2017年08月01日

日本風景論序説 農の美学

 勝原文夫さんの風景論です。風景論シリーズその3。人々は幼少期に過ごした自己形成空間から「個人的原風景」、また国民的風土・歴史的伝統によって形成される「国民的原風景」からなる「原風景」を基準にして風景を審美しているというのが本旨であります。「国民的原風景」というのは、「ふるさと」とか「春の小川」に歌われる、山河麗しい農村風景と考えられます。都市の住民であっても、農村の景色を見て懐かしい、と感じるのは国民的原風景があるからということです。
 中でも興味深かったのが、都市にある農地――生産緑地のお話。生産緑地は農村風景の一端を示すものであり、人々はそれを通じて農村風景への欲求を満たしているということ。なんとなく都市にある田園は好きでしたが、この本を見てその理由が解き明かされたようでおお、となりました。どんどんと宅地化の進む生産緑地をみると、少しやるせなく感じます。

この本を読んで、人々の「原風景の揺らぎ」についていろいろと思うところがあったのですが、授業のレポートにしてしまったので、書くのはやめておきます。レポートにした内容をブログに書くの、別に悪い訳ではないと思います(逆はアウトでしょうけれど)が、念のため。また気が向いたら書くかもしれません。
たぶん、風景論シリーズまだまだ続きます。笑。

評価:A
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われも恋う

 堀田あけみさんの連作集です。収録作品は『両手一杯にかすみ草』『桔梗のかなしみ』『われもこう』『クリスマスの花』『グッバイ ナルシス』『So Many Roses たくさんの薔薇の花』です。

あらすじ
 大学生の俺は、自分が信仰するように恋する有紀子のために起こした行動をきっかけに、花屋でアルバイトすることになった。六つの花をめぐる、六つの恋の物語。




 サークルの本棚でふと手に取ってみた本です。殆ど恋愛小説というものは読んだことがなかったのですが、中々楽しんで読めました。
吾亦紅の花、個人的に好きで手に取ったということもあります。すぎもとまさとさんの歌もあってか、もの悲しいイメージが強い花ですが、この小説でちょっとだけイメージが変わった気がします。われも、また、紅い。
一番のおすすめは『両手一杯にかすみ草』ですね。女性の不器用さ、変化がとても良い感じ。強がって着飾る女性と可憐なかすみそうの対比も好きです。両手一杯のかすみそう、素敵ですね。
『桔梗のかなしみ』も、花のイメージと物語があっていてよいな、と思いましたが、「トルコキキョウ」は私のイメージしていた桔梗とは違うみたいで……。でも、ちょっとやるせなくて、切なくて、悲しい良いお話です。
 ちょっといじっぱりで古風な主人公とか、かすみ草に出てくる女性とか、これが書かれた1991年だからでてきた発想なのだろうな、と思いました。現代のジェンダー観とか文化とかだと全然違うものが出てくる気がします。現代なら、携帯電話――ましてやスマートフォーン、ラインがあって恋愛の形も全然違ったものとなっていることでしょうし(19歳でありながら去年スマホを持ってから恋愛したことがない、自分に苦笑いですが)。

 いつ役に立つことがあるんや、なんて思いながらも花言葉を覚えてみたいな、とも少し思いました。


評価:B
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2017年07月29日

子どもの隣り

 灰谷健次郎さんの短編集です。収録作品は『燕の駅』『日曜日の反逆』『友』『子どもの隣り』です。

あらすじ
 父子家庭の4歳の男の子の目に映る、周囲の人々の人生模様を描く(表題作)。幼なくも不安や孤独を抱える4人の子どもを描く掌編4話。




 幼児〜中学生の子どもの目線から世界を描いた小説。19歳の私にとって、子どもの世界って、近いはずなのに、不思議に遠く感じます。どの少年・少女の心にも共感できる一方で、なぜか自分がもう「子ども」でないということを強く思わされました。35や40のおじさんよりも、はるかに15歳や12歳、4歳の子どもの方が歳が近いにもかかわらず、自分がおじさんに近いと感じる場面も多くあったのです。そう、ぼくは子どもは経験したことがあり、おじさんは経験したことがないはずなのに……!  とても不思議に思う一方で、こうした気持ちも自分を既に「大人だ」と思い込むマージナルマンの幼い感想なのかもしれない、という気もします。
 『燕の駅』では、死の恐怖におびえる少女が母親に意地悪する様子が描かれています。優しさと残酷さ。不安さゆえに身内に意地悪してしまう一方で、他人には優しく接することができるという気持ち、よくわかる気がします。隣室のおじさんとの触れ合いを通して自らの病気と向かい合えるようになっていく。少女の成長と複雑な心理が緻密に描かれていて良い作品です。
 『日曜日の反逆』。「孤独なやつほど演技をしてみせるのかもしれない」。
 『友』の語り手である中学三年生の少女は、一番自分と年齢が近いということもあり、また「優等生」であったところもかぶって、最も感情移入して読むことができました。他人の物語に意識的に乗って喜ばせて見せたり、他者を無責任にも心の中で評価してみたり(しばしば他人と自分への嫌悪を伴って)、「優等生」であることを半ば利用して先生に少し反抗して見せたり。親を軽蔑しながらも愛していたり。昔の自分というどころか、今現在の自分にも同じ心理が当てはまる気さえします。自分と重ね合わせられるから、ということからかもしれませんが、この短編集の中ではこの作品が一番好きです。ちなみに、奈良くんの熱帯魚への愛について書いた素朴な文章がとても心に残りました。ほかの作品にも関西弁は出てくるのですが、自分が関西人ということもあり、関西弁がとても現実感をだして、良い効果となっています。
 『子どもの隣り』は、タアくんのかわいさがすごい! もちろん、灰谷さんのことですから、可愛い無邪気な子どもも単純な人間ではありません。子どもにとって、まして母親を物心つく前になくした子どもにとって、死と生の重たさというものは本当に著しいものでしょう。ベンチに座る老人たちとのやりとりで死について触れられるところ、特に認知症の描写などには、ぞっとする迫力があります(ここには、幼児と老人にとっての死の重さというものが全然違うということもあると思います)。不良少女のやりとりなどで、生き生きとした放埓な生活やセクシャルな描写から濃厚な生を暗示されているというのも一つのポイント。この世を埋め尽くす生と死の圧力を受け止めきれないタアくんの思いは、幼子の語彙の問題もあり「死ぬの怖いの」以上にはあまり語られませんが、最後の彼のつぶやきに凝縮されていると思います。「死んでも、死んでも、死んでも、死んでもいい。ここにおるもーん。死んでも、死んでも、死んでも、死んでもいい。また、生むもーん」

評価:A
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銀河鉄道の夜

宮沢賢治さんの童話集です。収録作品は『北守将軍と三人兄弟の医者』『オッペルと像』『どんぐりと山猫』『蜘蛛となめくじと狸』『ツェねずみ』『クねずみ』『鳥箱先生とフウねずみ』『注文の多い料理店』『からすの北斗七星』『雁の童子』『二十六夜』『竜と詩人』『飢餓陣営』『ビジテリアン大祭』『銀河鉄道の夜』です。

あらすじ(表題作)
 ジョバンニは周りから疎外されがちな少年。星祭りの夜、彼はザネリらにいじめられ、孤独をかみしめながら天気輪の丘で一人体を投げ出した。いつの間にか、彼は銀河を走る軽便鉄道に乗っていた。そこには親友のカンパネルラも乗り合わせていたのだが……。




 久しぶりの宮沢作品です。前半には平易な寓話的小品がたくさん収録されています。ほとんどが初読なのですが、どれもテンポよく、痛快に読むことができました。
 とりわけ、『注文の多い料理店』。有名なお話ですが、実際に読むのは初めて。日本の昔話かグリムの童話にありそうな、古典的で、しかしツボをついてくる物語でとても好きです。ねずみシリーズもわかりやすく、気に入りました。
 全体的に賢治の仏教に対する思いが見えてくる面もありました。彼の信仰心が特によく見えてくるのは『二十六夜』。このような作品も良いのですが、私がこの面で印象に残ったのは『蜘蛛となめくじと狸』と『ビジテリアン大祭』です。『蜘蛛となめくじと狸』では「なまねこ」を唱え、信ずるものを騙して併呑する狸が生臭坊主の象徴のように描かれており、かなり痛烈な風刺となっております。『ビジテリアン大祭』でも信仰の大祭が茶番と化しているという批判が込められている気がします。賢治は仏教を信仰する一方で当時の宗教の在り方について思うところがあったことが読み取れます。現在のいろんなこと(宗教以外も含め)にもあてはめらて、なかなか考えさせられます。
 『銀河鉄道の夜』は中学時代、学校の授業で初めて読んだ強く感銘を受けた小説です。幻想的な銀河鉄道の世界の中、散りばめられる死の気配。不安感、美しさ、儚さに包まれて恍惚と読み入ってしまう魅力があります。やや難解で解釈が分かれているところ(文章の順番も!)もありますが、それだからこそ無限に小説の世界が広がっているのかもしれません。

評価:A
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2017年07月03日

〈景観〉を再考する

松原隆一郎さん、荒山正彦さん、佐藤健二さん、若林幹夫さん、安彦一恵さんによる講義録です。それぞれ順に「経済発展と荒廃する景観」、「近代日本における風景論の系譜」、「近代日本の風景意識」、「都市の景観/郊外の景観」、「『良い景観』とは何か」という題目です。
倫理学や経済学、社会学、地理学などそれぞれの論者がそれぞれの立場から景観・風景について書かれています。
この中で一番心に残ったのが若林さんの議論です。近代、土地の商品化による都市化や郊外化を機に、空間は本来的に意味や価値を持たない均質空間だと考えられるようになりました。このため、元来あった土地が人々にアイデンティティや共同性を与えることもなくなり、同じような住宅が広がったり、土地に根差さぬ自由なデザインの建物が建てられるようになったのです。

ここから、若林さんの議論をもう少し詳しく書くと同時に自分の意見も加えていきたいと思います。
空間が均質空間とみなされるようになったということは、土地が市場という単一のシステムの上に乗せられるようになっていることに象徴されます。ニュータウンの開発の際、山を切り崩し、谷を埋めて均質な土地に改造していることにもそれは表れていますし、なによりも、日本全国、場合によっては世界の、都心や郊外住宅地、ロードサイドにおいて、同じような建物が同じように延々と並んでいるという眺めを考えるのがわかりやすいでしょう。時に独創的な建物が建設されたりすることもありますが、それは多くの場合、その土地の風土と遊離したものであり、意味の持たない均質な土地であるからこそ、白いキャンバスのように何でも描けるのです。
 これは私たちが郷土によっていたアイデンティティ(同郷人意識もそうですし、過去の自分と故郷を離れた現在の自分との同一性もそうです)が存在しえなくなるということにつながります。また地域共同体の不成立が郷土へのアイデンティティを揺るがしたということはよく言われていますが、それが風景の崩壊、空間の均質化をもたらし、アイデンティティに二重の影響を与えた面もあります。
 風景の崩壊――景観の均質化がアイデンティティの脱場所化をもたらし、ひいては現在のナショナリズムの高揚につながっているのではないか、とふと思いました。(ナショナリズムにおける「日本」は場所ではなく概念である、とだけ言い捨てしておいて、また気が向けばこのあたりのことも改めて深く掘り下げて書いてみたいと思います。)

評価:B
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2017年06月30日

風景学 風景と景観をめぐる歴史と現在

 中川理さんの本で、風景・景観についての認識・論考の歴史を概観した一冊であります。最近大学の授業で、風景や景観に関する話題がたくさん出るので、レポートを書くためというのもありますが、興味が出てきて風景についての本をよく読んでいます。これはその第一弾。
 風景という言葉自体なかなか定義しづらいものではありますが、人間によって何らかの共有されうる意味が見出される眺めといった風景に考えることができます。ここでの「意味」とは、嶮山に対する「ピクチュアレスク」のような純粋美観であったり、眺めに現れる人々の生活であったり、都市や集落の長く重なった歴史であったり…。(この例には中川さんの定義とは少し異なるものもありますが)。
 「風景」というものは地理学、建築学、造園学、美学、倫理学など、極めてさまざまな学問が絡んでいます。さまざまなアプローチからさまざまに考えられるものでありますが、同時にいずれの素養も得ておかないと深い理解につなげるのが難しいような気もします。そうした意味で、多様な学問の考えを取り入れながら概説したこの本は、「風景学」の入門にぴったりだと思います。

評価:A
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2017年06月08日

スクールカースト

 鈴木翔さんの本です。スクールカーストとは、主に中高に存在する、クラスに存在するカーストのような格付けのこと。中学生以上の多くの人が経験したことがあるのではないでしょうか。明るい運動部がクラスを牛耳り、静かな文化部が沈黙するというのが典型的な構図であります。
 生徒は権力の階級として、先生は能力(コミュ力、生きる力)の階級として把握している二重構造があり、両者はそれを容認して、あるいは利用しながら学級を作っていくという指摘は面白かったです。生徒の観点は私も中高時代感じていたこととそう変わりませんが、先生の視点が紹介されていたのが興味深かく感じました。
 「いじめ」の研究は多くされていますが、「いじめ」まで行かずとも上下多くの人に息苦しさを与えているスクールカーストの研究は意外にもまだ緒についたばかりだそうです。
 何が原因でこのような構図が生じるのかは、まだ明確にはされていませんが、そのシステムが次第に解決していってほしいと思います。

評価:B
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2017年06月01日

奈良の寺――世界遺産を歩く――

 奈良文化財研究所の本です。古代史、建築史、考古学、保存科学、造園学など様々な分野の所員さんたちが、奈良市内の寺社を解説しています。特に建築史的なトピックが多く、字引片手に専門用語を調べながら読みました。。何度も訪れたことのある奈良といえども、全然知らないことばかり。この本を通して歴史を知れる、というより、歴史を紐解く、また歴史を繋いでゆく専門家たちの姿を知ることができます。
文化遺産って本当に様々なアプローチがあるのだな、と実感しました。

評価:B
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2017年05月27日

魔女の宅急便

 角野栄子さんの小説です。

あらすじ
 キキは魔女の娘。13歳のある満月の晩、黒猫・ジジを連れ、放棄に乗って飛びたった。独り立ちの日であった。キキはコリコという海辺の大きな町に降り立ち、「魔女の宅急便」屋さんを開いたが…。




 13歳の少女がいろいろな人に囲まれながら、少しずつ大人になっていくのがよく描かれていました。幼さ、おてんばさと可愛さ、そして時々覗く「大人」の萌芽がとてもよく伝わってきました。
 空を飛びたい不器用なとんぼくん、好きなひとに恋文を書く女の子、なんにでも腹巻を作ってあげるおばあちゃん…。ほかの登場人物たちも、皆どこか可愛らしくて魅力的です。正月や春の音の話といったストーリーの展開もほのぼのとしていて良い感じです。
 また魔女の魔法がだんだんと失われていっているという描写が印象に残りました。伝統の価値が云々を議論されるまでもなく、「めんどくさい」などの無邪気な、無垢純粋な心情から文化や伝統が失われていくのだというのが象徴的に描かれている気がしました。私は文化主義的な考え方をしがちなのですが、その消失は責められるようなものではないのが難しいところであります…。
 とにかく、読んでいて楽しく癒される一冊でありました。

評価:B
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里山資本主義

 藻谷浩介さんの本です。木質バイオマスをはじめ、地域内のエネルギー、食糧、建材などのものを利用することで、お金が無くなったり輸入が唐突に途絶えたりしても生活していけるサブシステムを構築する「里山資本主義」を説いています。
 林業や地域にかかわっている身として前から気になっていた本です。かなりわかりやすく書かれている反面少し断定的な文体だったので、「検証した方がいいのでは」とか「本当にそういえるのか」と思ってしまう面もありました。
 経済成長をひたすらに目指すのではなく、停滞や多少下向きでも長く続く経済、ある程度外に頼らなくても自立できる経済を考えるべきというのは、中高時代からの私の思いとかなり近いところ。自分と意見が近いだけに、文体が気になってしまったという感はあります。
 里山資本主義は一つの重要な考え方であるのは確かだと思います。地域を生きる人はもちろん、グローバルな世界を目指す人にもぜひとも読んでもらいたい一冊であります。

評価:B
posted by みさと at 14:53| 奈良 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書(小説以外) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする