2018年09月30日

歴史のなかの家族と結婚ーージェンダーの視点から

 服藤早苗監修、伊集院葉子/栗山圭子/長島敦子/石崎昇子/浅野富美枝執筆。女性研究者五人によって、家族・結婚・女性史をざっと概観しています。
 『家と村の社会学』を読んで以来、「家」や「家族」についての興味が強くなって来ました。結婚も遥か彼方ではなくなっているという年齢に加え、旧庄屋家で自営業という自らの出自も「家」について意識が高まることに資している気がします。
 平易で読みやすく、このジャンルの入門書にはぴったりでした。夫婦別姓論争を始め、「家」「家庭」やジェンダーの問題は、しばしば歴史的事実に反するかなり無責任な議論が繰り広げられています。私も断片的に知識があるため、そうした議論を聞くと首を傾げながらも、自分自身無責任な反論しかできないのをもどかしく思っていました。
 私たちは、普段「昔は〜」というとき、その「昔」の指すものは精々戦後や近代、どんなに戻っても近世にすぎません。「伝統」と呼ばれるものにも、明治維新やGHQの戦後体制で生まれたものも多く含まれます。いくつもパラダイムをまたいだものは、歴史的知識がないと見えないのです。
 肌感覚で「昔」や「伝統」、あるいはそれと比較した「今」「現代」を語るのは、軽率で誤りを招きます。過去対現代の二項対立で社会問題を考察しては、視野狭窄を免れ得ません。「昔」は歴史であり、単一のものとしてみることは誤りです。通史的な把握をしてこそ、社会問題の本質をつかめるのだと思います。

 とは言いながらも、私も「近代」「モダニズム」を考えるとき、前近代との比較で近視眼的に見がちであります。分析の内容によってはそれでも的を得ることもあると思いますが、歴史がグラヂュアルに変化するものであるということ、(さらには地理的な偏差もあること)を常に頭において思考していきたい、と自戒を込めて記しておきたいと思います。
posted by みさと at 23:58| 奈良 ☔| Comment(0) | 読書(他人文科学) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年09月25日

知識ゼロからの現代農業入門

 八木宏典さん監修の本です。遺伝子や制度、貿易などの概論や各作物の各論をざっくりと行なっています。

 私は中学時代より「農村」に興味があり、「生活空間」を中心に、地理学・社会学・民俗学などの知識を用いて分析したり、巡検したり、文献を読んだりしてきました。実家に少しばかりの畑もありますし、サークルで林業をしていたり「農」「農村」というものに馴染み深いはずなのですが、意外と「農業」自体については知識がないな、と思ってこの本を図書館で手に取りました。
 ざっくりと様々なことに触れており、軽く暇つぶしに読めました。
 私にとって直接役立つ知識ではありませんが、「農村」をフィールドにする上で、農村関係の書物を読む上での基礎知識となったと思います。
 この本でもほんの軽く触れられていることですが、最近地主制について興味が出ており、土地制度史・農政史について、もっと掘り下げてみたい気がします。
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2018年09月21日

風景学入門

 中村良夫さんの本です。風景論の名著として名高い本であります。
 中村さん自身は土木の人なのですが、建築学、心理学、文学、地理学、美学、東洋思想などかなり幅広い範囲の学問を踏まえた内容となっています。
 ゲシュタルトをはじめとする視覚心理学はほとんど触れたことのない分野です。縁や連続物などが風景で注視されやすい点であり、風景中の図・対象物として認識されやすいのは水平角20°、鉛直角10°のうちであるということなど、とても新鮮で興味深かったです。こうした定量的な分析の視点はこれまで学んできた中で身についていないので、取り入れたいなと思いながらも中々難しそうです。

 またギブソンのいう「空間の操作的意味」というのも印象的でした。人が知覚する空間や物体は、自らの仮想の行動と結びついているというものです。具体的には、風景画に描かれる人物に自らを投射したり、道が描かれることで実際に周遊する気分になったり(臥遊)…。庭園や風景画の見方が新しくなった気がします。

 空海の風景論で使われていた「境」という言葉も重要な概念。「景」よりも領域性のある言葉です。中村さんは「境」を、現象的自我・客我の場と書いています。風景というものは、帰属意識、故郷意識、アイデンティティなどと良く結びつくものであり、このように捉えることは、「風景」を分析する上で一つの良い視点であると思います。

 風景は純粋美術と違い、実生活と関わる実用のものであります。それぞれの景観要素は他との縁ーー関係性によって風景全体の美を成り立たせているのだ、ということを中村さんは強調しております。このような認識は風景論の本を読んでいると多くに出てきますが、仏教思想とも結びきうることに、この本で初めて気がつきました。思想系もざっとさらえるくらいは勉強しないとな、と思います。


 この本は風景論上の重要な指摘が多く含まれているのは上に見てきた通りですが、文章自体が雅びており、読んでいてとても心地の良い一冊。文学的な風景の分析も多く織り込まれており、風景を鑑賞するお手本を示していただいた思いです。
 名著と名高いのも納得の一冊でした。
posted by みさと at 10:29| 奈良 ☔| Comment(0) | 読書(建築学/都市論) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年09月14日

街角図鑑

 三土たつおさん監修の本です。車止め、パイロン、境界標などなど路上にある様々なもののデザインを集めています。
 都市論や風景論系の本を読んでいると時折接する「路上観察」学の手引きのような本です。執筆陣の千葉大造園学の石川初さん、「工場萌え」で有名な大山顕さんは、個人的に少し縁があって、一度ずつお話ししたことがあります。そんなことで少し親しい気持ちで読み始めました。
 普段の生活では、さらにはある程度地理学や都市論の教養を積んでいても気にすることのないようなものまで詳細に観察されていて、面白かったです。

 路上園芸というのは私も以前から観察するのが好きで、前から見かければ足を止めたり、時には写真を撮ったりしていました。本来パブリックであるはずのスペースを私的に利用する。これは法的には良くないことなのかもしれませんが、緑の不足しがちな都市において自然発生的な緑化と捉えば有益なことです。さらに、植物の生育の話題を提供することで近隣とのコミュニケーションの発生を支えたり、手入れをする人の路上滞在時間が増えることで犯罪を抑制する効果が発生したりしているのです。(鈴木成文さんの路地に関する本に詳細に書かれていました。)

 街を歩くとき、何気なく目に入っている何かしらが、実は生活空間において大きな役割を果たしている。そんなことがあるかもしれません。これを機会に、目ざとく街を観察してみたいと思います。分節の仕方が変われば、風景は全く違うように見えてくるはずです。
posted by みさと at 21:14| 奈良 ☁| Comment(0) | 読書(建築学/都市論) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年09月11日

思考の整理学

 外山滋比古さんの一冊です。「東大生・京大生に一番読まれている本」と謳われており、周囲にも読んでいる人が多くて気になったので手に取りました。
 「ただ知識をつけるだけではなく、思考することが大切だ」「思考を熟成させるにはそれ自体から目を離し時間を置くことが大切だ」など、論じていることは多岐に渡ります。 現代では世間での通説となっているほど普遍的な真実と思えるようなことから、俄かには同意できないことまで色々ありました。表現も抽象論から、筆者の具体的な実践に至るまで様々です。
 知識を重視し、枠にはまった思考を助長するような教育は現代もいろいろな人によってしばしば批判されていますが、書かれたのが1983年ということを踏まえると、とても先進的であったのかもしれません。今尚残る問題ではありますが…。

 軽妙な文体で極めて読みやすく、議論も様々でありながらも整理されており、読み物としてとても秀逸だったと思います。

 もっとも印象に残ったのは「情報の”メタ”化」の項。情報には事件や事実をそのまま伝える第一次的情報と、それらを抽象・統合・整理した高次の情報があるというものです。前者にはニュース、後者には社説や評論などが当たります。前者を後者へと昇華させる方法論がこの本における大きなテーマであります。
 ふと、「今はネットがあるのだから、本などそんなに読まなくても良い」と中高時代の友人が言っていたことを思い出しました。先の二分では本もネットも高次の情報に入りますが、きちんとした本とネットの情報では大きな懸隔があると思います。ネットの情報は二次的と言っても、極めて質の悪い抽象のされ方をされたものも多く含まれておりますし、多くがその筆者の素性についても出典についても不明確であります。それに対し、本はそれらが明らかにされており、あまり質の悪いものは排除されております(胡散臭い本もありますが、、、)。名著と呼ばれるものは極めて質の高い抽象がされているのです。同じ高次の情報といっても、その質において、ネットと出版された本とでは違うのだと思います。
 高次の情報に触れるにしても、その質がよければ大いに学びになりますが、その質が悪く批判的思考が不十分であれば、ただバイアスを受けるというだけになってしまう気がします。本ーー特に、良い本を読むことは、とても重要だと思います。
 かなり脱線して個人的な意見を書いてしまいましたが、今日の読書録はこの辺りで。『思考の整理学』なのに、全然整理していない内容でごめんなさい、、、。
posted by みさと at 21:41| 奈良 ☁| Comment(0) | 読書(他人文科学) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年09月10日

家と村の社会学 増補版

 鳥越皓之さんによる村落社会学の入門書です。鳥越さんは環境社会学が専門の方で、民俗学にも造詣が深い先生です。
 村落社会学の基礎的事項について、極めて平易に概観できて、村落研究に興味がある人がはじめに読む本としてとても有効だと思います。

 私は地理学の基礎勉強はしましたが社会学の基礎を積んでおらず、かなり勉強になるところがありました。村落のあり方を類型化するには、「家」の存在のあり方を類型化することが有効であります。例えば、福武直のヨコのつながりの大きい「講組型」村落とタテのつながりの強い「同族型」村落の類型が一つです。
 地理学の分析では、外観的な分析(集村や散村)がまず存在し、人々の社会についての分析でも地理的空間や場所における差異(商圏の重層性など)に注目した研究が目立ち、こうした社会内面そのものにおける類型化はあまりないように思えます。もちろん浅学の私がここまで学んできた中で、のお話ですが。(この本で取り上げられていた鈴木榮太郎の自然村や社会地区の理論は地理学にも通じ、馴染みが深いです)

 「同族」と「親族」を始め「家」を巡る諸概念は、なんとなく経験上理解はありましたが、この本を読んである程度体系化できた気がします。最近「家」や地主制・土地制度史についても興味が出てきており、この辺り掘り下げてみたいな、と思いました。
 増補版だけのようですが、末尾に農村社会学についての文献解題がついているのも魅力。少し古くなってしまいましたが、興味のある文献もいくつかあったので、また読んでみたいと思います。

 地域研究をする上で、新たな視点を手に入れることができて、良い読書でした。
posted by みさと at 21:38| 奈良 ☁| Comment(0) | 読書(社会学) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年09月07日

紙婚式

 山本文緒さんの短編集です。収録作品は『土下座』『子宝』『おしどり』『貞淑』『ますお』『バツイチ』『秋茄子』『紙婚式』。
 結婚、夫婦の綻びをテーマにした短編集で、妹に勧められて読みました。
 夫婦生活というものは安定したものというイメージがありますが、外観の安定の中、実際の心中はどのようにあるのでしょうか。この短編集はそうした心情を描いた作品群です。印象に残ったのは『子宝』『秋茄子』『紙婚式』。
 『子宝』は「生」とその裏返しにある「死」がキーになったお話。梶井基次郎の『桜の樹の下には』を夫婦生活に落とせばこのようであろうか、という感じです。死が恐ろしいという気持ちが生のグロテスクさと繋がっているというのはよくわかります。
『秋茄子』は唯一?後味の良い終わり方をしている作品です。口ではああ言いながらも、母親への愛に溢れる旦那さんは子供っぽい一方で可愛らしくて、良い終わり方だと思います。
『紙婚式』はテーマが良い。婚姻届は単なる紙切れと言っても、本来他人であったものを家族にするという呪術性を持ったもの。契約というとドライなようですが、人間を深く結びつけるものでもあると思います。
posted by みさと at 17:29| 奈良 ☁| Comment(0) | 読書(その他文学) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年09月06日

団地の時代

 原武史さんと重松清さんの対談です。東京の団地で生まれ育った原さんと、地方に生まれ、ニュータウンを転々として回った重松さんが、団地のあれこれについて考察しています。

 私の生まれた街・柏原も、大都市の郊外にあるベッドタウンではありますが、農村と在郷町がスプロール的に拡大してできた都市で、私団地という存在には接さずに育ってきました。
 こう言う経緯もありまして、私は農村や戸建てに対して団地・マンション・ニュータウンを一つのくくりにして考えることが多かったったのですが、この本ではこれらを明らかに違うものとして論じています。私にとってはそれが一つの衝撃でした。団地は戦後の住宅不足の対策として公団や自治体が作った画一的な住宅群であります。それに対して、ニュータウンはもう少し後の時代、多摩ニュータウンを代表に、住民・住宅ともにある程度多様な様相を見せる住宅群であります。

 団地を論ずる時、「画一的」と言うのが重要なキーワードとなります。それは、景観的にもそうですし、住民の社会的階層においてもそうです。
 団地の住民たちはかなりの近距離に住み、同質的な生活を送り、教育・インフラなど共同の課題をもっている。コンクリートの、堅固な一室は近隣とのつながりを阻むように思えますが、実際はしばしば強力なコミュニティが形成されたと言うところがこの本の大きなポイントだと思います。
 こうした自治会はしばしば革新勢力と結びつき、共産党や公明党の票田になります。

かつて「団地妻」のポルノが流行ったのが団地の空間的特性の現れであると言う指摘も、文化史・空間論的に興味深いことでした(と言っても実際見たことがあるわけではありませんが笑)。機密性の高い住居に加え、職住分離、家電の普及である程度時間に余裕のある「主婦」の誕生。冗談めかして話に上がっていることですが、中々重要な指摘だと思います。

 モダニズムの象徴として都市論の世界では良く取り上げられる「団地」。外から見ることはあっても、それ以上触れ合ったことのない対象です。原さんの生きた経験は、ものすごく新鮮でしたし、興味深かったです。
 団地、ニュータウン、旧集落、スプロール……。均質的と言われながらも、実は多様な様相を見せる「郊外」。研究対象として農村を志向していた私ですが、郊外に心をくすぐられる今日この頃です…。
posted by みさと at 21:59| 奈良 ☁| Comment(0) | 読書(建築学/都市論) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年09月04日

小公女

 フランシス=ホジソン=バーネット作の有名な児童文学です。曾野綾子訳の講談社・青い鳥文庫のものを読みました。
 名高い作品ですが、恥ずかしながら読んだのは、おそらく初めてです。

 児童文学とみなされる作品には、主人公が積極的に行動を起こし、自ら活路を切り開いていくというお話が多い気がしますが、このお話の主人公・セーラは少し違います。お金持ちのクルー家に生まれ、父の死により小間使いに転落し、父の友人との接触によって再び裕福になると言う風に、物語は主人公ではない外在的な営力によって進行されていきます。セーラは、気高き気丈な心と豊かな想像力をもってそうした運命に耐え、それらを導いているのです。物語・主人公がまさしく「運命」によって動かされていると言えるでしょう。
 受動的な展開ではありますが、だからこそこの作品のテーマである主人公の気高さ・気丈さが引き立っている気がします。気高さ・気丈さは「運命」と相性の良いテーマだと思います。

 また、セーラは屋根裏の自室で、粗末な部屋をバスティーユの監獄や豪華な部屋にいる「つもり」になる空想遊びをし、辛い気持ちにならないようにしていました。これは、粗末な、殺風景な部屋であるからこそできることだと思います。装飾も何もない、「意味」の削がれた空間であるからこそ、想像によって「意味」を付与したくなるのでしょうし、そうできるのでしょう。屋根裏部屋はセーラの想像力を活かすには良い環境であったと言えるでしょう。


 そういえば、小学生の時分、「小公女・セーラに似ている」と同級生に言われたことがやけに記憶に残っています。それはどのような文脈で、どのようなニュアンスで言われたことだったのかは、全く思い出すことはできないのですが……。
posted by みさと at 11:44| 奈良 ☁| Comment(0) | 読書(児童文学) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする