2019年04月29日

よくわかる都市社会学(中筋直哉・五十嵐泰正編著)

 ミネルヴァ書房から社会学分野において多く出版されている「やわらかアカデミズム<わかる>シリーズのひとつです。
 見開きの記事が無数に載っている構成で、1章がいくつかの都市を取り上げた社会学的分析、2章・3章が都市社会学の理論の学説史を踏まえての紹介、4章がまちづくりに関する諸項目、5章がメディアとの関係の中で現れる都市、6章が調査法の古典、7章が主要な都市社会学者の評伝といった内容であります。
 平易に都市社会学の一通りが記述されているため、入門書として良書であると思います。隣接分野の建築学で勉強する過程でなんとなく聞いたことのある人名や概念を通史的におさえられて、勉強になりました。

 7章で扱われる学者が、デイヴィッド・ハーヴェイ(地理学)、ル・コルビュジエ(建築学)、前田愛(文学)など、社会学の分野に収まらないことからもわかるように、都市社会学は極めて学際的な分野であります。
 私自身は教養系学部の建築学の研究室にいますが、最近生きられる空間や表象された空間というものに強く惹かれています。本書でいう5章に相当するこうした関心は、人文主義地理学や都市社会学と融け合うところで、あんまり自分が「◯◯学」に所属するという意識がないのもこういうところにあります。地理学や建築学を中心に学んできましたが、一時期若林幹夫に傾倒していたように、社会学の理論・分析にはとても魅力を感じます。
 分野横断的に幅広い学識を取り入れて学んでいきたいととは思いますが、しっかり軸足を持ちたいというのも最近強く実感しております。
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2019年03月06日

近代とはいかなる時代か? モダニティの帰結(A.ギデンズ)

 アンソニー・ギデンズはモダニティーー近代性ーーについて、「脱埋め込み」という概念を立ち上げたことで有名な社会学者で、本書は彼のモダニティ論の中でも代表的なものであります。
 ギデンズの理論の最も基礎となるのが前回の記事で紹介した構造化理論です。これは、社会構造と人々の相互行為が再帰的に影響を及ぼし合っているというもの。モダニティ論も、この理論が根底にあります。
 ギデンズは、モダニティのダイナミズムを「時間・空間の分離」「象徴的通標」「再帰性」であると論じています。
 時空間の分離というのは、それまで個別の地域社会ごとにそれぞれ異なった時間軸を使っていたのが、グレゴリウス暦が世界を支配するようになることによって生じます。また、統一の尺度を持って時間を測ることができるようになったため、時間の空白化(モノ化とも言えるかもしれません)が進みます。
 さらに全世界が探検し尽くされ、地図に記載されるようになったことなどにより、空間も空白化、モノ化していきます。場所と空間が切り離されたとも言えます。グローバル化により、かつて対面においてのみ行われていた相互行為が、時間と空間を越えて行われるようになったのです。世界の裏側にいる人とも、電話をすることができるということにこの現象は象徴されるでしょう。

 また、「脱埋め込み」は行為を前後の脈絡、場所固有の価値からの切り離すという意味で、象徴的通票と専門家システムの二つの抽象的システムによって成立しています。
 象徴的通票はそれを手にする個人・集団にかかわらず流通できる相互交換の媒体で、貨幣に代表されます。従来物々交換で成り立っていた市場に登場した貨幣は、時間を括弧に入れ、市場をその場所その時間から脱埋め込みします。すなわち貨幣を媒介することによって、自らの商品を代償に欲しいものを手にいれる時間・場所を調整できるようにするのであります。
 専門家システムというのは、現代身の回りにあるありとあらゆるものが専門家によって、作られ、管理されているというものです。私たちは普段乗っている車の仕組みも知らなければ、道路がいかにして敷設されているのかも、その物理的・化学的特性も知りません。さらに、同じものーー例えば道路ーーを扱う専門家でも計画の専門家と構造の専門家とでは、互いに何をやっているか詳しくわかりません。このような状況は、原始社会の、身の回りのものは全て自分、ないしは家族で整え管理する世界とは全然違います。経験を隔離され、世界が断片化していると言ってもいいでしょう。

 「再帰性」というものがギデンズの唱える構造化理論にもっとも直接結びつくものであります。上に述べたような様々な事象により、人間の価値基準は、伝統的なものから脱却し、汎世界的なものとなりますが、「構造化理論」により、それは常に価値基準を問い直され続けることとなります。社会科学は社会を解釈し、理論や価値観を提示しますが、その理論や価値観は社会に影響を及ぼします。社会⇄社会科学の相互影響が常に発生し続けるということであります。

 言葉のキャッチーさから、「脱埋め込み」という言葉は様々な分野で頻繁に使われますが、実際ギデンズの理論を読んでみると、その理論の複雑さに驚きます。迂闊に社会理論の概念を使うと、頓珍漢なことを言ってしまいそうになるな、と感じ、教訓になりました。
 地理学や建築学の分野でも「近代」は一つのキーワードとなっています。しかし、その近代がいかなるものを指すのか、ここまで深く学ぶことはありません。。視覚的な空間現象を解析するのが地理や建築の役割ではありますが、その現象の奥底に流れるものを読み解く社会学の知見を学ぶことも、地理や建築の学生にとって必要なのではないかと思います。
 4月からは4回生で、卒業論文がそろそろ念頭に登ってきます。異分野のことを遠慮なく学べるのは今が最後のチャンスだと思い、勉強しております。遊びもするけど、できるだけ本を読もう…!
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2019年03月03日

ギデンズの社会理論-その全体像と可能性(宮本孝二)

 春休みは、思想・理論系の人文科学の知識を強化しようと思い、本を読んでおります。この本は桃山学院大学教授の宮本孝二さんが大阪大学人間科学研究科に博士論文として提出したものを書籍化したものであります。
 理論社会学の専門書ではありますが、ギデンズ理論の全体像を把握するために読みました。年代ごとにギデンズの社会理論を取りまとめ、最後にその理論の可能性を考察するという構成です。初学者の私には少し取っつきづらいところもありましたが、ギデンズの論考の大枠が把握できたと思います。
 ギデンズの理論の中心となるのは、「構造化理論」というものです。これは、主観主義的な理解社会学と構造主義的なパーソンズらの理論両者を批判し、それらを止揚するような形で唱えられたものであります。社会学史において、社会構造が人間行動を支配するか、人間行動が社会を形作るか、といった論争があったのですが、ギデンズは両者を一面的であると批判し、マルクス主義的な発想(利害、コンフリクト、パワーなど)を取り入れて「構造化理論」を唱えたのです。すなわち、構造が行為の条件となり、また同時にその帰結でもあるというものであります。
 また、ギデンズは「パワー」という概念を提示しております。パワーとは物的、精神的な資源(それには、時間や空間も含みます)を動員し、意思を実現/現実を変革する能力のことであります。すなわち、行為を行う際の能力であります。
 構造が変われば、パワーに必要な資源が変わって行う行為に変化が生じ、かつ、主体がなんらかの行為をなせば、ミクロの、ひいてはマクロな構造の変化をもたらすという仕組みであります。

 ギデンズ理論で面白いのは、やはりモダニティの話。「脱埋め込み」という議論はあまりにも有名ですが、恥ずかしながら初めてその理論の詳細を知りました。本書に引き続き、ギデンズ本人の『近代とはいかなる時代か?』を読んでいるので、脱埋め込みについてはそちらを読了した際にでも少し紹介したいと思います。

 また、ギデンズはマクロな社会理論のイメージが強いですが、ミクロな人間関係についても論考を発表しています。それは、近代における愛は、ロマンティックラブから「純粋な関係」でつながるコンフルエント(=流動的な)ラブに変化するというもの。近代に入って恋愛・性行為・結婚が一つながりのものとみなすロマンティックラブイデオロギーが支配的でありましたが、現代女性の自律化が進むと同時に避妊技術/生殖工学が発達し、三者が再び分解していきます。このような社会においては、人と人とのつながりは、純粋な互いの感情のみになり、流動的になるというシステムであります。
 現実には変化は一様ではなく、前近代の地縁・血縁に従属した結婚も残存していればロマンティクラブイデオロギーはまだまだ力を持っていますが、ギデンズのこの理論は、実感を持って理解することができます。
 
 社会学は、自分の普段考えているような、社会の分析を、極めて精緻な理論で説明してくれます。自分で何か、うまいこと思いついた!と思っても、高名な人がすでに概念化していたりすることがたくさんあって、少し悔しいような感じもしますが、とても面白いです。
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2019年02月25日

社会学理論のエッセンス(多田治)

 一橋大学の多田治さん著、デュルケム、ウェーバーからサイード、ライアンに至るまで、社会学の主要な理論研究を歴史に沿って概説した本です。平易な文体で140頁ほどにまとめられております。
 名前だけ知っている、という有名社会学者たちの言っていたことがざっくり理解できて、今後本を読んでいくときの基礎知識になりそうに思いました。

 最近とみに意識していた「集合的なものとして把握された集団の諸信念、諸傾向、諸慣行」について、デュルケムが「社会的事実」と名付けていたり、社会階層の再生産について「ハビトゥス」「界」「資本」をキーワードにして、わかりやすく整理していたり。自分の普段考えていることは過去の偉人たちがすでに高度に理論化している(しかも、それが基本的な学術的前提になっている!)ことを思い、巨人の肩に立たねば、新しいことを創造するのは難しいのだな、と痛感しました。人生をもっと深く考えるためにも、社会学はもっと勉強しよう…!

 各思想家ごとに参考文献もありますし、理論社会学初めの手引きにふさわしい一冊でした。
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2018年09月10日

家と村の社会学 増補版(鳥越皓之)

 鳥越皓之さんによる村落社会学の入門書です。鳥越さんは環境社会学が専門の方で、民俗学にも造詣が深い先生です。
 村落社会学の基礎的事項について、極めて平易に概観できて、村落研究に興味がある人がはじめに読む本としてとても有効だと思います。

 私は地理学の基礎勉強はしましたが社会学の基礎を積んでおらず、かなり勉強になるところがありました。村落のあり方を類型化するには、「家」の存在のあり方を類型化することが有効であります。例えば、福武直のヨコのつながりの大きい「講組型」村落とタテのつながりの強い「同族型」村落の類型が一つです。
 地理学の分析では、外観的な分析(集村や散村)がまず存在し、人々の社会についての分析でも地理的空間や場所における差異(商圏の重層性など)に注目した研究が目立ち、こうした社会内面そのものにおける類型化はあまりないように思えます。もちろん浅学の私がここまで学んできた中で、のお話ですが。(この本で取り上げられていた鈴木榮太郎の自然村や社会地区の理論は地理学にも通じ、馴染みが深いです)

 「同族」と「親族」を始め「家」を巡る諸概念は、なんとなく経験上理解はありましたが、この本を読んである程度体系化できた気がします。最近「家」や地主制・土地制度史についても興味が出てきており、この辺り掘り下げてみたいな、と思いました。
 増補版だけのようですが、末尾に農村社会学についての文献解題がついているのも魅力。少し古くなってしまいましたが、興味のある文献もいくつかあったので、また読んでみたいと思います。

 地域研究をする上で、新たな視点を手に入れることができて、良い読書でした。
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2018年08月03日

モダニティと空間の物語 社会学のフロンティア(吉原直樹他)

 収録は吉原直樹さん「モダニティの両義性と『時間‐空間』の機制」、齋藤道子さん「生活時空間としての場」、和泉浩さん「遠近法と調整の空間」、足立崇さん「住まうことの場所論」、大城直樹さん「空間から場所へ」、小野田泰明さん「住まうことのメタファー」、植木豊さん「制度の失敗とローカル・ガヴァナンス」、酒井隆史さん「(ジェントリフィケーション下の)都市への権利」、斉藤日出治さん「空間論の新しい方法基準」です。

 「社会学のフロンティア」をうたっているこの本ですが、それぞれの作品は建築論、文明論、公共政策論、地理学、芸術学などかなり幅広い分野の影響を受けている、あるいはそういった分野の学者さんが書いています。そう思うと、「社会学」という学問の射程の広さをつくづく感じます。
 私は人文地理学の影響を強くうけているので、「空間」を「場所」を対立概念としてとらえ、歴史性、風土性を排斥し普遍的価値(資本主義)に基づいて評価できる均質なものと考えてきました。一通り読むと、「空間」というものも分野や論者によってさまざまに捉えられ、論じられてきているのだな、と驚きます。
社会的な営みの舞台となる場が「空間」であり、現代それを語るにおいて、西欧近代と資本主義の影響を見逃すことはできない、ということは本書すべてに通ずるところであり、私自身の大きなテーマでもあります。

 各論でそれぞれ面白いところはありましたが、終章の斉藤日出治さんの結論が象徴的なので、それを自分なりにかみ砕いたものを記しておきたいと思います。
人は社会的関係の中で生きており、その社会的関係をかたちづくる容器となるのが「空間」です。そして、都市は空間の中でも身体、資本、知識、そして、それゆえ社会的関係の蓄積する場であります。人々は生きてゆくため、自己形成のためにも社会的関係を要求しますが、都市はそれを大いに満たしてくれる場であったのです。
近代は人々に人権、市民権を与えてきましたが、人々の社会性、またそれを基礎づける空間性を見落とし、個人的・排他的なものであるのを免れ得ませんでした。今、このことを認識した上で「空間的身体への権利」を確立し、政策や都市計画を考えていかなければなりません。
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2018年06月19日

社会学のエッセンス(友枝敏雄他)

 友枝敏雄さん、竹沢尚一郎さん、正村俊之さん、坂本佳鶴恵さんによる社会学の入門書です。社会学の基本的な考え方について広く浅く学ぶことができます。
 社会学は、直接学んだことはほとんどありませんが、風景論、場所論、村落地理学を始め、様々な本を読んだり地理学の勉強をしているうちにしばしば出てくる学問でした。部分的に触れる機会は多いのですが、中々「社会学」それ自体の姿を知らないので、この入門書を手に取りました。

 社会構築主義に、ジェンダー、規範、秩序、国民国家、公共圏……。ある程度知っている内容は多いですが、それ自体を対象物として書いた本を読んだことがなかったので、勉強になりました。
 秩序と自由を両立させるためには、という話が目から鱗で面白かったです。そのためには、不確実性の大きい社会で、それを不確実性を大きく減らすことが必要、すなわち、多くの選択肢を用意しておきながらそのいずれかを選択することが必要ということです。このことについて、この本ではエントロピーの概念を持ち出して説明しています。

 とは言え、一冊に16個の話題を詰め込んでいるため、一つ一つの内容は浅いもの。それに、16個では社会学の全容を掴めたとはとても言えません。もっと社会学について、各論的な本を読んでいきたいと思います。
posted by みさと at 19:11| 奈良 ☔| Comment(0) | 読書(社会学) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月30日

郊外の社会学 現代を生きる形(若林幹夫)

 若林幹夫さんの本です。中川理さんの「風景学」を講読する授業を受けているのですが、自分の担当章の9章「郊外風景の没場所性」について発表するため、この本を読みました。ある地理的位置を占めながら、それはほかの街と明確に区別できない「没場所」な郊外。画一的な住宅でつくられた画一的な街並みが60-70年代につくられていく一方で、80年代後半以降はたとえば異国風の、たとえばテーマパークのような、独特な街ができていきます。南欧風の街並みで賛否の嵐を呼んだベルコリーヌ南大沢(八王子市)がその代表格です。このような「個性的な」街並みは、すべてを普遍・合理を旨とし、風景から意味を奪っていったモダニズムに対するアンチテーゼとして生まれたのでありましょう。しかし、こうしたポストモダニズムの街は、これまでの社会的・文化的な文脈とはまったく遊離したもの。南欧風の街は独特であったとしても、それが八王子の南大沢にあるという必然性はありません。これも、どこにあってもよい、「没場所」な眺めといえます。

 私自身の生まれた町・柏原もまた郊外。市にも同じような住宅がたくさん並んだところがたくさんあります。しかし、柏原を考えると、郊外の多様性も同時に見えてくるような気もします。一般に郊外として想起される大規模開発された団地は柏原にはほとんど存在せず、旧村落がスプロール化して郊外化した地域であります。郊外の形もいろいろあります。
 また、郊外に住んでいる住民。同じような街であれば、それを求める(求められる)人も同じようになり、住民の社会的階層も共通していくように考えられます(「青い郊外」「白い郊外」)。しかし、柏原のような旧村落のスプロール化した郊外では、古くから住んでいる元農民と、新しく住み着いた人々がいます。旧住民もライフスタイルとしてはサラリーマン化して均質となっていくという考え方もありますが、精神性を考えるといまだに大きな差があるように思えます。
 また柏原は、新住宅に住んでいる人も旧住民の二、三男がそれなりに多い印象。町内会や婦人会、青年団など地域組織が残っており、むしろ新住民にも拡大しています。このあたりのことを考えても、郊外が「没場所」とは言い切れないと思います。
 とはいえ、柏原を含めた「郊外」は現在進行形で確実に「没場所」化し続けているのも事実です。「没場所」は個々人のアイデンティティ、そして「風景」を揺るがします。
前期に引き続き、このへんの論考を深めていくのをとても楽しく感じます。

 僕の家は(確実には)江戸時代の初期から柏原の地に暮らしています。「郊外」の旧住民という立場。前近代的なものも、近代的(維新的、高度経済成長期的)なものも、ポストモダニズム的なものも、自分の周りをうずまいているのを感じます。
自分自身、「再埋め込み」的な発想をしているポストモダンな人間であることも強く感じていますが、ポストモダンのあり方を客観視し、「再埋め込み」するにしてもいかようにしていくか慎重に考えていきたいものです。
(社会学ほとんどやってないので、むちゃくちゃな論理&認識してたらごめんなさい)

評価:A
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2017年09月18日

生駒の神々 現代都市の民俗宗教(宗教社会学の会編)

生駒の神々 現代都市の民俗宗教

 宗教社会学の会編の本です。大阪と奈良の境に位置する生駒山地は、宝山寺、石切神社、信貴山寺などの大きい寺社とともに修験系、朝鮮系などを含めた中小の寺社がたくさんあります。所謂檀家や氏子をもつとは限らず、ある機能に特化したご利益(石切さんが「でんぼの神さん」であるように)を持ち、都市民衆が現世利益を祈願する寺社が多いという特徴があります。また既成の宗派の枠に収まらず、独特な民俗宗教的特色を持っているというのも注目すべきところ。
 大阪という大都市が近くも急峻な斜面、豊富な滝場を持つ生駒は聖と俗の境界性を持つ場所であり、民俗信仰の集積地となっています。宗教というものは合理性を重んじる近代都市と対立するもののように思われますが、生駒の神々は近代都市の存在ゆえに今も存続し続けているもののようにも思えます。それは都市が合理性ゆえに人間を疎外していることへのアンチテーゼというのも一つですが、いくら都市が合理性を旨としていても人間という不確実性に富んだものが集積する以上、都市もきわめて偶然性の強い生物的存在であるということも一つだと思います。その偶然は近代的な介入ではいかんともできないことも多く、神頼みという行為がいまだに力を持っているのでしょう。
 私の実家からはきわめて近いところに位置していますが、石切さんも生駒の聖天さんも意外と行ったことがない場所(幼いころに、というのはあるかもしれませんが…)。石切の辻占いや生駒新地の話はかねてから聞いており、この本で知ったことも踏まえて近く訪問してみたいな、と思っています。
 信貴山の大宇宙教断食道場は、ふらふらしているときにたまたま見つけて「なんやこれ」と思った記憶があります。そのあたりのこともいろいろ知れて面白かったです。
 かなりディープな生駒の信仰。これまで、柏原市、三郷町、平群町の領域にとどまってそれ以外の生駒山地について全然知らなかったことに気づかされました。生駒、東大阪、八尾ももっと深く探求してみたいと思います。

評価:B
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2017年06月08日

スクールカースト(鈴木翔)

 鈴木翔さんの本です。スクールカーストとは、主に中高に存在する、クラスに存在するカーストのような格付けのこと。中学生以上の多くの人が経験したことがあるのではないでしょうか。明るい運動部がクラスを牛耳り、静かな文化部が沈黙するというのが典型的な構図であります。
 生徒は権力の階級として、先生は能力(コミュ力、生きる力)の階級として把握している二重構造があり、両者はそれを容認して、あるいは利用しながら学級を作っていくという指摘は面白かったです。生徒の観点は私も中高時代感じていたこととそう変わりませんが、先生の視点が紹介されていたのが興味深かく感じました。
 「いじめ」の研究は多くされていますが、「いじめ」まで行かずとも上下多くの人に息苦しさを与えているスクールカーストの研究は意外にもまだ緒についたばかりだそうです。
 何が原因でこのような構図が生じるのかは、まだ明確にはされていませんが、そのシステムが次第に解決していってほしいと思います。

評価:B
posted by みさと at 11:33| 奈良 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書(社会学) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする