2019年03月28日

斜陽 他一篇(太宰治)

 岩波文庫で読みました、太宰治さんの小説です。『斜陽』のほか、『おさん』が収録されています。都内の家を追われ、伊豆に移住した敗戦直後の没落華族家庭の親子の様子を描いた作品であります。「斜陽」という言葉に没落の意味を与えたのはこの作品だったとかいう話も聞きます。
 語り手であるかず子は恋と革命を志向し、弟の直治は世間とのずれの中デカダンに向かい、母は「最後の貴婦人」の気品を保つ。政治体制の変革の中、滅びてゆく社会階層の哀しさが美しく描かれた作品だったように思います。母が華族であり続ける一方で、かず子・直治はそれぞれ古くからの名家の価値観と、新たな/民衆の価値観との価値観とに翻弄され流様子が描かれています。結婚・恋愛・性行為が一体となるロマンティックラブイデオロギーは近代特有のものでありますが、この作品ではそうした価値観とおそらく出会って間もない上流階級の反動的な?直情が感じられます。(性や愛にまつわる価値観の変遷をしっかり理解しきっていない気がするので、もっとしっかり勉強したいところであるとも感じました)
 とりわけ印象的なのは、かず子が恋を達成した直後に描かれる、直治の残した遺書。散々下品に、退廃的に描かれてきた直治でありますが、「姉さん。僕は、貴族です。」で終わる遺書の文体は訴えかけるようでありながら、なんとも優しく、気品があり、美しい。
 小説全体が、散文でありながら、どこか音楽的な美しさを持っているようにも思いました。流麗な朝餉の場面から始まり、都落ち生活を悲しくも穏やかに描き、直治の帰宅、上原の影がちらつくあたりから、激しさをまとってゆく。直治の日記やかず子の手紙も効果的に挿入され、作品に起伏をつけています。特に、母の死と同時に、「戦闘、開始。」のフレーズとともにかず子の恋と革命の情動が盛り上がって行くシーンなどは、イデオロギーの革命を表す効果を示すと同時に、この作品の音楽性を高めている秀逸な構成だと思います。そう、音楽。この作品を表すのに、「音楽的」という言葉がぴったりな感じがします。

 もともとこの作品を読み始めたきっかけは、谷崎『細雪』を読んで、没落してゆく上流階層の悲しくも華麗な世界に憧れたから。この作品は、時代が少し降ることもあり、谷崎のもの以上に没落の様子を強く描いた作品であります。
 太宰自身が津軽の地主の生まれで、この作品は農地解放後の凋落を受け、チェーホフの『桜の園』を自らの家になぞらえて作ったのがこの作品と言います。(太宰の生家・津島家住宅「斜陽館」は重要文化財にも指定されています)
 こうした話に惹かれるのは私自身も農地改革で一度没落した豪農の家系だからというところがあるからでしょうか。今では経済的には立て直したものの美的感覚などはかなり一般的な家庭と変わらなくなってしまっているため、かつて自分の数代前の先祖も持っていたかもしれない上流階級の美学や、かつて自らの家が体験した没落の悲しき美しさのようなものに(それが幻想かもしれないとしても)憧れを感じているからでありましょうか。チェーホフの『桜の園』もまた手にとってみたいです。

 太宰作品の中では、『女性徒』と並んで好きな作品です。あの作品の透明感と、この作品の音楽性。もともと『人間失格』のデカダンと『走れメロス』の明快さのイメージが強かったのですが、こうした美しい作品が、なんとも好きであります。
posted by みさと at 20:57| 奈良 ☁| Comment(0) | 読書(近代文学作品) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: