2012年06月30日

藤井 〜〜王寺の原風景〜〜(王寺町)

 交通の要衝であるが故の宅地開発で、王寺からは集落地と呼べるような場所は消えているのではないかと思っていました。ですが、明神山麓にある"藤井"と呼ばれる地域にそんな地域があります。
 今日はそんな藤井について紹介します。

 江戸時代、集落の近くを流れる大和川では水運が盛んでした。ここ葛下郡藤井村と安宿郡国分村(現柏原市)、大県郡峠村(現柏原市)の境界の亀の瀬は川底が浅く、流れが急な為、舟の通行が出来ず、河内側の剣先舟(国分村・志紀郡柏原村所有)と大和側の魚梁舟(やなぶね・平群郡立野村)、そして藤井村の藤井問屋に分業して水運を担っておりました。魚梁舟が川を使って荷物を輸送するのに対し、藤井問屋は牛馬を使って亀の瀬から大和各地に陸運をおこなっていました。
 昭和七年には、中河内郡堅上村峠からこの藤井の山間部にかけて地辷りが発生しました。大和川が隆起したせいで上流から流れてくる水が停滞し始めました。周辺の村々はもとより、最悪北は郡山や奈良市内、南は高田や橿原までが水没してしまう危険性が示され、奈良県などは大和川を掘削するなど対策をしましたが、三郷村の立野と王藤井を結ぶ大正橋がまず浸水し、宇智郡五條町から渡し船を借りて代替するという事態になりました。それから間もない6月3日、大和平野は大雨に見舞われ、危険を感じた藤井区民は王寺町に要求し、避難住宅を用意してもらいました(6月28日完工)。完成した二日後の6月30日から7月1日にかけてまた豪雨が降り藤井集落の25戸が沈水。王寺駅周辺の市街地も洪水に見舞われました。

 藤井は王寺町の住宅地の中で最も西にあります。国道25号線沿いにマンションや新しい住宅があり、三郷町方面から国道を渡って奥(南)に進むと集落地に着きます。
 グーグルの航空写真を見ていただくと分かるのですが、藤井集落は王寺の他の住宅街と山地で隔たれています。町内の他の地域に行くには、国道25号線に沿ってそれなりに走らなければなりません。
 一変、三郷町の立野南住宅地(旧集落でいうと立野高山)には近く、駅も三郷駅の方が近いです。とは言え、立野とは川を隔てています。昔は橋がなかったことを考えると、やはり心理的な距離があるのでしょう。
 上記のことから、今はいざ知らず昔は他のどの旧集落からも離れた立地であることが分かります。そんな歴史が藤井を開発の波から救ったのかもしれません。
 新興住宅地は少ないのですが、現在藤井は住居表示が実施されており、藤井一〜三丁目と畠田の飛び地に分けられています。


 藤井の町並み。基本的に王寺は市街地しか行っていなかった私には、この町並みが大変印象的でした。数少ないながらも大和棟の家がありました。本当にのどかな、美しい集落でした。また行きたいなぁ……。
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posted by みさと at 20:53| 大阪 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | あの街この町 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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