2018年01月27日

わたしはここにいる、と呟く。

 新津きよみさんの短編集です。収録作品は『わたしを探して』『時のひずみ』『あなたの居場所』『忘れはしない』『思い出を盗んだ女』『あの日あの時』『その日まで』です。
 ザ・新津作品と言った感じの日常系ミステリ集です。一応ミステリに分類されるのか、ノンジャンルと言うべきか。作品に登場する人物の立場は様々ですが、総じて30代後半くらいの女性が多く、子供や認知症に向かっていく老人のモチーフも頻繁に登場しています。新津さんが執筆当時この年代だったのか、この年代の体験が大きな記憶に残っているのでしょうか。
 他の短編集であったような、ゾッとする、と言うほど怖い作品はありません。少し後味が悪かったり、あるいはホッとするような作品もあります。
 『時のひずみ』は、探し物が得意な奥さんの話。そんな奥さんがどうしても見つけられないものがあって、、、と言うあらすじです。子供の健気な行為が、温かな気持ちになれます。
 作品展開的にドラマチックで好きなのが、『思い出を盗んだ女』『あの日あの時』の二作品。過去と現在の偶然の符合が見事な形で現れます。

 この作品は、と言うほどものすごく大好きな作品があったわけではありませんが、どの短編もコンパクトな佳作揃いで、試験期間中の良い息抜きになりました。
posted by みさと at 18:06| 奈良 ☀| Comment(0) | 読書(その他文学) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月22日

日本庭園ーー空間の美の歴史

 小野健吉さんの本です。先史時代の庭園前史から重森三玲の近代に至るまで、日本の庭園史を概観しています。大学の授業で小野先生の授業をとっており、庭園に興味が出てきたことから読みました。
 小野先生はかつて私の学部で客員教授をされており、現在は和歌山大の観光学部で教鞭をとっていらっしゃいます。後期に急遽ピンチヒッターとして授業を担当なさることになり、学系の建築史の先生から、受講を勧められて受けたところ、庭園の魅力に惹かれるようになったという次第であります。庭園というのは日本人特有の「名所」の風景観が現れるところでありますから、風景に興味のある私にとってとても気になるものだったのです。
 これ一冊を通読すれば、日本庭園の通史が理解できます。ただ綺麗だな、と庭を見るというだけでなく、歴史を知れば、ますます庭を見るのが面白くなります。浄土思想の表現された木津川市の浄瑠璃寺庭園、桃山期・醍醐寺三宝院の豪奢な庭園など、いくつかの庭園を実際に観に行きました。中学や高校の頃、兼六園や栗林公園をただ綺麗やな、とだけ思っていたのがもったいないように思えてきます。またこれまでにいったことのあるところを含めて、お庭巡りをしてみたいな、と思います。

 また小野先生が終章で書いているのですが、様々な時代の庭を考えることで、日本人の空間的美意識が見えてくるのがとても興味深いところです。時代により変容はありますが、自然の眺めがその規範となっているということは、奈良時代以降の庭園に共通するものであります。
 私が考えている風景は近代以降に偏っている気がします。前近代も含めて風景についてもっと思考できるようになれば、今回学んだ庭園史がもっと生きてくるのだろうな、と。もっとたくさん本を読まねば!  美学あたりも勉強したいです。
posted by みさと at 20:44| 奈良 ☔| Comment(0) | 読書(農学/林学) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月18日

かしわらの史跡(上)(下)

 重田堅一さんの本です。短いコラムのような柏原の歴史に関する記事を集めた本です。二頁ほどで完結する記事ばかりですので、暇な時間、隙間時間にだらだらと読んで読み切りました。この本の好きなところは、柏原市域に関する和歌がたくさん載っているところ。古歌を集めて龍田の眺めの復元を考えようと思っていたところなので、中々興味深かったです。
 市史を読んでいるので、知っている知識が大部分だったのですが、こう改めて記事集を見てみると、柏原は地味だけどすごい歴史が多いのだなぁ、と。
 かなり読みやすいので、柏原の郷土史入門にはちょうど良いのではないでしょうか。確か、市立図書館にも入っていたと思います。
posted by みさと at 09:12| 奈良 ☀| Comment(0) | 読書(地理学) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月16日

森林の機能と評価

 木平勇吉さん編著の一冊です。公共政策論の演習で林業・森林政策をテーマに選び、その参考にするために読みました。資本主義の世界を考えていると、森林は林業者が木材を生産する場という側面が目立ちますが、実際森林は「緑のダム」というように水を蓄えたり、根を貼ることで土砂災害を防止したり、日本人の原風景を構成する要素となることで、また信仰の対象となること文化形成の基盤となったり、散策に来る人を癒したりするなど、人間社会に多様な形で貢献しています。このため、森林を活用する、時に林業という産業は極めて外部経済の大きな産業であるのです。
 こうした森林の多面的機能は大昔から知られており、平安時代に禁伐令が出されたり、江戸幕府が造林を行ったりしております。戦後初期は経済的機能を重視した政策が中心でしたが、多面的機能を分析し、評価しようとする試みも次第に盛んになり、昭和40年代にはいくつかの森林機能が貨幣評価されました。特に2001年に日本学術会議の「地球環境・人間生活にかかわる農業及び森林の多面的な機能評価について」の答申があり、林業基本法が森林・林業基本法に改正されて以降森林の多面的機能についての注目は強まります。

 ある程度知っている知識を、少し学問的に消化できたような気がします、特に、外部経済をミクロ経済的に費用便益分析を行なったグラフが載っており、このように描けるのだ、と驚きました。経済学の人なら常識のようなことなのかもしれませんが、全然経済学をやってない身からすると、数式だけでこの世を描ける面白さに触れることが感動しました。

 発表では多面的機能の内部化と、森林機能の保持、林業山村振興を目的に、申請に応じて森林機能を簡便に段階評価してそのランクに合わせた助成金を交付するという政策を考えました。かなり粗いな、と思いながらも、教授には(1、2回生向けの基礎演習ということもあって)高評価をいただいたので、ちょっと満足です。
posted by みさと at 12:16| 奈良 ☀| Comment(0) | 読書(農学/林学) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月12日

20歳になって思うこと。

1月7日、20歳となりました。12歳の頃に始め、8年間このブログを続けているのも不思議な感じがします。
 幼い頃は、20歳というととってもお兄さんな印象を抱いていたのですが、実際になってみると、まだまだ未熟で幼い感じ。こんなので(法律的にそうなっているというだけで)「大人」を名乗っても良いのかな、と不安に思います。


 楽しいことも苦しいこともいっぱいあった10代。小学校時代の手芸部、かるたクラブ、中学時代の地歴部。高校時代のインターアクト(ボランティア)クラブ。大学に入ってからのワンダーフォーゲル部、山仕事サークル。所属してきた部活だけをとって見ても、色々な経験をすることができてきたのだな、と。またこれらは私の価値観の形成に強く影響してきました。

 中学時代、サイクリングを通じて、柏原市、三郷町、王寺町を中心とする大阪府・奈良県の郷土史に興味を持ち、現地を回りながら地域のことを調べました。高校時代は河内長野でボランティア活動に取り組むうちに、社会問題についての興味が生じ、中学時代に考えたことと合わせて「まちおこし」「まちづくり」を将来の仕事にしたいと思い、拙いなりにその手法を考えたりしていました。大学になって地理学や建築史を学ぶうちに、「地域」というもの、「まちおこし」「まちづくり」というものを相対化して考えるようになり、「地域活性化」系から身を引くようになりました。代わりに、「地域」というものは一体どういうものなのか、また私がこれまで「地域」を愛する大きな理由となっていた「風景」が如何様に存在するのかについてを中心に考えることが多くなりました。
 色々変遷しているように思えますが、どの時代にやっていたこともいまの私の思考を形成しているものです。いまの自分の思考・性格を必ずしも肯定的に捉えているわけではありませんが、私はいまの私でしかありません。
 詳しくは申しませんが、勉強面でも、人間関係面でも、中学生活、高校生活、もっと良い10代の過ごし方があったのではないか、と考えることも多いです。しかし、上のように思うと、やっぱり掛け替えのない10代だったな、と思います。

 20代。色々な責任が生じてくる年代になってしまいました。自分の未熟さは痛感していますが、学問や仕事に励み、しっかりとした大人になることができるよう、精進したいと思います。
 30になる時、20代を振り返って、どのように思うでしょうか。どう過ごしても、10代の振り返りのようになんだかんだ肯定できるのかもしれませんが、積極的に認められるようにできたらいいな、と思っています。
posted by みさと at 12:46| 奈良 ☀| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月03日

20歳の原点

 今月7日、私は20歳になります。そんな私に後輩が貸してくれた一冊がこの本。立命館大学の学生であり、学生運動の渦中の中自ら命を絶った高野悦子さんが、亡くなった歳、すなわち20歳の間に書いた日記です。
 高野悦子さん。旧地主の家に生まれ、京都の大学に通っている学生というのは私と同じ。しかし、時代も、さらにそれに規定される性格の表れも私とは全然違っています。

 彼女が学生時代を過ごしたのは学生運動の時代(1967−1969)です。近代資本主義への埋め込みから脱そうと試み、「個」というものを意識した時代。場所や歴史のしがらみから抜け出し、平等な条件のもと自由な個人を求めた時代とも言えます。この本を読んで、衝撃を受けたのは、高野さんのそうした思考のあり方です。自己に、他人にこうまで強い興味を持ち、内省的に思考しているのだ、ということに強く驚かされました。

 私自身はというと、生まれた時から、ある程度自由主義に解放された身であり、むしろ何らかの文脈の中に自己(同一性)を見出すようなーーひょっとすれば、文脈に自己を埋め込みたがるようなーー思考をしているような気がします。その文脈というのは、実家の持つ歴史(性)・文化(曽祖母の早逝で50年前と比べかなり平準化・変容したものでありますが)であったり、カッコ付きの「郷土」「ふるさと」ーーすなわち、柏原と周辺の王寺、三郷、河内長野など)ーーであったり、大学やサークルで通う一乗寺、吉田、雲ケ畑の学校/地域社会であったり。
 大学で地理学や都市論を学び、最近では社会学に興味を持っているように、人間を取り巻く社会の文脈について、私は強く興味を抱いています。しかし、それらを構成しているーー同時にそれらに構成されているーー「個」としての人間それ自体については、これまで興味があるように思い込んでいましたが、実はあまり興味がないのかもしれない、と思いました。
 私自身の行動ーー利己行動・利他行動も、「誰か」特定の人のためと思ってしていることのように思い込んでいましたが、よくよく考えてみれば、イエ、地域社会、クラブ、学問と言ったように、社会文脈の枠組みがいつも念頭にあるように思えてきます。

 高野さんと私の思考の違いは、モダニズムーーポストモダニズムのような「時代」に規定されたものであるのかもしれませんが、そう納得しつつも、高野さんが個人としての自己を、他人を、あのようにまで思惟しているのだということはかなりの衝撃でした。自己内省もそうですし、恋愛意識の記述もそうですし、文のあらゆるところにそれがみなぎっている気がします。
 現代に生きる自分の周りの人は、どこまで自己/他人のことを考えているのでしょうか。周囲の人たちーー個人!ーーがもし高野さんほど自己や他者のことを考えていたら、と思うと、怖くて仕方ありません。私自身がわかるのは私自身の思考だけ(果たして、それもわかっていると言えるのかどうかは怪しいのですが…)。このようなことを考えていると、これまで思惟の対象としてきた、個人の集合たる社会が、寸分も理解していないのに、一部を解き明かしたかのように思い込んで陶酔に浸っている私をあざ笑う、得体の知れない怪物のように思えてきます。



 
 この一冊の本を読んで、このような思いを抱くのは、私が私なりの背景ーー文脈ーーを持っているからかと思います(またこんな考え方をしている…)。高野さんも、日記を読んだ人がこのような感想を持つとは思わないでしょう。
 この文学作品は、日記という性質上読みやすいわけでもなく、物語としては面白いと言うわけではありません。しかし、読む人の心に何か及ぼすものがあるのは確かだと思います。読む人読む人の文脈に応じて、それぞれ違う感情を与えるのだと思います。



ーー独りであること、未熟であること、これが私の二十歳の原点である。



 50年前、同じ京都という場に、同じ大学生・ワンゲル部員という立場で、しかし、全然違うように考え、行動し、生きていった女性の胸の内に触れたこと。私自身の考え方、生き方というものを相対化できた気がします。
 ひょっとしたら、この日記は、私にとっても「20歳の原点」になるような気もします。独りであること、未熟であること。私は孤独を感じるがゆえ、社会の文脈に埋め込まれようとしているのであり、そのように向かっていく性格・思考・行動はやはり無骨で粗だらけ。ーー独りであること、未熟であること。私にとって、この言葉から引き出される意味は、彼女とは全くちがうものであります。ーーだけど、それでもやっぱり、どこか通じるところがある気がするのが不思議です。
 20歳になる記念に読んだ本に、とてもふさわしい一冊でした。


 最期の詩が、心に残りました。はじめの部分だけですが、引用しておきます。
ーーーーーーーーーーー
旅に出よう
テントとシュラフの入った
ザックをしょい
ポケットには
一箱の煙草と笛をもち
旅に出よう

出発の日は雨がよい
霧のようにやわらかい
春の雨がよい
萌え出でた若芽が
しっとりとぬれながら

そして富士の山にあるという
原始林の中にゆこう
ゆっくりとあせることなく……
posted by みさと at 22:55| 奈良 ☁| Comment(0) | 読書(その他) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする