2017年01月29日

高野聖・眉かくしの霊

 泉鏡花さんの小説です。

あらすじ(高野聖)
 ある旅館での夜ーー道連れの僧は飛騨山中の峠越えのとき体験した不思議な出来事を語った。行く道に横たわる大蛇に、雨のように降り注ぐ蛭の森、そして妖しくも美しい女性の暮らす峠の一つ家……。鏡花怪奇譚の名作の一つ。




 以前アンソロジーで読んだ『薬草取』に魅せられ、鏡花をしっかり読んでみようと思い、生協で購入した一冊です。
 妖しく幻想的な中に、どこか俗っぽさというか、親しみやすさが混じるのが鏡花の特徴なのかもしれません。これのあるおかげで不思議な世界に自らを没入させてくれるのかもしれないと思いました。
 鏡花の怪奇譚は妖しさ、気味悪さ、恐ろしさと同時に絶妙な美しさが存在しています。風景や世界観はもちろんですが、『高野聖』ならば、一つ家の女の妙に肉感的で、艶めかしい描写。俗なるもののような、聖なるもののような不思議さに幻想的な靄がかかったような美しさが感じられました。そしてここに「白痴」とされる少年を配することで女の妖しさが増しています。また僧侶も語り手に対して気安い態度をとり、また最終的に女に心惹かれるという俗性を持ちながらも、女に惹かれるのは性欲などではなく「白痴」にたいする優しさを持っているところに由来しており、動物に変えられることもなかったという聖性をも持っているのも一つ。聖俗の交わり、幻想的な美しさの両方がよく顕れており、そういう点で鏡花の良さがよく表れた作品といえるかもしれません。
 ちなみに蛭の森の描写も見どころの一つだと思います。自分はワンゲルで蛭にひどくやられた経験がありトラウマを抉られたということもあるかもしれませんが(汗)、気味悪さがひどく印象に残りました。この肉感的な気持ち悪さが幻想性を帯びた物語のよいアクセントとなっているように思います。

『眉かくしの霊』も佳作。先にもあげた鏡花の魅力がよく伝わってくる作品です。雪の山国のさびれた旅館というのも物語によく合っていて、聖性と俗性の交錯する地点としても、美しさ、妖しさ、そして儚さを醸し出す舞台としてもよく機能しています。日本の伝統的な怪談の妖美さが感じられる短編です。


評価:AA
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2017年01月22日

住まいを読む――現代日本住居論

 鈴木成史さんの本です。現代日本の住宅の歴史を追うとともに、それぞれの住宅についての意義を考察しています。取り上げられているのは、農村住宅、漁村住宅、町家、下町の住まい、中廊下型住宅、都市LDK型住宅、地方続き間型住宅、建築家の設計した住宅、集合住宅、コーポラティブ住宅などです。
 戦前から現代(といっても20世紀終わりまでですが)にいたるまでの住宅史が概観できるのもよかったですが、特に心に残ったのが、下町や漁村の住まいにおける家と路地との関係です。このような密集して暮らす地域では、路地が各戸により宅の延長として、日常生活(炊事、洗濯、etc…)の場所として使われているのです。これは住宅の狭さを補うと同時に同じ路地を使う人々の生活空間が重なり合って、町内での連帯心や防犯効果も生み出しているのです。路地で植木鉢をおいて自分の家の特徴を表す「表出」行為や開放的な家屋構造などもこれを支えているのです。
 また現代によくある閉鎖的、固定的な間取り構造についても批判をされています。鈴木氏の言うとおり、家族というものは不変的なものではなく、家族形態の変化に合わせて住宅の使い方も変えていくべだと思います。現代ではけ結婚するまでは実家、結婚したら夫婦でマンション、子供が育ってきたら一戸建ての新住宅、という風に、家族形態の変化を「引っ越し」という形で対応する傾向がありますが、これは人口に対する住宅の過剰供給を招いて将来の空き家問題につながります。また文化の継承という面を考えても、核家族ではなく、どちらかの親元の家に同居して、その昔からの家を住みこなし、住み変えていくべきだと思います。(もちろん、地域や建てられた時代によって住宅の特徴や広さは千差万別でありますから、一概にそうしろ、ということはできませんが…)
 個人的には中廊下型住宅が良い住宅だな、と思いました。部屋がふすまなどでつながっていて間取りの柔軟性が確保できている一方で個室というものができ、さらに各部屋への動線が分離することで一定のプライバシー性も生まれている。そして各部屋が完全に遮断されず音などがある程度通るからこそいざというとき駆けつけやすく、介護や育児などもしやすいのです。

 私は地域づくりを将来の仕事としたいと考えていますが、これまで考えてきたのは都市や村全体のことばかりだったような気がします。この本を読んで、改めてそれらは、個人の生活・個人の住まいの集合体だということに気付かされた思いです。当然のことで理解していたはずなのですが、まちのことを考えようとするときどうしても巨視的な方に思考が行ってしまっていた気がします。自分のものごとを考えるアプローチを増やしてくれた一冊でした。
 同時に、住宅や間取り、生活空間に俄然興味が……。建築関係の本ももっと読んでみたいと思いました。

評価:AA
posted by みさと at 12:03| 奈良 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書(小説以外) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月03日

ピーター・パンとウェンディ

  ジェームズ・M・バリーさんの小説です。

あらすじ
 ウェンディら三姉弟の家にピーターパンが現れた。彼は三姉弟に魔法の粉へとふりかけ、ネバーランドへと一緒に飛び立った。人魚、人食いワニ、インディアン、海賊たちの待つネバーランドではピーターパンを中心に様々な冒険が繰り広げられる。




 ものすごーく久々の海外小説。児童文学と言いつつも、かなり残酷な描写があり、いろいろ深く考えさせるところがあったり、結構大人向けな印象を受けました。「本当は怖いピーターパン」なんていう話(これは大人になった迷子を間引くという記述からだったかと)を聞いた事がありますが、確かに…。なんとなくピーターパンにヒーロー的なイメージを抱いていたので、見事に破られて結構ショックを受けましたが、おもしろかったです。
 ネバーランドというのは、子供達が作る想像の世界なのではないでしょうか。小さい子供って、「ごっこ遊び」をよくします。そうした遊びをするとき、私たちはある一貫した世界(ときにはそれは夢の中にも通じます)を作っていたかと思います。それがネバーランドなのではないでしょうか。三姉弟がある程度共通したネバーランドを持っていたのは同じ環境で育っていたから。そして、ある程度「ご都合主義」もそうした想像の世界では問題がありませんし、ネバーランドにいる間いろいろなことをする「フリ」をして済ませていたのもそうしたことの暗示なのかもしれません。また想像世界の象徴たる妖精・ティンカーベルの死は子供達が大人になってそうした世界が失われたことの象徴とも言えそうです。
 フックを見栄っ張りで冷酷な大人像を崩さないまま殺す一方で、大人の代表格であるウェンディのお父さんが同じく見栄っ張りで卑怯なのにやけに子供っぽく書かれているのが面白いです。この小説は大人と子供を大きく分けているようで、通底するところがあることを認めているのかもしれません。

 この本を読んで、つまらない大人になることに嘆きながらも、それを何の抵抗もなく受け入れようとしている自分に気がつきました。ピーターは記憶を積み重ねないから大人になれない(+なりたくない)のかなぁ、なんて思ったり。

評価:B
posted by みさと at 11:56| 奈良 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書(その他の著者) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする