り迷宮のよう。読んでいて懐かしさを感じるのは手毬唄と母への慕情というテーマからでしょうか。
 また同時に、この作品は涼やかさをも感じさせます。作中に清流こそ出て来ませんが、海岸、白濁りした小川、真っ青な井戸など水にまつわるものがよく現れています。さっぱりとしたそれではありませんが、冷水を背中にたらたらと注がれたような涼やかさ。まるで怪談のような。そう、鏡花の作品は、近代小説でありながら、どこか古い怪談のような魅力を持っております。そういえば、鏡花はど『雨月物語』の影響を受けたと聞いたこともあるような。
 また関東に行った時には、逗子と合わせて鏡花の舞台を歩いてみたい、と思いました。鏡花の世界は美しく、妖しく、幻のような世界。現在はリゾート地に開発されて、幻滅するかもしれませんが、鏡花の詩情をかきたてた場所を訪ね、鏡花の見た百年ほど前の風景に思いをはせてみたいです。
posted by みさと at 19:26| 奈良 ☁| Comment(0) | 読書(近代文学作品) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年12月14日

阪神間モダニズム(「阪神間モダニズム」展実行委員会)

 平成9年に兵庫県立近代美術館、西宮市大谷記念美術館、芦屋市立美術博物館、芦屋市立谷崎潤一郎記念館の四巻で開催された「阪神間モダニズム展」の公式冊子です。

 近代貿易港・神戸の発達と合わせた商都・大阪の工業化に伴い、大阪の環境は「七色の煙が出る」と呼ばれるほど悪化していきます。そんな中、上流階級を発端に、環境の良さを求めて郊外への住宅進出が始まります。その中心となった地の一つが阪神間。六甲の山脈と瀬戸内海に挟まれて温暖で緩やかながら地形の変化に富んだ阪神間は、健康地として富貴な大家や芸術家たちが多く住むようになり、神戸からの外国文化の流入もあり、独特のモダニズム文化を築いてゆきます。
 この本はそうした明治-戦前期における阪神間の文化を、建築史・文化史・美術史など多種多様な切り口から眺めて行くというものであります。私の研究室で今助教をされている藤原学先生も「阪神間の住居・素描ーー谷崎潤一郎の表現から」という題で寄稿されています。谷崎の描写をひもとき、阪神間郊外地の場所性・空間性の説明を加えており、非常に興味深い内容でありました。

 今年の頭に谷崎の『細雪』を読んで以来、阪神間で営まれる流麗な生活に憧れを感じていました。戦前から芦屋の某住宅地に、比較的近しい親戚が住んでいるのですがその立派な和館を思い出しながら、蒔岡家のような豪華で文化的な生活を脳裏に浮かべています。

 私の生まれ育った柏原も同じ大阪の郊外ではありますが、開発過程を始め、あらゆる点で異なっており、全く文化圏のように思えます。関西の地域性って、決して都道府県で分かれている訳ではなく、行政界よりも沿線の方がよっぽどそれに影響しているように思えます。

 近くても、なかなか行くことのない阪神間。また親戚を訪ねるのを兼ねて歩いてみようかな。本を読めば読むほど、行きたい場所が増えていきます。
posted by みさと at 14:42| 奈良 ☁| Comment(0) | 読書(建築学/都市論) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年12月11日

阪急電車(有川浩)

 有川浩さんの作品です。中学時代に読んだことがある作品ですが、「場所論」に興味があるのと、ちょうど今阪神間の郊外開発の勉強をしているのとで再び手にとりました。
 電車の中というのは、不思議な場所です。互いに知らない人同士がものすごく近い距離で接している。毎日同じ通勤・通学電車に乗っていると、なんとなく顔見知りが出来てきます。しかし、それでも殆どの場合、何か話すということはありません。電車というのは、他人同士が時空間を共有する、不思議な場所。
 この小説は、阪急の今津線を舞台に、そうした、普通話すことのない人たち同士が繋がりわかれながら繰り広げられてゆく人間模様を描いています。あたたかくて、時に心ときめく素敵なお話。以前読んだのが思春期手前ぐらいだったのですが、恋愛の描写などを読んで感じる気持ちは全然違うなぁ、と感じます。当時はあんまり感情移入できず、それに魅力を感じなかったのですが、いま読むと、図書館で一人きゅんきゅんしてしまう。
 壮大なラブストーリーや勧善懲悪譚ではなく、日常の中に、ささやかな物語が進んで行くのがこの小説の魅力だと思います。そこには、大都市郊外のベッドタウンの生活電車といった場所性もよく効いています。谷崎潤一郎の『細雪』などでは、阪神間の郊外はまだ富裕層のものですが、この作品の描かれている現代では、広く庶民も住む土地となっています。しかし、作品に描かれる人々や町々は、庶民的でありながら、どこか近代の、ゆったりとした、モダンで文化的な香りもほのかながら残っているような気もします。
 小さな路線の中の、素敵な物語。阪神方面を訪ねる時があれば、今津線にも乗ってみたいという気になる小説でした。
posted by みさと at 18:53| 奈良 ☁| Comment(0) | 読書(その他文学作品) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月29日

女生徒(太宰治)

 角川文庫、太宰治さんの短編集です。収録は『燈籠』『女生徒』『葉桜と魔笛』『皮膚と心』『誰も知らぬ』『きりぎりす』『千代女』『恥』『待つ』『十二月八日』『雪の夜の話』『貨幣』『おさん』『饗応夫人』。

 いずれの作品も女性一人称の語り手による物語。
 表題作が少女性をよく描いた作品として名高く、友人に薦められて手に取りました。「あさ、眼をさますときの気持ちは、面白い。」少女が1日を辿りながら、様々なことに感情を巡らしていくのを独白するという形式。汚れていくことを恐れる、荒んでいながらも透き通った敏感な思春期の心が文体にも表現にもよく現れています。
「キウリの青さから、夏が来る。五月のキウリの青みには、胸がカラッポになるような、疼くような、くすぐったいような悲しさがある」(p24)
「鏡を覗くと、私の顔は、おや、と思うほど活き活きしている。顔は、他人だ。私自身の悲しさや苦しさや、そんな心持とは、全然関係なく、別個に自由に活きている」(p46)

 この作品で描かれているのは、よくドラマや映画に描かれるような、理想化された思春期「青春」ではありません。もっとトゲトゲしていて、不安定で、センチメンタルな、実際思春期に自分が体験してきた心情に近く、読んでいて色々と胸が切なくなりました。
 思春期なんてついこの間のことだと思っていたのに、この物語を読むともうすっかり遠い昔に過ぎ去ってしまったことが実感されます。もうこんな、ガラスのような心を持つことはできない。私も、もう20歳です。

 社会史的な点に注目しても面白いところもあります。この物語の舞台は、郊外。作品が発表されたのは1939年。都市を逃れ郊外にはじめに進出するのは当初富裕層に限定されていましたが(谷崎『細雪』の世界ですね)、戦前戦中のこの時期は鉄道会社による郊外開発も進み、新中間層が良好な環境を求めて郊外に進出した時期であります。
「よそからはじめてこの田舎にやって来た人の真似をしてみよう。私は(中略)生まれてはじめて郊外の土を踏むのだ。(中略)遠くの畠を見るときは、目を小さくして、うっとりした封をして、いいわねえ、と呟いてため息」(p40-41)
 この辺りの描写には、そうした当時の良好な環境を志向する認識の様子が表れていて興味深いです。近世以前の日本人の風景観は「名所」を美とするものであり、農村のアノニマスな風景を見て美しいと感じるのは比較的近年のことであります。こうした郊外への進出と日本人のの風景観の変化もひょっとしたら時期が対応しているのかもしれません。また調べてみても面白そう。


 他の作品も、なかなか心に突き刺さるものばかり。
『恥』の小説家に自意識過剰で尊大な手紙を送ってしまう少女、『饗応夫人』の「泣くような笑うような」声をあげて来客の接待に狂奔する夫人、それから『千代女』に『皮膚と心』の主人公、、、。自分の中にも多少彼女たちに似た心がある分、強烈な形にして描いたこれらの作品群を読んでそれを自覚し、胸が何度もきゅうっとなりました。
 『雪の夜の話』なんかも、美しく、荒んでいて、良い。
 いずれの作品も本当に良い作品ばかりの名短編集だと思います。借りて読みましたが、また買って手元に置いておこうかな。
posted by みさと at 15:32| 奈良 ☀| Comment(0) | 読書(近代文学作品) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月27日

吉野葛・蘆刈(谷崎潤一郎)

 岩波文庫、谷崎潤一郎さんの中編二編。どちらもある土地を舞台に、第二の語り手による母性思慕の追想に没入してゆくという構成の物語であります。
 『吉野葛』の舞台は、上市から国栖、柏木を超え大台ケ原に至る吉野川の源流域の広範な領域。解説でも同様のことが述べられていましたが、源流に遡って行くのと対応して津村ーーそして、それをの内面世界の深奥に近づいていくという所に、作品の妙があると思います。
 吉野は鄙びた地でありながらも、源平や南朝といった歴史的な意味の積み重なった土地であります。
「この悠久な山間の村里は、大方母が生まれた頃も、今眼の前にあるような平和な景色をひろげていただろう。(中略)津村は「昔」と壁一と重の隣へ来た気がした。」(p63) 私たちは田舎を見るときに(たとえ生まれが都会であっても)郷愁を感じたり、農村地域のキャッチコピーに「日本の原風景」と銘打ったりするように、しばしば農村、田舎というものに過去を幻視します。たとえ、そこでの暮らしが現代様になっていたとしても。農村から都市への空間的移動(移住)、時間的移動(都市化)が日本の時代的流れとして存在しており、「田舎」=過去という構図が社会的に成立している気がします。近代化の最中、阪神間の郊外に暮らす谷崎によって書かれた『吉野葛』のこの表現には、そのことがよく現れている気がします。
 時間を遡っていくという主題は、深い歴史を持ち、農村景観を維持した吉野の場所性とよく合致していているように思えます。
 さらさらとした嫌味のない風景描写は心地よく、作品を読み進める手を止めずになお吉野の風土が胸にしみてくる感じがします。実際に舞台を訪ねてみたい気持ちまでも起こってまいります。三之公周辺を登山したいのですが、もう間も無く雪が積もってしまいそう。上市の町や国栖の村を訪ねてみようかな。

 『蘆刈』の舞台は京阪の県境に位置する淀川・水無瀬。構成や雰囲気は吉野葛と良く似ており、これも読んでいて心地の良い小説です。
 どちらの作品も谷崎ーー語り手ーー第二の語り手が重なる感じがあります。『蘆刈』では男が「ちょうど私の影法師のよう」(p106)と描かれていたりしてそれがよりはっきりとしています。お遊さんの人格は『少年』の登場人物にも少しかぶるような感じがして、谷崎の理想の女性像に「母性」がよくあげられますが、少しわがままな嗜虐性のある(揩スけた)人というのもあるのかもしれないな、と思ったり。
 私の所属する研究室助教の藤原学先生が、修論でこの作品を題材に淀川・水無瀬・小椋池の場所性を探る論文を書いていらっしゃいます。先輩からそれを送っていただいたので、勉強も兼ねて読んでみたいと思います。
posted by みさと at 11:51| 奈良 ☁| Comment(0) | 読書(近代文学作品) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月26日

場所の現象学(E.レルフ)

 エドワード・レルフ著、高野岳彦・安部隆・石山美也子訳の本です。
 「現象学」はフッサールに始まる哲学的方法論で、人が純粋に経験する現象に立ち返り、それそのものを考察するという学問であります。これは現象の裏にある事実を客観的に読み解き、分析する「科学」へのアンチテーゼという面を持ちます。
 この本はこうした現象学という考え方を地理学に引用したものです。地理学は自然地理学に始まり50-70年代には計量革命が席巻しますが、これらのアンチテーゼとして、人々の場所体験を重視する「現象学的地理学」「人文主義地理学」と言われる分野が70年代以降力を持つようになります。レルフによる本書は、その中でも名著と名高いものであります。

 レルフの影響を受けた著者による本を何冊か読んでいるので、大まかな内容は知っていたのですが、それでも勉強になるところが多くありました。
 人々と場所の関係を「実存的外側性」「客観的外側性」「付随的外側性」「代償的内側性」「行動的内側性」「感情移入的内側性」「実存的内側性」、人々にとっての空間を「原初的空間」「知覚空間」「実存空間」「計画空間」「認識的空間」「抽象的空間」というように、その経験の深さに対応してそれらを分節していることに顕著でありますが、本書ではこの周辺の分野でしばしば共有されている様々な概念が体系的にわかりやすく整理してあります。ある概念群が体系化されることは、それが一つのジャンルとして確立する基礎を作ります。この本が名著と言われる所以は体系的な整理により人文主義地理学を学問分野として成立させたことにあるのだろうな、と思いました。


 内容を詳述するときりがありませんが、トピックとして印象に残ったものを二つほど。

 一つは現代の景観における変幻自在性の話(p276〜)です。「変幻自在人間」というのは、リフトンが1969年に現代の人間に特性を説明するときに用いた言葉であります。これは、例えば「中産階級出身の若者が過激派になり、保守的なビジネスマンになり、住民運動かになったりするように」、現代の人間は身についた行動パターン・信念・アイデンティティをころころと変えながら生きているというもの。
 「変幻自在人間」は、現代の個人主義・自由主義・資本主義など近代以降のイデオロギーと深く結びつきながら発生しているでしょうし、また、近代において生じた家族機能の外部化もこれを助長させているような気もします。家ー学校/職場、中学校ー高校ー大学といった分断が、アイデンティティの分裂を招いたと考えるのも、そう不自然なことではないでしょう。私自身の経験を近代人に当てはめるのも安直な話ではありますが、私自身周囲の環境の変化にともなって、あるいは所属する社会集団によってアイデンティティが分裂しているような自覚があります。

 レルフは、この「変幻自在性」は今日の景観にも表れていると論じています。経済的発展とともに、都市中心では伝統建築が汎世界的な高層ビルヂングに建て代わり、郊外では農地が宅地と変わってゆき、交通網の変化に従って都市の中心や構造も変化していく。建造物の意匠も流行に従ってほんのわずかな期間で変化していく。こうした世界において、どこに行ってもマクドナルドや郊外のロードサイドのような没場所的な、汎世界的な景観があることは、人々に親近感を与え、「今日の生活を特徴付ける激しい流動性に私たちが耐えるのを手助けしているのかもしれない」とレルフは述べています。換言しますと、時間的流動性によって危機に晒された人々のアイデンティティを、空間的不変性・均質性が人々のアイデンティティを保証しているということだといえます。ふと、郊外に生まれた友人が、「チェーン店を見たら安心感を感じる」と述べていたことを思い出しました。


 もう一つは自動車の話(p267〜)。現代都市(景観)はそのスケール感、交通骨格、周辺の空間(農地、住宅地…)との乖離など様々な点で人間疎外的な特徴を持ちますが、自動車はそうした都市景観と人間を結ぶ装置となっています。道路を走っていると「信じられないほど過酷な注意力を求める人間=機械システムに喜んで従おうという気持ちになる。」「絶え間ない意思決定の流れを要求」されているというバンナムの引用(p270)が印象的です。一方で、自動車は個人と都市景観を結びつけますが、現代の疎外的な都市景観(テクニークの偽物性)自体、自動車を前提とし、合理的な「熟慮・理屈」の経済システムとイデオロギーによって形作られたものであることも重要な事実であります。
 先日ワンゲルの友人と車の中で会話をしている最中にふと思ったことですが、私たちは少なからず自動車を自らの身体の拡張部分(足ー機械ー精神)という認識を持っている気がします。この拡張身体は、普通では決して達することのできない速度・世界に突入する装置となっています。すなわち、自動車は身体によって身体を超越する体験を許してくれるのです。ドライブの楽しみの一つはここにあるのではないかな、と思ったり。哲学は全然まともに勉強したことはありませんが、現象学・身体論は面白そうだなァと感じます。また余裕があれば勉強してみたい分野の一つであります。

 現象学的地理学は、現在の私の思考の一番の中心となっているもの。卒論に取り組む前に、もっとこの分野の本を読んでおきたいです。トゥアンあたりにも手を出そうかな。
posted by みさと at 16:12| 奈良 ☁| Comment(0) | 読書(地理学) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月21日

兎の眼(灰谷健次郎)

 灰谷健次郎さんの小説です。ゴミ処理場のある街の小学校を舞台に繰り広げられる人間模様を描いた作品です。
 灰谷さんは、『笑いの影』という作品が被差別部落への差別意識が強いとして問題視されたということがありました。この『兎の眼』の「処理所」というものも、多少被差別性を帯びており、どう扱うかはともかく、灰谷さんにとって一つのテーマなのかもしれない、という風に思いました。(『笑いの影』がどのようにそれを扱っているのか読んでみたいのですが、残念ながら世間に出回っていないようです。。)
 この作品では処理所は「下町の温かみ」のような、好意的なイメージで描かれています。終盤の処理所移転関係の話では、公の一方的な通告に子供達の安全な通学する権利を訴えている様子が描かれています。この辺りの描かれ方に灰谷さんの思想、イデオロギーが透けて見えたり。
 社会的な側面ばかり書いてきましたが、物語の筋はわかりやすく明快で、とても生き生きとした児童文学らしい児童文学です。登場人物もそれぞれが個性的で魅力的であります。モヤモヤとした社会への批判意識を内在し、それを露わにしながらも、爽快でえぐみのない物語が作られているのがこの作品の魅力的なところだと思います。
posted by みさと at 17:52| 奈良 ☀| Comment(0) | 読書(児童文学作品) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする