2017年09月18日

生駒の神々 現代都市の民俗宗教

生駒の神々 現代都市の民俗宗教

 宗教社会学の会編の本です。大阪と奈良の境に位置する生駒山地は、宝山寺、石切神社、信貴山寺などの大きい寺社とともに修験系、朝鮮系などを含めた中小の寺社がたくさんあります。所謂檀家や氏子をもつとは限らず、ある機能に特化したご利益(石切さんが「でんぼの神さん」であるように)を持ち、都市民衆が現世利益を祈願する寺社が多いという特徴があります。また既成の宗派の枠に収まらず、独特な民俗宗教的特色を持っているというのも注目すべきところ。
 大阪という大都市が近くも急峻な斜面、豊富な滝場を持つ生駒は聖と俗の境界性を持つ場所であり、民俗信仰の集積地となっています。宗教というものは合理性を重んじる近代都市と対立するもののように思われますが、生駒の神々は近代都市の存在ゆえに今も存続し続けているもののようにも思えます。それは都市が合理性ゆえに人間を疎外していることへのアンチテーゼというのも一つですが、いくら都市が合理性を旨としていても人間という不確実性に富んだものが集積する以上、都市もきわめて偶然性の強い生物的存在であるということも一つだと思います。その偶然は近代的な介入ではいかんともできないことも多く、神頼みという行為がいまだに力を持っているのでしょう。
 私の実家からはきわめて近いところに位置していますが、石切さんも生駒の聖天さんも意外と行ったことがない場所(幼いころに、というのはあるかもしれませんが…)。石切の辻占いや生駒新地の話はかねてから聞いており、この本で知ったことも踏まえて近く訪問してみたいな、と思っています。
 信貴山の大宇宙教断食道場は、ふらふらしているときにたまたま見つけて「なんやこれ」と思った記憶があります。そのあたりのこともいろいろ知れて面白かったです。
 かなりディープな生駒の信仰。これまで、柏原市、三郷町、平群町の領域にとどまってそれ以外の生駒山地について全然知らなかったことに気づかされました。生駒、東大阪、八尾ももっと深く探求してみたいと思います。

評価:B
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2017年08月23日

文化人類学入門

 祖父江孝雄さんの本です。人類学は以前から興味があったのですが、なんだかんだで結局一冊本を読み、授業を一つ受けだだけにとどまっていました。人文地理学、建築史と並んで私の所属する学系(文化環境学系)の専門で、私の興味のある分野と隣接した学問なのでしっかり学んでみたいな、と思って入門書を読んだ次第であります。
 内容自体は平易で、一般的な教科書類と比べると圧倒的に読みやすいです。ただ、書かれたのが昭和54年であり、かなり古い本であります。平成2年に増補改訂版が出されたようでありますが、こちらでも早27年前。とはいえ基礎の基礎を身に着けることはできたと思いますし、これからもっとたくさん文化人類学の関連書籍を読んでいきたいな、と思いました。祖父江さんは県民性の研究で有名ですし、そのあたりの本も読んでみたいです。

評価:B
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外道クライマー

 宮城公博さんの本です。私がワンダーフォーゲル部で行っている「沢登り」という行為。それを極限まで追求している宮城さんの体験談が書かれています。那智の滝登攀(失敗)、タイでの50日近いジャングル探検(連続遡下行)、台湾・チャーカンシー初遡行、称名滝冬季初登攀……。軽妙な文体で色々な意味ですごい記録が盛りだくさんです。
 宮城さんはワンゲルの先輩たちと考え方がどこか似ているなー、と思いましたが、ワンゲルの先輩たちがこれを読んで大いに影響をうけているのかもしれません。私自身は、宮城さんをすごいな、とは思いますが到底こうした思考になることはできないな、と感じました。

 解説で「山登りは反社会的な行為」だということが書かれているのですが、それを読んで色々と考えさせられました。命を危険にさらして、藪を漕ぎ、岩や滝を上り、泥つきにしがみつく。そこにはほとんど生産性なんてない。大人には「なんでそんな危ないことを」と後ろ指を指される。多くの山ヤ、沢ヤはそれを気にしないのかもしれませんが、私は、そう言われると胸が苦しくなります。社会の矩に従うこと、社会のためになることを旨として(青臭い上に、そうできているかは甚だ怪しいことですが)生きてきた私には、そうした非難に抗弁する術を持ちません。そういわれるたびに、それどころか、下界で日常生活を送り、さまざまな人と触れ合っているだけで常に「沢をやめようか」という思いが心に芽生えてきます。
 一方で、社会的通念へ反発する人への憧れが心のどこかにあるのも確かで、沢登を純粋に楽しいと思ったり、そこでさまざまなこと(生の実感や新たな自然観など)を得たりしていることも事実。実際に沢に行くと、沢を続けたいという気になります。
 こうした葛藤は沢をやる限り永遠に続くのだろうな、と思います。冒険家への憧憬はありますが、自分は冒険家にはなれない。

評価:A
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2017年08月18日

グローバリゼーション・パラドクス

 ダニ・ロドリックさん著、大川良文さんと柴山桂太さん訳の本です。国民国家と民主主義とハイパーグローバリゼーションは鼎立しないという「国際経済のトリレンマ」を骨子に盲目的なグローバリゼーションを批判しています。
 詳述はしませんが、わかりやすいようにこれまでの例を挙げてみると
国民国家+民主主義:ブレトンウッズ体制
民主主義+ハイパーグローバリゼーション:ユーロ体制 (世界政府)
国民国家+ハイパーグローバリゼーション:金本位制
であります。ロドリックさんは、歴史・経済・政治の観点からグローバリゼーションを適度に抑える一つ目の選択肢を提唱しています。
 実はこの本は授業の教科書として読んだもので、その授業を担当したはったのが訳者の大川さん(非常勤講師としてですが)。また別のコマでは柴山さんの授業も受けていました(柴山さんは私の学部の先生!) ということで親しみのある人たちの訳したもので、興味深く読むことができました。
 とはいえ、全くの畑違いの分野で、読んでも「なるほど」とか「確かにそうか」くらいで、自分なりの考察は中々出来ません。そもそも根本となるところは理解できますが、細部の理論まで理解できたかというとかなり怪しいところ。
 しかし、私は普段グローバリゼーションを考える時に文化の面やナショナリズムとの関係の面ばかり考えがちでありましたが、貿易・金融面についても考えることができたというのはかなり勉強になったところだと思います。

 知識がなく、他にしっかりした経済書を読んだことがないがゆえに、グローバル経済について語ろうとすると、ロドリックさんや大川さん、柴山さんのおっしゃることの受け売りばかりになってしまっている気がします。もう少しちゃんと語れるようにしたいなぁ。

評価:B
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都市をたたむ

 饗庭伸さんの本です。人口が減少していくこれからの都市をどうデザインしていくかを考察しています。この本で根幹となる考え方は縮小都市の「スポンジ化」であります。都市が拡大する時、都市核から農地を虫食いにするように外へ拡大していくことが多く見られます(スプロールと言います)が、一方で都市が縮小する時。都市は外側から縮んでいくのではなく、中心部も縁辺部も含めて、モザイク状に空洞(空き地、空家)ができていくスポンジ化現象が見られます。ここに置いて、そうした空洞をイベントスペースや緑地など多様化するニーズに答える多様な使い方をすることが重要だというのが筆者の述べるところ。
 筆者は街を豊かな生活を送るための「道具」であることを徹底して考えているため、歴史・伝統や街の文化は軽く見る傾向があります。そういったところには同意しかねますが、スポンジ化する街をただ住宅で埋めるのではなく、多様に埋めていくべきという考えにはかなり共感を覚えます。(ニーズがどれくらいどのように多様化しているのかは議論する必要はありますが。)これの前に読んだ勝原文夫氏の『農の美学』において風景の観点から生産緑地の重要性が述べられていましたが、スポンジ化する街を再農地化していくことも一つの良い施策として考えられると思います。
 大都市郊外にある衛生都市の中心部では、商業施設が閉店したり町屋群を取り壊してできたスポンジの穴を分譲マンションで埋めることが見られますが、これは中心性喪失を助け、都市がただの住宅地になることを推し進めます。しばしばこういったところでは人口が減少しています。このような街での分譲マンションは将来のゴーストタウンの種を蒔くことにもなります。現時点でのニーズもそうですが、スポンジの穴を埋めるのに街の将来を考えて埋めることも必要だと思います。この辺りのことも暇があれば詳しく考察してみようかな(といいつついつも放置していますが(^_^;)。)
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2017年08月03日

街を変える小さな店

 恵文社一乗寺店店長・堀部篤史さんの本です。京都市左京区内にある様々な個人店を紹介しています。
 左京区は現在私が生活の拠点としているまちなのですが、紹介されているお店の中で行ったことがあるのは恵文社と出町ふたばだけ。(恵文社は下宿のすぐ近所ということで通っていたり、出町ふたばは友達がバイトをしていたりしますが…)
 ほとんど喫茶店で気分転換したり、飲みに行ったりすることもなく、学校と下宿、あと数少ないお店(ほとんど定食屋)のルーティンで生活しております。下宿を初めて一年弱が立ちますが、左京区という町にまだなじみ切っていないような気も。
 町と深く結びついた、紹介されているような店々を訪ねてみたいな、という気持ちになりました。(そこを目的地として消費しにくというのはこの本の趣旨からは外れているような気もしますが^^;)

評価:B
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2017年08月01日

日本風景論序説 農の美学

 勝原文夫さんの風景論です。風景論シリーズその3。人々は幼少期に過ごした自己形成空間から「個人的原風景」、また国民的風土・歴史的伝統によって形成される「国民的原風景」からなる「原風景」を基準にして風景を審美しているというのが本旨であります。「国民的原風景」というのは、「ふるさと」とか「春の小川」に歌われる、山河麗しい農村風景と考えられます。都市の住民であっても、農村の景色を見て懐かしい、と感じるのは国民的原風景があるからということです。
 中でも興味深かったのが、都市にある農地――生産緑地のお話。生産緑地は農村風景の一端を示すものであり、人々はそれを通じて農村風景への欲求を満たしているということ。なんとなく都市にある田園は好きでしたが、この本を見てその理由が解き明かされたようでおお、となりました。どんどんと宅地化の進む生産緑地をみると、少しやるせなく感じます。

この本を読んで、人々の「原風景の揺らぎ」についていろいろと思うところがあったのですが、授業のレポートにしてしまったので、書くのはやめておきます。レポートにした内容をブログに書くの、別に悪い訳ではないと思います(逆はアウトでしょうけれど)が、念のため。また気が向いたら書くかもしれません。
たぶん、風景論シリーズまだまだ続きます。笑。

評価:A
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2017年07月03日

〈景観〉を再考する

松原隆一郎さん、荒山正彦さん、佐藤健二さん、若林幹夫さん、安彦一恵さんによる講義録です。それぞれ順に「経済発展と荒廃する景観」、「近代日本における風景論の系譜」、「近代日本の風景意識」、「都市の景観/郊外の景観」、「『良い景観』とは何か」という題目です。
倫理学や経済学、社会学、地理学などそれぞれの論者がそれぞれの立場から景観・風景について書かれています。
この中で一番心に残ったのが若林さんの議論です。近代、土地の商品化による都市化や郊外化を機に、空間は本来的に意味や価値を持たない均質空間だと考えられるようになりました。このため、元来あった土地が人々にアイデンティティや共同性を与えることもなくなり、同じような住宅が広がったり、土地に根差さぬ自由なデザインの建物が建てられるようになったのです。

ここから、若林さんの議論をもう少し詳しく書くと同時に自分の意見も加えていきたいと思います。
空間が均質空間とみなされるようになったということは、土地が市場という単一のシステムの上に乗せられるようになっていることに象徴されます。ニュータウンの開発の際、山を切り崩し、谷を埋めて均質な土地に改造していることにもそれは表れていますし、なによりも、日本全国、場合によっては世界の、都心や郊外住宅地、ロードサイドにおいて、同じような建物が同じように延々と並んでいるという眺めを考えるのがわかりやすいでしょう。時に独創的な建物が建設されたりすることもありますが、それは多くの場合、その土地の風土と遊離したものであり、意味の持たない均質な土地であるからこそ、白いキャンバスのように何でも描けるのです。
 これは私たちが郷土によっていたアイデンティティ(同郷人意識もそうですし、過去の自分と故郷を離れた現在の自分との同一性もそうです)が存在しえなくなるということにつながります。また地域共同体の不成立が郷土へのアイデンティティを揺るがしたということはよく言われていますが、それが風景の崩壊、空間の均質化をもたらし、アイデンティティに二重の影響を与えた面もあります。
 風景の崩壊――景観の均質化がアイデンティティの脱場所化をもたらし、ひいては現在のナショナリズムの高揚につながっているのではないか、とふと思いました。(ナショナリズムにおける「日本」は場所ではなく概念である、とだけ言い捨てしておいて、また気が向けばこのあたりのことも改めて深く掘り下げて書いてみたいと思います。)

評価:B
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2017年06月30日

風景学 風景と景観をめぐる歴史と現在

 中川理さんの本で、風景・景観についての認識・論考の歴史を概観した一冊であります。最近大学の授業で、風景や景観に関する話題がたくさん出るので、レポートを書くためというのもありますが、興味が出てきて風景についての本をよく読んでいます。これはその第一弾。
 風景という言葉自体なかなか定義しづらいものではありますが、人間によって何らかの共有されうる意味が見出される眺めといった風景に考えることができます。ここでの「意味」とは、嶮山に対する「ピクチュアレスク」のような純粋美観であったり、眺めに現れる人々の生活であったり、都市や集落の長く重なった歴史であったり…。(この例には中川さんの定義とは少し異なるものもありますが)。
 「風景」というものは地理学、建築学、造園学、美学、倫理学など、極めてさまざまな学問が絡んでいます。さまざまなアプローチからさまざまに考えられるものでありますが、同時にいずれの素養も得ておかないと深い理解につなげるのが難しいような気もします。そうした意味で、多様な学問の考えを取り入れながら概説したこの本は、「風景学」の入門にぴったりだと思います。

評価:A
posted by みさと at 18:03| 奈良 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書(小説以外) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月08日

スクールカースト

 鈴木翔さんの本です。スクールカーストとは、主に中高に存在する、クラスに存在するカーストのような格付けのこと。中学生以上の多くの人が経験したことがあるのではないでしょうか。明るい運動部がクラスを牛耳り、静かな文化部が沈黙するというのが典型的な構図であります。
 生徒は権力の階級として、先生は能力(コミュ力、生きる力)の階級として把握している二重構造があり、両者はそれを容認して、あるいは利用しながら学級を作っていくという指摘は面白かったです。生徒の観点は私も中高時代感じていたこととそう変わりませんが、先生の視点が紹介されていたのが興味深かく感じました。
 「いじめ」の研究は多くされていますが、「いじめ」まで行かずとも上下多くの人に息苦しさを与えているスクールカーストの研究は意外にもまだ緒についたばかりだそうです。
 何が原因でこのような構図が生じるのかは、まだ明確にはされていませんが、そのシステムが次第に解決していってほしいと思います。

評価:B
posted by みさと at 11:33| 奈良 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書(小説以外) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする