2019年01月10日

桜の森の満開の下・白痴(坂口安吾)

 岩波文庫、坂口安吾さんの短編集です。収録作品は『風博士』『傲慢な目』『姦淫に寄す』『不可解な失恋に就いて』『南風譜』『白痴』『女体』『恋をしに行く』『戦争と一人の女』『続戦争と一人の女』『桜の森の満開の下』『青鬼の褌を洗う女』『アンゴウ』『夜長姫と耳男』です。

 一年ほど前、梶井基次郎『桜の樹の下には』に強く感銘を受け、もう一つ、桜を冠する近代文学で有名な安吾の本作も読んでみたい、と思い、本屋で手に取った一冊です。
 ほとんどの作品に官能的なモティーフが出てくるのが特徴的。谷崎や鏡花の影響を受けていると聞いて、なるほどと思う一方、文章の雰囲気はかなり違います。安吾の文章は、谷崎のさらっとしたものとも、鏡花の幽玄なものとも違う、どこか憂鬱な、退廃的な、すさんだ印象を受けます。
 安吾は、谷崎や鏡花よりも、肉体や肉欲というものを、精神との対比の上で、強く意識しており、それが彼に取っての大きな主題であると感じました。『姦淫に寄す』『白痴』『女体』『恋をしに行く』『続戦争と一人の女』あたり、それらが特によく現れていると思います。

 多くの短編が収録されていますが、その中でも気に入ったものをいくつか。
 『白痴』は安吾の中で最も有名な作品かもしれません。空襲に襲われる中、白痴の女とともに過ごす男の物語。理性を持たず、肉欲などの本能のみの備わった女。戦争・空襲という、人間の理性が撹乱される極限の状態の中で、「白痴」は特徴的な意味を持ちます。猛火を逃れる終盤、白痴の女は数少ない意思を示します。男はそれに人間を感じ、幸福を覚えます。しかし、最終的に男は女を豚にたとえ、彼女の尻を食いながら肉体の行為に耽るという結末の退廃的な狂おしさはなんとも言えません。

『戦争と一人の女』『続戦争と一人の女』も戦争を主題とした作品。皮肉な男と淫奔な女を題材に、戦時の精神世界をよく描いています。前者の最後、戦争を「オモチャじゃないか」と言い捨て、「もっと戦争をしゃぶってやればよかったな。もっとへとへとになるまで戦争に絡みついてやればよかったな」(p184)と女に喩える描写が印象的です。

『桜の森の満開の下』は、梶井の『桜の樹の下には』と筋は全く異なりますが、グロテスクな美しさを描いているという点で共通しています。梶井の記事でも書いたかもしれませんが、生と死は裏返しのものであり、相互に連想させるものでもあります。この作品は、さらに冷たい寂しさと慄然とする狂気をも感じさせます。桜を見ていると、気が狂いそうになる、という感覚も、少し、わかる気がします。山の中を駆けていて、空が一面の桜で埋め尽くされている光景が現れれば、なんと恐ろしいことでしょう。現在では花見は庶民にまで広がっており、桜の植樹も多く、満開の桜もいたるところに現れて、桜は人に近しいものになりすぎてしまいました。しかし、そうした意識がなければ、桜の森の満開の下は、妖しく美しく、不気味な、異空間であります。
 いや、花見の光景を思い浮かべれば、現代においても、人々は桜に集い、狂っていると言えるかもしれない。

『アンゴウ』はこの作品群の中でも異色を放っています。内容・構成ともにさっぱりと美しい。さわやかとまで言って良いかもしれません。

『夜長姫と耳男』は構図としては『桜の森の満開の下』と良く似ています。心理は違いますが、残虐で猟奇的な女の歓心を買うために男が尽くすという構成。可憐なものと残虐な行為が結びつくというのは、しっくりきますし、魅力的ですが、それはどうしてだろう。幼いものは分別がない、とか、ギャップが良い、だなんて単純な話では片付けたくはありません。ここにも、ぞっとする、冷たい、澄み渡った美しさを感じます。 
posted by みさと at 15:10| 奈良 ☁| Comment(0) | 読書(近代文学作品) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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