2014年07月26日

集団的自衛権と公明党

 大分前の話ですが。集団的自衛権について、いろいろ思うことがあるので。私は一応、容認派です。政治に関心がある友達にそのことを言うと、ひどくびっくりされました。私がこれまで彼に話していた意見が割とリベラル寄りだったからです。

 もちろん他国を攻撃するようなことはないのが理想ですが、すぐ側でアメリカ船が攻撃されているようなとき、平和主義を名目に救援しないというのは、人の道に悖ると思います。一緒に話していた友人がナイフで刺されそうなとき、「俺暴力は嫌いやから」と言って何もしないというのはどうかな〜といった感じですね。
 人を守り幸せにするための平和主義を守るために、他人を見殺しにし不幸にするというのは本末転倒な気がします。多くの立場の人を幸福に導くためにも、しっかりと細かく歯止めをかけて集団的自衛権を容認するべきだと思います。
 もちろん、この「歯止めをかけて」というのが重要だと思います。安倍政権にとって、歯止めがあればいろいろやりにくいことがあるのかもしれませんが、目先の利益のために拙速に全面容認すると、それはそれで簡単に将来の戦争に繋がりうるでしょう。そこに考えが至らない安倍さんでもないでしょうし、安倍さんを見ていると戦争をしたがっているように見えますね。
 唯一良いかたちで集団的自衛権を認めようとしていたのが、公明党です。他のどの党よりもまともな意見を言っているように思えました。
 しかし、右派からは邪魔者扱いされて非難され、左派からは平和を捨てる裏切り者扱いを受け、新聞やネットなどで、どちらからも総スカンを喰らっています。それがどうも可哀想でならないなぁ、と思う今日この頃です。私はむしろ、この集団的自衛権の件を受けて公明党への評価が格段に上がりました。それまでもし投票権があったら民主党かな、と思っていたのですが、今ならきっと比例は公明党に入れますね。朝日新聞などを見ていると、敵より怖いのは極端な行動をとる味方な気がします。

 さて、そのようなことを口にすると、「あなた、創価学会ですか?」と言われました。びっくりしました。公明党を支持するからと言って、なんで創価学会と決めつけられなあかんのん?と半ば憤りに近い思いに駆られました。
 別に、創価学会が嫌いな訳ではありません(好きか嫌いか言えるほど創価学会を知りません)が、個人的に、学校で学ぶイエス様の教え、また法事のときなどに聞かされる真宗の教えにそれぞれ心を打たれたことがあるので、なんの関係もない宗派の信徒と言われるのが嫌だったのです。
 もし、公明党と創価学会がイコールならば、それは政教分離に反するでしょう。あくまで、支持母体のはずです。実際、学会員でない議員さんがいると聞いたことがあります。
 もう一つ、腹が立ったのは「創価学会=カルト、悪」と決めつけている態度です。近所に創価学会の方がいらっしゃいますが、強引な勧誘を受けたこともありませんし、とてもいい人ばかりです。何故嫌うのかと問えば、ネットのいい加減なウワサばかり。一部の信者がいけない行動をとっているかもしれませんが、それはキリスト教やイスラム教などもそうです。政教分離のこともいわれましたが、ほな自民党の統一教会とか神道政治連盟とかはどうなんねん、て話です。ロクに教えも知らないのに、他人の宗教を侮蔑するのはよくないと思います。

 韓国問題もそうです。私も韓国の政府は好きではありませんが、韓国の人や文化は大好きです。国の対立を個人間に持ち込みたくはありません。
 韓国は反日云々と言いますが、日本の一部の人が韓国を毛嫌いのと同じで、一部の韓国人がそのような行動をしているだけでしょう。教育で反日思想を植え付けていると言いますが、それもどこまで本当なのかな……と思います。多少はあっても誇張されているのでは、という気がします。

 長くなってしまいましたが、この辺で。だらだらと書いてしまって落ちがありませんが……とにかく平和な世界が気てほしいものです。
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2013年12月26日

首相の靖国参拝こそ先人たちへの冒涜

 今日、安倍晋三首相の靖国神社参拝が報じられました。予想通り中国、韓国、そして米国から非難を受けました。

 私としては、首相が靖国神社を参拝すること自体については、問題はないと思います。国に尽くした先人に敬意を払い、参拝することはどちらかと言えば、良いことだと思います(侵略を受けた中国や東南アジア諸国、戦闘で多くの犠牲者を出した米、英、蘭他にとって不快と思われるのも当前です)。間違った正義の下とは言え、国のために身を捧げて下さったことは、同じ日本人尊敬すべきことだと思います。その当時は、それが正しいと教育されていたのですから、彼らを悪人と決めつけるのは抵抗があります。
 しかし、今の首相の態度を見ると、自分の「右翼さ」をアピール、また保守層への浸透を目論んだプロパガンダのようにしか思えません。英霊への感謝どころか、英霊を政治利用する冒涜行為であると思います。それに、自国の事情だけでなく、戦争で多大な被害を与えた周辺各国に対する配慮もしないといけない。
 できるだけ参拝を控え、参拝するとしても、あくまでも個人として、決して喧伝などせずにする。他国に配慮し、可能な限り人目を忍んで。それが筋だと思います。

 靖国には、韓国や台湾出身の日本兵も祀られていると聞きます。韓国や台湾は、侵略した先であると同時に、同じ国家の下であった同胞でもある。日本人としてそれは不思議に思いますが、相手国民は靖国も含め、その辺のことをどう思っているのでしょうか?

 靖国神社は、安倍晋三首相だけではなく多くの保守層と言われる人々にとって、神社を信仰の対象ではなく、イデオロギーの象徴としてしか扱っていないようにしか思えません。靖国神社を廃止せよという論も極端でどうかと思いますが、一見靖国神社を信仰しているかと思われる人々こそが、先人たちを冒涜しているように思えます。

 首相は今からでも遅くない、周辺諸国に改めて太平洋戦争について謝罪し、またプロパガンダでなく靖国神社を本当に信仰する気があるのなら、その上で正しく説明してもらいたいと思います。
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2013年09月30日

大阪は一つじゃない

 堺市長選、竹山修身現職が当選しました。まあ、当たり前だと思います。
 維新の選挙は、柏原市府議補選のときもそうだったのですが、「橋下徹氏VS竹山修身氏/山下亜緯子氏」なんですよね。維新の候補者の印象がなく、橋下氏のネームバリューだけで対決する。柏原の方はそれが辛うじて成功しましたが、堺の市長選ともなると、無理なのは当たり前。
 右翼的や前衛的なショッキングなことを言って勢いにのっていましたが、ちょっと口が軽すぎたのも支持率を落とした原因だと思います。特に外交関係で、耳を疑うようなことを連発していましたからね。

 そもそも、「ワン大阪」と「堺は一つ」なら、後者を選ぶに決まっています。大阪が一つだなんて、ふざけている。大阪府は、堺、高槻、八尾、柏原、富田林、河内長野……数多くの都市が集まったものです。橋下氏の言うように大阪としてまとまれば、吸収された都市はただの郊外となるだけ。市町村合併と同じ弊害です。
 ですが、堺市を分割して複数の区を置くなら、市町村分割の体を示すことになる気がします。大阪都自体、自治体分割なのか統合なのかよくわからないです。維新にはもうちょっと説明していただかないと。外聞だけの得体の知れないものに賛成できる訳が無い。

 いまのとこは、絶対にないと思いますが、柏原を大阪都に組み込むなんて言われれば、断固反対します。柏原は古代より発展してきた地方都市。全く別の都市である大阪と一緒にされるのは気に入らない。
 そもそも維新は大阪府市の自治体と大阪市民のことしか見ていないと思います。都構想から外れた市町村についてあまり触れない。寂れつつある郊外自治体はただのコマとしかみなされない。大阪維新は大阪市内だけにしておいてほしいと思いますね。
 維新は関係ないことですが、普段から、テレビなどの大阪のイメージと言えば大阪市ばっかり。そのせいで他の町に住んでいても、良くも悪くも偏見を持って見られたりする。私は、正直「大阪」というイメージが好きではありません。人情はあっても、ギラギラして、押し付けがましくて(事実としては、維新が大阪の価値観を他の府内市町村に押し付けている!)。イメージはイメージなので、嘘が大変多いのは百も承知ですが、そのイメージがあるだけでそう見なされるのは嫌です。
 明治のまま堺県柏原市なら、それか関わりの深い三郷などと一緒になって奈良県柏原市ならよかったのに。たまにそう思います。手紙を書くときでも、大阪府というのはあまり使いたくないです。もし道州制ができたなら、関西州柏原市(?)となって大阪府という名前を使わなくて良い。それに、旧県境にしばられない自治体交流ができる。道州制だけは、維新に同調しますね。
 念のため触れておきますが、大阪市が嫌いな訳ではありません。嫌なのは与えられたイメージだけ。大阪はほんとに大きくて発展していて、梅田などの景色は大変きれいで好きです。自分の住む小都市が大阪市と同じ名前なんて、変な気分。大阪は東京とかと一緒で、ある意味憧れの都市なのです。

 大阪自体、摂河泉で風土が違いますし、河内の中でも、八尾と柏原と長野はどれも雰囲気が違う。柏原住まいの私には北河内の市々なんて想像もつかない。同じ府だからと言って無理にまとまるのは無理。どれも誇りある一つの町なのですから。私はそんな暴挙に出る維新に大阪府をまかせたくはありません。
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2013年09月05日

選挙について思うこと(歴史観)

 昨日の続きです。今日はアジア太平洋戦争に関する歴史認識についてです。

 日本の植民地支配についてですが、村山談話は見直すべきではありません。人から聞いた話ですと、朝鮮半島や台湾、樺太などでは日本が領地としたおかげでインフラ、教育などが整備されたということだそうです。しかし、いくら発展するとしても、植民地支配(樺太/沖縄などは内地と言っても、異人の地です)されることに不快感を抱かない人は少ないのではないでしょうか。日本人が植民地の人々を虐待したという話も聞きました。
 植民地支配はよかったなんて言う人。「アメリカが支配すると、日本は発展します。支配してあげますから感謝しなさい」と言うのと同じですよ。私なら絶対に嫌ですね。

 河野談話ということで、慰安婦問題について。政府絡みであろうがなかろうが、慰安婦がいたのは事実なのでしょう? 生活苦で志願した人たちばかりでなく、強制連行もあったのは確かだと言います。「慰安婦はいなかった」と言う人もいるそうですが、まだ戦中派が存命している平成の世で言ってもすぐにばれる嘘だと思います。愛国という名で自慰史観を持ち込むのはおかしいことですね。
 どんなに理屈を付けても、戦争は悪に違いありません。日本、ドイツ、イギリス、アメリカ……どこにも正義なんてなかったと思います。必死で自国を擁護する首相などは、少し見苦しいですね。アメリカなどが正義だという人もどうかしていると思いますが。


 そう言えば、台湾は日本に対して好印象を持っていると聞きますが、こんな風刺言葉を耳に挟みました。
「犬が去って豚が来た」
 「えらそうに威張り散らす日本(犬)の支配も鬱陶しかったが、島を食い散らす中国国民党(豚)はもっとひどかった」ということだそうです。実際国民党は二・二八事件という信じられない事件を起こしました。
 好感を持ってくれているとしても、それはあくまで比較に過ぎず、日本の罪が消える訳ではありません。そのことを忘れないように……と言いたいところですが、実際私たちが個人で仲良くしたりするのに国家の歴史は関係ありません。
 在日韓国人の友人も私にはいますが、普段そのことを忘れているくらい普通に仲良くしています。人間関係においては、国家間のややこしい関係なんて気にしないでいいと思います。
 信じられないことに、今でも外国人差別をする人が多いので、最後に付け加えさせてもらいました。


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posted by みさと at 19:11| 奈良 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 地理/歴史/政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年09月04日

選挙について思うこと(国際関係)

 参院選後に何やら書いて、それから放置だった政治関係の記事。柏原市議会選挙が始まってふと思い出し、続きを書くことにしました。
 今回と次回は国際関係について。毎日新聞ボートマッチに沿って書いていきたいです。

 さて、最も重視する二国間関係について。どこも大事だと思うのですが、私は少し思うことがあって日露関係を挙げます。ロシアとの最も大きな問題は北方領土問題。
 これを昨年地歴部で調べたことがあるのですが、日本はサンフランシスコ講和条約にて「千島列島を放棄」しており、今更樺太千島交換条約を持ち出す日本に非があります。尤も、ソ連が歯舞諸島を選挙したのは降伏文書調印後。また、千島に色丹島を含むかの議論もありますが、歯舞色丹は平和条約後、日本に返還すると日ソ共同宣言で決めていたと記憶しています(ふと気になったのですが、返還後歯舞色丹の露国民はどうするのでしょうか?)。
 日本政府は国後島択捉島の南千島は「千島列島」ではないと、詭弁を弄しているのです。国民として、やはり不快感を覚えます。
 しかし、ロシア側は親切なことに、面積二等分案を出してくれています。歯舞色丹だけでなく、国後、そして択捉の一部。これは本当にありがたいと思います。向こうに分があるのに、多くの土地を譲ってくれようとしているのです。日本はこれに同意したら良いのに、と思います。択捉島の中で国境が引かれるのですから、日本にとってロシアは、唯一陸続きの国になるのです。そうなれば共同開発等を通して互いの交流が深まり、より友好的な関係を築けると思います。
 一応念のため言っておきますが、私は別に、日露関係は日本が悪でロシアが正義だとは思っていません。太平洋戦争のとき、日ソ中立条約を破って侵攻してきたのはソヴィエトですからね(このとき、日本が宣戦布告に応じなければ、千島や樺太は本当に「不法占拠」となります。もしそうなら正真正銘日本のものと言えるのですが……)。そしてもう一つ、ソ連はシベリア抑留という許されざる行為もしています。
 お互い非を認め、理解を深めていってほしいと思います。

 続いて普天間問題。国外移設、と言いたいところですが……日本を守ってくれる軍隊はやはり日本に置くのが筋だと思います。とは言っても辺野古にせよ、他の沖縄県内にせよ、県外にせよ、住民の意向を無視しては絶対にいけません。住民投票等を行った上で、誘致を望む市町村に立候補してもらい、米軍に相談してもらうというのが私の理想です。希望する市町村がなかったら、米軍の希望を聞くしかないでしょうかね。投票が理想ですが……。ちなみにボートマッチでは、無回答に入れました。
 アメリカさえよかったら基地廃止でも良いんじゃないかという気がします。 国外移設は言われても廃止案は聞きませんね。不思議なことに。
 そう言えば、辺野古って誰が言い始めたのでしょう? またどうして辺野古でないといけないのでしょう? 米軍の意見は? あまり報道されないですよね。その辺りのこと。賛成派も反対派も、よくわからない。

 核兵器保有は、絶対駄目。保有すべきと言う人が信じられない。実際、広島長崎の昔の写真を見たらそんなこと言えないと思います。戦争が必要悪というのは、まあ百歩、いや万歩譲って認めるとしても、核兵器は絶対悪です。検討すべきではありません。

 続きます。

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2013年08月08日

源氏最終回〜〜義仲/行綱/山本義経〜〜

 今回で最終回です。中学校でも赤字で習った、ご存知木曾義仲の他、行綱、そしてもうひとり、九郎義経と同姓同名の源(山本)義経です。義経生存説に、ひょっとしたらこの人も関わっているかも……。歴史って面白いですね。

3−3 木曽義仲
子に義高らがいます。義朝の弟・帯刀先生義賢(たてわきせんじょうよしかた)と遊女の息子で、父が悪源太義平と土地問題を起こし、争って殺された後木曽に逃れその地方の豪族・中原兼遠に預けられました。以仁王の挙兵を聞いて自らも挙兵し、倶利伽羅峠などで平家の大群を破り、そして源氏で一番早く上京しました。しかし京都で横暴をはたらいた為に頼朝らに追われ、粟津で殺されました。

3−4 多田蔵人行綱(ただのくろうどゆきつな)
源頼政と同流の摂津源氏で、平家、木曽義仲、源頼朝と主君を変えてきた時勢に明るい武将でした。義経に鵯越のルートを教えたのもこの人物です。

3−5 山本義経
頼政に呼応して乱を起こした近江源氏で、九郎義経とは別人です。一揆を起こした直後に平知盛に鎮圧されました。その後、木曽義仲の陣に入ったと言われています。
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2013年08月05日

源氏第五回〜〜頼政/仲綱〜〜

 こんばんは、今回は源平の乱の初頭に出てくる、頼政父子の紹介です。以仁王の乱は、皆さんご存知だと思います。もう少し、その背景を。

第三章 その他
3−1 源三位頼政(げんさんみよりまさ)
子に仲綱、兼綱、広綱らがいます。義経らと違い、酒呑童子(しゅてんどうじ)や土蜘蛛退治で有名な源頼光の子孫で近畿の源氏を支配していました。彼自身も御所に出た怪物・鵺(ぬえ)を退治したと伝えられています。また武勇だけでなく和歌も上手で、有名な歌を数多く残しました。平治の乱では平家に加担し、乱後、都に残る唯一の源氏でした。行家や息子の仲綱に勧められ、以仁王と共に兵を挙げました(以仁王の乱)。しかし彼らが乱を起こした直後は他の反平家勢力は未だ決起しておらず、孤軍奮闘、宇治川付近で平知盛に敗れ、平等院にて自害しました。

3−2 源仲綱
源頼政の長男で、生一本な性格と言われています。平宗盛が彼の駿馬・木下を欲してきたときも、断固として断ったそうです。しかし宗盛は借りると称して木下を奪い、さらにその名を仲綱と変えました。それに腹を立てた源仲綱は父に平家に旗を翻すよう促したといわれています。彼自身も以仁王の乱に参戦し、敗れて平等院で自害しました。
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2013年08月03日

源氏第四回〜〜義朝/行家/義広〜〜

 今回は義朝兄弟についてです。兄弟がたくさんいたようですが、二冊の小説にはこれだけしか出てきませんでした。

第二章 源義朝とその兄弟
2−1 源義朝
頼朝らの父で、保元の乱では平清盛、源頼政らとともに天皇につき、上皇方の父・為義や弟・為朝らと戦いました。保元の乱には勝利しましたが、勝利の恩賞に不満を持ち、平治の乱を起こしました。しかし、それには敗れ、落ち延びた先でもとの家人に打たれて果てました。38歳の若さであったと語り継がれています。好色で、何人もの腹違いの子がいたそうです。子には、悪源太義平、頼朝、義経らがいます。

  コラム 平治の乱
  保元の乱で勝利した源義朝は、昇進先の位が左馬ノ守と平清盛より低い位でした。そのことに腹を立てた義朝が起こした乱です。

2−2 新宮十郎源行家
初めは義盛と名乗っていました。子に光家らがいます。源為義の十男で、為義が保元の乱に敗れたときに処罰され、新宮に流され、彼の異母姉・烏井ノ禅尼(ういのぜんに)を代表とするウイススキ党と言う土豪とともに暮らしていました。しかし鹿ヶ谷事件を耳にし、源氏の再興を志して源三位頼政を唆しました。その後も以仁王や頼朝、甲斐源氏・武田信義を発起させました。伝令を一通り終えると頼朝の下にしばらくいましたが、情の薄い彼に失望し、木曽義仲のもとへ走りました。義仲が都を占領した後今度は彼を落とそうと策動し、義仲が敗走した後は義経の下に逃げました。

2−3 志田義広
義朝の庶弟です。木曽義仲の陣に参加し、平家や頼朝と戦いました。義仲が敗れた後も抵抗をしますが、敗北し、斬首されました。
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2013年08月02日

源氏第三回〜〜範頼/希義/義円/全成〜〜

 第三回も頼朝の兄弟たちです。範頼以外はマイナーかと思いきや、後半二人は「乙若」「今若」の名前の方がよく知られているのではないでしょうか。希義は調べたときはじめて知りましたが、中々気になる人物です。

1−5 蒲ノ冠者範頼(かばのかじゃのりより)
義朝と遠州池田の遊女の子で、義朝にとって六男に当たります。木曽義仲や平氏の追討の総大将を務めました。義経が海上を進む中、彼は陸路を通って平氏を攻めました。尾張の合戦の時、大将でありながら、諸将とともに先陣争いをし、頼朝に怒られたこともありました。

1−6 源希義(まれよし)
頼朝の同母弟で、平治の乱後土佐(高知県)に流されました。頼政・頼朝の反乱を聞き、彼も土佐で乱を起こしましたが近在の平家方に撃破され、自害しました。

1−7 義円
義朝の第七子で、義経の同母兄です。幼名を乙若と言い、僧に成ったばかりの頃の名を郷(きょう)ノ(の)公(きみ)円成と言います。平治の乱後寺に預けられて八条院法親王の坊官となりました。頼朝の挙兵を聞いて寺を飛び出し、彼の陣に参加し、そして墨俣川(すのまたがわ)で平家と対峙する叔父・行家の救援に向かいました。しかし義円は功を焦ったのでしょうか、殆ど単騎に近い状態で敵に奇襲をかけ、反撃にあって戦死しました。

1−8 悪禅師全成
義経の同母兄で、幼名を今若と言います。平治の乱後、寺に預けられて出家しました。以仁王の挙兵を聞き、鎌倉の陣に参加しました。ある程度長生きし、幕政にも参加したそうです。
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2013年08月01日

源氏第二回〜〜義平/義経/朝長〜〜

 前回の続きです。今回は頼朝の有名な二人の兄弟である義経・義平ともうひとり、あまり知られていない朝長を紹介します。

1−2 源九郎義経
源義朝と九条院呈子(ていし)の雑仕女常盤の子で、幼名を牛若丸といいます。父が平治の乱に敗れたので、藤原長成の家、次いで鞍馬寺に預けられました。稚児名は遮那王です。そして、鞍馬寺にいる間に、鎌田正近から自分が源義朝の子であるということを知らされました。その後、鞍馬寺を脱走し、奥州の藤原秀衡の下へ行きました。以仁王の挙兵の後、彼は頼朝の下に走り、壇ノ浦で平家を滅ぼすなどの活躍を見せました。しかしその後頼朝に戦の才能を恐れられ、誅殺されそうになり、奥州の平泉に逃げた所で秀衡の子、藤原泰衡に討たれました。

  コラム 義経北行説
  義経は平泉で死なず、北へ生き延びたという説があります。その説によると中国大陸に渡ってチンギス・ハーンになったそうです・

1−3 悪源太義平
源義朝と橋本宿の遊女の子です。義朝にとって長男ですが、母が卑賤な身分の為、嫡男になれませんでした。武勇をもって知られ、悪源太と呼ばれていました。平治の乱に敗れ、落ち延びているところを逢坂山で捕らえられ、六条河原で処刑されました。

1−4 源朝長
源義朝と修理(しゅり)大夫(だいぶ)範兼の娘の子です。義朝にとっては次男に当たります。平治の乱に破れて東へ落ちようとするところ、竜華越えで叡山の僧兵に腿を射られて動けなくなり、自害もできず、父に殺してくれることを乞い、そのとおりになりました。この話は能楽の番組(世阿弥作)にもなっています。
posted by みさと at 15:34| 奈良 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 地理/歴史/政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする