2019年10月23日

爪と目(藤野可織)

 2013年の芥川賞受賞作。収録作品は『爪と目』『しょう子さんが忘れていること』『ちびっこ広場』です。
 表題作は当時3歳の「わたし」が父の不倫相手かつ再婚相手である「あなた」に語ると言う独特な形式を持った小説です。不穏な家庭の空気感が描かれるその語り口はやけに淡々としており、それがその空気感を一層強調しています。父とあなたは似た者同士であったという描写からはじまり、あなたが母をなぞろうとする描写へ繋がり、最後わたしとあなたの類似を仄めかす描写もあり、三重鏡の迷宮に閉じられる物語の構成は見事です。爪と目。感覚、とりわけ痛覚に繋がりやすい二つの身体器官ーーそれは、コンタクトレンズやマニキュアでしばしば覆われ再構成されるものですがーーを通じて、テレビの映像のように淡々と主観的かつ客観的に描かれる物語を読者の身体と強く結びつけ、遠い物語の中の物事が急に自らに襲いかかってくるような恐ろしさを感じます。

 後二編も中々不気味で良い作品。『しょう子さんが忘れていること』は年齢を意識して明かしていくところに叙述の妙があり、表題作と逆ではありますが、同様の不気味さを演出します。
 『ちびっこ広場』はより日常性の強い話ではありますが、子供を愛している描写が多くなされながらもやけに淡々とした語り口が不穏で、最後子供の迷信と同化する語り手がゾッとする怖さというより胸の底にしみてくる恐ろしさがあります。「ちびっこ広場」的な場所は私の子供の頃にもありましたが、子供たちの秩序が支配する世界であり、大人にとっては、ほとんど行く機会がなく、大樹が見せた箱庭のように、珍妙な(同時に不気味な)世界であります。結末の恐ろしさはこの異世界の論理に取り込まれる恐怖と言えるのかもしれません。友人の披露宴に向かう母も、子供にとっては異世界へ向かうとも受け取れる。そう、この小説は子供と親が違う世界の中に生きており、家庭というその接点で世界の(論理の)衝突、不調和が生じている様を描いた作品だということができると思います。
 
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2019年10月19日

赤毛のアン(L・M・モンゴメリ)

 『若草物語』に続いて、少女文学の名作と名高い児童文学を読みました。幼い頃読んでいた小説というと、私の場合圧倒的に江戸川乱歩の少年探偵シリーズ、中学生の頃は有栖川有栖や法月綸太郎のような新本格派を読み耽っていたミステリ少年で、こうした海外の名作児童文学というものはあまり読まずにここまできました。大学生になって初めて、アリスを手はじめにこうした小説に手を出していますが、たくさん素敵な物語に出会えています。

 この小説は「アン」という孤児に育ち、赤毛やソバカスと(当時の価値観からすれば)容姿に恵まれないながらもおしゃべりで明るい性格、優れた行動力と才覚、そして豊かな想像力で人生を切り開いて行く一人の少女に焦点をあてた物語。現実世界にいたら少し我の強い感じさえする彼女ですが、周囲の人たちに愛されるのも頷ける魅力があります。当時のカナダの規範はあまりわかりませんが、日本の伝統的な価値観からすると活発なアンは「少女」性を大いにもちながらもその規範を逸脱するところの大きい感じがします。ハイジや『若草物語』のジョーにもそうしたところがありますし、児童文学に登場するヒロインはしばしば「女の子」の規範を超えるところに一つの魅力があるのかもしれません。

 アンが豊かな感性を持って感受する風景も美しく、魅力的に描かれています。とりわけリンゴやサクラ、ハッカ、カバなどの植物の描写は鮮やかです。原題も『グリーン・ゲイブルズのアン』。アンの暮らす緑の破風の家をタイトルに取り込んでいます。アンが暮らすアボンリーの村は、苦難の幼少期を暮らしてきたアンにとって幸せな土地であったことと思います。
 なお、このアボンリーは、作者・モンゴメリが祖父母に養育されたキャベンディッシュがモデルとなっているそうです。カナダでは「アボンリーへの道」というテレビドラマが作られ、人気を博しているそうですが、これは『赤毛のアン』含むモンゴメリの複数の作品をもとにプリンス・エドワード島を舞台に描かれたドラマだとのこと。面白そうです
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2019年10月18日

小さなトロールと大きな洪水(トーベ・ヤンソン)

 ムーミンシリーズの第一作品。ムーミンとムーミンママ、スニフがムーミン谷にたどり着くまでのお話です。第一作品とは言っても初めは本屋ではなくヘルシンキ駅の売店や新聞スタンドで売られたにすぎず、しかもすぐに絶版になり、シリーズが完結してからようやく再版がなされ、普及したのは最後だということです。
 ムーミンパパは「ニョロニョロに騙されて」旅に出たのですが、ムーミン達も冬が来る前にお日様の当たる暖かな場所を求めて、またムーミンパパを探して旅に出ます。

 冒険ものの児童文学でありますが、この作品が描かれたのが第二次世界大戦の最中ということを考えると、中々味わい深いです。あまり世界史は詳しくはないのですが、フィンランドは枢軸国として戦争に参加し、ソビエトと交戦を行なったと聞きます。
 「パパ」がいないという徴兵の連想や、蛇や嵐、洪水の苦難もそれぞれ戦争や国際情勢のメタファーにも思えますし、甘いお菓子で満たされた人造太陽に照らされたユートピア(反面、ディストピア)も印象的です。ヤンソン自身による挿絵も、どこか暗い影を帯びている気がします。ムーミントロールによく似ているけど、嵐を好む「海のトロール」の存在もなんだか示唆的。

 そういえば、文学部のスラブ文学で研究をしている友人に聞いたのですが、京大文学部(の海外文学研究系)の研究室は、テクストから分析を発することを徹底しているそうで、文化史・社会史的なところから発する分析はご法度だと聞きます。僕自身、文学への関心がテクストそのものやその審美的な鑑賞にあるというより、表象文化論的な読み取りにあるので、中々ショッキングなお話でした。私は趣味で読んでいますが、研究で文学をやるのも中々大変なんだろうな、と思うこの頃です(楽しそうだけど)。

 そういえば、最近また児童文学ばかり読んでいるのは、先週脳震盪を起こして療養中のためであります。一昨々日久しぶりに外出したところ、めまいがひどくて三条の路上で動けなくなり、救急車で運ばれてしまいました。脳神経外科で精密検査してもらったところ、先天的に脳震盪の影響を受けやすい体質ではあるものの、ただの脳震盪であることが明らかになり、後遺症の心配はないそうです。とはいえまだ目眩や体がだるい症状が続いており、まだしばらくは療養が必要そう。ゆっくり回復していこうと思います。(卒論が心配だぁ…
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2019年10月15日

遠野物語の世界(石井正己)

 先日行ってきた岩手旅行の際に、旅情に駆られて買ってきた本です。柳田國男の序文に現れる遠野紀行について、遠野物語が出来上がるまでの過程、また遠野物語に描かれる世界などが図版たっぷりに説明されています。
 石井氏は国文学系の説話論の研究者で、佐々木喜善や柳田國男の研究をされている方です。

 『遠野物語』の序文は紀行文としても評価されており、田山花袋の編集した『旅と紀行文』にも収録されているそうです。確かに簡潔ではありますが、風景と旅情が味わい深く描かれており、『遠野物語』を読んだのははるか昔の記憶ではありますが、一番印象深いのがこの序文であるかもしれません。
 遠野物語の世界が山・川・里・町に分けて図版と引用を多く織り交ぜながら解説されており、旅をしのぶのによいよすがとなりました。

 『遠野物語』をまた改めて読んでみたいなという意欲が増してきました。先日頭を打って軽い脳震盪になったらしくしばらく体調を崩していたため、色々やることが山積みなので、またしばらく先になるかもしれませんが…。
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2019年10月11日

若草物語(ルイザ・メイ・オルコット)

 ポプラ社、小林みきの訳で読みました。南北戦争期、父が出兵し、銃後に残されたメグ・ジョー・ベス・エイミーのマーチ家の四姉妹が隣人ローレンス一家との交流を通して流れてゆく一年を描いた物語です。少女向けに書かれた児童文学らしく、読みやすい成長譚となっております。

 この小説はルイザ自らの少女時代をモデルに書いた小説で、少し勝気で少年らしい文学少女・ジョーがルイザの分身で、他の姉妹も作者の実姉妹と重なるところがあるようです。
 マーチ一家は没落してはいるものの、元々富裕な一族で、他の家とのパーティや花壇作り、ピクニック、スケートなど当時の上層階級少年少女の社交世界があらわているのが興味深いです。一方で、少女たちは家を支えるために家庭教師や介添えの仕事や家事などを担って働きます。もっと貧しい人たちには施しを与え、裕福でなくとも清く幸せに生きている様子が描かれています。そうした中で富裕層から貧困層までの幅広い人たちと交流しており、その当時の社会階層の認識が見えてくるのも面白いです。
 ジョーが髪の毛を切る描写が有名ですが、これは彼女の成長、脱皮を象徴するものと読み取れますが、(父親の言葉を借りると)元々美しい髪を持ちながらも男っぽい性格だった彼女が心優しい女性に成長する様子をさっぱりと美しく表現していて好きです。
 原題は『Little Women』ですが、『若草物語』という邦題も素敵です。少女たちを若草になぞらえたのでしょうか、音の響きがとても綺麗で、華麗さはなくとも、質素で若々しさ、活力のある素朴な美しさが感じられます。

 友人と話していて気づいたのですが、谷崎潤一郎の『細雪』との類似性。それぞれ個性をもった没落貴族の四姉妹の一年を四季折々の風物や文化生活を通じて描くという内容。谷崎が『若草物語』の影響を受けたという話は聞いたことがありませんし、谷崎も自身の大阪での結婚生活をモデルに『細雪』を描いたと聞きますが、もし多少なりとも影響を受けていたかも、なんて空想して楽しんだり。
posted by みさと at 15:37| 奈良 ☁| Comment(0) | 読書(児童文学作品) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年10月08日

文字の消息(澤西裕典)

 収録作品は『文字の消息』『砂糖で満ちてゆく』『災厄の船』です。生協で見かけて、タイトルと表紙に一目惚れして購入しました。澤西さんは京都大学の文学部、人間・環境学研究科を出た方で、純文学サークルの「木曜会」の創設者とのこと。来年から私も人環進学予定で、木曜会は入会はしていませんが、入学当初から心惹かれているサークルで学祭で毎年ブースを尋ねている団体で、少し親近感があります。

 表題作はどこからともなく文字の降り積もり侵食されてゆく世界を描いた作品。書簡という「文字の世界」に全て描かれているという形式は文調の変化から緊張感を感じさせますし、何よりこの世界観を奇妙によく表しています。非現実的な話なのに、やけに切迫感を感じるのが印象的。この2019年の現実世界、街に出れば広告は氾濫し、テレビをつけば有象無象のテロップ、スマホの中にもSNSに無限に文字は降り積もっています。「文字」は氾濫し、人の欲望や猜疑を煽り、他者を攻撃する道具にもなっています。文字はそれ自体何かを指し示す記号ーシニフィアンに過ぎないというのに、しばしばそれ自体が物神化されます。
 ーーとはいえ、私自身、小説や学問、文字の世界に浸って生きており、文字によってより豊かな精神生活を得ている感覚は強くあります。文字によって著された世界は表象にすぎず、世界そのものの現象とは異なるのかもしれませんが、実際五感を通じて得ている世界は、私自身の胸の内にある文字、というか、言葉や思考のフィルターを通して初めて認識されています。「文字」の持つ意味合いを深く考えた上でこの恐ろしい「文字」というものにつきあっていきたいと感じます。
 『砂糖で満ちてゆく』は全身が砂糖に変わって死んでゆく奇病に侵された母と、その看病をする娘の話。体が砂糖に変わってゆくって、少しメルヘンで、幻想的な感じがしますが、この作品の語り口もどこか現実的で(「全身性糖化症」なんて病名もついています)、現実性と空想性の間で悲しく恐ろしく官能的な作品となっています。
 『災厄の船』は、町のすぐ側に昔から停泊している、手を出せば災厄を招くという幽霊船めいた巨大船舶と、それに翻弄される町の話。この話も全体として寓話めいた設定と雰囲気を持つ一方で、災厄の船を観光資源にしようとするなんてすごく現代らしい要素もあり、上二作と共通するところを感じます。都市伝説らしい怪しさとグリムの寓話めいた暗い雰囲気をも折衷し、中々心惹かれる世界観でありました。

 現実性と非現実性の緊張の間で微妙に構築される世界の鬱々とした、しかし、妖しく美しい世界観はすごく自分好みで、好きな短編集でした。また他の作品にも手を出してみよう。
posted by みさと at 11:24| 奈良 ☁| Comment(0) | 読書(他国内文学作品) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年10月01日

生活の芸術化ーーラスキン、モリスと現代(池上淳)

 院試勉強でアーツアンドクラフツ運動やラスキン、モリスの思想に心惹かれたので、何かしらそれに関係する本を、と思ってとった一冊。開いてみれば芸術史ではなく、文化経済学系の本。タイトルから想像した内容とは違いましたが、これはこれで面白そうと思って読みました。
 ジョン・ラスキンはターナーを中心とした美術評論で活躍した(以前読んだ『崇高の美学』(桑島,2008)でも登場しました)ほか、中世の職人労働の中に建築や技術の理想を求め、アーツアンドクラフツ運動の基礎となった社会思想家としても有名です。後半生では経済学に転向し、文化経済学の基礎を築いた人物としても評価されております。
 この本はラスキンらの思想を援用しながら、サービス業や文化・教養・レジャーへの重要性が増し、「いきがい」を重視する現代(1993年)の状況を考察すると言った内容。「いきがい」とは何か、芸術や文化とは何か、なぜそれらが人にとって重要なのか、などがふわっとしており、文化経済学という分野に慣れないためもあってか、読み終わってもあまり釈然としない感じも少し残ります。
 それでも文化や芸術を経済学の土壌に載せるのは重要なことであります。こうしたものは金銭的な利益は小さいものでありますが、人々の思想の涵養などの面からも長期的に見て社会共通の利益となることは間違いありません。市場に載せれば営利事業に敗れてしまうため、公による金銭的支援や個人や企業からの寄付金について所得控除/損金算入などの税制支援を行うなどが必要とされます。
 またラスキンの経済思想について印象に残ったことについて、経済学では交換価値が価値の基本に置かれることが多いですが、ラスキンはものの固有価値に人の享受能力があって初めて有効な価値が生じると述べています。この固有価値には場所性のようなものから生み出されるところもありますし、享受能力という点に注目すると、文化や芸術の重要性が際立ちます。

 期待していたラスキンの思想に主題があったわけではありませんが、これはこれで今まで触れたことのない考え方に触れることができてよかったと思います。
posted by みさと at 17:40| 奈良 ☀| Comment(0) | 読書(政治/経済,社会科学系) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする