2018年09月04日

小公女

 フランシス=ホジソン=バーネット作の有名な児童文学です。曾野綾子訳の講談社・青い鳥文庫のものを読みました。
 名高い作品ですが、恥ずかしながら読んだのは、おそらく初めてです。

 児童文学とみなされる作品には、主人公が積極的に行動を起こし、自ら活路を切り開いていくというお話が多い気がしますが、このお話の主人公・セーラは少し違います。お金持ちのクルー家に生まれ、父の死により小間使いに転落し、父の友人との接触によって再び裕福になると言う風に、物語は主人公ではない外在的な営力によって進行されていきます。セーラは、気高き気丈な心と豊かな想像力をもってそうした運命に耐え、それらを導いているのです。物語・主人公がまさしく「運命」によって動かされていると言えるでしょう。
 受動的な展開ではありますが、だからこそこの作品のテーマである主人公の気高さ・気丈さが引き立っている気がします。気高さ・気丈さは「運命」と相性の良いテーマだと思います。

 また、セーラは屋根裏の自室で、粗末な部屋をバスティーユの監獄や豪華な部屋にいる「つもり」になる空想遊びをし、辛い気持ちにならないようにしていました。これは、粗末な、殺風景な部屋であるからこそできることだと思います。装飾も何もない、「意味」の削がれた空間であるからこそ、想像によって「意味」を付与したくなるのでしょうし、そうできるのでしょう。屋根裏部屋はセーラの想像力を活かすには良い環境であったと言えるでしょう。


 そういえば、小学生の時分、「小公女・セーラに似ている」と同級生に言われたことがやけに記憶に残っています。それはどのような文脈で、どのようなニュアンスで言われたことだったのかは、全く思い出すことはできないのですが……。
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2018年08月23日

いわさきちひろの絵と心

 下鴨の古本市で購入した一冊。いわさきさんの絵と彼女のご子息・松本猛さんのエッセイから構成されています。
 いわさきさんが絵を描かれた絵本は、幼い頃そうと気づかず何度も読んだことがありましたが、最近ふとしたきっかけでいわさきさんのことを再認識しました。淡い色の水彩画で描かれた画風は今の感覚からしてもとても心惹かれます。彼女の描く子供達には、優しさの中にも、繊細で微妙な心の動きが現れている気がします。しばしば輪郭も曖昧で、色もパステルカラーを用いているからこそ、強すぎない、絶妙な心情の表出をなし得ているのでしょうか。

 松本さんのエッセイでは、いわさきさんの生涯や芸術理論が書かれており、これを読むことでより絵を深く感じられるようになった気がします。特に、彼女が共産党員
であり、議員の妻となっていたことには画風とのギャップに衝撃を受けましたが、水彩画の中に滲む意志の強さや社会的なテーマの絵(「戦火の中のこどもたち」など)があることを思い出だすと、それも納得です。
 また改めていわさきさんの描いた絵本を読んでみたいな、と思いました。
 この本に収録されている作品の中のお気に入りは、「かさと少女」、「たけくらべ」美登利、「枯れ草の中の少女」です。
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2018年02月14日

砂場の少年

 灰谷健次郎さんの小説です。

あらすじ
 元テレビディレクターで有機農場に務めていた葛原順は、教師をしていた妻・透子が精神を病んで休職したのを機に、自らも臨採で中学校教師となった。生徒個人個人と向き合わず、定められた規則や画一的な授業に拘泥する教師たちがいる一方で、葛原は「反抗的」とされる子ども達に輝くものを見出していく…。




 『子どもの隣り』を読んで以来、灰谷さんの小説に魅せられています。教育のあり方を問い直すというのが物語を通じて強いテーマとして設定されており、それに沿ったストーリーが展開されています。そう長い小説ではないわりに、たくさんの登場人物が出てきており、人物によって目立ち具合に差はありますが、それぞれ個性的に描かれています。
 読んでいると、自分自身の中高生活を思い出しました。もちろん時代も違いますし、この本ほど極端な管理教育はありませんでしたが。しかし、それでも先生の態度の中にはこの小説にかぶるものもあったりして、ちょっと苦い気持ちになったり。僕自身、人の期待するように行動する性向があり、割と先生に従順な態度をとっていました。嫌だとは言いながらも、試験や受験で良い成績を取ろうとしていたなぁ。この小説の生徒達のような、反骨精神・自立精神をもっと持ちたいものであります。西文平くんに憧れます。


 個人的には、教訓的要素が強すぎて、ややくどい印象を受け、『子どもの隣り』の方がお気に入りですが、なかなかに良いお話でした。
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2018年02月05日

ユタとふしぎな仲間たち

 三浦哲郎さんによる児童文学です。

あらすじ
 父の死とともに、東京から母の実家である湯ノ花村に居を移した勇太。彼は村の子供達から、東京のもやしっ子と言われ、なかなか馴染めなかったが、ふとしたことから、座敷わらし達と出会う。彼らとの交友の中で、勇太はたくましさを手に入れていく…




 高度経済成長期?の寒村を舞台にしたお話。正統派な成長譚といった感じですが、日本の寒村、またそこにある民話の世界をモチーフにしたのが特徴です。
 時に失礼なこともする勇太に対して、座敷わらしたちがものすごく優しいのが印象的。人間たちの方がよそ者の勇太に厳しいというのが皮肉な感じです。
 お話の構成も、舞台設定も、極めて完成度の高い児童文学だと思います。
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2017年12月05日

海になみだはいらない

 灰谷健次郎さんの短編集です。収録作品は『海になみだはいらない』『きみはダックス先生がきらいか』『ひとりぼっちの動物園』です。

あらすじ(表題作)
 章太は海が大好きな島の少年。トクじじいの指導を受けながら、もぐりや魚とりをしている。ある日、都会から移住してきた少女・佳代と出会うが……。


 久しぶりに小説を読むと、面白くて一気に読み切ってしまいます。灰谷健次郎さん。以前、「子どもの隣り」を読んで惹かれた作家さんです。
 表題作は、二人の交流、海やトクじじいとの対話、お兄さんの事件を通じて章太や佳代が成長していく過程がみられます。章太と佳代のふれあいがどうも心に触れ、小学生の恋愛にドキドキしてしまいました。「真っ黒けと真っ白け〜」といって腕を比べるところが大好きです。
 ほかの作品も、物語を通して子どもたちが成長していく様子が描かれているものが多いです。『きみはダックス先生がきらいか』はその通底する主題が一番よく表れている作品。一般的な教師像と違う変わり者の先生にはじめは反発しながらも、次第にその人間性に触れ少年少女たちは成長していくというもの。児童文学らしく、明快で心地よい物語です。
 『ひとりぼっちの動物園』はさらに五つの異なる物語の集合です。どの話もわかりやすく、子供たちのかわいらしさ、たくましさ、成長がいきいき描かれています。『オシメちゃんは六年生』『三ちゃんかえしてんか』がおすすめですね。

 古い時代の話だからか、子供を題材にした話だからか、関西弁が使われているから(大学って地方から集まっているから結構標準語…)か、よんでいるとどうも懐かしい気持ちになります。スマホやパソコンなどデジタル機器にかこまれ、そうでなくても読書やハイキング、散歩くらいになっている自分にとって、この本の子供たちの遊ぶ様はとても懐かしく、うらやましいように思えました。
 最近大人に向かわざるを得ない義務感を強く感じる一方で、どうも子供への憧憬がますます強くなっていることをいろんなところで感じています。

評価:B
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2017年07月29日

子どもの隣り

 灰谷健次郎さんの短編集です。収録作品は『燕の駅』『日曜日の反逆』『友』『子どもの隣り』です。

あらすじ
 父子家庭の4歳の男の子の目に映る、周囲の人々の人生模様を描く(表題作)。幼なくも不安や孤独を抱える4人の子どもを描く掌編4話。




 幼児〜中学生の子どもの目線から世界を描いた小説。19歳の私にとって、子どもの世界って、近いはずなのに、不思議に遠く感じます。どの少年・少女の心にも共感できる一方で、なぜか自分がもう「子ども」でないということを強く思わされました。35や40のおじさんよりも、はるかに15歳や12歳、4歳の子どもの方が歳が近いにもかかわらず、自分がおじさんに近いと感じる場面も多くあったのです。そう、ぼくは子どもは経験したことがあり、おじさんは経験したことがないはずなのに……!  とても不思議に思う一方で、こうした気持ちも自分を既に「大人だ」と思い込むマージナルマンの幼い感想なのかもしれない、という気もします。
 『燕の駅』では、死の恐怖におびえる少女が母親に意地悪する様子が描かれています。優しさと残酷さ。不安さゆえに身内に意地悪してしまう一方で、他人には優しく接することができるという気持ち、よくわかる気がします。隣室のおじさんとの触れ合いを通して自らの病気と向かい合えるようになっていく。少女の成長と複雑な心理が緻密に描かれていて良い作品です。
 『日曜日の反逆』。「孤独なやつほど演技をしてみせるのかもしれない」。
 『友』の語り手である中学三年生の少女は、一番自分と年齢が近いということもあり、また「優等生」であったところもかぶって、最も感情移入して読むことができました。他人の物語に意識的に乗って喜ばせて見せたり、他者を無責任にも心の中で評価してみたり(しばしば他人と自分への嫌悪を伴って)、「優等生」であることを半ば利用して先生に少し反抗して見せたり。親を軽蔑しながらも愛していたり。昔の自分というどころか、今現在の自分にも同じ心理が当てはまる気さえします。自分と重ね合わせられるから、ということからかもしれませんが、この短編集の中ではこの作品が一番好きです。ちなみに、奈良くんの熱帯魚への愛について書いた素朴な文章がとても心に残りました。ほかの作品にも関西弁は出てくるのですが、自分が関西人ということもあり、関西弁がとても現実感をだして、良い効果となっています。
 『子どもの隣り』は、タアくんのかわいさがすごい! もちろん、灰谷さんのことですから、可愛い無邪気な子どもも単純な人間ではありません。子どもにとって、まして母親を物心つく前になくした子どもにとって、死と生の重たさというものは本当に著しいものでしょう。ベンチに座る老人たちとのやりとりで死について触れられるところ、特に認知症の描写などには、ぞっとする迫力があります(ここには、幼児と老人にとっての死の重さというものが全然違うということもあると思います)。不良少女のやりとりなどで、生き生きとした放埓な生活やセクシャルな描写から濃厚な生を暗示されているというのも一つのポイント。この世を埋め尽くす生と死の圧力を受け止めきれないタアくんの思いは、幼子の語彙の問題もあり「死ぬの怖いの」以上にはあまり語られませんが、最後の彼のつぶやきに凝縮されていると思います。「死んでも、死んでも、死んでも、死んでもいい。ここにおるもーん。死んでも、死んでも、死んでも、死んでもいい。また、生むもーん」

評価:A
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銀河鉄道の夜

宮沢賢治さんの童話集です。収録作品は『北守将軍と三人兄弟の医者』『オッペルと像』『どんぐりと山猫』『蜘蛛となめくじと狸』『ツェねずみ』『クねずみ』『鳥箱先生とフウねずみ』『注文の多い料理店』『からすの北斗七星』『雁の童子』『二十六夜』『竜と詩人』『飢餓陣営』『ビジテリアン大祭』『銀河鉄道の夜』です。

あらすじ(表題作)
 ジョバンニは周りから疎外されがちな少年。星祭りの夜、彼はザネリらにいじめられ、孤独をかみしめながら天気輪の丘で一人体を投げ出した。いつの間にか、彼は銀河を走る軽便鉄道に乗っていた。そこには親友のカンパネルラも乗り合わせていたのだが……。




 久しぶりの宮沢作品です。前半には平易な寓話的小品がたくさん収録されています。ほとんどが初読なのですが、どれもテンポよく、痛快に読むことができました。
 とりわけ、『注文の多い料理店』。有名なお話ですが、実際に読むのは初めて。日本の昔話かグリムの童話にありそうな、古典的で、しかしツボをついてくる物語でとても好きです。ねずみシリーズもわかりやすく、気に入りました。
 全体的に賢治の仏教に対する思いが見えてくる面もありました。彼の信仰心が特によく見えてくるのは『二十六夜』。このような作品も良いのですが、私がこの面で印象に残ったのは『蜘蛛となめくじと狸』と『ビジテリアン大祭』です。『蜘蛛となめくじと狸』では「なまねこ」を唱え、信ずるものを騙して併呑する狸が生臭坊主の象徴のように描かれており、かなり痛烈な風刺となっております。『ビジテリアン大祭』でも信仰の大祭が茶番と化しているという批判が込められている気がします。賢治は仏教を信仰する一方で当時の宗教の在り方について思うところがあったことが読み取れます。現在のいろんなこと(宗教以外も含め)にもあてはめらて、なかなか考えさせられます。
 『銀河鉄道の夜』は中学時代、学校の授業で初めて読んだ強く感銘を受けた小説です。幻想的な銀河鉄道の世界の中、散りばめられる死の気配。不安感、美しさ、儚さに包まれて恍惚と読み入ってしまう魅力があります。やや難解で解釈が分かれているところ(文章の順番も!)もありますが、それだからこそ無限に小説の世界が広がっているのかもしれません。

評価:A
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2017年05月27日

魔女の宅急便

 角野栄子さんの小説です。

あらすじ
 キキは魔女の娘。13歳のある満月の晩、黒猫・ジジを連れ、放棄に乗って飛びたった。独り立ちの日であった。キキはコリコという海辺の大きな町に降り立ち、「魔女の宅急便」屋さんを開いたが…。




 13歳の少女がいろいろな人に囲まれながら、少しずつ大人になっていくのがよく描かれていました。幼さ、おてんばさと可愛さ、そして時々覗く「大人」の萌芽がとてもよく伝わってきました。
 空を飛びたい不器用なとんぼくん、好きなひとに恋文を書く女の子、なんにでも腹巻を作ってあげるおばあちゃん…。ほかの登場人物たちも、皆どこか可愛らしくて魅力的です。正月や春の音の話といったストーリーの展開もほのぼのとしていて良い感じです。
 また魔女の魔法がだんだんと失われていっているという描写が印象に残りました。伝統の価値が云々を議論されるまでもなく、「めんどくさい」などの無邪気な、無垢純粋な心情から文化や伝統が失われていくのだというのが象徴的に描かれている気がしました。私は文化主義的な考え方をしがちなのですが、その消失は責められるようなものではないのが難しいところであります…。
 とにかく、読んでいて楽しく癒される一冊でありました。

評価:B
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2017年05月13日

精霊の守り人

 上橋菜穂子さんのファンタジー小説です。

あらすじ
 バルサは熟練の女用心棒。ある日川に落ちた新ヨゴ皇国の第二皇子・チャグムを救う。そのことをきっかけとして、バルサは精霊の卵を体に宿し、父に狙われるようになったチャグムを護衛することになるが…。




 妹が好きな作品で、中高を通して友達からも何度かおすすめされていましたが、大学生となった今になってはじめて読みました。昔はファンタジーが苦手で、どうも読むのが照れくさいと思ったり、中学時代宮部みゆきさんの『ブレイブストーリー』に挫折したりした経験もありましたが、大変楽しく読むことができました。中学時代などは「この年になってファンタジーは、、、」という風に考えていたのですが、今思えば背伸びしてかっこつけているようで、そのことを思い出す方が照れくさいです笑
 さて、この小説の読みどころは、精緻に作られた世界観。文化人類学者というだけあって、特に先住民族・ヤクーの風俗描写が物凄く上手です。家に入る敷居の前で二度足踏みする厄落としなどの風習やヤシロ村の立地・地形・衣食住の描写などがきわめて具体的にかつわかりやすくあらわされており、立体感といいますか、世界が生きたものとなっている気がします。特に鳥<ナージ>の骨を垂らした村境の道切り縄の持つ意味合いは物語の根幹にかかわっており、作者が民俗習慣の観察に慣れていることがよくわかります。
 またヨゴ人とヤクーの関係は、現実世界の国家を思わせます。ヤシロ村などの国家周縁部においても先住民族と支配民族の混血がおこなわれ、「ヤクー」が消滅しようとしている。言語はヨゴ語に統一。風習もクレオール化が進む。しかし、それでいてなお、首都のヨゴ人はヤクーを蔑視している。豊作を祈る夏至祭りの持つ意味も帝祖の偉業を称えるものに変化している。こういうところも、筆者が背景とする文化人類学が強く活かされていて良いです。ある意味この小説を読んだのが大学で文化人類学を少しかじってからでよかったとも思えます。
 バルサが無敵の超人ではなく怪我もし、また星読博士たちが権力闘争に熱を上げたりしているのも、人間臭くて、物語の立体感を助けています。
 テンポの良い物語進行、覇気のあるアクションシーンもあり、かなり読みやすく、読んでいて爽快でした。また続編も読んでみたいです。

評価:A
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2017年01月03日

ピーター・パンとウェンディ

  ジェームズ・M・バリーさんの小説です。

あらすじ
 ウェンディら三姉弟の家にピーターパンが現れた。彼は三姉弟に魔法の粉へとふりかけ、ネバーランドへと一緒に飛び立った。人魚、人食いワニ、インディアン、海賊たちの待つネバーランドではピーターパンを中心に様々な冒険が繰り広げられる。




 ものすごーく久々の海外小説。児童文学と言いつつも、かなり残酷な描写があり、いろいろ深く考えさせるところがあったり、結構大人向けな印象を受けました。「本当は怖いピーターパン」なんていう話(これは大人になった迷子を間引くという記述からだったかと)を聞いた事がありますが、確かに…。なんとなくピーターパンにヒーロー的なイメージを抱いていたので、見事に破られて結構ショックを受けましたが、おもしろかったです。
 ネバーランドというのは、子供達が作る想像の世界なのではないでしょうか。小さい子供って、「ごっこ遊び」をよくします。そうした遊びをするとき、私たちはある一貫した世界(ときにはそれは夢の中にも通じます)を作っていたかと思います。それがネバーランドなのではないでしょうか。三姉弟がある程度共通したネバーランドを持っていたのは同じ環境で育っていたから。そして、ある程度「ご都合主義」もそうした想像の世界では問題がありませんし、ネバーランドにいる間いろいろなことをする「フリ」をして済ませていたのもそうしたことの暗示なのかもしれません。また想像世界の象徴たる妖精・ティンカーベルの死は子供達が大人になってそうした世界が失われたことの象徴とも言えそうです。
 フックを見栄っ張りで冷酷な大人像を崩さないまま殺す一方で、大人の代表格であるウェンディのお父さんが同じく見栄っ張りで卑怯なのにやけに子供っぽく書かれているのが面白いです。この小説は大人と子供を大きく分けているようで、通底するところがあることを認めているのかもしれません。

 この本を読んで、つまらない大人になることに嘆きながらも、それを何の抵抗もなく受け入れようとしている自分に気がつきました。ピーターは記憶を積み重ねないから大人になれない(+なりたくない)のかなぁ、なんて思ったり。

評価:B
posted by みさと at 11:56| 奈良 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書(児童文学) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする