2012年12月15日

須賀利 〜〜日本一美しい漁村〜〜(尾鷲市)

 三重県の地方都市・尾鷲市には日本の里100選にも選ばれている町・須賀利があります。日本一美しい漁村とも言われる里で、よく写真や絵画を趣味とする人たちの画材にされます。今回はそんな須賀利について紹介します。
 尾鷲市というと、日本一雨が多いことで有名ですね。須賀利町は尾鷲市街地の北方にあり、旧尾鷲町の域に接しておらず、陸路で行くには紀北町の海山(みやま)区を通らなければならない飛び地です。旧須賀利村が尾鷲町と合併したわけは、紀北町から道路が通じておらず、唯一の交通は尾鷲市街地への船だけだったからです。もっとも、現在では紀北町から県道が通じており、それにより尾鷲からの船は今年の九月までで廃止となっています。
 この美しい漁村も過疎化や少子高齢化が進行しており、昭和29年1400人程度いた人口は現在300人を切っています。さらに人口の約73.2%が高齢者で、未成年者はただ一人という状況です。小学校は平成13年、中学校は平成9年に休校となり、その後須賀利の児童・生徒は紀北町の学校へ行っていたそうです。
 集落の中には市役所出張所と簡易郵便局があります。また、集落の中心となるように普済寺という寺院と高宮神社があります。


 私が訪れたとき、奇しくも夕暮れどきで、夕日に照らされて町がよりきれいに見えました。日本一美しい漁村というのも頷ける美しい町並みでした。
 潮風に吹かれるからか、やはり古い家は少なかったですが、非常に美しいと思えました。木板を横向きに貼った家の造りが珍しく感じました。山と海に挟まれたこじんまりとした様子、また静かで夕焼けに照らされている様子が、郷愁を誘いました。
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2012年10月31日

高山 〜〜三室山麓・国境の町〜〜(三郷町)

今回は三郷町立野の一垣内・高山集落について紹介します。

 この集落は三郷町の西端、柏原市や王寺町との境界付近にあります。現在は住居表示がなされ、立野南三丁目となっています。周辺は新興住宅地です。近隣集落には今井・西浦(以上立野の垣内)・峠(柏原)・藤井(王寺)があります。
 「高山」という集落の名前は、「神山」と同義だと『三郷町史』はしています。おそらく近く西の三室山か竜田山が神様の宿る(=神南備)山だということからでしょう。「三室」というのも神南備と同じ意味だというそうです。それにしても、「神山」と同義……? ひょっとして、「高山」って「こうやま」と読むのでしょうか!? ずっと「たかやま」と読んでいました……。このブログを読まれている方の中で、「高山」の読み方が分かる方、コメントの投稿で教えていただけると嬉しいです。

 ここには「白蛇大明神」の伝説が残っています。『三郷町史』によると、昔、ここに小豆のような目をした蛇がいたそうなのですが、村人が捕まえて、龍田大社の杉の木の側でこれを見世物にしてしまいました。あるときこの蛇を役所に持っていったら網を破って逃げました。これを捕らえた人は急病で死んでしまったので、恐ろしくなった持ち主は人に売ってしまいました。元の持ち主は売ったお金でお寺に欄間を寄附、買った人は白蛇大明神として神社に祀ったそうです。ひょっとしたら、現在龍田大社にお祀りされている「白龍大神」のことでしょうか……?
 また、同じく『三郷町史』に短い記述ですが、土器発見の話が載っています。立野高山の三室山の山麓・字ヒヅメ(ヒズメ)の地が崩されたとときに出土したそうです。町史には「大昔の人たちの使用したもの」とあるだけでいつの時代の土器なのかも書かれていませんし、発見された時代も分かりませんでした。
 また、高山は三室山の麓の集落として町史によく取り上げられています。かつては毎年四月四日に村民全員で三室山に登っていたそうです。大正時代には三味線を弾き、歌い踊り、重箱につめたお弁当を食べ、酒を飲んだと言います。
 関屋川がすぐ側を流れる国境の町であり、かつては日本四関の一つ・竜田の関がありました。その名残か、現在高山集落の片隅に「関地蔵」と呼ばれるお地蔵様があります。

 さて、この集落は、かつては河内国大県郡に属していた可能性が指摘されています。そのことの証明は「関屋川と竜田川」をご覧下さい。
さて、ここでは高山河内国所属説の裏付けとなることを考えてみます。『大和誌』では平群郡立野村に属邑七の記述があります。本郷を合わせると、八つの垣内があることになります。しかし、数えてみると……山上、今井、高山、西浦、馬場、下之庄、坂上、坂下、辻堂……あれ、一つ多い? 増えたもう一つを探せ(Anotherじゃあるまいし)、ということになったのですが、私は「それが高山だ!」と勝手に推定しました。また坂下・坂上をまとめて考えているという可能性も考えに入れつつ。しかし、三郷町史に「元々辻堂は馬場の一部」という記述もあり、高山・坂上坂下・辻堂、いったいどれが「もう一つ」なんや、とまだ結論は出ないままです。残念ながら、これでは裏付けできません。
 しかし、『河内誌』に注目してみましょう。大県郡雁多尾畑村に属邑三の記述があります。横尾・生津とあと一つは……? となると、やはり想像できるのがこの高山です。『角川日本地名辞典』では北畑・南畑・西峠と推測していますが……(西峠とは横尾生津の総称でしょうか?)。しかし、やはり北畑南畑を持ち出すのは不自然な気がします。同じ大県郡の法善寺村や安宿郡の円明村は枝郷としていませんし。私はやはり、大県郡雁多尾畑村字高山の説を信じています。
 まあ、実際どうだったのかはわかりませんが、考えていると楽しいですね。

 
 高山の町並み。町の雰囲気は柏原市の山麓集落ーー平野や太平寺などに近いですね。結構傾斜があって、道が狭いこともあり自転車を駆るのに少し苦労しました。
 本当に、すぐ側まで新興住宅地が迫っています。市街地の中の旧集落らしく、古民家は残念ながら、そこまで多くありませんでした。
 少し西へ行くと柏原市で、坂を上った先に峠集落があります。現在でも県境の町ですが、開発であまりそんな感じはしないです。
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2012年10月28日

本堂 〜〜渡来氏族の歴史が息づく山里〜〜(柏原市)

 今回は柏原市の北端にある山里・本堂集落について紹介します。

 この集落は高井田から府道183号線沿いにずうっと行った先、奈良県に入る直前にあります。堅上の他のどの集落よりも、三郷町の南畑集落に近く、雰囲気も近いです。もはや竜田山というより、信貴山といった感じです。十数戸の小さな集落ですが、竹林寺・生安寺と二つのお寺があります。現在の人口は二十数人ですが、大正時代には150人近い人が住んでいたそうです。
 地名の由来は信貴山朝護孫子寺の本堂があったということだそうです。現在は生駒郡平群町の大字信貴山にあり、奈良県の観光地として有名な朝護孫子寺ですが元々は河内国にあったのですね。この話を聞いてとてもびっくりしました。龍田大社も信貴山寺と同じく河内国大県郡域、つまり現在の柏原市域でした。現在も残る雁多尾畑光徳寺もありますし、いまはなき智識寺をはじめとする河内六大寺もしかりです。古代は大県郡域に、本当に大きな寺社が集中していたのですね。
 本堂は、古くは高句麗系の渡来氏族・狛氏が住んでいた「大県郡巨麻(こま)郷」と呼ばれる土地でした。狛氏は現在も残る大狛神社を崇拝し、栄えていたそうです。本堂西古墳群はおそらくこの狛氏のものだとされ、出土した「瑞花鳥蝶文鏡」は大狛連か大狛造の族長の宝器だったと推測されています。ひょっとしたら、高井田横穴古墳群など、この周辺の多くの古墳は狛氏関連のものかもしれませんね。大県・雁多尾畑に製鉄技術を持ち込んだのも狛氏かもしれません。神宮寺の赤染氏と関わりがあるのかも気になりますね。
 これは『柏原市史』による推測ですが、朝鮮半島新羅が百済を滅ぼした際、日本はその余波が日本に及ぶことを恐れて各地に城塞を築きました。この本堂や南畑一帯にも「高安城(たかやすのき)」という城が築かれました。これは朝鮮式の城で、外敵が大和へ侵入するのを防ぐ為のものです。そのとき敵の脅威から守ってもらう為に、四天王を祀ったという話があります。おそらくこれが信貴山朝護孫子寺、ひいては巨麻郷・本堂集落の前身と成ったのでしょう。
 本堂はおそらく現三郷町の南畑、現平群町の信貴畑と同じ文化圏で同じ系統の氏族、あるいは寺社が作った集落です。なぜこの本堂集落だけなぜ大和国ではなく河内国だったのでしょうか? また、それと信貴山寺本堂の移転は何か関係あるのでしょうか? 本堂集落と信貴畑集落との間で何かもめ事があったのかな、などと勝手に想像していますが……。
 古い地図では「堅上小学校本堂分校」の記述があります。また、『柏原町史』にも「昭和23年本堂分教場を設置する」という記述がありますが、現在の地図には書いていません。柏原市HPによると「本堂集落に未成年がいない」そうです。最後の小学生の卒業とともに休校になってしまったのでしょうか……。実際に行ったところ、校舎らしきものは見当たらなかったので、江戸明治のようにお寺かどこかで授業をしていたのかもしれません。
 周辺には先に述べた信貴山毘沙門天以外に、信貴山のどか村、奈良産業大学などがあります。


 本堂の町並み。大和棟の家が多く、南畑と共通した町並みに見えました。歩いていてとても傾斜が急なところに立っているのがよく分かりました。人口の割にはたくさんの人とすれ違いました。やはり、第一次産業の従事者が多い農村の特徴を残しているからでしょうね。南から府道沿いに歩き、南畑へ行く途中に通りましたが、雁多尾畑から遠く離れていました。南畑からは本当に至近距離にあるのが分かりました。
 大変静かで綺麗な風景で、歩いていて気持ちよかったです。
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2012年09月19日

生津 〜〜地図から消えた集落〜〜(柏原市)

 柏原市で有名なぶどう坂を登った先、雁多尾畑方面へ向かう際、最初に通る集落を生津(なまづ)と呼びます。しかし、この生津は地図には載っていません。今回はそんな生津集落について紹介します。

 享保期の『河内誌』によると堅上地区の中心集落・雁多尾畑には三つの属邑(枝郷)があるとされています。そのうちの一つが生津で、後の二つはおそらく横尾と高山(現三郷町立野)だと私は思いますが、はっきりとはしていません(『角川日本地名辞典』では北畑・南畑・西峠と推測していますが……西峠とは横尾生津の総称でしょうか?)。そのことについてはまた後日、「高山」の記事で詳しく書くつもりです。
 さて、生津集落は数戸しかない小さな集落ですが、「生津」姓がかなり多いです。住居地図で確認したところ生津ともう一つ姓があるだけでした。山間地では通婚圏が限られており、同一姓の集中がよくみられるそうです。この集落の場合はその姓が名称にもなったと思われます。姓の凝集は至近距離にある横尾集落でも顕著ですし、また少し離れた本堂集落にもその傾向があります。
 生津には生津川という川が流れています。信貴変電所近くの山伏池からこの集落、そして高井田を通って大和川に注ぎ込む川で、下流では高井田川と呼ばれる小河川です。この字生津は、生津川を挟むようにして数軒の家が建って集落を形成しています。付近には広いぶどう畑の他、横尾集落やゴルフ場、木材・工事の会社があります。生津・横尾古墳群という遺跡もあります。
 またこの生津という地名は現在、地図より消えています。地図には、柏原市の堅上は基本四つの大字だけで枝郷(中字・小字)の記述はありません。地図によっては横尾の記述があるものもありますが、やはり生津の記述はありません。昭和48年の地図に「大字雁多尾畑(横尾・生津)」という記述があるのが現代の地図での数少ない例です。市が設置している道標にも横尾とあるのに生津の記述はやはりなし。多くの市民は、生津集落を横尾の一部と認識しているようです。地元ではどのような認識なのか、大変気になるところであります……。


 生津の町並み。本当に綺麗な山里で、柏原市の町の中で好きなものを選べと言われたらここを選びそうです。私の友人達も絶賛していました。実に風光明媚で、知名度は低いですが、知る人ぞ知る柏原の名所です。同一姓の集中など、地歴部としても興味深かったです。何かで紹介されたら途端に有名になるんじゃないか、と思います。
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2012年08月26日

古町 〜〜お酒づくりと水の町〜〜(柏原市)

 よくこのブログで出てくる柏原市。今日は柏原市の中心部からほど近いところにある古町を紹介します。

 この町は柏原駅西口より出て、サンプラザ前の交差点を左に曲がった先にあります。旧奈良街道沿いにできた街村で、結構な規模です。
 ここは元々志紀郡柏原村の枝郷で、新家と称していました。発生年月は不明ですが、元和六年(1620年・将軍秀忠の時代)にはあったそうです。その後、寛永期に坂井町(現在の今町)が発生すると、新家の上に「古」の文字を加え古新家と改称、更に後に古町と改めました。古新家って新しいのか古いのか……。尚、町並みから察すると、農村の本郷と違い、商工業の「町」のようです。
 昔から酒造と染色業が盛んです。染色業はかつては柏原市で全国の25%を占めていたのですが、もはや衰退して数件が残るのみとなっているそうです。昭和の往時はここの了意川(下流では平野川という)や近くを流れる長瀬川が様々な色に染まったとか。
 しかし、柏原市というのは昔は凄かったんですね。ブドウの生産は戦後すぐあたりまでは山梨を抜かして一位だったそうですし、この染色もそうですし、貝ボタンもしかりです。


 古町の町並み。街道沿いは酒屋さんや酒蔵が確かに多いです。やっぱりお酒の水は了意川のものを使うのでしょうか? 柏原駅と国道25号線大和川近くを結ぶ道でもあるからか、車通りはそこそこありましたが、歩行者・自転車は殆どいませんでした。一応古町通りという商店街なのですが……。
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 街道から一筋西へ入った了意川沿いの町並み。フェンスの張られていない水路が染色が盛んだった頃を忍ばせます。本当に水に近しい町です。今では少しずつフェンスが張られていっています。川の再整備の計画が進められているという噂はありますが、この美しい水の町を残してほしいです。
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 駅方面を望む。あまり市の中心部らしくない古い町並みですが、近くに見える再開発ビル・アゼリアがそのことを思い出させます。
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2012年08月15日

かしの木台 〜〜工業地と農業地に挟まれた町〜〜(安堵町)

 小さい市町が集まる奈良県の西和・中和地区。今回はその中でも磯城郡三宅町に次いで小さい生駒郡安堵にあるかしの木台という新興住宅地を紹介します。
 かしの木台は安堵町中央やや南東、西名阪自動車道に近いところにあります。町内に鉄道駅はありませんが、JR法隆寺駅からの奈良交通バス、町内を巡回し大和郡山市の近鉄平端駅に向かう町のコミュニティバスが通っています。
 元々大字岡崎・窪田・東安堵の一部であったのを昭和61年に住居表示を実施し、一つの住宅地として成り立ちました。一〜二丁目からなり、二丁目の方が先に完成しました。


 かしの木台の町並み。一戸建てばかり見えました。住宅地の東は工業地、西は農地、北は高速道路を越えて旧集落と、この安堵町や川西町一帯の縮図のような町です。住宅地内を走る道路は基本二車線あり車を出すのも便利そうですし、学校も近いので子供のいる家族も住みやすそうに感じました。
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2012年08月14日

信貴山東 〜〜信貴山寺門前町の東部〜〜(三郷町)

 今日紹介した近鉄信貴山の廃駅。この記事ではその周囲に広がる町・信貴山東を紹介します。

 信貴山東は生駒郡三郷町の北部、信貴山朝護孫子寺(平群町内)の南東に位置しています。信貴山寺の門前町を形成しており、旅館や料亭が何軒かありました。数は信貴山西の方が多かったように感じます。町の西端には信貴山廃駅舎を利用したバス停があり、信貴山下・王寺駅方面からバスが通じています。
 基本一つの道に沿った列村で、平群町信貴山の町と連なっています。古民家の連なる旧村落の東には小規模な住宅地があります。
 信貴山東は、もと大字勢野の中の小地名(おそらく枝郷)で、住居表示実施とともに独立した町丁字名となりました。勢野地区の中では最西で、勢野本郷より信貴山や南畑と関わりが深いようです。


 信貴山東の町並み。町の中からは信貴山がかなり近くに見えました。南畑と同じく、住居表示実施済み。三郷町は居住地区は全て住居表示を実施しているようです。柏原市の峠移転集落を大きくしたような印象を受けました。
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2012年07月26日

酷道旧170号線商店街 〜〜車の通れない国道〜〜(東大阪市)

 「酷道」という言葉を聞いたことがありますか? 酷道とは「これが本当に国道なの?」と疑ってしまうような酷い国道のことです。極狭の道や荒れている道、海の上を通る道などいろいろありますが、今回紹介するのは車の通れない商店街の中を通る国道170号線旧道です。

 場所は大阪府東大阪市の枚岡地区。発見したのは何となく東高野街道沿いにぶらついていたときです。柏原市内、八尾市内では何の変哲もない、ちょっと狭いかなと思う程度の道でした。しかし、東大阪市内に入ってしばらくして見えてきたものは何とアーケード! 車は迂回せねばなりません。
 私は自転車なので中に入りましたが、中に入って二度びっくり! ものすごい量の歩行者・自転車です。しかもみんなマナーが悪い。自転車は押して通行しましょうとあるのに、平気で自転車に乗っている。非常に速い歩行速度で傍若無人に進む。アーケードの中を瓢箪山駅まで人をよけながら歩くだけでも大変でした。活気はありますが、あまりうらやましいとは思いませんでした。ここよりは、閑静な我が地元の商店街の方が良いです。


 国道旧170号線商店街の町並み。いろんな意味で「酷道ーーひどい道」だと思いました。
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2012年07月12日

南畑 〜〜旅館街の西奥には……?〜〜(三郷町)

 三郷町は立野・勢野・南畑の三つの村が合併してできました。今回はそのうちの南畑の基礎集落を紹介します。

 南畑は三郷町の北西端、すぐ北は平群町信貴山寺、すぐ南は柏原市の本堂集落と他市町の町に囲まれるような形で存在します。集落が多い山である竜田山の最北端の集落です。
 この南畑には明治22年頃、日出座という歌舞伎一座がありました。座長の鶴沢三枝は、南畑歌舞伎と呼ばれて地元民に親しまれていました。日出座は南畑を中心に、法隆寺、田原本、大阪などで公演したそうです。弟子たちによって三枝の石碑が建てられ、それが現在まで残っています。戦後に、一時期青年団が芝居を復活させたこともあったそうです。
 古代には南畑周辺一帯に高安城がありました。これは新羅や唐の侵攻を防ぐ為に天智天皇が建てられた山城ですが、50年足らずで廃城になり、1999年に遺構が発見されるまでははっきりとした場所が不明の城となっていました。南畑の小字地名に大門、古門、谷門、北矢倉、馬場、南矢倉が残っており、それらは高安城にまつわる地名だと推測されています。
 南畑の西部一帯小字北矢倉の山地をソバフリ山と言います。昔、米の相場は大阪の堂島で決めていたそうですが、その値の上り下がりをこの南畑の山からの旗振りで示しました。北矢倉からは大阪奈良が一望できたそうです。「相場振り山」からソバフリ山となったと思われます。
 ちなみに、南畑に対する「北畑」とは平群町の「信貴畑」村だそうです。生駒山地には〜畑とつく地名が多いように感じます。南畑、信貴畑以外にも福貴畑、雁多尾畑、西畑など……。
 なお、住居表示が実施されており、大字南畑から信貴南畑一丁目と信貴山西が分割されています。信貴南畑は一丁目だけがあって二丁目以降がないことに驚きました。また、これより大規模な集落である柏原市の雁多尾畑が住居表示されていないのにこちらがされているということにも驚きを感じました。


 南畑の町並み。結構大きい集落でした。柏原市堅上の雰囲気によく似ています。特に本堂集落とは距離が近いだけあって多い建築様式、村の作り方などで共通点が多く見られます。距離を考えても、同じ三郷町となった勢野・立野よりも堅上や平群の信貴畑との関わりが深かったのではないでしょうか。
 奈良盆地や河内平野などの集落と比べ、大和棟の建築が多く目につきました。ぱっと見ただけで四、五軒はありましたね。本堂集落もそうですが、本当に大和棟の割合が多いです。しかしながら、本堂も南畑も萱葺きのままのこっている家は皆無で、全てがトタン葺きないし瓦葺きに葺き替えられていました。
 町並みは旧村の雰囲気を色濃く残しており、山里ののどかさが感じられるものでした。
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2012年07月06日

小吹台 〜〜山あいの新興住宅街〜〜(千早赤阪村)

 大阪府南河内郡にある千早赤阪村。今日は村内唯一の新興住宅地・小吹台について紹介します。

 旧千早村域の西端、河内長野市の観心寺に近いところにこの住宅地はあります。三日市駅からのバスが通じており、河内長野市などのベッドタウンとなっているようです。赤阪(役場)方面からですと、東阪から府道208号線に沿って進み小吹台の看板のあるところで南に曲がり、西峰集落の側を通って行くのが一番行きやすいと思われます。
 ここは昭和42年より住宅化が始まり、約900戸が造成されました。小学校、役場出張所、消防団分団、保育園など、一通り団地としての機能は揃っています。


 南河内を一周した際、この住宅地にもやってきました。千早赤阪村内にあるということに興味を持って立ち寄りました。街の雰囲気が河内長野の末広町や柏原国分の玉手によく似ています。ここが村とは思えませんでした。山中で他の住宅街とは離れていますが、中々便利そうな印象を受けました。
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posted by みさと at 19:13| 大阪 ☔| Comment(2) | TrackBack(0) | あの街この町 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする