2020年04月25日

不動産就活2.0(全宅ツイ)

 軽い読み物として。就活本というより、不動産業界のぶっちゃけ話みたいな感じの本。なんとなく自分の中で、勤め人だと終身雇用が普通みたいな固定概念があったので、この本を読んで、結構転職前提の話をしているのに衝撃を受けました。
 都市開発、地域づくりの仕事に関心があるため不動産関係に関心があります(実家の家業とも繋がるというのもありますし)。
 不動産鑑定士の資格も、ちょっと興味が出たり。中々修士課程の学生だと在学中の取得は難しいかもしれませんが。。
 コロナで景気も悪くなりそうですし、色々将来のことを神経に考えないとなぁ、と思っています。
posted by みさと at 11:34| 奈良 | Comment(0) | 読書(その他) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年04月15日

奈良県の歴史(和田萃他)

修士論文のフィールドにしようと思っている奈良県の通史を知りたいと思って古本屋で購入した本。執筆陣は和田萃さん、安田次郎さん、幡鎌一弘さん、谷山正道さん、山上豊さん。
 山川の県史シリーズ。修士の研究の基礎勉強として通史を押さえておきたいと思って読みました。原始・古代は日本通史とかぶるということでか、近年の発掘調査の紹介などが中心、考古学や古代史の知識のない自分にとっては少し応用的すぎた感じがします。一方で、中世以降は歴史の叙述という感じになっており、かなりわかりやすいです。興福寺という巨大な寺社勢力の影響の変化というものが大和の歴史を考える上で鍵になっているのを強く感じました。
 近代になると御陵の治定や橿原神宮の整備を始め、大和が建国の聖地とみなされ各所で顕彰運動が盛んとなって行きますが、ここが面白くて自分の研究にも関わってきます。鈴木良さんや高木博志の本も読んでもっと詰めよう…。
本書で書かれていたのですが、奈良県は国立博物館や奈文研、橿考研はあるものの、歴史資料館や文書館はなく、考古学研究は盛んなものの、(とりわけ近世以降の)歴史研究があまりできる環境が整っていないということ。公的な県史も未だ編纂されていません。確かに、私も卒論で頼ったのは県立図書情報館。斑鳩町での調査でも機関があるのは古代ばかりで、近世近代が注目されていないのを強く感じました。逆にここがまだ研究の余地が多く残っている、と思えば良いのかも…?
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2020年04月13日

在野研究ビギナーズ 勝手にはじめる研究生活(荒木優太編)

「働きながら論文を書く」「学問的なものの周辺」「新しいコミュニティと大学の再利用」の三部構成で、14人の著者が短いエッセイを書いています。
執筆陣の立場も、その研究活動も様々です。会社員をしながら研究する人、出版に携わる人、研究者の支援を行う人…多彩な内容がありましたが、印象に残ったのは石井雅巳さんのエッセイ。石井さんは現代フランス哲学の修士を出て地域おこし協力隊として津和野に就職し、西周の顕彰事業に携わります。そこでは地域側とアカデミア側の需要を結びつけ、全集の発行、市民も含めたシンポジウムなどを企画しています。任期の切れた後は博士後期課程に戻りますが、協力隊として働いていた期間はアカデミアにおいても非常に価値あるもののように思えます。
この本の中では大分かっちりした方であるとは思いますが、これからの院卒者のキャリアを考えるときに面白い実例であるように感じます。

私自身、研究をすごく楽しいと思うのですが、博士後期課程に進学してアカデミックポストを考えるとなると、やっぱり任期なしの職につくのがかなり遅くなりますし、能力的にも不安を感じます。そう思うと、こうした在野で研究活動を行うのも選択肢に現れてきます。色々将来のことを考えてしまう日々です…。
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2020年04月09日

大和川の歴史-土地に刻まれた記憶(安村俊史)

柏原市立歴史資料館館長の安村俊史さんによる大和川の通史です。安村さんのご専門は考古学ですが、この本では自治体の資料館館長の経験による歴史学的な手法も多く使われています。 一般向けのわかりやすい語り口で読みやすい書籍だと思います。

通史と言っても基本的に古代と近世が中心で、古代は古墳、古道、宮跡など河内/大和の遺跡との関わりが主な内容で、近世は大和川の付け替えの話が主な内容であります。
大和川の付け替えについては柏原市の小学生は皆郷土史の授業で習ったことでありますが、大学院生となった今、改めて勉強すると、いろいろな気づきがあるものです。どのような一次史料を使っているのか(一般向けの本なので省略しているところも多いですが)ということはもちろんですが、小学生の頃は、歴史小説的な伝承と、史料に基づく歴史の区別がついていなかっだのだな、ということに驚かされました。
例えば中甚兵衛は大和川の付け替えを主導したヒーロー的なイメージがありましたが、この本では中家文書や柏原家文書などの史料をもとに、実は甚兵衛らの運動は孤立気味で虚偽の押印をするなどかなり無茶な行動をしており、付け替えは民衆の運動のみではなく様々な事情の折り重なった結果であるということを明らかにしています。個人的な関心としては、中甚兵衛のイメージ論、言説論みたいな研究をするのも面白そうだなぁ、と感じました。
また大和川の付け替えの背景として、17世紀人口の急増によって建築材や薪炭材の需要が増えて山林が過剰利用されるようになって森林の水源涵養・土砂災害防止の機能が低下し、土砂の流出が増えて河川が天井川化が進み、洪水被害が大きくなったことが挙げられます。この点も林業のサークルに入っていた身としてとても面白かったです。
近世の研究でも考古学的な調査が行われていることは知識としては知っていましたが、実際の内容を知れて興味深かったです。
posted by みさと at 19:19| 奈良 ☀| Comment(0) | 読書(歴史学) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年04月04日

空間の生産(H.ルフェーブル )

 斎藤日出晴訳。 去年一年かけて読書会をした本です。

 ルフェーブル は哲学系の出身で都市社会学者として有名な方。この本は地理学、社会学、建築学など空間に関わる諸科学に強く影響を与えています。
 議論はかなり多岐に渡りますが、個人的に印象に残っているのはルフェーブル の歴史観。古代都市を「作品」であり使用価値を原理とするものと位置づけ、近代都市を「商品」であり交換価値を原理とするものとしています。自然や宗教という絶対的な価値観が支配する「絶対空間」から歴史を通じて市場と商品経済が支配する「抽象空間」へと至る過程を、経済史、精神分析など様々な分野の思索を援用して解説しています。

本書の中で最も有名なのは、空間認識の三つの方法概念だと思います。「空間的実践」は都市交通網や記念建造物など、実際の空間の創出であり、<知覚された空間>ということができます。「空間の表象」は言葉、記号によって規定されるものであり、都市計画学や地理学が扱う<思考される>空間であります。「表象の空間」は(映像や象徴を介してのこともありますが)直接的に<生きられる>空間であり、芸術家や生活者が司るものです。
この概念は名前はわかりにくいものの、空間認識の方法論、分類としてはかなりわかりやすく使いやすく思えます。

この本は入手も困難で、かなりの分量がある上に難解な一冊。そもそもの議論が散らかっていてわかりにくいと言われたり、訳が良くない、と言われたりすることも多いですが、空間を扱う国内外の諸科学に大きな影響力を持った本でもあります。読んでいてこれだけ難しいと思った本も初めてですし、通読した今も一体何割くらい理解できているのだろうと言った感じではありますが、色々物事を考えるときにルフェーブル の概念ーーとりわけ三つの空間認識が頭に浮かぶことも多く、一学生としても読んで大いに勉強になった気がします。
四月からは読書会の次の課題図書として、E.W.ソジャの『第三空間』を読みます。序文を読んで知ったのですが、ソジャのこの本も『空間の生産』に強い影響を受けてのもののようです。
posted by みさと at 17:48| 奈良 ☀| Comment(0) | 読書(社会学) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年04月01日

花見と桜 <日本的なるもの>再考(白幡洋三郎)

感染症の流行で中々し難い時節柄ですが、一応お花見シーズンということで手に取った新書。筆者は世に「桜」論は多くありますが、それらはあくまでテクストベースであり(しばしば国粋主義などの精神主義と結びつけられ)、修辞に蹂躙されていない、群衆と桜の関係を描いた「花見」論は見られないとして議論を始めます。
 筆者によると「花見」は「群桜」「飲食」「群集」の三要素を持って「花見」が成立します。この定義によると「花見」は海外に見られぬ日本独自の文化であります。
「花見」は中国への憧れから生じた貴族的・儀礼的な梅の花見の伝統と、豊作を祈る農村の「春山行き」の二つの文化の融合して生じたものだという理論は興味深いです。このため花見の名所は郊外に多く作られたと述べられています。具体的事例としては、徳川吉宗が飛鳥山、向島、御殿山に桜を植樹しましたが、これは鷹狩りのための野生鳥獣の保護のためであり、農民への慰撫策であり、都市民を消費者として惹きつける観光振興策でありました。筆者はこれらの公園を都市拡大に伴う郊外公園のさきがけとも位置付けています。

 色々と面白いトピックの多い一般書でありましたが、この本の議論の出発点となる三要素が個人的にはあまりすっきりしませんでした。イメージで恐縮なのですが、「群桜」「飲食」「群集」からなる「花見」は(筆者は都鄙折衷と述べていましたが)どちらかというと都市的なもので、あまり農村にはないものなのではないでしょうか。そもそも農村には「群桜」があるところは観光地をのぞいて少ないでしょうし、そもそも「群集」は成立しません。
私は都市郊外の旧農村に生まれましたが、個人的な経験としても、神社や駅の桜を観に行ったり写真を撮ったりした記憶はありますが、シートを敷いて飲食を伴う「花見」をしたことはありませんでした。大学に上がって上洛して初めて、こうした「花見」を経験しました。初めてで不思議な感覚を受けた記憶が残っています。
ちょっと「花見」というものを狭義に設定しすぎているんじゃないか、もっと多様な花見のあり方を議論しても良いのではないかな、と感じました。

筆者の白幡さんは京大農学部の造園学(現環境デザイン)教室出身。今でこそ生態学寄りのイメージが強いですが、かつては西田正憲さんとか小野健吉さんとか文化/歴史系の研究者も多く輩出しています。柴田先生のやっているような今の研究も面白いですが、私自身の研究が文化史的なところなので庭園史系が弱くなってきたのはちょっと寂しい気がします。
posted by みさと at 13:58| 奈良 ☁| Comment(0) | 読書(森林/造園,農学系) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする