2018年09月07日

紙婚式

 山本文緒さんの短編集です。収録作品は『土下座』『子宝』『おしどり』『貞淑』『ますお』『バツイチ』『秋茄子』『紙婚式』。
 結婚、夫婦の綻びをテーマにした短編集で、妹に勧められて読みました。
 夫婦生活というものは安定したものというイメージがありますが、外観の安定の中、実際の心中はどのようにあるのでしょうか。この短編集はそうした心情を描いた作品群です。印象に残ったのは『子宝』『秋茄子』『紙婚式』。
 『子宝』は「生」とその裏返しにある「死」がキーになったお話。梶井基次郎の『桜の樹の下には』を夫婦生活に落とせばこのようであろうか、という感じです。死が恐ろしいという気持ちが生のグロテスクさと繋がっているというのはよくわかります。
『秋茄子』は唯一?後味の良い終わり方をしている作品です。口ではああ言いながらも、母親への愛に溢れる旦那さんは子供っぽい一方で可愛らしくて、良い終わり方だと思います。
『紙婚式』はテーマが良い。婚姻届は単なる紙切れと言っても、本来他人であったものを家族にするという呪術性を持ったもの。契約というとドライなようですが、人間を深く結びつけるものでもあると思います。
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2018年09月06日

団地の時代

 原武史さんと重松清さんの対談です。東京の団地で生まれ育った原さんと、地方に生まれ、ニュータウンを転々として回った重松さんが、団地のあれこれについて考察しています。

 私の生まれた街・柏原も、大都市の郊外にあるベッドタウンではありますが、農村と在郷町がスプロール的に拡大してできた都市で、私団地という存在には接さずに育ってきました。
 こう言う経緯もありまして、私は農村や戸建てに対して団地・マンション・ニュータウンを一つのくくりにして考えることが多かったったのですが、この本ではこれらを明らかに違うものとして論じています。私にとってはそれが一つの衝撃でした。団地は戦後の住宅不足の対策として公団や自治体が作った画一的な住宅群であります。それに対して、ニュータウンはもう少し後の時代、多摩ニュータウンを代表に、住民・住宅ともにある程度多様な様相を見せる住宅群であります。

 団地を論ずる時、「画一的」と言うのが重要なキーワードとなります。それは、景観的にもそうですし、住民の社会的階層においてもそうです。
 団地の住民たちはかなりの近距離に住み、同質的な生活を送り、教育・インフラなど共同の課題をもっている。コンクリートの、堅固な一室は近隣とのつながりを阻むように思えますが、実際はしばしば強力なコミュニティが形成されたと言うところがこの本の大きなポイントだと思います。
 こうした自治会はしばしば革新勢力と結びつき、共産党や公明党の票田になります。

かつて「団地妻」のポルノが流行ったのが団地の空間的特性の現れであると言う指摘も、文化史・空間論的に興味深いことでした(と言っても実際見たことがあるわけではありませんが笑)。機密性の高い住居に加え、職住分離、家電の普及である程度時間に余裕のある「主婦」の誕生。冗談めかして話に上がっていることですが、中々重要な指摘だと思います。

 モダニズムの象徴として都市論の世界では良く取り上げられる「団地」。外から見ることはあっても、それ以上触れ合ったことのない対象です。原さんの生きた経験は、ものすごく新鮮でしたし、興味深かったです。
 団地、ニュータウン、旧集落、スプロール……。均質的と言われながらも、実は多様な様相を見せる「郊外」。研究対象として農村を志向していた私ですが、郊外に心をくすぐられる今日この頃です…。
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2018年09月04日

小公女

 フランシス=ホジソン=バーネット作の有名な児童文学です。曾野綾子訳の講談社・青い鳥文庫のものを読みました。
 名高い作品ですが、恥ずかしながら読んだのは、おそらく初めてです。

 児童文学とみなされる作品には、主人公が積極的に行動を起こし、自ら活路を切り開いていくというお話が多い気がしますが、このお話の主人公・セーラは少し違います。お金持ちのクルー家に生まれ、父の死により小間使いに転落し、父の友人との接触によって再び裕福になると言う風に、物語は主人公ではない外在的な営力によって進行されていきます。セーラは、気高き気丈な心と豊かな想像力をもってそうした運命に耐え、それらを導いているのです。物語・主人公がまさしく「運命」によって動かされていると言えるでしょう。
 受動的な展開ではありますが、だからこそこの作品のテーマである主人公の気高さ・気丈さが引き立っている気がします。気高さ・気丈さは「運命」と相性の良いテーマだと思います。

 また、セーラは屋根裏の自室で、粗末な部屋をバスティーユの監獄や豪華な部屋にいる「つもり」になる空想遊びをし、辛い気持ちにならないようにしていました。これは、粗末な、殺風景な部屋であるからこそできることだと思います。装飾も何もない、「意味」の削がれた空間であるからこそ、想像によって「意味」を付与したくなるのでしょうし、そうできるのでしょう。屋根裏部屋はセーラの想像力を活かすには良い環境であったと言えるでしょう。


 そういえば、小学生の時分、「小公女・セーラに似ている」と同級生に言われたことがやけに記憶に残っています。それはどのような文脈で、どのようなニュアンスで言われたことだったのかは、全く思い出すことはできないのですが……。
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2018年08月23日

いわさきちひろの絵と心

 下鴨の古本市で購入した一冊。いわさきさんの絵と彼女のご子息・松本猛さんのエッセイから構成されています。
 いわさきさんが絵を描かれた絵本は、幼い頃そうと気づかず何度も読んだことがありましたが、最近ふとしたきっかけでいわさきさんのことを再認識しました。淡い色の水彩画で描かれた画風は今の感覚からしてもとても心惹かれます。彼女の描く子供達には、優しさの中にも、繊細で微妙な心の動きが現れている気がします。しばしば輪郭も曖昧で、色もパステルカラーを用いているからこそ、強すぎない、絶妙な心情の表出をなし得ているのでしょうか。

 松本さんのエッセイでは、いわさきさんの生涯や芸術理論が書かれており、これを読むことでより絵を深く感じられるようになった気がします。特に、彼女が共産党員
であり、議員の妻となっていたことには画風とのギャップに衝撃を受けましたが、水彩画の中に滲む意志の強さや社会的なテーマの絵(「戦火の中のこどもたち」など)があることを思い出だすと、それも納得です。
 また改めていわさきさんの描いた絵本を読んでみたいな、と思いました。
 この本に収録されている作品の中のお気に入りは、「かさと少女」、「たけくらべ」美登利、「枯れ草の中の少女」です。
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2018年08月15日

刺青・秘密

 新潮文庫、谷崎潤一郎さんの短編集です。収録作品は『刺青』『少年』『幇間』『秘密』『異端者の悲しみ』『二人の稚児』『母を恋うる記』です。

 『細雪』に魅せられて、谷崎に手を出しています。 『細雪』は関西の上流社会を秀麗に描いた地理的小説、風土的小説と言えますが、この短編集は、江戸が物語の舞台であるものがほとんどです。

 とりわけ、『異端者の悲しみ』は江戸の庶民社会のに生きる人物を描いたものという意味で、『細雪』と対照的なものであると言えるかもしれません。この小説は作者・谷崎を思わせる東大の貧乏学生・章三郎の頽廃的な生活を描いたもの。
 ーーベルグソンの「時と自由意志」の論旨を…細かい理屈は何一つ覚えていなかった。にも拘らず、彼は自分が折に触れて、こう云う高尚な問題にまで考えを及ぼし得る智力がある事を、非常に嬉しく感じ始めた。(p140)
 己の能力を過信し、他者を卑下する事で成り立つ歪んだ自尊心が放埓な生活の中対照的に浮き彫りにされています。京大に通う私にも少なからず同じような心の動きがあり、うっと心に刺さるところがありました。
 また、ものうく荒廃した家庭と生活、精神の中に、病気の妹・お富の冷たい瞳が突き刺さるのも効果的で、非常に印象に残りました。
 ーー凹んだ眼科の奥に光って居る凄惨な瞳を、ごろりと一方へ回転させてじろじろと兄の様子を見据えた。(p138)
 

 地理的小説として秀逸だと思うのは、『秘密』です。普段生活している町の中にも、全く通ったことのない場所というものは少なからず存在します。この小説は、そうした場所がテーマ。幼い頃には点と線で構成されていた生活空間が、面的な広がりを持つようになってくるにつれ、こうした道は時折眼前に現れてくるようになります。私自身馴染みある町の見知らぬ姿は、不思議で、とても魅力的で、心踊ります。小説に取り上げられて見て初めて、とても不思議で面白い題材だな、と気づきました。
 ーー丁度瀬の早い渓川のところどころに、澱んだ淵が出来るように、下町の雑沓する巷と巷の間に挟まりながら…閑静な一郭が、なければなるまいと思っていた。(p98)
 大都市という巨大な空間には、ほとんどの人にとって知ることのないこうした場所があるのではないか、という感覚はすっと腑に落ちます。都市は巨大であり、人間の認識のスケールを超えているため、(実際は全ての人の生活空間を重ねれば都市全てを覆い尽くすのでありましょうが、)人間に埋め尽くされていながら空虚な隙間が生じていると感じてしまうのでしょう。
 「秘密」が暴かれたところで場所の魅力が消滅してしまうという結末は、このテーマをおとすには良い結末だと思います。

 『刺青』『少年』『幇間』は、世間で言われる谷崎のイメージ像を体現したような作品。猟奇的でやや性的な物語をぞっとするような美しさで描いています。特に『刺青』は極めて短い中にそれがよく現れており、さすが名作の誉れが高い小説だと感じました。
 『二人の稚児』はこの本書の中では特異な印象を受ける作品で、仏教説話的な物語です。見たことのない「女性」の煩悩に悩まされるというところは他作に見られる谷崎の筆がよく現れている気もします。
 『母を恋うる記』は幻想的な舞台の中、谷崎の作品の多く通底する母への慕情を描いた作品です。五感が極めて繊細に描かれており、極めて美しい一作です。

 性的倒錯を描きながらも、えぐみを感じさせず、極めて美しい物語群。思春期に『春琴抄』を読んで衝撃を受け、敬遠していた作家さんですが、二十歳になった今になってその世界に魅了されています。『痴人の愛』あたり、また他の作品も読んで見たいと思います。
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2018年08月10日

古都

 川端康成さんの小説です。京の街に捨てられ、呉服問屋の一人娘として育った千恵子と、北山杉の里・中川で働く村娘の苗子。生き別れた双子の姉妹は祇園祭の日にめぐり合います。
 美しい四季の移り変わりに、京都、平易で流麗な文章。全体として、谷崎の『細雪』を連想させます。作中では、様々な行事、名所を用いて京都の四季を描いています。京都を舞台に、二人の娘をめぐる人間模様を描いているのか、二人の娘を通じて「京都」を描いているのか。京都の「名所図会」的な小説だな、と感じました。

 また、中でも近代化に揉まれる「京都」がこの小説ではよく描かれていると感じます。
ーーそのうちに、京都じゅうが料理旅館になってしまいそうな、いきおいやな(p186)
 という太吉郎の言葉。実際の生活から遊離し、観光地として概念化・テーマパーク化されていく京都への危惧がよく現れた言葉だと思います。
  また、苗子の言葉に、

ーーうちは、原生林の方が好きどす。この村は、まあ、切花を作ってるようなもんどっしゃろ……(p166)
 というのもあります。杉の植林も、現在では「自然」とみなされることも多いですが、人為によって構成されるものです。川端の嗜好として、恣意的に構築されたものを厭い、自然や人の営みによってありのままに成り立つものを求める傾向があるのかもしれません。もっとも、杉の植林を「冬の花」とか「数寄屋」に例える記述もあり、その美しさを、それなりには評価しているとは思いますが。

 私自身、杉の植林というのは、不思議な感じを受けます。昼間にみれば、人の営みを感じてとても親しい印象。厳しい沢を登っていて突如植林が現れればとても安心します。しかし、夜中にみる杉林は異様な感じがして、見ていると不安さえ感じます。のそっと真っ白な柱が屹立している様子。見てはいけない何かが露出している感覚。人間の白骨を見ているような感じ、とでも言えば良いのでしょうか。

 奈良の喫茶店で一気に読んでしまいました。このような雰囲気の作品は好きですし、色々感じること、考えることもありました。
posted by みさと at 00:07| 奈良 ☁| Comment(0) | 読書(近代文学) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年08月03日

モダニティと空間の物語 社会学のフロンティア

 収録は吉原直樹さん「モダニティの両義性と『時間‐空間』の機制」、齋藤道子さん「生活時空間としての場」、和泉浩さん「遠近法と調整の空間」、足立崇さん「住まうことの場所論」、大城直樹さん「空間から場所へ」、小野田泰明さん「住まうことのメタファー」、植木豊さん「制度の失敗とローカル・ガヴァナンス」、酒井隆史さん「(ジェントリフィケーション下の)都市への権利」、斉藤日出治さん「空間論の新しい方法基準」です。

 「社会学のフロンティア」をうたっているこの本ですが、それぞれの作品は建築論、文明論、公共政策論、地理学、芸術学などかなり幅広い分野の影響を受けている、あるいはそういった分野の学者さんが書いています。そう思うと、「社会学」という学問の射程の広さをつくづく感じます。
 私は人文地理学の影響を強くうけているので、「空間」を「場所」を対立概念としてとらえ、歴史性、風土性を排斥し普遍的価値(資本主義)に基づいて評価できる均質なものと考えてきました。一通り読むと、「空間」というものも分野や論者によってさまざまに捉えられ、論じられてきているのだな、と驚きます。
社会的な営みの舞台となる場が「空間」であり、現代それを語るにおいて、西欧近代と資本主義の影響を見逃すことはできない、ということは本書すべてに通ずるところであり、私自身の大きなテーマでもあります。

 各論でそれぞれ面白いところはありましたが、終章の斉藤日出治さんの結論が象徴的なので、それを自分なりにかみ砕いたものを記しておきたいと思います。
人は社会的関係の中で生きており、その社会的関係をかたちづくる容器となるのが「空間」です。そして、都市は空間の中でも身体、資本、知識、そして、それゆえ社会的関係の蓄積する場であります。人々は生きてゆくため、自己形成のためにも社会的関係を要求しますが、都市はそれを大いに満たしてくれる場であったのです。
近代は人々に人権、市民権を与えてきましたが、人々の社会性、またそれを基礎づける空間性を見落とし、個人的・排他的なものであるのを免れ得ませんでした。今、このことを認識した上で「空間的身体への権利」を確立し、政策や都市計画を考えていかなければなりません。
posted by みさと at 21:13| 奈良 ☀| Comment(0) | 読書(社会学) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月29日

造園の手引き

 京都府造園組合の本で、庭園史から設計、施工、管理に至るまでを概観しています。かなり平易に造園学の基礎をまとめており、とても読みやすく勉強になりました。とりわけ日本庭園のデザイン特性や空間構成技法が興味深かったです。借景や縮景、見え隠れくらいは知っていましたが、遮り、障り、生け捕りなど知らない技法もたくさん学ぶことができて、日本庭園を見る目が少し向上した気がします。
 かなりテクニカルな話も平易に書かれていて、人文系学生の私が読んでも理解できました。造園や建築の技術的な面を知ることは半ばあきらめている傾向があるのですが。この程度の基礎の基礎くらいを書いてくれていると面白くてうれしいです。
 造園系の人だけでなく、庭園、緑地空間に興味があれば、ぜひ読んでほしい一冊です。
posted by みさと at 16:50| 奈良 ☀| Comment(0) | 読書(農学/林学) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月21日

球形の季節

 恩田陸さんの小説です。谷津という地方都市で広がった奇妙な噂をめぐり、「地歴研」の高校生たちがその出どころを確かめようと奔走するところから物語が始まります。
 なんとなく手に取った本なのですが、自分の専門である地理学と深く結びついており、
色々と考えさせられるところがありました。この小説は、谷津という架空都市を舞台に、それの持つ「場所性」というものを強く意識しています。「場所」というものは、ただそこにある、ニュートラルな空間というだけではなく、歴史や文化の積み重なりーー意味や物語を伴うものであります。そう考えると、小説という表象の場は、空間が必ず「場所」であらざるを得ない場であるということができると思います。学校が出てくる時、山が出てくる時、喫茶店が出てくるとき。小説において、場所の描写がされる時、その場所がそこである必然性があるのです。そういう点で、必ず小説の地理は必ず意味を持ち、「場所」であるのです。
 小谷真理さんが、解説で「学校」という場の意味を考察していますが、それがとても興味深いので、要点を引いておきたいと思います。学校は制度で縛ることで架空の「日常」を作り出します。本当は多様な生徒たちに均質性を求めるのです。当然のことながら一つの価値観を求めることは、逸脱者をも多く生み出します。こうした逸脱者が、ファンタジーの源泉となっているということだそうです。
 加えて、予言の自己成就というのは社会学のお話ですし、民俗学的な伝承のお話もあります。そう思うと、人文諸学の要素がたくさん盛り込まれた物語なのだなぁ、と恩田陸さんの教養を強く感じます。

 恩田陸さんというと、中高時代に読み漁った作家さんの一人。今多少学を身につけた上で読むと、色々と深く考えることができているような気がします。
 中高時代は、学校の課題や勉強の枠が設定されており、私はそれを満たして「勉強のできる子」として評価されており、満足していました。今思えば、もっといろいろな本を読んだり、いろんなところに行ったりして学をつけておけば精神生活も変わってきたのかなぁ、と思ってしまいます。
 ちょうどこの小説の題材が高校であります。日常に満足し、そのルーティンの中で変化を厭って生きてきた自分が、少しみのりに重なりました。
posted by みさと at 23:58| 奈良 ☀| Comment(0) | 読書(ミステリ系) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月10日

美学入門

 中井正一さんの本です。私は風景論を専門としたいと考えているのですが、風景には眺めを審美的評価するという意味合いが少なからず含まれています。これまで建築・地理学系からのアプローチが多かったのですが、風景の「美」を考えるためには哲学系の学問である美学の本も読んでおきたいな、と思い、手に取りました。
 とはいえ、思想系の知識が浅いため、やはり表面的理解にとどまっていたり、理解しきれていない部分も多くあります。カント、ヘーゲルなどの知識があれば、もっと理解が進むのでしょうが……。高校倫理の資料集を読んで、広く浅く西洋の思想史を抑えて置こうかな、と思います。

 いくつか印象に残ったことを書き留めておきたいと思います。

 モダニズムの美学への表れについて、知れたことが一つ。この本は1951年の本ですから、今よりもモダニズムがずっと近いところにあります。ものすごく新鮮な視線で、「機械化時代」である近代を論じています。ルネサンスで個人や主観というものが目覚めますが、近代、社会機構の発達、全体主義の台頭などに伴い、再びそれらは解体されて行きます。ダダイズム、シュールレアリスムなどの絵画の描かれ方も、それに対応して変化していきます。
 機械化時代は人間を含めたあらゆるものを商品化・機械化し、機構へ埋没させていきます。それをマルクス主義は批判していますが、芸術の面から不安の声をあげているのが表現主義などの諸派なのです。

 近代の「機械化時代」に生まれた芸術の一つで、映画があります。中井さんは当時極めて先進的で合った映画にも鋭い理論を加えています。映画、というのは思えば不思議なもの。「聖なる一回性」を持つはずの歴史を、歴史の中で再現しています。またコマに切断された空間はそれを繋げる人々の歴史的意識の方向性を要求します。映画は、それらを通じて見る人の人格の中に、歴史的主体性を撃発しているのです。

 また、「さやけさ」「わび」「幽玄」「すき」「いき」「きれい」など、時代によって様々な言葉に表される日本の美についても、興味を惹かれました。日本の美学は時代によって変遷しているように見えて、軽妙さ、重さ・汚れを切り捨てた自由な清新さ、虚ろだが緊張した静けさなどは通時代的に存在しているのです。
 
 理解の及ばないところも多くありましたが、新たな観点を得ることのできた、学び多い読書となりました。これを機に、哲学系の本にも少しずつ手を出して行きたいな、と思います。
posted by みさと at 00:06| 奈良 ☁| Comment(0) | 読書(他人文科学) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする