2013年11月19日

御髪神社(京都市右京区)

 今回は京都市右京区の御髪神社を紹介します。嵐山観光コースの少し外れに位置する神社で、袋小路になっているためか、私が校外学習で訪ねたときは周辺は人であふれているというのに、この神社付近だけ人足が少し途絶えていました。

 従三位藤原采女亮政之公(ふじわらうねめのすけまさゆきこう)をお祀りしている神社です。政之は髪結、ひいては床屋さんの始祖となった方です。
 亀山天皇の時代、政之の父・藤原基晴は宮中で宝物係としてお仕えしておりましたが、宝刀「九王丸」を紛失してしまい、捜索のため諸国を巡りました。当時日本は蒙古の来襲に備えて、下関に武士を多く集めました。ここなら見つかるかもしれないと、基晴は文永五年に下関に定住します。そこで、基晴の三男の政之が髪結を生業としたのが髪結という仕事の始まりだとされています。政之の髪結は評判となり、幕府にも伝わり、亡くなるまで幕府御用達の髪結となったそうです。

 髪は神と同じ発音で、また人身で最も高い位置に自然より賜った冠でもあり、尊く力の宿ったものとする信仰が多くの土地に根付いています。御髪神社の境内には、髪塚と呼ばれる塚があり、願い事をしながら髪を奉納すると、ご利益があるとされています。

 この神社は、日本唯一の髪の神様で、理容業の方や、その関係の就職試験合格などの参拝にいらっしゃる方が多いとガイドブックに書かれていました。実際行ってみると、「ハゲ防止」の絵馬が多くかかっていました。私も友人と一緒にそういうお祈りをしました。男子にとっては(女子にとってもそうかもしれませんが)切実な悩みです。笑。でもほんとに、将来怖いですよね……。
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2013年11月14日

野宮神社(京都市右京区)

 中世以前、斎王制度というものがありました。斎王というのは、天皇様の代理としてお伊勢さん(天照大神)にお仕えしていた女性のことで、天皇の娘、姉妹、従姉妹など、未婚の皇族から卜定と呼ばれる亀甲占いで選ばれました。彼女らは京から離れた斎宮と呼ばれる御殿で暮らしました。この制度は、後醍醐天皇の時代、南北朝の動乱で廃れてしまいました。
 野宮は、お伊勢さんに行く前の斎王が身を清めたところで、天皇様のご即位ごとに毎度定められました。嵯峨嵐山の野宮は、平安初期、嵯峨天皇の皇女である仁子内親王が斎王を勤められたときに使われたそうです。斎王制度がなくなった後は、現在の様な神社として存続し、後世の天皇様などにより手厚く保護され、現在まで信仰を集めています。
 神社前の鳥居も有名です。黒木鳥居と呼ばれる、樹皮を残した原始的で日本最古の様式とされているものであります。野宮神社では、くぬぎを建材としていまして、三年ごとに建替えを行っています。黒木鳥居は、鳥居両脇にある小柴垣と合わせて、源氏物語などの物語、謡曲、和歌、俳句等に表されています。
 源氏物語では「賢木の巻」に登場し、光源氏と六条御息所が一晩中語り明かし、そして別れの歌を交わした舞台となっています。
 主神である野宮大神(天照大神)を筆頭に、愛宕大神(鎮火勝運)、白峰弁財天(芸能上達)、白福稲荷大明神(子宝安産、商売繁盛)、大山弁財天(交通安全、財運向上)、野宮大黒天(良縁結婚)が御祭神としてお祀りされています。

 野宮神社は天龍寺とともに、嵐山観光の定番中の定番で、多くの観光客でにぎわっています。私も校外学習で訪れ、お参りとお祈り、またおみくじ(大吉でした!)などをして満喫しました。周辺の竹林を通る小径も見物で、ドラマなどで登場しそうな風景です。嵐山の魅力は、渓谷の自然美だけでなく、庭園や小径の造形美も大きいと思います。
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 竹林の路。時代劇とかで、夜中に悪い人が走ってきそうな雰囲気のところですね。それか、旅番組のオープニングとか。
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2012年12月21日

片岡神社(王寺町)

 今回は王寺町本町二丁目にある片岡神社について紹介します。

 この神社は片岡山の麓・王寺張井にあります。『新抄格勅符抄』によると大同元年(806年)に片岡神の神戸(租庸調の税を神社に納めていた農民)が出てくるので、その頃にはこの神社があったとされています。貞観元年(859年)の正月には正五位下に昇叙されたことが『三大実録』に書かれています。
 御祭神は八幡大神・住吉大神・豊受大神・清滝大神・天照御大神の五柱と伝えられており、古くは葛下郡傍丘之郷の総社であり、古代は大宮と言われていました。中世には五社大明神、徳川時代には五社明神と呼ばれました。
 また「片岡坐神社」として延喜式に載っています。明治6年には郷社に列せられました。
 この神社は風雨の神として信仰を集め、正暦五年(994年)に中臣氏人が宣命使として疫病・天変地異からの救済を祈願して奉幣したと社伝にあります。
 昔は大峯に鎮座しており、旧社を「モトミヤ」と呼び、また住居表示の際には「元町」としました。それに対し、現在の宮周辺は「本町」とされています。ちなみに旧社地には小さな祠があり、鳥居の奥に碑が建てられてあります。2月11日には宮跡祭があり、旧鎮座地に人が集まります。またその近くに昔焼失した「三松寺」跡があります。
 片岡神社は古来放光寺(片岡王寺)の鎮守社であり、また王寺全体の総鎮守であります。旧王寺村の域にとどまらず、旧藤井村の各神社の氏子も祭祀に関わっています。
 神仏分離により、この神社から十一面観音立像・地蔵菩薩像が同町品善寺に安置されています。
 境内末社としては北に賢岡大神を祀る稲荷神社、南に四つの小祠があります。南の摂末社のうち三つの摂社は明治42年(1909年)に旧王寺村の各地から勧請・合祀されました。大田口から金計神社、中村から大原神社、門前から住吉神社が勧請されています。残りの一社は弁天神社です。
 大原神社は門部王命を祭り、オハラミ様と呼ばれ雨乞いの神様として信仰されています。現在は白瓜の氏神で、祭日(10月30日)の前に中村から白瓜に鏡餅を届ける習慣があったそうです。古には放光寺を創建した大原氏の氏神であったそうです。
 金計神社は天児屋根命を祀っており、古老のお話によると元々は片岡神社の摂社だったそうです。片岡神社摂社→独立社→片岡神社摂社と変遷したのでしょうか。明治4年には村社に列せられました。
 住吉神社はかつては道路を挟んだお向かい、達磨寺の境内にある鎮守社で、中筒男命をお祀りしています。
 末社・弁天神社も達磨寺境内にあり、市杵島姫命をお祀りしています。

 鳥居。王寺小学校のすぐ傍にあります。境内でも子供の声がよく聞こえ、町の神社として、周辺住民に親しまれている印象を受けました。
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 拝殿。右が北側です。
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2012年09月30日

狭井神社・市杵島姫神社(桜井市)

 今回紹介するのは桜井市大神神社の摂社で、以前記事にしたくすり道を北方に進んで行った先にある狭井(さい)神社と更にその境内にある市杵島姫神社です。

 狭井神社はこれも延喜式内社で、狭井坐大神荒魂(さいにいますおおみわあらみたま)神社が正式名称です。花(華)鎮社ともいうそうです。その名の通り大神神社の荒魂を祀っています。それに対し、本社・大神神社は和魂をお祀りしています。荒魂とは積極的な活動をなされる神霊で、災時などに顕著な働きをみせるそうです。中でも心身に関する篤い祈りに応えて下さり、病気を鎮める神社として信仰を集めているそうです
 鎮座している場所が大字三輪字狭井という地名なので「狭井」というのは神様の名前ではなく地名からとられたようです。「狭井」とは神聖な泉・井戸のことを指すそうです。
 御祭神は大物主神、大神荒魂神、姫蹈鞴五十鈴姫命(ひめたたらいすずひめのみこと)、勢夜多々良姫命、事代主神です。4月18日の花鎮祭は古代まで遡り、薬祭りとも呼ばれています。たたら(多々良・蹈鞴)に関する神様が二人も祀られているので、製鉄にも関係あるのでしょうか。
 狭井神社の境内には薬井戸と呼ばれる霊水を湛えた井戸があります。神体山の三輪山に源泉があり、水は清く澄んでいてある種の風味があると言われています。酒造や製薬の業者にもここの水を使っているところがあるそうです。しかしながら、このような清水の常として、やはり他の人のことを考えず水をみだりに汲む輩が多く出るそうです。
 皇后陛下もここを訪れ次のような歌を詠まれています。
「三輪の里 狭井のわたりに 今日もかも
               花鎮めすと 祭りてあらむ」
 また、三島由紀夫氏もここを訪れ、そのときの感想として「清明」と応えたため現在「清明」と書かれた碑が建てられています。
 尚、大神神社のご神体・三輪山の登山口は狭井神社の境内にあります。

 大神神社末社・市杵島姫神社は狭井神社の鳥居をくぐってすぐのところにあります。御祭神は社名の通り市杵島姫命。この神様は別名弁財天で、安芸の宮島・厳島神社の御祭神として有名です。素戔嗚大神(すさのおのおおかみ・祇園さん)の御子神で、水の守護神だそうです。また、福徳財宝と芸能を司る神様でもあります。現在ここにある社は、同市茅原の末社厳島社から勧請したものだそうです。


 狭井神社拝殿。大神神社の摂社の中でおそらく最も大きな神社です。檜皮葺きの立派な社殿で、数多の参拝客がいました。
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 薬井戸。飲んでみたところ、万病に効くとの伝承も納得できる清らかで美味しい水でした。後ろに写っているのは狭井神社本殿です。
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 三島由紀夫「清明」碑。市杵島姫神社と同じく池の畔に建てられています。
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 市杵島姫神社。水に近く、広島の厳島神社を彷彿とさせる神社でした。八尾の許麻神社の摂末社・厳島神社も同じような感じの立地でしたが、やはり水の神様だということが考えられているのですね。
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2012年08月31日

神南備神社(三郷町)

 今回はJR三郷駅から龍田大社へ行くときの道にある龍田大社の境外摂社・神南備(かむなび・かんなび)神社を紹介します。

 西浦集落のはずれの小高い丘の上に鎮座しています。ここは国境にあたる為、多くの人が国を偲ぶ歌を詠んだと言われています。
 そもそも神南備という言葉は、三室と同じで「神様のいます森」という意味を持つ普通名詞だったそうです。そのためか、各地に神南備、あるいは甘南備などという地名が残っています。ここ竜田立野の神南備は有名で、よく大和飛鳥の神南備と合わせて語られます。十首以上の歌が万葉集に収録されております。
「清き瀬に 千鳥妻喚(よ)び 山の際(ま)に
                霞立つらむ甘南備の郷(巻七、一一二五)」
「神南備の 伊波瀬(いわせ)の杜(もり)の 呼子鳥
          いたくな泣きそ 我恋益(まさ)る(巻八、一四一九)」
「神名火の 磐瀬の杜の ほとヽぎす
          毛無(ならし)の丘に いつか来鳴かむ(巻八、一四六六)」



 神南備神社。実盛川からすぐです。閑静な住宅街の中に鎮座しています。このような境外摂社があると、やっぱり龍田大社は大きい神社だな、と思います。摂社と言えども、町中のあちこちにある小さい神社と同じくらいの社叢がありました。
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2012年08月23日

久度神社(王寺町)

 今回は北葛城郡王寺町久度(くど)四丁目にある式内久度神社を紹介します。

 この神社は王寺町市街地の少しはずれ、大和川の多聞橋に近いところにあります。橋からも社叢(しゃそう・神社の森)がよく見えます。
 久度神社は奈良朝以前よりこの地に祀られている古社で延暦二年、桓武天皇より従五位下の位を授けられたそうです。その後、平安遷都の際に現在の京都市北区の平野神社大二座にここの神様・久度大神を遷座しました。信仰が厚かったためと言われています。その後千二百年あまり、この神社では八幡大神など、他の神様をお祀りしていましたが、昭和四十三年四月に平野神社より再び久度大神をお迎えし、四十四年に本殿造営が完工し再びお祀りするようになりました。また、昭和十七年に橿原神宮の古殿を利用し拝殿・瑞垣(みずがき)・中門などを造営したそうです。
 さて、御祭神の久度大神。久度大神とは御厨(みくりや)神ーーかまどや火の元の神様ーーの総称だそうです。「くど」は関西の方言でかまどをさす言葉です。関西の方なら「おくどさん」という言葉に聞き覚えがあるでしょう。もっとも、現在は電気釜で使う機会がなくなったかもしれませんが。
 この神社では現在、久度大神以外には寿命・幸運の神様の八幡大神、水運・交通の住吉大神、子孫繁栄の春日大神をお祀りしています。


 鳥居と拝殿。広大な土地を持つようで、結構遠くからでも社叢が見えます。大きな市街地である王寺だと森は目立ちますしね。市街の中心地から少し外れている為か、周辺の人通りは多くありませんでした。本殿は川の堤防から見えました。
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2012年08月15日

綱越神社・大神神社大鳥居(桜井市)

 今回は桜井市の大神(おおみわ)神社の大鳥居とその近くにある摂社・綱越神社を紹介します。

 綱越神社は大神神社摂社の一つで、参道の入り口に位置しています。「おんぱらさん」と呼ばれ親しまれている延喜式内社です。「おんぱらさん」とは祓戸大神(はらえどおおかみ)を祀っていることからついた呼び名だと思われます。古くは夏越(なごし)の社と呼ばれており、旧暦六月晦日に「夏越祓(なごしのはらん)」が行われているそうです。現在も七月三十日・三十一日には茅の輪が用意される盛大な祭り・御祓祭(おんぱらまつり)が行われています。無病息災のご利益があるそうです。社名の綱越は夏越の転訛と思われます。
 大神祭の前日には、神主たちもこの神社でお祓いの儀式を受けているそうです。

 昭和59年10月、天皇様がご来訪されたときに大鳥居は建立されました。これは御在位60年を祝賀するのも兼ねたそうです。竣工は61年5月です。高さは32.2メートルで、日本最大。かなりしっかりした造りと建材で、1300年はもつと言われています。


 綱越神社拝殿
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 本殿。本殿は他の摂末社と同じ小さな祠ですが、きちんと拝殿が付いているのが、やはり延喜式内社らしいですね。
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 大鳥居。圧巻の大きさです。ちなみに周辺の地名も字大鳥居(大字は三輪です)です。割と最近建てられたのに小字地名となっていることに驚きました。
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2012年08月14日

三輪坐恵比須神社(桜井市)

 今回は奈良県桜井市の三輪駅より東に少し進み、一つ目の角で南に曲がったところにあるこの恵比須神社です。
 この神社の御祭神は八重事代主命(やえことしろぬしのみこと)、八尋熊鰐命(やひろわにのみこと)、加夜奈留美命(かやなるみのみこと)です。八重事代主命は三輪明神の御子神で、国ゆずりの談判交渉の大役を大物主神の代わりに担った神様だそうです、
 ここは日本書紀に書かれている我が国初の市場・海柘榴市(つばいち、つばきち、つばきいちと読む)の守護神として恵比須信仰の原初となった神社と言われています。万葉集にも「紫は 灰さすものぞ つばいちの やその衢に 逢へる児や誰 たらちねの 母が呼ぶ名を 申さめど 道行く人を 誰と知りてか」という歌が残っています(神社HPより)。

 境内には摂社として琴比羅神社があるほか、「左 信貴山毘沙門天、右 なら」と書かれた道しるべも立っています。
 琴比羅神社は大物主神、即ち大黒様を祀っています。蓄財の御神徳があるそうです。


 拝殿。目立って大きいということはありませんでしたが、町の神様として市民に親しまれているように感じました。本殿は外からは見えず。
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 摂社・琴比羅神社。
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2012年07月01日

藤井八幡神社(王寺町)

 奈良県北葛城郡王寺町の藤井集落の奥に八幡社があります。藤井の集落地を通って南西方向へ進むとたどり着けるはずです。詳しい場所は地図でご確認下さい。「八幡神社」と当該場所に書かれているはずですので。神社近くの解説版の説明によると「明神山第一トンネルの近く」です。
 この神社は過去には更に西の奥地にありましたが、昭和六年の亀の瀬地滑りの影響で鉄道路線が変線した際、この神社も移転を余儀なくされました。現在も拝殿の近くに旧参道が残っています。また、境内には文政期の石灯籠や狛犬が残っています・
 さて、説明板によるとこの神社は「神明造の一間社、素朴で屋根は桧皮(ひわだ)葺」とあります。私には桧皮葺ではなく普通の本瓦葺に見えるのですが……。
 気になるのは亀の瀬近辺に「八幡神社」が密集していることです。この藤井八幡の他、柏原市大字峠の峠八幡、亀ノ瀬八幡(竜王社)。また少し離れますが三郷町勢野地区の勢野八幡、秋留八幡。なぜそこまで多くない八幡社が密集してあるのでしょうか……?

 藤井集落を訪れた5月26日、足を伸ばしてこの藤井八幡にも参拝しに行きました。全く迷わずに到達できたのですが、大変ヤブ蚊が多くてかないませんでした。同行していた友人は鳥居の近くで参拝を断念。私一人で参拝しました。私もヤブ蚊は苦手なので参拝し、写真を撮ってすぐに退散。説明書きもろくに読まず、写真を撮るだけ撮ってすぐに友人のもとに戻りました。もちろん旧参道など探すことはできず。神社の雰囲気をたっぷり味わうことも出来ませんでした。
 ぱっと見の印象は、神秘的な神社、といったところです。ヤブ蚊が少なければもっとしっかりと検分したかったのですが……。冬にもう一度参拝しに行くつもりです。
 神社には人気がなく、参道や拝殿に向かう石段、更には拝殿の屋根瓦にまで草が生えておりました。川を挟んだ対岸にある峠八幡(柏原市峠)が念入りに手入れされているのと対照的に感じました。集落の人口はこちらの方が多いと思うのですが、やはり奥地にあることが原因でしょうか。しかし、後で拝殿の写真を見てみると、漆喰は塗り直されており、手入れはときどきされているようです。


 鳥居
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 拝殿
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posted by みさと at 11:20| 大阪 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 神社仏閣 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月15日

常世岐姫神社(八尾市)

 大阪府八尾市神宮寺五丁目に常世岐姫(とこよきひめ)神社があります。これは大県郡(現在の柏原市堅下堅上地区と八尾市神宮寺)の式内小社で、八王子神社という名前で親しまれています。宝亀元年(七七六年)、朝廷は大県郡の赤染人足(茜染め職人)十三名に「常世岐」の姓を与え、彼らの祖神を祀った神社がこの常世岐姫神社だそうです。現在は安産の神様として崇められています。
 「〜姫神社」というのは男女対になっている神社の名前です。常世岐姫がいらっしゃるなら常世岐彦もいらっしゃるのではないか、と思い調べてみましたが、"常世岐彦神社"はないようです。大県郡の他の「〜彦」「〜姫」という名前の式内社をみると、鐸比古鐸比賣神社・金山彦神社・金山媛神社・若倭彦神社・若倭姫神社と男女対になっている神社ばかりですのに、なぜこの神社だけ女神のみなのか、非常に気になるところであります。

 1月22日神宮寺集落を探訪した際、この神社に立ち寄りました。集落の風景にきれいにとけ込んでいました。町の「近所の神社」として人々に親しまれているのでしょう。小振りながらも非常に雰囲気の良い神社でした。


 式内常世岐姫神社
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 摂末社・金刀比羅大権現
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 同・白王姫大明神と峯近大明神
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posted by みさと at 10:26| 大阪 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 神社仏閣 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする