2012年07月12日

南畑 〜〜旅館街の西奥には……?〜〜(三郷町)

 三郷町は立野・勢野・南畑の三つの村が合併してできました。今回はそのうちの南畑の基礎集落を紹介します。

 南畑は三郷町の北西端、すぐ北は平群町信貴山寺、すぐ南は柏原市の本堂集落と他市町の町に囲まれるような形で存在します。集落が多い山である竜田山の最北端の集落です。
 この南畑には明治22年頃、日出座という歌舞伎一座がありました。座長の鶴沢三枝は、南畑歌舞伎と呼ばれて地元民に親しまれていました。日出座は南畑を中心に、法隆寺、田原本、大阪などで公演したそうです。弟子たちによって三枝の石碑が建てられ、それが現在まで残っています。戦後に、一時期青年団が芝居を復活させたこともあったそうです。
 古代には南畑周辺一帯に高安城がありました。これは新羅や唐の侵攻を防ぐ為に天智天皇が建てられた山城ですが、50年足らずで廃城になり、1999年に遺構が発見されるまでははっきりとした場所が不明の城となっていました。南畑の小字地名に大門、古門、谷門、北矢倉、馬場、南矢倉が残っており、それらは高安城にまつわる地名だと推測されています。
 南畑の西部一帯小字北矢倉の山地をソバフリ山と言います。昔、米の相場は大阪の堂島で決めていたそうですが、その値の上り下がりをこの南畑の山からの旗振りで示しました。北矢倉からは大阪奈良が一望できたそうです。「相場振り山」からソバフリ山となったと思われます。
 ちなみに、南畑に対する「北畑」とは平群町の「信貴畑」村だそうです。生駒山地には〜畑とつく地名が多いように感じます。南畑、信貴畑以外にも福貴畑、雁多尾畑、西畑など……。
 なお、住居表示が実施されており、大字南畑から信貴南畑一丁目と信貴山西が分割されています。信貴南畑は一丁目だけがあって二丁目以降がないことに驚きました。また、これより大規模な集落である柏原市の雁多尾畑が住居表示されていないのにこちらがされているということにも驚きを感じました。


 南畑の町並み。結構大きい集落でした。柏原市堅上の雰囲気によく似ています。特に本堂集落とは距離が近いだけあって多い建築様式、村の作り方などで共通点が多く見られます。距離を考えても、同じ三郷町となった勢野・立野よりも堅上や平群の信貴畑との関わりが深かったのではないでしょうか。
 奈良盆地や河内平野などの集落と比べ、大和棟の建築が多く目につきました。ぱっと見ただけで四、五軒はありましたね。本堂集落もそうですが、本当に大和棟の割合が多いです。しかしながら、本堂も南畑も萱葺きのままのこっている家は皆無で、全てがトタン葺きないし瓦葺きに葺き替えられていました。
 町並みは旧村の雰囲気を色濃く残しており、山里ののどかさが感じられるものでした。
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posted by みさと at 20:06| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | あの街この町 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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