2018年07月03日

金閣寺

 三島由紀夫さんの小説です。1950年の金閣寺焼亡事件をモチーフにしたお話で、吃音症をもつ青年が鹿苑寺の小僧となり、美への想念や生や社会に拒まれた恨みを募らせながら金閣寺を焼くに至るまでを描いています。
 主人公がイメージとして思い浮かべる金閣と実際の金閣へ感じる美のズレは、人の普遍的な美の認識をよく表していると思います。自分の中で理想化しすぎて、実際目にしたときあれ、こんなものかと思うことって、よくある気がします。美に限らず、人間や他のものについても。構築主義の話にも通ずるところがありますね。

 永遠に続くであろう建築の美が、空襲で焼けるかと思われるときに、いつになく親しいものに感じられるようになったというくだりも強く印象に残っています。炎に脅かされてはじめて儚い人間と同じ次元に至るのです。戦争が終わったとき、金閣は「音楽の恐ろしい休止のように、鳴り響く沈黙のように、そこに存在し、屹立していたのである。」と描写されています。堅固な永劫の冷たい美をよく表していると思います。
 僧という聖職にありながら、主人公はやけに俗で、しかし、自分を拒否してきた俗を拒否しているのが、強烈な筆致で描かれています。生々しいような、硬いような、美しくも強烈な作風がとても印象的です。

 ものすごく濃い一冊で、考えることも多くありましたし、自分の思考が追いつかないところも多くありました。またそのうち読み返し、作品や三島の美学観をもっと深く考察してみたいと思います。
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2018年06月20日

すぐわかる 日本の絵画

 守屋正彦さんの日本絵画入門書です。この間読んだ西洋絵画に次いで、日本絵画についても学んでみたいな、と思って簡単な入門書を借りました。
 ざっくりと歴史を概論することができました。水墨画が昔から何となく好きだったのですが、これを読んで、興味の世界が広がりました。狩野派の金雲を効果的に使うのも良いですし、やっぱり水墨画の長谷川等伯の松林図屏風が一番好きです。
 西洋絵画、日本絵画の歴史を概観したので、次は美学の入門書を読んでみたいなー、と。昨年中井正一さんの本を古本で買っているので、それを読もうと思います。
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2018年06月19日

社会学のエッセンス

 友枝敏雄さん、竹沢尚一郎さん、正村俊之さん、坂本佳鶴恵さんによる社会学の入門書です。社会学の基本的な考え方について広く浅く学ぶことができます。
 社会学は、直接学んだことはほとんどありませんが、風景論、場所論、村落地理学を始め、様々な本を読んだり地理学の勉強をしているうちにしばしば出てくる学問でした。部分的に触れる機会は多いのですが、中々「社会学」それ自体の姿を知らないので、この入門書を手に取りました。

 社会構築主義に、ジェンダー、規範、秩序、国民国家、公共圏……。ある程度知っている内容は多いですが、それ自体を対象物として書いた本を読んだことがなかったので、勉強になりました。
 秩序と自由を両立させるためには、という話が目から鱗で面白かったです。そのためには、不確実性の大きい社会で、それを不確実性を大きく減らすことが必要、すなわち、多くの選択肢を用意しておきながらそのいずれかを選択することが必要ということです。このことについて、この本ではエントロピーの概念を持ち出して説明しています。

 とは言え、一冊に16個の話題を詰め込んでいるため、一つ一つの内容は浅いもの。それに、16個では社会学の全容を掴めたとはとても言えません。もっと社会学について、各論的な本を読んでいきたいと思います。
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2018年06月18日

愛するということ

 エーリッヒ・フロムの本です。フロムは『自由からの逃走』で有名な精神分析の学者さんです。この本では、タイトル通り、「愛」について社会心理学・精神分析学の立場から考察しています。
 全く畑違いの専門書なのですが、ワンゲルの後輩に勧められて読み始めました。基盤となる知識がないため、浅い理解に止まっているのではないか、という気がしてもどかしい思いもありますが、それでもかなり深く考えさせられるところもたくさんありました。

 まず、「愛」を対象の問題ではなく、愛するということは行為であり、能力であるという主張に引き込まれました。私たちは日常の会話で愛について語るとき、「良い人おれへん?」みたいな風に、対象に重きをおき、「モテるためにはどうしたら良いか」という風に愛するのではなく愛されようとする努力をしています。
 人は孤立意識から生じる不安を解消するために他者と合一化しようとし、そこにはお祭りや集団同調など様々な手段を用いますが、その最適な手段として愛が存在すると述べています。
 成熟した愛とは、自らの全体性や個性を維持したまま、能動的に他者と中心同士でつながろうとするもの。誰かに庇護を求めるこころや、支配欲のようなものが全く自分にないとは言えません。実際に人に甘えたりすることは苦手ですが、前者が自分の心の奥に存在しているのは度々感じております。
 また、愛とは能動的に人に与えることであるということも述べています。与えるものとは、自らの生命、力、ぬくもりなどあらゆるものになります。教師と生徒の関係を考えれば、結果的に互いに与え合うということになりますが、見返りを求めるのではなく。これもかなり難しいことだと思います。わたしはどうも吝嗇な気があるのか、全くためらいもなく、もてるものを与えることができるかというと、全くできている気がしません。

 逆説論理学についても、あまり理解が及んでいない気はしますが、深く心に残りました。逆説論理学は矛盾しているように見える論理のことで、「無知の知」や「忠ならんと欲すれば孝ならず、孝ならんと欲すれば忠ならず」のような表現のことです。
 人の心は矛盾においてしか知覚できず、物事は思考ではなく行為あってこそ知ることができる。このことは私のいつも考えていることによく当て合致していて、ああ、と思いました。私は誰かについて「あなた(あいつ)はこういう人だ」ということができませんし、人がそう言っているのを聞くと違和感や苛立ちを覚えたりします。誰かの行為に対して評価をするーー例えば、人の行動を見て「優しいね」などということはできますが、その人自身について「優しいね」と評価をすることはできません。

 現代資本主義への痛烈な批判も読みどころの一つだと思います。市場経済の世の中では需要が全ての価値であり、愛に自らの交換価値を考えているというのは、鋭く心に刺さりました。集団同調で合一願望を満たしていたり、神への愛は都合の良い時だけ心に抱き、信仰を世俗的成功の手段にしている。心当たりがたくさんあり、自分の心の持ち方をかなり問い直させられます。

 終盤に愛の修練に瞑想や呼吸法のようなことが出てきて、禅っぽいな、と思っていると、フロムは鈴木大拙と交流があるそうで。なるほど、と思いました。

 しかし、この本を読んでいて、男性性(侵入)、女性性(受容)、父性(規範)、母性(無償の愛)など、ジェンダー的に今の感覚と合わないところも多いな、と思いました。この本が書かれたのは1956年ですから、現代的な感覚が普及し始めるちょうどその時代だったのが読んでいてよくわかりました。
 フロムの話は論理としてなるほど、となりましたが、ジェンダーのあり方が変わればどうなるのだろう(フロムの立場に立つなら精神症?)とか、文化の差異を見ず(進歩史観的)、全ての社会でこのようなことが成り立つのか、と思ったりしました。割とジェンダーに縛られない私の志向もあってか、自分の体感的にも、しっくりきませんでした。
 これを読んで、自分が本当に現代っ子なんだなー、と実感したり…。しかし、ジェンダー論に詳しいわけでもないので、また見識を深めたいと思います。

 異性への愛がなぜ生じるのか、ということもあまり触れられてなくて気になりました。両性の合一欲求ということは書かれていましたが、なぜそれが存在するのかが述べられていませんでした。

 西洋思想の名著を読むことは多分初めて?で、かなり考えさせられるところの多い一冊でした。昨日友人たちと読書会を開き、議論したりもしました。
 フロイトに始まる精神分析学は、精神症という医学的なものを対象にしていながら、理論先行にすぎて変な学問だな、と思う一方で、かなり魅力を感じます。もう少しこの辺の分野を色々勉強してみたいです。
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2018年06月06日

人間失格 グッド・バイ 他一編

 太宰治さんの短編集です。他一編というのは、『如是我聞』です。
 太宰さんの本は恥ずかしながらあまり読んだことがなく、多分『走れメロス』以外では初めてな気がします。
 『人間失格』の主人公・葉蔵は周囲の人が考えているのかを理解できず、得体の知れない他者に怯えるあまり、道化に走って自らを守っています。
 周囲の考えていることがわからず道化に走る、という気持ちはわかる気がします。私自身も、彼ほどではありませんが、人の気持ちがわからなかったり、「こういうときは一般的にこう感じるものだ」と相対化してしか把握できなかったりします。女の子を指差して友人が「あの娘、可愛いくね?」と聞いてきた時とか。私は人間を「可愛い」と思う気持ちが理解できないのですが、「そうやね」などと答えます。最近では慣れてきてそうでもありませんが、これは可愛いやかっこいいを表す「記号」であると強く意識しながら、キーホルダーやTシャツを買ったりしています。

 葉蔵は人間に怯えてはいますが、無垢な妻を愛したり、アンダーグラウンドの世界に生きる人には共感を持ち、つるんだりしていたことを考えるとどこかで人間を求めていたような、そんな気がします。


 『グッド・バイ』は未完の絶筆。最後には、自らの妻にグッド・バイされるという皮肉な結末で終わるという構想であったそうです。『人間失格』と比べ、かなり軽妙に物語が進んでいきます。

 『如是我聞』は、議論としては粗雑なものですが、太宰の思いが、文章を通じて熱いほどにまで感じられるエッセイ。肩書きばかりを重視する世間を痛烈に批判しています。

 どの作品にも世間への批判・皮肉が込められた一冊。惹きこまれて一気に読んでしまいました。
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2018年06月05日

知識ゼロからの西洋絵画入門

 山田五郎さんの本です。有名な西洋絵画と画家について、歴史を踏まえながら解説している入門書です。
 私はオギュスタン・ベルクなどの風景論の本をよく読むのですが、最近そこでしばしば取り上げられる絵画についても知りたいと思うようになってきました。絵画はその時代の空間認識がよく表れる媒体の一つであるからです。
 恥ずかしながらこれまで美術館に行くことも少なく、絵画についての教養が皆無でして、簡単な入門書から学んで行こう、と思いこの本を図書館で借りました。

 ルネサンスから現代に至るまで、絵画の歴史の大まかな流れが理解できましたし、実際絵を見ていてとても面白かったです。なんとなく見たことある絵画もいろいろ意味合いを持って感じられるようになってきます。
 個人的には、印象主義が一番好きで、モネの「日傘をさす女」がとても気に入りました。
 ミレーの「晩鐘」、モローの「出現」なども好きです。マニエリスムの不思議な魅力も、、、。これをもとに、いろいろな画家さんについて掘り下げていきたいです。
 専門書でもない一般書を借りるのが久しぶりで、借りるのに少し恥ずかしさを感じてしまったり。。中高時代、漫画を読んでいるのを人に見られるのが少し嫌だったみたいな感じです。とはいえ、知識ゼロの私には中々学ぶことが多くて、本当に為になりました。
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2018年05月31日

新訂 社会地理学の基本問題

 水津一朗さんの地理学書です。村落地理学が専門で、「位相地理学」を提唱された方です。水津さんは、私が大学でお世話になっている先生の1人である小島泰雄先生(村落地理/中国研究)の師匠に当たる方で、研究室を決める参考にしようとして読むことにしました。
 人々の「生活空間」、また人々の最小の地域統一体である「基礎地域」がテーマです。人々の生活空間は重層的に展開されており、ある領域でその多くが重なっていきます。農村社会学の鈴木栄太郎さんによる「自然村」「第二社会圏」の理論に近いところもありますが、より地理的空間を重視した理論を展開しております。「基礎地域」「生活空間」の形成は、文化・社会構造による影響を受け、一元的に考えることはできませんが、多くのそれに当てはまるモデルを水津さんは構築していて、興味深く読みました。中でもp122に上がっている、歴史における生活空間の変遷を描いたモデル図が秀逸だと思います。
 なんとなく頭にあることがモデル化されており、また西欧や途上国など日本以外の土地の生活空間をも取り上げていたのも勉強になりました。

 地理学は、地理的な差異を重視し、他の何者でもない個別の事象を深く探求する傾向の強い学問であります。抽象化、モデル化を念頭におく社会学や経済学とはこの点で対立してきました。
 私はこれまで地理学中心に勉強してきましたが、最近は具体事例の調査よりも、類型化やモデル化をした理論の文献を読むのが楽しくなってきています。社会学によってきたなー、と自分で思いながらも、それでも地理的差異を等閑視するような意見を聞くと、腹をたててしまいます。水津さんのような社会地理学というのはかなり良い落とし所だな、と思ったりしています。
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2018年05月29日

日本の風景 西欧の景観

 オギュスタン・ベルクの書いた風景論の名著です。読んだのが三月なので、二カ月越しの感想です。めちゃくちゃ溜めてしまっています、、、。
 ベルク は文化地理学者ということですが、絵画や建築をもとに風景論にアプローチしています。風景画というものは、その時代の人々(芸術家)の見る視線を分析できて、とても面白いですね。この辺全然知識がないので、絵画についても勉強してみたいな、と思いました。
 これまでベルクを引用している本を読んできたこともあり、内容自体は比較的知っていることや他の方が別の言い方をして述べている内容が多くはありました。しかし、いくつか初めて得る考え方も。
 人間には共通する「元風景」というのがあり、それが人々の好む風景の根幹になっており、文化によって様々な表象のされ方をしている、という話が序盤に出てきたのが印象に残っています。ユングの原型論に近いものがあって面白いです。
 これからの風景への示唆も興味深いです。彼は「造景の時代」を提唱しており、西欧近代の主客二元論を乗り越えつつ、自らの視線を客体化して風景を管理すべきと述べております。ポストモダニズム建築が陳腐な「まがい物」になりがちというのは良くある議論ですが、これから先どうしていったたら良いかを、理論と具体例を取り混ぜながら解説していくのが良いです。
 結構同じテーマの本を読んでいるので、割とわかりやすいと思いましたが、結構予備知識が必要とされている気がします。最後の「造景の時代」への提案は少し難解な印象を受けました。またこれから知識をつけて、完全に理解できるようにしたいと思います。
 風景について興味があれば、ぜひご一読を。
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孤高の人(上)(下)

 新田次郎さんの山岳小説です。地下足袋を履き、超人的な速さで一人山を歩く単独行の加藤文太郎が主人公。

 私はワンダーフォーゲル部で沢登りをしていますが、彼みたいな、少し世間離れした、偏屈な人間というのは、山をやる人間の一つの理想であるような気がします。なぜ山に登るのか。この本のテーマの一つもそれです。その理由は色々あるでしょう。加藤文太郎は、山を登ることで自らを見つめ直す、自らや自然と語り合う、と書いていたような気がします。そう言った認識は、多くの登山家にあるのではないでしょうか。世間からの離脱が目的の一つなのです。

 私はどうでしょう? 私は、ある意味人とのつながりを求めて山に行っているような気がします。山は本来的に人のいないところであるからこそ、そこで会える/一緒に行っている人と親しくなれる、という気がします。加藤文太郎が、他のパーティーに合流したがったのも良くわかります。高校時代、柏原の高尾山の山頂で、色々な登山者と一緒に長時間話し込んだこともたくさんありました。
 もちろん、美しい風景や自然の営みを全身で感じたり、岩や滝を攀じる時の興奮もあります。岩や滝。死と隣り合わせにあるからこそ、自らの生命が下界の何処にいるよりも輝いて感じ、自らのあり方を考える見方も変わりました。
 山は人から離れつつも、人に近づくことのできる両義的な場であると言えるかもしれません。



 ワンゲルの仲間ーー特に沢登りをしている仲間は、世間を少し軽蔑しているきらいがあります。世間から離れ、山に打ち込む「孤高の人」が一つの理想像であると感じます。

 私は加藤文太郎のような単独行はできません。簡単なハイクや縦走路ならば、一人歩き道ゆく人と言葉を交わすのを楽しむかもしれませんが、沢登りや岩登りのようなことは、仲間がいるからこそ、物理的にも精神的にも安心して、楽しむことができる気がします。私は「孤高の人」という登山者の理想からは、かけ離れた存在です。

 
 また所帯を持ち、山から離れていく終盤の文太郎を見ると、少し身につまされる思いもあります。私は古い家に生まれたからか「イエ」意識が高く、こんな危ないことをするのはイエや家族に対して無責任なのではないか、と自問自答します。加藤と順序は逆ですが、怪我で山を休んでいる間に恋人ができたりもしました。ハードな山と社会生活を両立することは難しいということはよく頭に浮かぶことです。後輩に、「先輩は守るべきものが多すぎる」と言われました。そうかもしれない。私は、他のワンゲラーと比べて社会的なつながりが多いです。
 そういうことでずっと煩悶しながら沢登りを続けてきました。皮肉にも膝を怪我し、ハードな山行からは強制退場ということになってしまいましたが、、、。


 色々自分の登山観について考えることのできる一冊でした。個人的なことばかり書いてしまいました。乱文失礼。
posted by みさと at 17:59| 奈良 ☁| Comment(0) | 読書(その他文学作品) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月27日

細雪(上)(中)(下)

 谷崎潤一郎さんの小説です。船場の名家・蒔岡家の怜美な四姉妹とその恋愛・縁談を巡るお話です。

 谷崎作品で過去に読んだのは『陰翳礼讃』と『春琴抄』。『陰翳礼讃』では、その表現世界の美しさに魅せられましたが『春琴抄』ではその情緒世界の強烈さに圧倒され、しばらく敬遠していた作家さんです。
 昨冬のある日、友人らと映画「細雪」の上映会を行い、それがとてもよかったので、この本にも手を伸ばしました。とは言っても、この本を読んだのはもうひと月以上前のこと。忘れないうちに感想をつけなければならないのですが、だいぶ感想を貯めてしまっています、、、。

 上品な関西弁で紡がれる作品世界。(春琴抄などと比べても)とても読みやすいのですが、華やかな関西の上流社会が美しく描かれています。華やかな美しさの中に、どこか儚さが含まれているのは、作品自体の内容に加え、日本の円環しながらもいつか色あせてゆく無常の世界観が長い作品を通じて上手く描かれている(四季の移ろいと時代の経過、戦争のかげなど)からな気がします。
 この小説は関西という一地方を舞台としながらも、「日本」の美をよく表していると思います。関西は古来より天皇や貴族が住んでおり、日本の文化を育んできた場所(ーーただしただ文化的な中心であったというだけでなく、近代に「日本」の社会的構築の材料とされたところも大きいとは思いますが)でありますから、日本の儚き美を描くのに格好の舞台だったと思います。『細雪』が東京や山形を舞台にしていたらどうだったか、と思うとかなり違うものになった気がします。

 作品で描かれるのは関西の名家。裕福な暮らしに基礎付けられ、伝統的な文化的な趣味に飛んだ暮らしをする蒔岡家。
 私の実家も、蒔岡家ほどではなく、さらに商家ー農家の違いはありますが、大阪近郊で庄屋を務めた、それなりに裕福な旧家。曽祖父の代以前はそれなりに文化的な暮らしをしていたようで、蔵の中に先祖が詠んだ和歌が残っていたり、家に良さそうな掛け軸があったり、伯母がお茶を習っていたり、その残り香があります。しかし、農地解放での凋落や世代交代のタイミングなどで、もうその文化性を受け継ぐことはできていません(親戚づきあいや親戚の結婚事情などに社会的な性質は残っていますが)。だからこそでしょうか、過去の実家に重ね合わせて蒔岡家の生活を羨ましく思ったり、蒔岡本家の没落をみて胸が痛んだり、そして雪子の縁談にものすごく感情移入してヤキモキしたりしてしまいました。
 かなり好みでしたので、谷崎の他作品も読んで行こうと思います。
posted by みさと at 13:16| 奈良 | Comment(0) | 読書(近代文学) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする