2012年08月10日

三室山・竜田川(斑鳩町・三郷町・柏原市)

 皆さん、「三室山」と「竜田川」を知っていますか? 百人一首でお馴染みの地名ですが、その場所を知っている人は少ないようです。三室山は奈良県生駒郡斑鳩町神南四丁目・竜田川のほとりにある標高82メートルの山、竜田川は生駒市、平群町、斑鳩町にかけて流れ、大和川に注ぎ込む川です。現在見室山界隈は県立竜田公園として観光整備されています。
 三室山山頂には能因法師の五輪塔があります。これは元々神南集落にあったものを遷したと言われています。能因法師はこの近くに住んでいたと言われています。


 嵐吹く 三室の山の もみじ葉は
               竜田の川の錦なりけり (能因法師)

 千早ふる 神代も聞かず 竜田川
               からくれないに水くくるとは (在原業平)

 どちらも竜田川の紅葉をたたえた歌ですが、これらの古歌は、斑鳩町の三室山・竜田川を詠んだものではありません。これで詠まれた三室山は三郷町と柏原市境界の山、竜田川は磐瀬の杜より下流の、亀の瀬を含む大和川本流(石川が合流する辺りまで?)だというのが定説です。
 室町時代に観光地化する為に元の平群川(胆駒川とも)を竜田川としたのが現在のねじれた状況を作った元です。江戸時代には既にどちらが元祖かの議論があったというので驚きますね。結局三郷柏原の方が元祖だと証明されたのですが、斑鳩の方が観光整備が早かった為かあまり世間に認知されていません。
 ちなみに、三室山は元々現在の柏原市内だったものを境界を変えて半分を三郷町内にしたそうです。いつの時代かは分からないのですが……。元々河内大和の境界は川であったということですから、三室山が全域柏原市内であったことを鑑みながら地形図を見ると、現在の三郷駅西方にある関屋川が元々の境界であると推測するのが妥当です。となると、現在の高山集落とその周辺の住宅地は元々柏原市域だということになります。(追記:関屋川=龍田川説をまとめました)
 境界が変更された年代に関しても少しだけ考察しておきましょう。享保年間発行の『大和志』に立野村属邑七と載っています。立野本郷(大きさから考えると下之庄?)がどこかは分かりませんが、本郷(立野村の場合中心垣内)と属邑七(その他の垣内)を合わせて八つの集落があれば良いのです。下之庄、山上、坂根、辻堂、馬場、西浦、今井、高山で八つ。これで一応帳尻は合いますが、ちょっと待って下さい。坂根は坂下(さかね)・坂上に分けられます。それを分けてカウントすると、一つ多くなります。高山が元々大県郡であった、あるいは境界変更後に作られた新しい村と考えるとまた帳尻があいます。
 坂根を分けるか否かで変更された年代が変わってきます。一般的に分けることが多いのでやっぱり分けるのでしょうか……。それに坂下を「さかね」と読むことも気になります。坂上は坂根(坂下)から分たれた分村と考えるのが妥当ですかね。このことも分けて考える裏付けになりそうです。いや、分村されたのがもっと後の時代と考えると……。うーん、本当にややこしいですね。
 坂上ではなく高山をカウントすると分かっていれば、境界変更が享保以前となるのですが……。まあ、このことについてはまた気長に調べ続けていくことにします。

 竜田の場所を証明した経緯についても日を改めて解説することにします。

 新竜田川と新三室山
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 新竜田川の紅葉
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 旧竜田川(大和川亀の瀬付近)
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 旧三室山(竜田山東端)
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posted by みさと at 10:50| 大阪 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 郷土 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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