2019年11月08日

オロロ畑でつかまえて(荻原浩)

 妹に借りた作品。日本の中でも過疎に喘ぐ寒村・牛穴村の青年会と倒産寸前の広告会社が協力し、村おこしに取り組むという物語。こうしたユーモア小説?を読むのは三浦しおんの「神去なあなあ日常」以来で、奇しくもまた農村が舞台であります。

「六十五歳以上人口が三十パーセントを超える典型的な過疎の村」とあるのに、結構若いなぁ、と思ってしまいましたが、この本は2001年の小説。20年弱の月日は恐ろしいものだなんて思ってしまいます。今ふと調べれば、私の暮らす大阪郊外の小都市・柏原市の高齢化率が29.3%。決して田舎ではないわが町でも30%に迫ります。日本全体でも28.4%。どんどん老いていく国に改めて気づかされます。


 基本的に特徴の強い人物たちの軽妙なやりとりによって物語は進んでいきます。人物や物語性メインの作品で、寒村や広告会社という舞台背景は美的に描かれるというより、物語や人物たちを浮かび上がらせる小道具として巧妙に働いております。
 私はどちらかというと舞台背景を丁寧に描いた静的な作品をよく読むのですが、このダイナミックに動いていく物語も中々痛快で、読んでいて楽しかったです。たまにはこういうのも良いですね。
 この間、児童文学研究会で合評会を行った時も思ったのですが、僕はこういう作品は書いたことがないです。テンポの良い楽しいお話、一回挑戦してみようかな。
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2019年10月23日

爪と目(藤野可織)

 2013年の芥川賞受賞作。収録作品は『爪と目』『しょう子さんが忘れていること』『ちびっこ広場』です。
 表題作は当時3歳の「わたし」が父の不倫相手かつ再婚相手である「あなた」に語ると言う独特な形式を持った小説です。不穏な家庭の空気感が描かれるその語り口はやけに淡々としており、それがその空気感を一層強調しています。父とあなたは似た者同士であったという描写からはじまり、あなたが母をなぞろうとする描写へ繋がり、最後わたしとあなたの類似を仄めかす描写もあり、三重鏡の迷宮に閉じられる物語の構成は見事です。爪と目。感覚、とりわけ痛覚に繋がりやすい二つの身体器官ーーそれは、コンタクトレンズやマニキュアでしばしば覆われ再構成されるものですがーーを通じて、テレビの映像のように淡々と主観的かつ客観的に描かれる物語を読者の身体と強く結びつけ、遠い物語の中の物事が急に自らに襲いかかってくるような恐ろしさを感じます。

 後二編も中々不気味で良い作品。『しょう子さんが忘れていること』は年齢を意識して明かしていくところに叙述の妙があり、表題作と逆ではありますが、同様の不気味さを演出します。
 『ちびっこ広場』はより日常性の強い話ではありますが、子供を愛している描写が多くなされながらもやけに淡々とした語り口が不穏で、最後子供の迷信と同化する語り手がゾッとする怖さというより胸の底にしみてくる恐ろしさがあります。「ちびっこ広場」的な場所は私の子供の頃にもありましたが、子供たちの秩序が支配する世界であり、大人にとっては、ほとんど行く機会がなく、大樹が見せた箱庭のように、珍妙な(同時に不気味な)世界であります。結末の恐ろしさはこの異世界の論理に取り込まれる恐怖と言えるのかもしれません。友人の披露宴に向かう母も、子供にとっては異世界へ向かうとも受け取れる。そう、この小説は子供と親が違う世界の中に生きており、家庭というその接点で世界の(論理の)衝突、不調和が生じている様を描いた作品だということができると思います。
 
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2019年10月08日

文字の消息(澤西裕典)

 収録作品は『文字の消息』『砂糖で満ちてゆく』『災厄の船』です。生協で見かけて、タイトルと表紙に一目惚れして購入しました。澤西さんは京都大学の文学部、人間・環境学研究科を出た方で、純文学サークルの「木曜会」の創設者とのこと。来年から私も人環進学予定で、木曜会は入会はしていませんが、入学当初から心惹かれているサークルで学祭で毎年ブースを尋ねている団体で、少し親近感があります。

 表題作はどこからともなく文字の降り積もり侵食されてゆく世界を描いた作品。書簡という「文字の世界」に全て描かれているという形式は文調の変化から緊張感を感じさせますし、何よりこの世界観を奇妙によく表しています。非現実的な話なのに、やけに切迫感を感じるのが印象的。この2019年の現実世界、街に出れば広告は氾濫し、テレビをつけば有象無象のテロップ、スマホの中にもSNSに無限に文字は降り積もっています。「文字」は氾濫し、人の欲望や猜疑を煽り、他者を攻撃する道具にもなっています。文字はそれ自体何かを指し示す記号ーシニフィアンに過ぎないというのに、しばしばそれ自体が物神化されます。
 ーーとはいえ、私自身、小説や学問、文字の世界に浸って生きており、文字によってより豊かな精神生活を得ている感覚は強くあります。文字によって著された世界は表象にすぎず、世界そのものの現象とは異なるのかもしれませんが、実際五感を通じて得ている世界は、私自身の胸の内にある文字、というか、言葉や思考のフィルターを通して初めて認識されています。「文字」の持つ意味合いを深く考えた上でこの恐ろしい「文字」というものにつきあっていきたいと感じます。
 『砂糖で満ちてゆく』は全身が砂糖に変わって死んでゆく奇病に侵された母と、その看病をする娘の話。体が砂糖に変わってゆくって、少しメルヘンで、幻想的な感じがしますが、この作品の語り口もどこか現実的で(「全身性糖化症」なんて病名もついています)、現実性と空想性の間で悲しく恐ろしく官能的な作品となっています。
 『災厄の船』は、町のすぐ側に昔から停泊している、手を出せば災厄を招くという幽霊船めいた巨大船舶と、それに翻弄される町の話。この話も全体として寓話めいた設定と雰囲気を持つ一方で、災厄の船を観光資源にしようとするなんてすごく現代らしい要素もあり、上二作と共通するところを感じます。都市伝説らしい怪しさとグリムの寓話めいた暗い雰囲気をも折衷し、中々心惹かれる世界観でありました。

 現実性と非現実性の緊張の間で微妙に構築される世界の鬱々とした、しかし、妖しく美しい世界観はすごく自分好みで、好きな短編集でした。また他の作品にも手を出してみよう。
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2019年08月22日

勝手にふるえてろ(綿矢りさ)

 試験勉強の合間に。あんまり普段読まないタイプの小説ですが、ふと部室の本棚にあるのを見かけて、手に取りました。元々叙情よりも叙事的な話が好きな上に、大学生に入ってから古い小説ばかり読むようになっていたため、現代の恋愛小説は滅多に読まなかったのですが、時代も主人公の年齢も近く、物語が等身大な感じがして良かったです。

 主人公は26歳のOL。オタク時代が長く、恋愛経験もなかったのですが、熱烈にアプローチしてくる同僚が現れます。一方で、中学時代片思いしていた、ほとんど話したこともなかった同級生と接触する機会も発生して……。愛することが幸せか、愛されることが幸せか。豊かな表現力と妄想力で、そんな彼女の葛藤を描きます。

 正直共感ができるかというと、(私がそうした情の薄いところもあって)そんなにできないのですが、極端なまでの感情の動きが表現豊かにテンポよく描かれていく様はなんとも痛快です。
「処女とは私にとって、新品だった傘についたまま、手垢がついてぼろぼろに破れかけてきたのにまだついてる持ち手のビニールの覆いみたいなもので、引っ剥がしたくてしょうがないけど、なんか必要な気がしてまだつけたままにしてある。自然にはがされたらしょうがないけど、無理やり取っぱらうのは忍びない。イチがやさしくぺりぺりはがしてくれるなら、もう本当に文句なしなのだけど」(p80)
 等身大で、表現力豊かで、勢いの良い言葉の言い回しのリズム感がこの小説の魅力であります。


 表題作が著名で人気も高いですが、一緒に収録されている「仲良くしようか」が掴みにくいながらもとても心を惹く作品であります。夢の中にいるような、断片的な話が、空想的なモティーフを交えつつ続いていく。『勝手に震えてろ』の緩急、高低あるリズム感も良いのですが、この作品の、どこか陰鬱な空気感のもと水のように流れていく旋律にいたく心引かれます。清冽でおぞましい美しさの中に、筆者の痛烈な社会や自己へのニヒリズムというか、暗く鋭い刃がきらめいてる感じ。
 久しぶりに、心が震える感じがしました。院試勉強しないといけませんし、あまり余韻に浸っていてはいけませんが、いつか、読み返して、じっくり、味わいたい。心からそう思います。
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2019年07月30日

花の埋葬(坂東眞砂子)

 作者自身の夢から紡いだ掌編を24集めた作品集。坂東さんといえば、「性」をテーマに土俗的で、官能的な作品を描かれるイメージが強いのですが、この作品集にもその空気感が漂っています。
 どの作品も総じて、夢や幻想の中に足を踏み入れていて、不安な感情をすくい取るようなものが多いのですが、何でしょう、決して重苦しくはなく、心をぐっとえぐるというよりは、朝起きて思い出す夢の断片のようにふわふわとした感じ。示唆的であり不条理であり、ほんとの夢みたいな感じです。
 全体通して読んでみると、何と無く一貫したモティーフや構成のようなものが見えてきます。これら自体坂東さんの作品ではあるのですが、彼女自身の夢を再現したものであるという話を聞いていたこともあり、坂東さんの作品の原石に触れたような気がします。
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2019年05月11日

木(幸田文)

 幸田文さんの随筆集で、『えぞ松の更新』『藤』『ひのき』『杉』『木のきもの』『安倍峠にて』『たての木 よこの木』『木のあやしさ』『杉』『材のいのち』『花とやなぎ』『この春の花』『松 楠 杉』『ポプラ』が収録されています。
 ボックスの本棚で見かけ、表題に惹かれて手にとった本でありますが、幸田文がこんなに木に親しんできた人だとは知りませんでした。木に親しむ契機には、『藤』にあるように、土地柄、家庭環境が影響していたみたいで、父・露伴も木にかなり親しみを持っていた人物であることが記述されていました。私の貧困な知識では、露伴といえばまず思い浮かぶのが『五重塔』で、木造建築を描いた作品が評価されたのもこうしたところがあるのかな、と思ったり。この随筆集でも、『材のいのち』などで古社寺に関わる棟梁の話が出てきます。
 この本を読んでいると、常に私たちの視界の結構な部分を満たしている木々ーー立ち木であれ、材であれーーを、普段全然気にせず生きていることが痛感されます。私は登山をしており、林業にも関わっており、森林科学にも多少親しんできたのに、木々への感性が薄いと悲しく思います。
 印象的な作品はいくつかありますが、まず心引かれたのは、冒頭の『えぞ松の更新』。エゾマツの倒木更新なんていう、すごく森林科学的な、ニッチな題材で驚いて読み始めると、専門的な題材でありながらも、感性は学者ずれしていない、清新な感性で書かれています。古木の水漬き、乾き、温もり。五感に感ずる、素敵な文章でした。
『灰』も良い。雨に濡れて生コン化した火山灰にまとわりつかれ被害を受けた木々の話なのですが、夏に枝を落としたため秋に青葉を茂らせる楓の不気味さ、悲しさが印象に残ります。
 小川和佑『桜の文学史』を読んで以来、表象される植物や植物の文学的認識に心惹かれています。山屋としても、幸田文のような、文学的感性を持って、植物に接していけるようになりたいなぁ、と刺激になりました。
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2018年12月11日

阪急電車(有川浩)

 有川浩さんの作品です。中学時代に読んだことがある作品ですが、「場所論」に興味があるのと、ちょうど今阪神間の郊外開発の勉強をしているのとで再び手にとりました。
 電車の中というのは、不思議な場所です。互いに知らない人同士がものすごく近い距離で接している。毎日同じ通勤・通学電車に乗っていると、なんとなく顔見知りが出来てきます。しかし、それでも殆どの場合、何か話すということはありません。電車というのは、他人同士が時空間を共有する、不思議な場所。
 この小説は、阪急の今津線を舞台に、そうした、普通話すことのない人たち同士が繋がりわかれながら繰り広げられてゆく人間模様を描いています。あたたかくて、時に心ときめく素敵なお話。以前読んだのが思春期手前ぐらいだったのですが、恋愛の描写などを読んで感じる気持ちは全然違うなぁ、と感じます。当時はあんまり感情移入できず、それに魅力を感じなかったのですが、いま読むと、図書館で一人きゅんきゅんしてしまう。
 壮大なラブストーリーや勧善懲悪譚ではなく、日常の中に、ささやかな物語が進んで行くのがこの小説の魅力だと思います。そこには、大都市郊外のベッドタウンの生活電車といった場所性もよく効いています。谷崎潤一郎の『細雪』などでは、阪神間の郊外はまだ富裕層のものですが、この作品の描かれている現代では、広く庶民も住む土地となっています。しかし、作品に描かれる人々や町々は、庶民的でありながら、どこか近代の、ゆったりとした、モダンで文化的な香りもほのかながら残っているような気もします。
 小さな路線の中の、素敵な物語。阪神方面を訪ねる時があれば、今津線にも乗ってみたいという気になる小説でした。
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2018年09月07日

紙婚式(山本文緒)

 山本文緒さんの短編集です。収録作品は『土下座』『子宝』『おしどり』『貞淑』『ますお』『バツイチ』『秋茄子』『紙婚式』。
 結婚、夫婦の綻びをテーマにした短編集で、妹に勧められて読みました。
 夫婦生活というものは安定したものというイメージがありますが、外観の安定の中、実際の心中はどのようにあるのでしょうか。この短編集はそうした心情を描いた作品群です。印象に残ったのは『子宝』『秋茄子』『紙婚式』。
 『子宝』は「生」とその裏返しにある「死」がキーになったお話。梶井基次郎の『桜の樹の下には』を夫婦生活に落とせばこのようであろうか、という感じです。死が恐ろしいという気持ちが生のグロテスクさと繋がっているというのはよくわかります。
『秋茄子』は唯一?後味の良い終わり方をしている作品です。口ではああ言いながらも、母親への愛に溢れる旦那さんは子供っぽい一方で可愛らしくて、良い終わり方だと思います。
『紙婚式』はテーマが良い。婚姻届は単なる紙切れと言っても、本来他人であったものを家族にするという呪術性を持ったもの。契約というとドライなようですが、人間を深く結びつけるものでもあると思います。
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2018年07月08日

おせっかいな神々(星新一)

 星新一さんのショートショート集です。星新一さんの短編集を丸々一冊読んだのは、恥ずかしながらこれが初めて。友人のおすすめで読みました。短いページに切り詰められた一つ一つの作品が、秀逸な諷刺画のようで、面白かったです。人の行動や社会の潮流の愚かさが諧謔に描かれています。ブラックユーモアは中学時代に好んでいたので、その時分に読んでいたら、ハマっていたのだろうな、と思いました。

 星さんの作品は、人の心情の機微には筆を割かないので、かなり硬質な雰囲気を感じます。それが冷笑的なブラックユーモアとよく合っていて、ある魅力を感じさせます。
 このような短編をそれこそ星の数ほど書くことのできる星さんの発想力には、本当に恐れ入ります。
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2018年05月29日

孤高の人(上)(下)(新田次郎)

 新田次郎さんの山岳小説です。地下足袋を履き、超人的な速さで一人山を歩く単独行の加藤文太郎が主人公。

 私はワンダーフォーゲル部で沢登りをしていますが、彼みたいな、少し世間離れした、偏屈な人間というのは、山をやる人間の一つの理想であるような気がします。なぜ山に登るのか。この本のテーマの一つもそれです。その理由は色々あるでしょう。加藤文太郎は、山を登ることで自らを見つめ直す、自らや自然と語り合う、と書いていたような気がします。そう言った認識は、多くの登山家にあるのではないでしょうか。世間からの離脱が目的の一つなのです。

 私はどうでしょう? 私は、ある意味人とのつながりを求めて山に行っているような気がします。山は本来的に人のいないところであるからこそ、そこで会える/一緒に行っている人と親しくなれる、という気がします。加藤文太郎が、他のパーティーに合流したがったのも良くわかります。高校時代、柏原の高尾山の山頂で、色々な登山者と一緒に長時間話し込んだこともたくさんありました。
 もちろん、美しい風景や自然の営みを全身で感じたり、岩や滝を攀じる時の興奮もあります。岩や滝。死と隣り合わせにあるからこそ、自らの生命が下界の何処にいるよりも輝いて感じ、自らのあり方を考える見方も変わりました。
 山は人から離れつつも、人に近づくことのできる両義的な場であると言えるかもしれません。



 ワンゲルの仲間ーー特に沢登りをしている仲間は、世間を少し軽蔑しているきらいがあります。世間から離れ、山に打ち込む「孤高の人」が一つの理想像であると感じます。

 私は加藤文太郎のような単独行はできません。簡単なハイクや縦走路ならば、一人歩き道ゆく人と言葉を交わすのを楽しむかもしれませんが、沢登りや岩登りのようなことは、仲間がいるからこそ、物理的にも精神的にも安心して、楽しむことができる気がします。私は「孤高の人」という登山者の理想からは、かけ離れた存在です。

 
 また所帯を持ち、山から離れていく終盤の文太郎を見ると、少し身につまされる思いもあります。私は古い家に生まれたからか「イエ」意識が高く、こんな危ないことをするのはイエや家族に対して無責任なのではないか、と自問自答します。加藤と順序は逆ですが、怪我で山を休んでいる間に恋人ができたりもしました。ハードな山と社会生活を両立することは難しいということはよく頭に浮かぶことです。後輩に、「先輩は守るべきものが多すぎる」と言われました。そうかもしれない。私は、他のワンゲラーと比べて社会的なつながりが多いです。
 そういうことでずっと煩悶しながら沢登りを続けてきました。皮肉にも膝を怪我し、ハードな山行からは強制退場ということになってしまいましたが、、、。


 色々自分の登山観について考えることのできる一冊でした。個人的なことばかり書いてしまいました。乱文失礼。
posted by みさと at 17:59| 奈良 ☁| Comment(0) | 読書(他国内文学作品) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする