2017年05月13日

精霊の守り人

 上橋菜穂子さんのファンタジー小説です。

あらすじ
 バルサは熟練の女用心棒。ある日川に落ちた新ヨゴ皇国の第二皇子・チャグムを救う。そのことをきっかけとして、バルサは精霊の卵を体に宿し、父に狙われるようになったチャグムを護衛することになるが…。




 妹が好きな作品で、中高を通して友達からも何度かおすすめされていましたが、大学生となった今になってはじめて読みました。昔はファンタジーが苦手で、どうも読むのが照れくさいと思ったり、中学時代宮部みゆきさんの『ブレイブストーリー』に挫折したりした経験もありましたが、大変楽しく読むことができました。中学時代などは「この年になってファンタジーは、、、」という風に考えていたのですが、今思えば背伸びしてかっこつけているようで、そのことを思い出す方が照れくさいです笑
 さて、この小説の読みどころは、精緻に作られた世界観。文化人類学者というだけあって、特に先住民族・ヤクーの風俗描写が物凄く上手です。家に入る敷居の前で二度足踏みする厄落としなどの風習やヤシロ村の立地・地形・衣食住の描写などがきわめて具体的にかつわかりやすくあらわされており、立体感といいますか、世界が生きたものとなっている気がします。特に鳥<ナージ>の骨を垂らした村境の道切り縄の持つ意味合いは物語の根幹にかかわっており、作者が民俗習慣の観察に慣れていることがよくわかります。
 またヨゴ人とヤクーの関係は、現実世界の国家を思わせます。ヤシロ村などの国家周縁部においても先住民族と支配民族の混血がおこなわれ、「ヤクー」が消滅しようとしている。言語はヨゴ語に統一。風習もクレオール化が進む。しかし、それでいてなお、首都のヨゴ人はヤクーを蔑視している。豊作を祈る夏至祭りの持つ意味も帝祖の偉業を称えるものに変化している。こういうところも、筆者が背景とする文化人類学が強く活かされていて良いです。ある意味この小説を読んだのが大学で文化人類学を少しかじってからでよかったとも思えます。
 バルサが無敵の超人ではなく怪我もし、また星読博士たちが権力闘争に熱を上げたりしているのも、人間臭くて、物語の立体感を助けています。
 テンポの良い物語進行、覇気のあるアクションシーンもあり、かなり読みやすく、読んでいて爽快でした。また続編も読んでみたいです。

評価:A
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2017年05月08日

文化と国家――教育と国民の形成

 久しぶりに社会科学にまつわることをブログで書こうかな、と。教育が国家を形成し、ナショナリズムを生じさせるというゲルナーのナショナリズム論を元に、文化と国家・地域の関係を考察してみようと思います。政治や教育については全くの門外漢ですが、大学で学ぶ人文地理学・文化人類学と深く結びつき、中々興味のあるところであります。

ゲルナーは農耕社会から近代の産業社会への移行が国家を生み出したと述べています。産業社会の二次・三次産業は普遍的な読み書きの能力、また高水準の計算能力などを必要としています。これらの能力を身に着けるためには、農耕社会での口伝的、実践的な教育ではなく、地域によって異ならない、高次の教育が行われる必要があります。この高次の教育システムを支えるためには国家が必要であり、逆に言うと、国家は教育を独占し、国家の領域を標準化・定式化したやり方で、「国民」に教育を行います。このとき、新世代に伝わる文化は口伝的な共同体の個別文化ではなく、汎国家的な、あるいは国家という単位に統一された文化であります。新世代はこうして「国」の文化に愛着を持つようになり、ナショナリズムが生じるのであります。(出版資本主義、想像の共同体という議論もありますが、長くなるし調べればすぐ出てくることなので割愛…。)

 ここで、具体的な事例を取り上げてみます。発展途上国の国土周縁地域において、先住民族の識字率を上げようとする取り組みは様々な国でなされています。私は高校時代、タイの先住民族の識字率向上に取り組むボランティアの人と会ったことがあります。彼女は、「その地域の先住民族は文字のない言語を使っており(即ち識字率が低いため)、近代的な職に就けず生活レベルも低い。そのため、タイ語教育を推進して識字率を向上させたい」と述べていました。
私はそれを聞いて、複雑な気持ちになりました。確かに、近現代的な二次産業・三次産業の職に就くためには多くの場合文字を読めなければならず、またその文字は普遍的な共通語であることが望ましいのはもっともです。実際タイ語の文字教育を行えば、その民族は経済的に豊かになれるかもしれません。
しかし、これまで受け継がれてきたその民族独自の言語や文化はタイの共通語・タイの中心的な文化に併呑されることとなるのではないか。さらに文字を読めるようになった住民は都市的職業を求めて都市に移住し、長らく独自文化を養ってきた地域自体が消滅してしまうのではないだろうか。タイの周縁地域におけるタイ語教育は、日本がアジア各地で行っていた皇民化政策といかに違うのだろうか。そう疑問を抱いた一方で、文化の喪失は彼らにとって意味のあることかどうかはわからないのではないか、ということにも気づきます。文化の継承よりも現代的な豊かな暮らしを享受する方が彼らにとって幸せなのかもしれない。すでに幕末維新期、文化を西欧の波に沈めるのと引き換えに産業化を享受している私たち日本人にとやこう言う資格はない。もし識字教育を推進する人たちが、彼らの意志を確かめた上で運動を行っているのであれば、反論はなおさら難しくなります。
今になって、あのとき農耕社会から産業社会への変化の様子、そして国民が生成される様子を目の当たりにしていたのだと気付きます。あの地域の住民は、XX族からタイ人になろうとしていたのです。
国民・国家の生成は、国家以下のスケールの文化を多かれ少なかれ消滅させてしまいます。ナショナリストは国家の文化を殊更に信奉して、画一的な風景や価値観を増産するグローバリゼーションを批判しています。しかし、あえて強い言葉を使うと、彼らの信ずるところの文化は教育というものを通じて内なる文化を多く滅ぼして恣意的に形成された文化なのであります。すなわち過去において生じたナショナリゼーションは現在起こっているグローバリゼーションと同じ一面を持っているのです(だからと言って、個人的にグローバリゼーションを肯定するわけではありませんが)。それが国家という規模か、世界という規模かの違いです。
 グローバリゼーションを文化の面から批判するのであれば、国家とその国の文化の関係から見直さなければなりません。
 そもそも、ある基準で空間を区切るという行為自体がそれ以下のスケールの文化やアイデンティティを滅ぼすことに繫がっているのだと思います。また後日稿を改め、今回より微視的な観点から、廃藩置県や都道府県、県民性の問題を例に挙げ、この問題について考えたいと思います。
posted by みさと at 17:46| 奈良 | Comment(0) | TrackBack(0) | 地理/歴史/政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月04日

まひるの月を追いかけて

 恩田陸さんのミステリ小説です。

あらすじ
 異母兄の研吾が奈良で消息不明になった。ほとんどあったこともない研吾の恋人に連れられて、私は奈良へと旅立った。旅が進むにつれ、事実が少しずつ明らかになっていく。虚偽と真実が入り混じる旅の中、私は――。




 奈良を舞台にした恩田さんの小説ということで読んでみました。設定だけを聞くとありがちな二時間ドラマのような感じがしますが、陳腐にならず、見事に恩田ワールドになっていました。さすがです。
 知ってる風景が多く出てくると、なかなか物語に現実感が出てきて不思議な感じです。しかもそれが、少し幻想的な恩田作品なだけに、なおさら……。

評価:B
posted by みさと at 15:18| 奈良 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書(恩田陸) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする