2019年08月19日

風景学(中川理)

 二回生の頃に読んで、風景について興味を持つきっかけともなった本であります。中川さんは京都工芸繊維大の建築史・都市史の先生です。風景や景観について蓄積された議論の整理を試みた本で、院試勉強にも役にたつかな、と思って再読しました。当時よりも大分知識が増えたこともあり、この本自体の理解も進みましたし、風景論についての頭の整理にもなりました。中川さんの整理においては、近代の主客二元論に関する認識の変化が風景論の根底にあります。恥ずかしながらあまり哲学や思想に関して詳しくないのですが、これを機会に、(院試が終わったら)哲学の勉強も重ねたら楽しいだろうな、と感じます。

 院試勉強のため、頭に入れたい知識を詰め込んだため長くなってしまいましたが、ダイジェストにしてみました↓

 本書の議論に基づくと、「風景」というものは、デカルトのように主体たる人間と客体客体たる自然を分離して考えるようになった近代西欧において生み出されたものであります。自然は合理的秩序に支配され、客観的に理解することができるものだという思潮が「風景」の発見の根底にあります。「風景」という言葉には、審美的なニュアンスが含まれますが、人を取り巻く自然、環境、そう言ったものを美をもって客観的に認識するようになるのです。17世紀、クロード・ロランらによって、神話的主題の背景ではなく、風景そのものを主題として描く風景画が誕生したのもこの動きに連動したものであります。西欧の場合、「サブライム」や「ピクチュアレスク」という美意識の普及がこれを支えます。
 風景の発見の例として、しばしば山岳が取り上げられます。古くは山岳は人々にとって関心がなく、ただ利用するもの、あるいは利用すらできない忌むべき地として認識していましたが、近代になるとポール・セザンヌの絵に描かれたり、京都の東山が風致地区に指定され、美を持って認識されるようになりました。

 中川氏は、「風景」とは、見慣れた眺めが未知のものとして見え始めた時に生ずる個人的な美の体験が共同化され、美としての評価が広く共有・定着したものと定義しております。この共同化はかつては地縁共同体で行われていたものでありますが、国民国家形成にともない、ナショナル・アイデンティティを発揚する際に利用されるようにもなります。志賀重昂の「日本風景論」がその最たるもので、 日本の山岳風景を地理学の観点から讃えることで、日清戦争前後の国威発揚に一役を買います。
 国土の眺めに価値を共有化する動きには18世紀末から19世紀にかけて欧州各地で展開されたロマン主義の思潮が関わっているとも述べております。ロマン主義は当時の啓蒙主義・産業革命の反動として失われつつある自然に価値を見出そうとしました。ドイツではルドルフという音楽家が失われつつある自然を守ろうと郷土保護運動を立ち上げます。しかし、こうした自然保護はあくまで風景という視覚的現象を守ろうとしたものにすぎず、環境倫理に基づくそれは19世紀後半各国で始まる国立公園制度を待たねばなりません。

 人々の住空間を風景としてみる際、しばしば歴史が審美基準として取り上げられます。しかし、この時取り上げられる歴史は、しばしば讃えるべきところだけを取り上げた偏ったものとなり、人々の生活の中で生成される歴史は等閑視されます。この自体に対して疑義を掲げたのが、ジェーン・ジェイコブズであり、ドロレス・ハイデンであります。

 風景の誕生が近代の主客二元論に基づくものであったということは前述の通りですが、これは同時に環境を人が支配すべき対象であるという認識も生み出します。客観的な正確さを持って環境を捉えるために、近代では視覚が他の感覚を凌駕して行きます。透視図的、遠近法に基づく絵画表現がその芸術史上での現れであります。
 遠近法的な眼差しは近代の人間の対象を知り、支配したいという欲望にも結びついて行きます。「風景」という「精神の世界」と並行して支配的・操作的な「物質の世界」が生み出されていくのです。建築の世界でのこの現象がル・コルビュジェをはじめとするモダニズムであります。モダニズムは世界の合理化という普遍原理のもと、汎世界的な、均質な、自由な空間が形作られて行きます。

 こうしたモダニズムは眺めから「意味」を奪っていったとされます。しかし一方で、「意味」を回復しようという試みもモダニズム勃興期より見出され、19世紀末のアメリカ「都市美運動」の中にも見られます。その中でもオルムステッドはいち早く都市における自然美の重要さを主張し、衛生状態の悪化が懸念されていたニューヨークにセントラル・パークを設計します。彼はランドスケープアーキテクチャの父とされています。
 セントラルパークでは、イギリス風景式庭園の「ピクチュアレスク」の美意識が参照されましたが、19世紀に歴史主義建築が流行したのも、都市に「意味」を与えようとする試みの一つであると考えられます。
 また、コルビュジェの「300万人のための現代都市」には樹木が多く描かれるように、モダニズムの建築家たちも「意味」の回復を試みている様子が見られます。彼らは建築単体のみならず、都市の設計にも手を出しています。「ブラジリア」や丹下健三の「東京計画・1960」がその例でありますが、こうした作品群では都市の構造に中心性や軸性が与えられ、「意味」の実現を試みています。しかし、こうした試みは都市をあまりに固定的なものとして捉えていると批判され、若手建築家集団「チームX」によって批判がなされ、日本においては1960年代にメタボリズム運動が生じます。建築家個人の表現行為では、建築家個人のものにすぎず、社会的に共同される「意味」を作ることにはなかなか至らないのです。

 近代社会の進展とともに、地域文化は広く均質化していくようになり、価値を共同化するための基盤となっていた地域共同体の無力化をも招きます。そこで、共同体に依存しない、汎世界的な、普遍的で客観的な価値が求められるようになります。それが、「景観」であります。もともと「景観」という語は植物学者の三好学がドイツ語の「Landschaft」に与えた訳語で、地表の空間的まとまりを表現する場合にも用いられる広い概念を示す言葉でありました。それが、戦後、特に1980年代以降、眺めを都市計画的課題としてコントロールするものとして扱うようになって「景観」という言葉が多く用いられるようになりました。
 「景観」は快適性をもって客観的に評価されますが、その著名な例としては1960年ケヴィン・リンチによる「イメージマップ」の手法が挙げられます。リンチは都市のイメージを形成する物理的要素としてパス(移動路)、エッジ(境界)、ディストリクト(地区)、ノード(結節点)、ランドマーク(目標)が定義され、それらの配置や関係のあり方によりイメージマップを作成し、それによって都市を評価しようとしたのであります。
 また同時期より土木工学から「景観工学」が捉えられ、近代主義で排除されてしまう眺めの価値を、科学的に価値づけることが試みられ、土木建設や都市計画などに応用されていきました。1970年代以降各地で発展する「景観政策」にも取り入れられて行きます。
 しかし、このような主観性を排除した評価は眺めの持つ歴史性などの文化的価値をすくい取れないのではないかという批判も相次いでいます。例えば、歴史的建造物を建て替える際、外観だけ旧来のまま、中身は現代的な工法を使った時、この建造物のオーセンティシティは失われているのではないか、という批判であります。


 近代都市計画によって眺めから失われた「意味」の回復について、人々の生活に注目しようという考え方があります。古くは柳田国男の民俗学やドイツ・ザーリッシュの森林美学に見られますが、1960年ジェイン・ジェイコブズの、都市における人々の生活から生成される多様性・混沌性・複雑性の主張にもこれは強く現れております。
 近代都市計画を乗り越えようとする観点から、生活の眺めを「美」として位置づけるのではなく、計画に活かせるよう客観的に価値づける試みがなされたのが、1960年代以降行われる「デザイン・サーベイ」であります。デザイン・サーベイとは、ある地域に着目し、その物理的構成要素を実測・図面化し、インタビュー調査などで補完することで、フィジカルな個性要素を生活・慣習・歴史と行った文化的な要素で分析しようとするものであります。またデザイン・サーベイは屋台や木賃アパート、スラムなど従来評価されてこなかった空間をも調査し、快適性だけで評価される「景観」ではない、人々の生活、生産、地域の共同性の中から現れる「生活景」という眺めの価値づけの創造につながりました。この流れは、建築史学の中で様式史的な分析ではなく、群として建築をとらえ、都市の生成に関心を向ける「都市史」の誕生とも連動しています。

 近代社会が奪っていったのは眺めの「意味」だけではありません。その土地や風土を他とは区別して成り立たせる意味の総体である「場所」をも奪ってゆきました。エドワード・レルフは近代社会によって「場所」が喪失した状態を「没場所性」という概念で示しています。レルフは「場所性」に注目することで風景や生活景の再生の可能性を指摘していますが、具体的な提案には至っていません。一般市民の生活の歴史に計画の根拠を見出そうとしたドロレス・ハイデンの提案は、この「場所」に注目したものであり、かつ実践的な方法論を説いたものであると評価をすることができるでしょう。
 レルフは没場所性の舞台として郊外をあげています。郊外に居住する人は都市との関連だけで、どこでも良い所として住み着き、それまでの農村としての歴史を無意味化してしまいます。郊外住宅地においては、イギリスのガーデン・サバーブに見られるよう、ピクチュアレスクな造詣を持って、眺めに「意味」を人工的に与えることが試みられていました。そこに建造された住宅も、様々な歴史様式を持って建てられましたが、規模的な制約もあってそれらは本格的なものにならず、「〜風」の、「まがいもの」の意匠にすぎませんでした。アメリカにおいては、退役軍人を顧客に建造されたレヴィットタウンでは、画期的な量産システムで戸建て住宅が大量に作られ、同じ規模の同じ住宅が並ぶ眺めが現れます。
 こうした近代主義的な画一化した眺めの中で、「意味」を取り戻そうと「個性」を主張する住宅が現れてきます。日本において現れた「ショートケーキハウス」は過剰にまでデザインがなされており、眺めを無国籍化して行きました。この事態の本質には、生活の均質化の反動と地域社会の崩壊があると考えられます。国家の一元的管理と「個」の家庭の間にあったはずの、価値を共同化する上で必要な地域社会がなくなっているのです。

 眺めの「意味」を人為的に作り出そうとする営みは、架空の「場所」を作り出そうとする営みにも及びます。ウォルトディズニー社の開発したセレブレーションの住宅地がその例で、そこではあらかじめ伝統的なデザインがなされた人工の風景が準備されています。さらに、ディズニーランドのように、ショッピングモールや遊園地にも、テーマ性を持った、人工の「風景」が広がっています。
 しかし、こうしたところでは実態としての人の営み、「風土」は存在しえません。ボードリヤールは、実存する指示対象を欠いた表象やイメージを「シミュラークル」という言葉で表しています。このようなテーマパーク的な場所は、「場所」を欠いた、シミュラークルな「風景」にすぎないのです。
 ここにおいて、風景の公共性の問題が生じます。シミュラークルな風景は、その意味を共有する者にしか意味をなしません。風景は見るものを限定できないという特質上、眺めを共有する地域社会の、生活空間から生成されることを必要とするのであります。「ディズニーランダゼーション」された公共施設では施設としての実態とデザインが関係を結べないのであります。

 繰り返し述べてきたように、近代社会はあらゆる対象を主客二元論において捉えようとしてきました。現象学はそのアンチテーゼとして現れ、人間は知覚対象をそのまま客体として理解しているのではなく、そこに現れる意味や価値として理解していることがフッサールによって指摘されています。続くメルロ・ポンティは、視覚は主体の一方的な働きではなく、見られる者からの働きかけでもあることと主張しています。
 このような思弁的な分野のみならず科学的なアプローチで二元論を乗り越える試みも生じてきます。知覚心理学のギブソンは、本来的に意味を持たない物質を捉えて人間が意味や価値を付与するという従来の考え方を批判し、「アフォーダンス」の理論において、環境の側、客体の側に価値が備わっていると主張しました。この考え方は、人間と環境は分離した存在では、一体としての生態として捉えられるという考え方に繋がります。
 二元論の乗り越えを都市計画の計画論で理論化を試みたのがクリストファー・アレグザンダーの「パタン・ランゲージ」であります。「パタン」とは、特定の空間が経験的に持ちうる資質であり、そこで快適な生活を営むための前提条件・要求です。アレグザンダーはそれを文法(パタン・ランゲージ)によって組み立てることで、環境をデザインすることを試みました。アレグザンダーは、従来のツリー構造を前提とする都市計画における都市においては複雑さが等閑視されており、セミ・ラティス構造を持って都市を捉えることが必要だと述べています。「パタン」は個々人の主観に基づく価値と考えられる一方で、「場所」の経験によって裏付けられています。パタン・ランゲージは人間・環境を一体として捉える解釈として、画期的なものであります。
 この理論は、真鶴町の「美の条例」によって実践されています。ここで評価されているのは、土地や風土から切り離され客体化されることで発見される従来の「風景」ではなく、人格と不可分のものとしてある長めの価値であります。しかし、地域共同体の眺めに美を見出してきたのは従来外部の眼差しでありました。真鶴町の場合、内発的な試み出るがゆえに、住民の関心が薄いという課題があります。

 土地や風土が失われた現代、人間と眺めが直接的に関係を築いていることを指摘する試みも現れます。純粋階段のような、路上観察学会で見出される「物件」には生活への有用性も、歴史的な価値も、風景としての美もありません。ただモノと観察者が純粋な関係を築いているのです。今和次郎の考現学は、生活の断片の徹底的な記録・観察から風俗を明らかにしようとしています。考現学のアプローチするモノは風土や土地の根拠から引き離されたモノであり、そのモノにあらかじめ備わった価値を見出そうとしているとも言えます。
 こうした試みは人間と眺めを生態的に結びついたものとして捉えようとしている一方で、観察する主体の意識は依然残されており、二元論を完全には乗り越えられていません。オギュスタン・ベルクは、不可分であったはずの風土との関係を乗り越えた風景を「実景」という言葉で表しています。社会科学の発達は、精神分析の「無意識」の発見のように、次第に主体をも認識の対象として捉えるようになります。「実景」において、主体はそれ自身も客体としての眺めとして風景になることを求めるようになってゆきます。ここにおいて、風景をまなざすのではなく、風景と一体になりたい、包み込まれたいという欲望が現れてきます。このことは、原寸大で町や家を再現した歴史資料館にも現れていますし、シミュラークルの風景も「実景」の一つであります。
 この「実景」は「場所」の代償であり、消費財に過ぎないと判断することもできますが、ベルク自身は風土を乗り越えた「実景」において、「地球」が次の風土として存在していると述べています。これは大竹伸朗が「日本景」で表現したもので、眺めと自分自身がいかなるものも介在しないで直接に重なって捉えられる状態を指すと考えられます。これは、旧来の日本にあったような、人間と自然が直接に重なって捉えられる美意識とも通底するところがあると考えられます。
posted by みさと at 17:52| 奈良 ☔| Comment(0) | 読書(建築/土木,工学系) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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