2019年05月28日

武蔵野(国木田独歩)

 岩波文庫、収録作品は『武蔵野』『郊外』『わかれ』『置土産』『源叔父』『星』『たき火』『おとづれ』『詩想』『忘れえぬ人々』『まぼろし』『鹿狩』『河霧』『小春』『遺言』『初孫』『初恋』『糸くず』です。
 『武蔵野』は日本における近代的な風景の発見と結びつけられてよく取り上げられる作品です。元来日本の風景観は、歌枕などの「名所」、強く規範化されたものを美とするというものでありました。吉野ならば桜、竜田ならば紅葉、といった風に、連想される景物もしばしば定型化されていたということがわかっています。近代になって欧米の影響を受け、風景を科学的に評価したりアノニマスな風景を評価したりするようになってゆくのですが、本編はその様をよく表した作品であると評価されています。本編が取り上げられる「武蔵野」は近世以前、萱原をもって美とされていたようですが、独歩はこれまで評価されることのなかった楢林、落葉樹林の美をツルゲーネフをひきながら見出しております。楢林を逍遥する中に、地理学的な、科学的な感性が現れているのもとても近代的であります。
 この作品はイギリスの田園詩人・ワーズワースの影響を強く受けているようで、後半に収録されている掌編『小春』においてそれははっきりと明示されております。
 『武蔵野』は「郊外」の発見であるという言説もあります。

「田舎の人にも都会の人にも感興を起こさしむるような物語、小さな物語、しかも哀れの深い物語、あるいは抱腹するような物語が二つ三つ其処らの軒先に隠れていそうに思われるからであろう。さらにその特点をいえば、大都会の生活の名残と田舎の生活の余波が此処で落合って、緩かにうずを巻いているようにも思われる」(p31)

と独歩は郊外の風景を評価しています。ここで言う「郊外」は、ニュータウン、住宅地、ロードサイドなどのキーワードで連想される現代日本の郊外とは異なり、多分に農村的、田園的景観の残ったものであります。独歩の書いた林や畑、人家の混ざった景観は現在ほとんどが宅地化されて残っておりません。(航空写真で見ていると多摩川沿いなどにその断片は見られるようですが、連続する風景としてはもはや失われたものでしょう)。郊外といっても当時の認識と現在の認識は違いますし、地理的な差異もあります。自明のことではありますが、「郊外」論を考えるとき、「郊外」と一括りにせず、時空間の差異を考慮した上で考えないといけないな、と、自戒を込めて。

 表題の『武蔵野』が有名にすぎますが、それ以外の作品にも中々素敵なものがたくさんあったので、少しばかり紹介を。
 『源叔父』は妻子を亡くした船渡し・源叔父と孤児乞食の紀州の物語。波のような物語で、感情の上がり下がりがなんとも哀しさを誘います。独歩は『武蔵野』の叙景小説のイメージが強かったのですが、このような短編もとても魅力的です。
 『星』『たき火』は童話のような掌編で、また雰囲気が変わります。『星』は詩人の休むもとで遊ぶ二人の星の話で、可愛らしく心くすぐり、好きです。文語体ながらも言葉の選択が優しく、良い雰囲気。独歩の文才の幅広さを感じさせます。
 『忘れえぬ人々』も、印象的です。袖触れ交わすだけの人の中にも、やけに心に残る人っていますよね。人を待っているのか、寂しげに一人改札の前に佇む青年。電車で向かいに座った、厚いメガネをこすりながら熱心に本を読む少女。わたし自身の記憶を振り返っても、こうした、ちょっとした接点しかないのに、どういうわけか、心を揺さぶるような人が、幾人か胸に浮かびます。この気持ちを短文的に言葉にするのはとても難しいですが、独歩は小説、物語という形式でこの時の気持ちを的確に表していて、「ああ、これだ」と心動かされました。

 独歩作品をまとまって読んだのはこれが初めてでしたが、思っていた以上に作品の地平が広く、多様で魅力的な作品が並んでおり、良き読書体験となったように思います。
posted by みさと at 12:01| 奈良 ☔| Comment(0) | 読書(近代文学作品) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年05月22日

古文書はじめの一歩(油井宏子)

 くずし字の入門書です。油井さんは歴史畑出身の方で、中学校教師をへて、NHK学園の古文書の講師をしている方。本書は山城国上狛村の「南組夜番帳」が題材で、漢字が中心となっております。
 上狛は祖母の実家があり、さらにいうならこの夜晩帳は祖母の実家の本家の文書であり、面識のある家の所蔵文書であるため、かなり親しみを持ってテキストに取り組むことができました。
 くずし字に触れたのはこの本が殆ど初めてでしたが、解説はかなり詳しく易しく、抵抗なく入ることができました。一つの史料を読むだけで、結構共通する文字が出てくることが驚きでした。分量的に少し物足りない感があるかもしれませんが、初学者には平易なのが嬉しい。
 今期は国文学系のくずし字の演習の授業を取り、本格的に勉強を始めました。こちらはひらがな中心ですが、仮名漢字を問わず読めるようになりたいものです。
 私は地理学や建築学の基礎を積んで、研究は近代造園史が対象のつもりですが、くずし字が読めれば、使える史料の幅も研究の射程も広がるだろうなぁと感じます(もちろん、今更国文学や史学の本職のようになれるとは思っておりませんが、、、)。
 実家にも古い文書があるのですが、これも読めるようになったら楽しそう。手法の勉強って、割と退屈なことが多いのですが、崩し字は色々と夢が広がって楽しいです。
posted by みさと at 20:14| 奈良 ☀| Comment(0) | 読書(他人文科学) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年05月20日

古典文学に見る吉野(片桐洋一ほか)

 桜トラスト運動記念講演会が元となった本で、国文学系の研究者の方が文学作品に表象された吉野(の桜)を分析した講演が並んでおります。収録は、片桐洋一「歌枕・吉野」、久保田淳「西行の世界」、井上宗雄「南北朝動乱期の文学と吉野」、島津忠夫「吉野と芭蕉」です。片桐さんは以前紹介した『歌枕を学ぶ人のために』の編者ですね。
 「紅葉」の龍田と対になり、吉野は「桜」と関連づけられて詠まれることの多い歌枕であります。この本は吉野の表象史が概ね時代に沿うように並べられており、万葉集〜芭蕉までにいたる吉野の表象史が押さえられます。万葉集や古今集の時代には、仙境になぞらえられたり雲や雪と結び付けられて詠まれることが多かったのですが、後撰集あたりから桜との結びつきが増えてゆき、西行によって桜との連関が確立され、以後の文学にも西行の影が及ぶと言う流れであります。雲や雪と桜は互いにたとえ合うことができる景物であり、桜の連想が成立したのだと想定されます。

「和歌は、人の心を種として、万の言の葉とぞなれりける。世の中にある人、ことわざしげきものなれば、心に思ふことを、見るもの、聞くものに託けて、言ひ出せるなり」と古今集の仮名序にあります。和歌の世界では、地名はただの歌の背景ではなく、人々が心に思うことを伝える媒介でありました。実景と表象は時に離れ時に交わり、互いに影響しあいながら、今の「吉野の桜」「桜の吉野」を作っています。風景というものは、社会的記憶を通じて現れる。そうした様に、私は魅力を感じます。文学の勉強は殆どしたことはありませんが、表象文化論というものにはとても心惹かれ、時々関連する本を読んでおります。
 卒業論文では紅葉の「龍田」についての造園史的研究を行おうとしておりますが、文学的なアプローチもできたら良いなぁ、と思ったり。修士になったら、国文学の勉強にも手を出してみたいものです。
posted by みさと at 20:01| 奈良 ☁| Comment(0) | 読書(言語学/文学) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年05月17日

人口減少時代の土地問題(吉原祥子)

 「土地」と言って、何をイメージするでしょうか。私なんかは、人の記憶が蓄積する記憶の場といった風に、ある種のロマンティシズムを持って見てしまいます。
 しかし、同時に土地というものは複雑な法システムや資本主義経済システムが埋め込まれ、人々の怨念の絡みついたもでもあります。本書は、主に土地に関する法システムについて、人口減少を迎える現代どのような問題に直面しているかについて統計データを用いて考察した本であります。
 登記というシステムは、所有権の対抗要件となっていると同時に、旧土地台帳を統合しており、公共的な性質を少なからず持つ国土を管理するという役割も持っています。しかし、相続の際、資産価値の低い土地や慣例的に受け継がれている土地は、登記がなされず、相続が繰り返されるたびに法定相続人が増え続け、自治体が所有権を持つ者を把握できなくなってしまいます。実態として利用されていれば良いですが、放棄されてしまえば再利用が難しくなりますし、震災の復興住宅建設など公共用地として行政が取得したいとなっても権利調整が極めて困難となります。

 土地というものは、何気なく暮らしている舞台でありますが、学生の生活では、その背景に法的システムが存在しているということに中々気づきません。
 先日、由あって相続によって生じた複雑な権利関係、利害対立が土地に絡みついている様を見て、ゾッとしました。土地というものは、住まうにしろ耕すにしろ、人の営みに実際的にも法的にも深く結びついており、容易に逃れることのできない場であります。正当に放棄することも難く、放棄しては気づかぬうちに誰かに迷惑をかける。土地には、人文主義的のみならず法経済的にも、「地霊」が宿るのだと恐ろしく感じます。
posted by みさと at 20:13| 奈良 ☔| Comment(0) | 読書(政治/経済,社会科学系) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年05月11日

木(幸田文)

 幸田文さんの随筆集で、『えぞ松の更新』『藤』『ひのき』『杉』『木のきもの』『安倍峠にて』『たての木 よこの木』『木のあやしさ』『杉』『材のいのち』『花とやなぎ』『この春の花』『松 楠 杉』『ポプラ』が収録されています。
 ボックスの本棚で見かけ、表題に惹かれて手にとった本でありますが、幸田文がこんなに木に親しんできた人だとは知りませんでした。木に親しむ契機には、『藤』にあるように、土地柄、家庭環境が影響していたみたいで、父・露伴も木にかなり親しみを持っていた人物であることが記述されていました。私の貧困な知識では、露伴といえばまず思い浮かぶのが『五重塔』で、木造建築を描いた作品が評価されたのもこうしたところがあるのかな、と思ったり。この随筆集でも、『材のいのち』などで古社寺に関わる棟梁の話が出てきます。
 この本を読んでいると、常に私たちの視界の結構な部分を満たしている木々ーー立ち木であれ、材であれーーを、普段全然気にせず生きていることが痛感されます。私は登山をしており、林業にも関わっており、森林科学にも多少親しんできたのに、木々への感性が薄いと悲しく思います。
 印象的な作品はいくつかありますが、まず心引かれたのは、冒頭の『えぞ松の更新』。エゾマツの倒木更新なんていう、すごく森林科学的な、ニッチな題材で驚いて読み始めると、専門的な題材でありながらも、感性は学者ずれしていない、清新な感性で書かれています。古木の水漬き、乾き、温もり。五感に感ずる、素敵な文章でした。
『灰』も良い。雨に濡れて生コン化した火山灰にまとわりつかれ被害を受けた木々の話なのですが、夏に枝を落としたため秋に青葉を茂らせる楓の不気味さ、悲しさが印象に残ります。
 小川和佑『桜の文学史』を読んで以来、表象される植物や植物の文学的認識に心惹かれています。山屋としても、幸田文のような、文学的感性を持って、植物に接していけるようになりたいなぁ、と刺激になりました。
posted by みさと at 22:14| 奈良 | Comment(0) | 読書(他国内文学作品) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする