2019年04月18日

歌枕を学ぶ人のために(片桐洋一編)

 世界思想社の「◯◯を学ぶ人のために」シリーズの一つ。歌枕となっている地域に対する場所イメージの変化を卒論のテーマの案として考えているというのを動機に読みました。構成としては、歌枕の概説があった後、一章ごとの読み切りで歌枕の史的展開が5章、地理的展開が9章、諸国歌枕の一覧、歌学書・歌枕書の解題、主要参考文献の解説となっております。

 歌枕というと、吉野といえば桜、龍田といえば紅葉のように、特定に景物と結びつく名所と言った認識をされることが多いですが、元来(平安期くらいまで?)は枕詞や序詞も含んだ、歌語一般を指す言葉でありました。

 名所としての歌枕の意義は時代とともに変わってゆきます。万葉集の時代には「近江」ー「逢ふ」のような掛詞の出現に一般的意味、象徴的意味の萌芽は見て取れますが、基本的に実景との結びつきの中で地名表現がなされてきました。
 古今集の時代になると、歌枕は実景から離れてゆきます。縁語・掛詞が多く使われるようになり、地名の持つ自然的事物と人事的現象を音声的に結びつけて詠んだり、また本歌取りにより、特定の自然的事物と人事的現象の結びつきが一般に膾炙したりすることで、地名は歌枕となっていく、すなわち、特定の観念、象徴的意味が伴うようになったのです。また屏風絵を題に詠歌する「屏風歌」も歌枕と実景の乖離を助長しました。
 中世、十三代集の時代になると、掛詞を離れて歌枕が初句にくることが増え、情景の描写のため、イメージをはじめに提示するという傾向に変わってゆきます。

 時代による差異はあるものの、国文学的な概念である「歌枕」は、ある意味を伴った土地であるという点において、地理学や建築学の「場所」「ゲニウス・ロキ」の概念と通ずるところがあります。この本の執筆陣は、全員が国文学系の研究者で、地理学者や建築学者は一人もいませんでした。
 私自身は建築(史)学の学生ですが、国文学の論考をうまく取り入れ、なんとか歌枕となった名所の持つ意味合いの史的な変化について、双方の理論を合わせて何か意味のあることを叙述したいと野心を抱いております。とはいうものの、私自身に国文学的な素養が薄いし、いま対象地として考えている「龍田川」についての先行研究、また近代造園史的な史料が少なそうで、中々難しそう。どうしていこうか、悩ましいところであります。ともあれ、資料集めに励まないと。
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2019年04月07日

詩的思考のめざめ(阿部公彦)

 阿部公彦さんによる詩論です。詩に抵抗感のある人も含む、一般向けに書かれております。日本の現代詩への入門書とも捉えることはできますが、阿部さん自身はそれを否定しており、「名前をつける」「声が聞こえてくる」ことなど、日常にも詩的思考は潜んでいるということを強調しています。実際、ピンクレディーの「ペッパー警部」や宮沢賢治の『なめとこ山の熊』のように、詩以外の題材を取り上げたりも。阿部さん自身の専門は英米詩ではありますが、文学一般に対して多く著書を書かれており、その広がりが納得できます。
 前半は詩的思考がいかなるものであるか、日常生活との関わりなどを詩を含む幅広い文学作品を取り上げながら考察している一方で、後半は実際の詩がいかに振舞っているか実際の詩一つ一つを取り上げながら解説を加えています。文体としては平易かつふわっとしたもので、この本を読んで厳密に詩を読み解けるようになった自信はありませんが、なんとなく詩を味わう面白さが増した気がします。

 この本を読んだきっかけは、最近、京大詩人会の人との交流ができ、触発されて「詩」というものにひかれていることからでした。私が普段読むのは基本的に小説ばかりで、詩歌には馴染みが薄かったのですが、これからは積極的に読んでいきたいです。この本を読んで、いくつか気に入った作品もあったので、そこから広げていければと思います。金子光晴「おっとせい」、萩原朔太郎「地面の底の病気の顔」、伊藤比呂美の「きっと便器なんだろう」あたりが好きです。
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2019年03月14日

図説|伊勢神宮(松平乘昌監修)

 松平乘昌さん編の図説的ハンドブックです。伊勢神宮についての基本的知識と伊勢神宮の展覧会における図録的な意味をもって刊行されたものだそうです。執筆陣も学芸員の肩が連なります。松平氏自身は学芸員ではないようですが、展覧会などの企画・監修に多く関わられている方だそうです。美術/歴史の資料の図版たっぷりに伊勢神宮についての歴史的知識をわかりやすく学ぶことができました。絵地図や参詣曼荼羅なんかは眺めているだけで楽しいものです。
 お伊勢詣りの予習として読みました。3時間ほどで読了できたので、ちょうど良い感じ。神宮徴古館、農業館、美術館には行きそびれたので今度参拝するときにはぜひ訪ねてみたいです。
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2019年02月27日

崇高の美学(桑島秀樹)

 なぜだか、春休みは思想系の本ばかり読んでおります。登山家として、山岳美学を巡ってよく取り上げられる「崇高」の概念を詳しく知りたくて手に取りました。
 この本の著者の桑島秀樹さんは阪大文学部美学科の出身で、現在は広大の総合科学部の教授をされている方。バークや崇高美学を巡る研究で功績を残されているそうです。
「崇高」とは、バークにより一つの美的カテゴリーとして定位され、カントによって厳格に体系化された概念で、苦・恐怖の中に沈潜していくうちに(カントにおいては、自らの「理性」を見出し、)反転的に創出される快の形であります。
 例えば、アルプスの山脈を訪れ、その圧倒的な量感を感じ、押しつぶされそうな、恐怖に打ち震えながらも、そこから感じられる、ある種の快。あるいは、石や岩、さらに現代においては鉄やアルミのような、無機物やそれで作られた人工物を見たときに感じられる、生への拒否感の恐怖、気味悪さの中から感じられる快。

 一番面白かったのが、3章「山と大地の崇高『崇高』 カントの人倫的崇高を迂回する道」における、崇高と「地」の結びつき。筆者はアルプスの山岳風景画などを描いたターナーを分析するラスキンの理論(地質学的視線)を通じて、崇高が「天」ではなく、「地」と深く結びついていおり、さらに日本の登山文化をめぐって、沢登りや藪漕ぎをピークハンティングと対置して「地」に沈潜する「崇高」を求める行為であると述べております。
 一般的に「天」をイメージするアルプスなどについても、ジンメルやラスキン、ターナーは、その著述、作品において大地に注目しているのです。

 私自身、沢登りや藪漕ぎをしておりますので、それらの崇高性は直感的に納得できます。しかし、作中で述べられていた冠松次郎や川崎精雄の感性とは、少し異なるような気もします。彼らは、地に沈潜する際、陶酔的で、自然の生の中に融解していくような美を述べていますが、私は彼らより臆病なのか、とりわけ沢登りをしていると、一歩踏み間違えば、集中力を切らせば死の世界へと転落していくのに恐怖を感じます。そこにあるのは、むしろラスキン=ターナー的な、あるいは、カント的な、苦や死の中に見出す快、「崇高」と言っても良いと思います。
 滝や岩の登攀。岩の割れ目を、凹凸を探り、つかみ、慎重に体を上げていく。あるいは、巻き(突破できない滝などを避ける行為)。どろどろの斜面に手を、足を突っ込み、木の根をつかみ、手足に精神を集中させ、這い上がっていく。
 体の、心の全てで、大地と、そして、自らの理性と、本能と、対話しているように思えます。

 他分野の本で、どうしても前提知識が不足しているため、理解が浅薄にとどまっているのは否定できませんが、「美学」という分野が、哲学の中でも実感を持って理解できる面が強いこともあり、楽しく読むことができました。他分野の、全然違う論理構成を知るのも興味深いし、良い勉強になりました。
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2019年01月14日

桜の文学史(小川和佑)

 小川和佑さんの本です。古代から現代に至るまで、文学作品を紐解きながら、桜の受容の歴史を探るという内容です。
 小川さんは詩人・高校教諭から近代文学の研究者でかつ文芸評論家に転向された方。この文章も、学問書のようでもあり、評論のようでもあります。

 桜というと、何を想像するでしょうか。賑やかなお花見? 可憐な女身の象徴? 梶井のような死の桜? あるいは、武道における滅びの美学? 思えば、私たちは桜に本当に様々なイメージを与えています。この本は、文学作品を古代から、樹種の移り変わりと照らし合わせつつ通史的に読み解くことで、どのようなイメージがいつ頃形成され、移り変わっていったのかを明らかにしています。
 小川氏は、従来桜の受容史が描かれることはあったが、結局軍国主義的なナショナリズム宣揚のイメージとしての桜に落ち着いてしまうことに危惧を抱き、通史を描いて様々な「桜」像を確認することで、それに反論しています。
 「国華」としての桜イメージは、歌舞伎の舞台で生まれた悲壮美が本居宣長によって国粋的なイデオロギー色を持ち、明治以降富国強兵策に取り込まれていった、極めて歴史の浅いものであると小川氏は述べております。

 私はつい先日坂口安吾の『桜の森の満開の下』を読み、死の桜、狂気の桜に強く魅せられらのですが、この本を読んでいて、もっと様々な表象の中に浸ってみたいと感じました。

 また私は建築史の研究室に所属しており、造園史にも興味があるのですが、その視点でもこの本は面白かったです。造園史は考古学的資料を使うことが多いイメージが強いですが、文学作品から読み解くのもとても面白そう。後期万葉の時代、官人たちはそれまで詠んできた自然を邸内に移し替えたということや、鎌倉を生涯出ることのなかった実朝が、歌を詠むのに吉野山のミニチュアを作って空想に現実感を与えたなどのトピックも興味深いものが多かったです。

 参考文献リストがないのが惜しいくらい、いろいろと知的関心の湧いてくる一冊でした。またこれを元に、いろいろ文学作品や研究書を読んでゆきたいと思います。
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2018年12月28日

阪神文化論(川本皓嗣/松村昌家監修)

 川本皓嗣さん、松村昌家さん監修の本です。「大手前大学比較文化研究叢書」の第5弾で、大手前大学の人文系学部の先生方が「阪神間」をテーマに、様々な内容の論文・エッセイを書いたという内容になっております。
 収録作品は川本皓嗣「歌枕の詩学」、杉橋陽一「松瀬青々論」、辻一郎「谷崎潤一郎と阪神間 そして三人の妻」、岩谷幹子「「記憶の場」としての『吉野葛』」、松原秀江「桜と桜守」、尾崎耕司「昭和初期の神戸における青年団運動について」、松村昌家「A・B・ミットフォードと神戸事件」です。

 多くが文学系、最後二編が歴史系の内容。一応「阪神間」をテーマとはしていますが、阪神間モダニズムーー阪神間の郊外文化とはあまり関係の薄い内容も多かった印象。大阪や神戸それ自体を扱った論文もいくつか含まれています。
 近代都市史を専門とする先生の下で場所論の研究をしようと思っている私にとっては、かなり勉強になった一冊です。
 初めの川本さんの歌枕の話は、国文学をほとんど勉強していない私にとって、国文学に基づく「歌枕」ーー社会的記憶としての場所の一つの形ーー研究の方法論を知ることができてよかったです。具体的な「芦屋」を取り上げて歌枕を論じており、本当に参考になります。
 岩谷さんの『吉野葛』論は、「場所」論に深く踏み込んだ内容ではありませんが、「場所」を取り扱った文学を論じた論文として、読んでいて面白かったです。記憶の形を「コミュニケーション的記憶」ーー口承ーーと「文化的記憶」ーー文章、建築などーーに分類する手法を用いて『吉野葛』を分析するというのはとても興味深いやり方。民俗学と歴史学の違いによく似た理論で、これが文学研究にも使えるのか、と目から鱗でした。自由間接話法のもつ意味についても勉強になりあmした。
 松原さんの扱う論文を読んでいて水上勉『桜守』に滝が出てくることから、ふと調べてみると、笹部新太郎の桜園には遡行対象となりうる沢ーー武庫川水系「西ノ谷」があることを知って、ワンゲルの私としては興奮しました。春になれば行ってみよう。桜の季節にでも。
 尾崎さんの論文も、自治と行政のあり方を考える研究として、都市史学徒として勉強になりました。

 この本はタイトルを見て手にとったときは、先週演習で発表した「阪神間モダニズム」について書かれた内容だと思っていました。その期待は裏切られましたが、多様な人文系論文集として大いに勉強になった一冊でした。
posted by みさと at 19:12| 奈良 ☔| Comment(0) | 読書(他人文科学) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年10月11日

西洋美術史(高階秀爾監修)

 高階秀爾さん監修の美術史の概説書です。絵画を中心に、建築・彫刻についても触れています。
 教科書的で少し読みにくいところもありましたが、通史的に原始時代から20世紀末に至るまでの流れを概観することができました。特に現代美術について触れている本を読んだのは初めてで、そこがかなり新鮮でした。
 やはり通史を200頁に詰め込んだ概論だとイメージの湧きにくい部分も多く、必要に応じて各論を勉強しないといけないな、と感じました。本の末尾に各時代の参考文献表がついているのがありがたいです。
 印象派やシュルレアリスムの作風がお気に入りなので、この辺からかなぁ。現代美術についても、本があればまた。
 他で勉強中のモダニズムの思想と関連させながら、風景画を中心に絵画史をもう少し知識をつけていきたいと思います。
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2018年09月30日

歴史のなかの家族と結婚 ジェンダーの視点から(服藤早苗監修)

 服藤早苗監修、伊集院葉子/栗山圭子/長島敦子/石崎昇子/浅野富美枝執筆。女性研究者五人によって、家族・結婚・女性史をざっと概観しています。
 『家と村の社会学』を読んで以来、「家」や「家族」についての興味が強くなって来ました。結婚も遥か彼方ではなくなっているという年齢に加え、旧庄屋家で自営業という自らの出自も「家」について意識が高まることに資している気がします。
 平易で読みやすく、このジャンルの入門書にはぴったりでした。夫婦別姓論争を始め、「家」「家庭」やジェンダーの問題は、しばしば歴史的事実に反するかなり無責任な議論が繰り広げられています。私も断片的に知識があるため、そうした議論を聞くと首を傾げながらも、自分自身無責任な反論しかできないのをもどかしく思っていました。
 私たちは、普段「昔は〜」というとき、その「昔」の指すものは精々戦後や近代、どんなに戻っても近世にすぎません。「伝統」と呼ばれるものにも、明治維新やGHQの戦後体制で生まれたものも多く含まれます。いくつもパラダイムをまたいだものは、歴史的知識がないと見えないのです。
 肌感覚で「昔」や「伝統」、あるいはそれと比較した「今」「現代」を語るのは、軽率で誤りを招きます。過去対現代の二項対立で社会問題を考察しては、視野狭窄を免れ得ません。「昔」は歴史であり、単一のものとしてみることは誤りです。通史的な把握をしてこそ、社会問題の本質をつかめるのだと思います。

 とは言いながらも、私も「近代」「モダニズム」を考えるとき、前近代との比較で近視眼的に見がちであります。分析の内容によってはそれでも的を得ることもあると思いますが、歴史がグラヂュアルに変化するものであるということ、(さらには地理的な偏差もあること)を常に頭において思考していきたい、と自戒を込めて記しておきたいと思います。
posted by みさと at 23:58| 奈良 ☔| Comment(0) | 読書(他人文科学) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年09月11日

思考の整理学(外山滋比古)

 外山滋比古さんの一冊です。「東大生・京大生に一番読まれている本」と謳われており、周囲にも読んでいる人が多くて気になったので手に取りました。
 「ただ知識をつけるだけではなく、思考することが大切だ」「思考を熟成させるにはそれ自体から目を離し時間を置くことが大切だ」など、論じていることは多岐に渡ります。 現代では世間での通説となっているほど普遍的な真実と思えるようなことから、俄かには同意できないことまで色々ありました。表現も抽象論から、筆者の具体的な実践に至るまで様々です。
 知識を重視し、枠にはまった思考を助長するような教育は現代もいろいろな人によってしばしば批判されていますが、書かれたのが1983年ということを踏まえると、とても先進的であったのかもしれません。今尚残る問題ではありますが…。

 軽妙な文体で極めて読みやすく、議論も様々でありながらも整理されており、読み物としてとても秀逸だったと思います。

 もっとも印象に残ったのは「情報の”メタ”化」の項。情報には事件や事実をそのまま伝える第一次的情報と、それらを抽象・統合・整理した高次の情報があるというものです。前者にはニュース、後者には社説や評論などが当たります。前者を後者へと昇華させる方法論がこの本における大きなテーマであります。
 ふと、「今はネットがあるのだから、本などそんなに読まなくても良い」と中高時代の友人が言っていたことを思い出しました。先の二分では本もネットも高次の情報に入りますが、きちんとした本とネットの情報では大きな懸隔があると思います。ネットの情報は二次的と言っても、極めて質の悪い抽象のされ方をされたものも多く含まれておりますし、多くがその筆者の素性についても出典についても不明確であります。それに対し、本はそれらが明らかにされており、あまり質の悪いものは排除されております(胡散臭い本もありますが、、、)。名著と呼ばれるものは極めて質の高い抽象がされているのです。同じ高次の情報といっても、その質において、ネットと出版された本とでは違うのだと思います。
 高次の情報に触れるにしても、その質がよければ大いに学びになりますが、その質が悪く批判的思考が不十分であれば、ただバイアスを受けるというだけになってしまう気がします。本ーー特に、良い本を読むことは、とても重要だと思います。
 かなり脱線して個人的な意見を書いてしまいましたが、今日の読書録はこの辺りで。『思考の整理学』なのに、全然整理していない内容でごめんなさい、、、。
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2018年07月10日

美学入門(中井正一)

 中井正一さんの本です。私は風景論を専門としたいと考えているのですが、風景には眺めを審美的評価するという意味合いが少なからず含まれています。これまで建築・地理学系からのアプローチが多かったのですが、風景の「美」を考えるためには哲学系の学問である美学の本も読んでおきたいな、と思い、手に取りました。
 とはいえ、思想系の知識が浅いため、やはり表面的理解にとどまっていたり、理解しきれていない部分も多くあります。カント、ヘーゲルなどの知識があれば、もっと理解が進むのでしょうが……。高校倫理の資料集を読んで、広く浅く西洋の思想史を抑えて置こうかな、と思います。

 いくつか印象に残ったことを書き留めておきたいと思います。

 モダニズムの美学への表れについて、知れたことが一つ。この本は1951年の本ですから、今よりもモダニズムがずっと近いところにあります。ものすごく新鮮な視線で、「機械化時代」である近代を論じています。ルネサンスで個人や主観というものが目覚めますが、近代、社会機構の発達、全体主義の台頭などに伴い、再びそれらは解体されて行きます。ダダイズム、シュールレアリスムなどの絵画の描かれ方も、それに対応して変化していきます。
 機械化時代は人間を含めたあらゆるものを商品化・機械化し、機構へ埋没させていきます。それをマルクス主義は批判していますが、芸術の面から不安の声をあげているのが表現主義などの諸派なのです。

 近代の「機械化時代」に生まれた芸術の一つで、映画があります。中井さんは当時極めて先進的で合った映画にも鋭い理論を加えています。映画、というのは思えば不思議なもの。「聖なる一回性」を持つはずの歴史を、歴史の中で再現しています。またコマに切断された空間はそれを繋げる人々の歴史的意識の方向性を要求します。映画は、それらを通じて見る人の人格の中に、歴史的主体性を撃発しているのです。

 また、「さやけさ」「わび」「幽玄」「すき」「いき」「きれい」など、時代によって様々な言葉に表される日本の美についても、興味を惹かれました。日本の美学は時代によって変遷しているように見えて、軽妙さ、重さ・汚れを切り捨てた自由な清新さ、虚ろだが緊張した静けさなどは通時代的に存在しているのです。
 
 理解の及ばないところも多くありましたが、新たな観点を得ることのできた、学び多い読書となりました。これを機に、哲学系の本にも少しずつ手を出して行きたいな、と思います。
posted by みさと at 00:06| 奈良 ☁| Comment(0) | 読書(他人文科学) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする