2018年09月10日

家と村の社会学 増補版

 鳥越皓之さんによる村落社会学の入門書です。鳥越さんは環境社会学が専門の方で、民俗学にも造詣が深い先生です。
 村落社会学の基礎的事項について、極めて平易に概観できて、村落研究に興味がある人がはじめに読む本としてとても有効だと思います。

 私は地理学の基礎勉強はしましたが社会学の基礎を積んでおらず、かなり勉強になるところがありました。村落のあり方を類型化するには、「家」の存在のあり方を類型化することが有効であります。例えば、福武直のヨコのつながりの大きい「講組型」村落とタテのつながりの強い「同族型」村落の類型が一つです。
 地理学の分析では、外観的な分析(集村や散村)がまず存在し、人々の社会についての分析でも地理的空間や場所における差異(商圏の重層性など)に注目した研究が目立ち、こうした社会内面そのものにおける類型化はあまりないように思えます。もちろん浅学の私がここまで学んできた中で、のお話ですが。(この本で取り上げられていた鈴木榮太郎の自然村や社会地区の理論は地理学にも通じ、馴染みが深いです)

 「同族」と「親族」を始め「家」を巡る諸概念は、なんとなく経験上理解はありましたが、この本を読んである程度体系化できた気がします。最近「家」や地主制・土地制度史についても興味が出てきており、この辺り掘り下げてみたいな、と思いました。
 増補版だけのようですが、末尾に農村社会学についての文献解題がついているのも魅力。少し古くなってしまいましたが、興味のある文献もいくつかあったので、また読んでみたいと思います。

 地域研究をする上で、新たな視点を手に入れることができて、良い読書でした。
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2018年08月03日

モダニティと空間の物語 社会学のフロンティア

 収録は吉原直樹さん「モダニティの両義性と『時間‐空間』の機制」、齋藤道子さん「生活時空間としての場」、和泉浩さん「遠近法と調整の空間」、足立崇さん「住まうことの場所論」、大城直樹さん「空間から場所へ」、小野田泰明さん「住まうことのメタファー」、植木豊さん「制度の失敗とローカル・ガヴァナンス」、酒井隆史さん「(ジェントリフィケーション下の)都市への権利」、斉藤日出治さん「空間論の新しい方法基準」です。

 「社会学のフロンティア」をうたっているこの本ですが、それぞれの作品は建築論、文明論、公共政策論、地理学、芸術学などかなり幅広い分野の影響を受けている、あるいはそういった分野の学者さんが書いています。そう思うと、「社会学」という学問の射程の広さをつくづく感じます。
 私は人文地理学の影響を強くうけているので、「空間」を「場所」を対立概念としてとらえ、歴史性、風土性を排斥し普遍的価値(資本主義)に基づいて評価できる均質なものと考えてきました。一通り読むと、「空間」というものも分野や論者によってさまざまに捉えられ、論じられてきているのだな、と驚きます。
社会的な営みの舞台となる場が「空間」であり、現代それを語るにおいて、西欧近代と資本主義の影響を見逃すことはできない、ということは本書すべてに通ずるところであり、私自身の大きなテーマでもあります。

 各論でそれぞれ面白いところはありましたが、終章の斉藤日出治さんの結論が象徴的なので、それを自分なりにかみ砕いたものを記しておきたいと思います。
人は社会的関係の中で生きており、その社会的関係をかたちづくる容器となるのが「空間」です。そして、都市は空間の中でも身体、資本、知識、そして、それゆえ社会的関係の蓄積する場であります。人々は生きてゆくため、自己形成のためにも社会的関係を要求しますが、都市はそれを大いに満たしてくれる場であったのです。
近代は人々に人権、市民権を与えてきましたが、人々の社会性、またそれを基礎づける空間性を見落とし、個人的・排他的なものであるのを免れ得ませんでした。今、このことを認識した上で「空間的身体への権利」を確立し、政策や都市計画を考えていかなければなりません。
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2018年06月19日

社会学のエッセンス

 友枝敏雄さん、竹沢尚一郎さん、正村俊之さん、坂本佳鶴恵さんによる社会学の入門書です。社会学の基本的な考え方について広く浅く学ぶことができます。
 社会学は、直接学んだことはほとんどありませんが、風景論、場所論、村落地理学を始め、様々な本を読んだり地理学の勉強をしているうちにしばしば出てくる学問でした。部分的に触れる機会は多いのですが、中々「社会学」それ自体の姿を知らないので、この入門書を手に取りました。

 社会構築主義に、ジェンダー、規範、秩序、国民国家、公共圏……。ある程度知っている内容は多いですが、それ自体を対象物として書いた本を読んだことがなかったので、勉強になりました。
 秩序と自由を両立させるためには、という話が目から鱗で面白かったです。そのためには、不確実性の大きい社会で、それを不確実性を大きく減らすことが必要、すなわち、多くの選択肢を用意しておきながらそのいずれかを選択することが必要ということです。このことについて、この本ではエントロピーの概念を持ち出して説明しています。

 とは言え、一冊に16個の話題を詰め込んでいるため、一つ一つの内容は浅いもの。それに、16個では社会学の全容を掴めたとはとても言えません。もっと社会学について、各論的な本を読んでいきたいと思います。
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2017年11月30日

郊外の社会学--現代を生きる形

 若林幹夫さんの本です。中川理さんの「風景学」を講読する授業を受けているのですが、自分の担当章の9章「郊外風景の没場所性」について発表するため、この本を読みました。ある地理的位置を占めながら、それはほかの街と明確に区別できない「没場所」な郊外。画一的な住宅でつくられた画一的な街並みが60-70年代につくられていく一方で、80年代後半以降はたとえば異国風の、たとえばテーマパークのような、独特な街ができていきます。南欧風の街並みで賛否の嵐を呼んだベルコリーヌ南大沢(八王子市)がその代表格です。このような「個性的な」街並みは、すべてを普遍・合理を旨とし、風景から意味を奪っていったモダニズムに対するアンチテーゼとして生まれたのでありましょう。しかし、こうしたポストモダニズムの街は、これまでの社会的・文化的な文脈とはまったく遊離したもの。南欧風の街は独特であったとしても、それが八王子の南大沢にあるという必然性はありません。これも、どこにあってもよい、「没場所」な眺めといえます。

 私自身の生まれた町・柏原もまた郊外。市にも同じような住宅がたくさん並んだところがたくさんあります。しかし、柏原を考えると、郊外の多様性も同時に見えてくるような気もします。一般に郊外として想起される大規模開発された団地は柏原にはほとんど存在せず、旧村落がスプロール化して郊外化した地域であります。郊外の形もいろいろあります。
 また、郊外に住んでいる住民。同じような街であれば、それを求める(求められる)人も同じようになり、住民の社会的階層も共通していくように考えられます(「青い郊外」「白い郊外」)。しかし、柏原のような旧村落のスプロール化した郊外では、古くから住んでいる元農民と、新しく住み着いた人々がいます。旧住民もライフスタイルとしてはサラリーマン化して均質となっていくという考え方もありますが、精神性を考えるといまだに大きな差があるように思えます。
 また柏原は、新住宅に住んでいる人も旧住民の二、三男がそれなりに多い印象。町内会や婦人会、青年団など地域組織が残っており、むしろ新住民にも拡大しています。このあたりのことを考えても、郊外が「没場所」とは言い切れないと思います。
 とはいえ、柏原を含めた「郊外」は現在進行形で確実に「没場所」化し続けているのも事実です。「没場所」は個々人のアイデンティティ、そして「風景」を揺るがします。
前期に引き続き、このへんの論考を深めていくのをとても楽しく感じます。

 僕の家は(確実には)江戸時代の初期から柏原の地に暮らしています。「郊外」の旧住民という立場。前近代的なものも、近代的(維新的、高度経済成長期的)なものも、ポストモダニズム的なものも、自分の周りをうずまいているのを感じます。
自分自身、「再埋め込み」的な発想をしているポストモダンな人間であることも強く感じていますが、ポストモダンのあり方を客観視し、「再埋め込み」するにしてもいかようにしていくか慎重に考えていきたいものです。
(社会学ほとんどやってないので、むちゃくちゃな論理&認識してたらごめんなさい)

評価:A
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2017年09月18日

生駒の神々 現代都市の民俗宗教

生駒の神々 現代都市の民俗宗教

 宗教社会学の会編の本です。大阪と奈良の境に位置する生駒山地は、宝山寺、石切神社、信貴山寺などの大きい寺社とともに修験系、朝鮮系などを含めた中小の寺社がたくさんあります。所謂檀家や氏子をもつとは限らず、ある機能に特化したご利益(石切さんが「でんぼの神さん」であるように)を持ち、都市民衆が現世利益を祈願する寺社が多いという特徴があります。また既成の宗派の枠に収まらず、独特な民俗宗教的特色を持っているというのも注目すべきところ。
 大阪という大都市が近くも急峻な斜面、豊富な滝場を持つ生駒は聖と俗の境界性を持つ場所であり、民俗信仰の集積地となっています。宗教というものは合理性を重んじる近代都市と対立するもののように思われますが、生駒の神々は近代都市の存在ゆえに今も存続し続けているもののようにも思えます。それは都市が合理性ゆえに人間を疎外していることへのアンチテーゼというのも一つですが、いくら都市が合理性を旨としていても人間という不確実性に富んだものが集積する以上、都市もきわめて偶然性の強い生物的存在であるということも一つだと思います。その偶然は近代的な介入ではいかんともできないことも多く、神頼みという行為がいまだに力を持っているのでしょう。
 私の実家からはきわめて近いところに位置していますが、石切さんも生駒の聖天さんも意外と行ったことがない場所(幼いころに、というのはあるかもしれませんが…)。石切の辻占いや生駒新地の話はかねてから聞いており、この本で知ったことも踏まえて近く訪問してみたいな、と思っています。
 信貴山の大宇宙教断食道場は、ふらふらしているときにたまたま見つけて「なんやこれ」と思った記憶があります。そのあたりのこともいろいろ知れて面白かったです。
 かなりディープな生駒の信仰。これまで、柏原市、三郷町、平群町の領域にとどまってそれ以外の生駒山地について全然知らなかったことに気づかされました。生駒、東大阪、八尾ももっと深く探求してみたいと思います。

評価:B
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2017年06月08日

スクールカースト

 鈴木翔さんの本です。スクールカーストとは、主に中高に存在する、クラスに存在するカーストのような格付けのこと。中学生以上の多くの人が経験したことがあるのではないでしょうか。明るい運動部がクラスを牛耳り、静かな文化部が沈黙するというのが典型的な構図であります。
 生徒は権力の階級として、先生は能力(コミュ力、生きる力)の階級として把握している二重構造があり、両者はそれを容認して、あるいは利用しながら学級を作っていくという指摘は面白かったです。生徒の観点は私も中高時代感じていたこととそう変わりませんが、先生の視点が紹介されていたのが興味深かく感じました。
 「いじめ」の研究は多くされていますが、「いじめ」まで行かずとも上下多くの人に息苦しさを与えているスクールカーストの研究は意外にもまだ緒についたばかりだそうです。
 何が原因でこのような構図が生じるのかは、まだ明確にはされていませんが、そのシステムが次第に解決していってほしいと思います。

評価:B
posted by みさと at 11:33| 奈良 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書(社会学) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月19日

ウェブ進化論ーー本当の大変化はこれから始まる

 梅田望夫さんの本です。この日進月歩のジャンルで2005年の本を読むというのもなかなか面白いです。この本では、「インターネット」「チープ革命」「オープンソース」が「次の10年への三大潮流」とされています。今年は2015年ですから、ちょうど10年目です。果たしてこれが本当に的を射ていたのかは、この10年間小学生、中学生、高校生として過ごしたまだ未熟な自分にはわかりません。しかし、なんとなくですが、上手く言い当てているようには思います。 LINEなどのSNSが普及して、コミュニケーションの結構な割合がインターネット上の「あちらの世界」に移行し、またインターネットで無料ダウンロードできるものは本当に多く(増えてきたのかどうか昔を知らない自分にはわかりませんが)、オープンソースも相変わらず続いています。
 特に、「あちらの世界」への移行は本当に著しいことは自分にもはっきりとわかります。2012年ごろ、スマートフォンが普及してから一気に進行したように思えます。インターネットという機能は昔からある程度は使っていましたが、バリバリに使いまくるというのは、「デキる」エリートか、さもなくばオタクというイメージがありました(もちろん中学生の認識なので、大人の実社会とは異なるとは思います)。しかし、スマホ、そしてTwitter、LINE、Skype…そういった SNSが普及してからは、インターネットが極めて身近になりました。
 「オープンソース」という言葉を、恥ずかしながら自分は知らなかったのですが、すべての情報を公開し誰もが機能を編集可能にすることで、世界中の英知によって手が入れられ、機能が劇的に向上するというものです。これを聴いた時、本当に考え方の革命だな〜と思いました。10年前、すでに思いつかれ広く広がっていることなのに、自分にとってほんまに斬新に響きました(自分のようにそれを知らない、あるいは意識しない人が多くいるという点ではまだまだ発展途上のものなのかもしれませんが)。知恵から機能が生まれるというこれまでの常識を打ち壊し、機能から知恵が生まれるという
 はてさて、これから情報社会がどうなっていくのかはわかりませんが、梅田さんの言う通り、既存の仕組みの崩壊を厭っていてはこれからの発展はないというのも一理です。
 尤も、自分も電子社会はあまり好きではなく、変化を嫌う性質なので、全面的にそれを肯定したいとは思いませんが……。というのを電子社会のブログという場で発信すること自体自己矛盾かもしれませんが笑。

評価:B
posted by みさと at 22:51| 奈良 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書(社会学) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月06日

誰も戦争を教えてくれなかった

 古市憲寿さんの本です。戦争について考えるとともに、この人はほんまに博物館が好きなんやな〜、と思いました。後ろには、博物館の採点まで。笑。でも、ほんまに行きたいと思える博物館も結構あったり。
 基本真面目な話なのですが、ほどほどに力を抜いている感が良いです。やたら多用している注釈でも、注釈にある参考資料を読みたくなったり、ちょっと軽く笑ってしまったり。文章が飽きません。構成も良いですし。
 戦争を勧めるような理論は論外ですが、やっぱり、ただ呪文のように平和と言い続けても本当に平和な世界には至らないのでしょうか。今の戦争を知らないと。自分たちの戦争のイメージは70年前で止まっているかもしれません。今世界で起きている戦闘、紛争をちゃんと戦争と認識しているかというと、正直自分自身もあやしいです。
 最後に収録されているももクロ対談、若者でもさすがにここまで知識がないのは少数派な気もしますが…。しかし、知識のない大衆の漠然とした戦争への恐怖・不安を象徴的によく表しているかもしれません。

評価:B
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2014年03月16日

ファスト風土化する日本

 三浦展さんの評論です。
 久々に学級文庫を読みました。多分、高校に入ってからは初めて。評論自体授業で扱うもの以外ご無沙汰です。

 郊外に展開する均質的な町並みーーロードサイドの巨大ショッピングセンター、店もなくただ住むだけのニュータウンーーへの批判が主な文論です。これ、発刊されたのが2004年なんですよね。今から十年前。その頃から問題視されていたのに、どんどんこの「ファスト風土化」が進んでいる。一度始まると歯止めが効かなくなるのでしょうか。
 私の住む柏原は、柏原駅を中心として商店街が数個展開する「旧市街地」。正にそのファスト風土化によって衰退する町の典型です。
 駅前には男性用の服屋がなく、他所へ行かないと調達できない。そうなると、行くのは近隣八尾市沼のイズミヤ。典型的なファスト風土です。ついでにそこで他のものも色々と購入する。すると、余計に駅前が寂れる。更に帰るものが少なくなる。というような負のスパイラルになるのです。
 駅前の小さな商店ばかりか、郊外にあればファスト風土の象徴とされるような大店舗のダイエー、またファストフード店のドムドムも駅近くからいなくなる。近日では、3月23日にミスドが閉店します。多分これで全国規模のチェーン店は全滅、地方スーパーのサンプラザとヤオヒコが辛うじてチェーンとして残っているだけとなります。
 また南河内では「ファスト風土」は本当によく見ます。自分自身出先ではよくイオンやアリオで買い物をするので、あまり声を大にしてファスト風土を批判できないのですが……。
 十年後、二十年後、街々はどうなっているのでしょうか。少し恐ろしくもあります。なんとか対策をしてほしいのですが、難しいですよね。とりあえず、自分は地元の商店街で買い物をするようにします。

評価:B
posted by みさと at 18:59| 奈良 | Comment(0) | TrackBack(0) | 読書(社会学) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする