2012年10月31日

高山 〜〜三室山麓・国境の町〜〜(三郷町)

今回は三郷町立野の一垣内・高山集落について紹介します。

 この集落は三郷町の西端、柏原市や王寺町との境界付近にあります。現在は住居表示がなされ、立野南三丁目となっています。周辺は新興住宅地です。近隣集落には今井・西浦(以上立野の垣内)・峠(柏原)・藤井(王寺)があります。
 「高山」という集落の名前は、「神山」と同義だと『三郷町史』はしています。おそらく近く西の三室山か竜田山が神様の宿る(=神南備)山だということからでしょう。「三室」というのも神南備と同じ意味だというそうです。それにしても、「神山」と同義……? ひょっとして、「高山」って「こうやま」と読むのでしょうか!? ずっと「たかやま」と読んでいました……。このブログを読まれている方の中で、「高山」の読み方が分かる方、コメントの投稿で教えていただけると嬉しいです。

 ここには「白蛇大明神」の伝説が残っています。『三郷町史』によると、昔、ここに小豆のような目をした蛇がいたそうなのですが、村人が捕まえて、龍田大社の杉の木の側でこれを見世物にしてしまいました。あるときこの蛇を役所に持っていったら網を破って逃げました。これを捕らえた人は急病で死んでしまったので、恐ろしくなった持ち主は人に売ってしまいました。元の持ち主は売ったお金でお寺に欄間を寄附、買った人は白蛇大明神として神社に祀ったそうです。ひょっとしたら、現在龍田大社にお祀りされている「白龍大神」のことでしょうか……?
 また、同じく『三郷町史』に短い記述ですが、土器発見の話が載っています。立野高山の三室山の山麓・字ヒヅメ(ヒズメ)の地が崩されたとときに出土したそうです。町史には「大昔の人たちの使用したもの」とあるだけでいつの時代の土器なのかも書かれていませんし、発見された時代も分かりませんでした。
 また、高山は三室山の麓の集落として町史によく取り上げられています。かつては毎年四月四日に村民全員で三室山に登っていたそうです。大正時代には三味線を弾き、歌い踊り、重箱につめたお弁当を食べ、酒を飲んだと言います。
 関屋川がすぐ側を流れる国境の町であり、かつては日本四関の一つ・竜田の関がありました。その名残か、現在高山集落の片隅に「関地蔵」と呼ばれるお地蔵様があります。

 さて、この集落は、かつては河内国大県郡に属していた可能性が指摘されています。そのことの証明は「関屋川と竜田川」をご覧下さい。
さて、ここでは高山河内国所属説の裏付けとなることを考えてみます。『大和誌』では平群郡立野村に属邑七の記述があります。本郷を合わせると、八つの垣内があることになります。しかし、数えてみると……山上、今井、高山、西浦、馬場、下之庄、坂上、坂下、辻堂……あれ、一つ多い? 増えたもう一つを探せ(Anotherじゃあるまいし)、ということになったのですが、私は「それが高山だ!」と勝手に推定しました。また坂下・坂上をまとめて考えているという可能性も考えに入れつつ。しかし、三郷町史に「元々辻堂は馬場の一部」という記述もあり、高山・坂上坂下・辻堂、いったいどれが「もう一つ」なんや、とまだ結論は出ないままです。残念ながら、これでは裏付けできません。
 しかし、『河内誌』に注目してみましょう。大県郡雁多尾畑村に属邑三の記述があります。横尾・生津とあと一つは……? となると、やはり想像できるのがこの高山です。『角川日本地名辞典』では北畑・南畑・西峠と推測していますが……(西峠とは横尾生津の総称でしょうか?)。しかし、やはり北畑南畑を持ち出すのは不自然な気がします。同じ大県郡の法善寺村や安宿郡の円明村は枝郷としていませんし。私はやはり、大県郡雁多尾畑村字高山の説を信じています。
 まあ、実際どうだったのかはわかりませんが、考えていると楽しいですね。

 
 高山の町並み。町の雰囲気は柏原市の山麓集落ーー平野や太平寺などに近いですね。結構傾斜があって、道が狭いこともあり自転車を駆るのに少し苦労しました。
 本当に、すぐ側まで新興住宅地が迫っています。市街地の中の旧集落らしく、古民家は残念ながら、そこまで多くありませんでした。
 少し西へ行くと柏原市で、坂を上った先に峠集落があります。現在でも県境の町ですが、開発であまりそんな感じはしないです。
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2012年10月30日

竜田川と関屋川(三郷町)

 今回は「三室山・竜田川」の記事の続編として、竜田川イコール大和川説の理由を解説します。またそれと一緒に、私が独自に温めていた考えをお話ししたいと思います。荒唐無稽な珍説と言われるのは覚悟していますが、読んでいただけると幸いです。あくまで、こんな考え方も出来るのではないか、という程度におとらえください。
 『三郷町史』によると(上巻525頁以降)、斑鳩町と三郷町、三室山・竜田川が、どちらが元祖か証明する際に、三室山とその南端の高山集落はかつて河内国大県郡(現在の柏原市)だったという話を持ち出しています。

ーーーーーーー『三郷町史』より引用ーーーーーーーー
 改東広山照曜峰寺号光徳寺
 山地境内三百町、在河州大県郡山中

 四至 東限三室竜田川 西限太平寺安堂坊
    北限渋谷大和境 南限青谷村亀瀬川
 右三百町  御寄附

 上卿 日野中納言藤原朝臣家光宣
  安貞二年十一月八日 修理亮平朝臣時氏 奉
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 この後堀河天皇が雁多尾畑光徳寺に賜った文書の、「大県郡山中」にある境内の東限が「三室竜田川」であることから、三室山、そしてその範囲に含まれる(町史は東端としています)高山集落は元来河内国所属、古代の竜田川は現在の大和川だと示しています。

 ここまでが、『三郷町史』などの述べる定説です(ほかにも理由はあるそうですが)。しかし、待って下さい。「三室竜田川」で竜田川が大和川であることにはならないと私は思います。『町史』は「三室山の末端が竜田川に接していたから」としていますが、それではあまりにも不自然な気がします。それよりは素直に竜田川が北から南に流れており、それが国境となっていると考えた方がしっくり来ます。
 かと言って、現在の竜田川(旧平群川)では『三郷町史』の指摘通り大県郡山中を逸脱してしまい、やはり矛盾が生じます。となると、現在の竜田川より上流、三室山付近に北から南に流れる川を探せば良いということになります。該当するのが三郷駅の東の「実盛川」、西の「関屋川」さらにもう少し西、現在の県境近くにある今ではただの溝の「立田川」です。
 さて、どれが「竜田川」なのでしょうか?
 実盛川を境界とすると、三室山から少々離れているのでわざわざ「三室山」と書く必要がなくなってきます。更には、北方の今井集落まで「河内国」となってしまいます。これは後に書く『大和誌』の立野属邑七の記述がどうひねっても成り立たなくなるので間違いとなります。
 立田川も不適当かと。まず、川幅が狭すぎです! 昔はもう少し広かったとしても限度があると思います。名前はそれっぽいのですがね……。
「龍田河 紅葉乱れて ながるめり
              わたらば錦 中やたえなむ」
 これは竜田川を徒歩で渡り、錦を裂くように進んでいく歌ですが、この歌がとても成り立たないです。ちなみに、この歌からも定説を否定できるかもしれません。王寺から亀の瀬のあたりは水深が浅く、また流れが急で、紅葉が浮かんでもとても錦には見えないでしょう。もし仮に見えたとしても「錦を裂くように歩くことはできないと思います。
 さて、残ったのが関屋川。川の名前の「関屋」というのは、河内大和国境の「竜田の関」が置かれていることから名付けられたのでしょうね。川幅は狭いですが、昔はもっと広かったかもしれません。名前も国境の川に当てはまりますし、場所も三室山沿いに南北に流れる。これが一番適当ではないかと思いました。
 また、南限の「青谷村亀瀬川」に注目して下さい。『三郷町史』は竜田川が大和川であることを証明したいのに、同じく大和川の別名・「亀瀬川」が出てきます。現在の大和川が二種類の呼び名で呼ばれるのも不思議な感じがします。ここからも、竜田川イコール大和川が必ずしもそうでないというのが考えられますね。
 以上のことからまとめると、いにしえの竜田川は現在の関屋川でもともとの国境の川、そしてそれより西にある三室山と高山集落はもと河内の国所属。いかがでしょうか……?
 もっとも、藤原道長の竜田川を詠んだ歌のうちに、大和川の「亀ノ瀬」が出てきたと思います。このあたりを見ると竜田川大和川説も間違いではないと思います。しかし、現在の竜田川(平群川)のように、一時期関屋川が竜田川だったという可能性も完全に否定することは難しいです。
 案外、関屋川・大和川をともに含めたあのあたりの川の総称が「竜田川」だったのかもしれません。私はそう思っています。
 また能楽「龍田」での竜田川は、あらすじ(僧が大和の寺社を巡り終えて河内へ行くとき、最後に龍田大社にお参りする。その手前、竜田川を渡ろうとすると……)から考えると関屋川の東・実盛川が適当だと思えます。大和川に抜け道がありそうにないですし……。やはり「竜田川」は河川の総称であったと考えると自然ですかね。


 現在の関屋川。普通の都市河川となっています。今の姿からでは人に信じろと言う方が難しいですが、これが昔の竜田川だとしたら……と思うとわくわくします。
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posted by みさと at 22:41| 奈良 ☔| Comment(2) | TrackBack(0) | 郷土 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月28日

本堂 〜〜渡来氏族の歴史が息づく山里〜〜(柏原市)

 今回は柏原市の北端にある山里・本堂集落について紹介します。

 この集落は高井田から府道183号線沿いにずうっと行った先、奈良県に入る直前にあります。堅上の他のどの集落よりも、三郷町の南畑集落に近く、雰囲気も近いです。もはや竜田山というより、信貴山といった感じです。十数戸の小さな集落ですが、竹林寺・生安寺と二つのお寺があります。現在の人口は二十数人ですが、大正時代には150人近い人が住んでいたそうです。
 地名の由来は信貴山朝護孫子寺の本堂があったということだそうです。現在は生駒郡平群町の大字信貴山にあり、奈良県の観光地として有名な朝護孫子寺ですが元々は河内国にあったのですね。この話を聞いてとてもびっくりしました。龍田大社も信貴山寺と同じく河内国大県郡域、つまり現在の柏原市域でした。現在も残る雁多尾畑光徳寺もありますし、いまはなき智識寺をはじめとする河内六大寺もしかりです。古代は大県郡域に、本当に大きな寺社が集中していたのですね。
 本堂は、古くは高句麗系の渡来氏族・狛氏が住んでいた「大県郡巨麻(こま)郷」と呼ばれる土地でした。狛氏は現在も残る大狛神社を崇拝し、栄えていたそうです。本堂西古墳群はおそらくこの狛氏のものだとされ、出土した「瑞花鳥蝶文鏡」は大狛連か大狛造の族長の宝器だったと推測されています。ひょっとしたら、高井田横穴古墳群など、この周辺の多くの古墳は狛氏関連のものかもしれませんね。大県・雁多尾畑に製鉄技術を持ち込んだのも狛氏かもしれません。神宮寺の赤染氏と関わりがあるのかも気になりますね。
 これは『柏原市史』による推測ですが、朝鮮半島新羅が百済を滅ぼした際、日本はその余波が日本に及ぶことを恐れて各地に城塞を築きました。この本堂や南畑一帯にも「高安城(たかやすのき)」という城が築かれました。これは朝鮮式の城で、外敵が大和へ侵入するのを防ぐ為のものです。そのとき敵の脅威から守ってもらう為に、四天王を祀ったという話があります。おそらくこれが信貴山朝護孫子寺、ひいては巨麻郷・本堂集落の前身と成ったのでしょう。
 本堂はおそらく現三郷町の南畑、現平群町の信貴畑と同じ文化圏で同じ系統の氏族、あるいは寺社が作った集落です。なぜこの本堂集落だけなぜ大和国ではなく河内国だったのでしょうか? また、それと信貴山寺本堂の移転は何か関係あるのでしょうか? 本堂集落と信貴畑集落との間で何かもめ事があったのかな、などと勝手に想像していますが……。
 古い地図では「堅上小学校本堂分校」の記述があります。また、『柏原町史』にも「昭和23年本堂分教場を設置する」という記述がありますが、現在の地図には書いていません。柏原市HPによると「本堂集落に未成年がいない」そうです。最後の小学生の卒業とともに休校になってしまったのでしょうか……。実際に行ったところ、校舎らしきものは見当たらなかったので、江戸明治のようにお寺かどこかで授業をしていたのかもしれません。
 周辺には先に述べた信貴山毘沙門天以外に、信貴山のどか村、奈良産業大学などがあります。


 本堂の町並み。大和棟の家が多く、南畑と共通した町並みに見えました。歩いていてとても傾斜が急なところに立っているのがよく分かりました。人口の割にはたくさんの人とすれ違いました。やはり、第一次産業の従事者が多い農村の特徴を残しているからでしょうね。南から府道沿いに歩き、南畑へ行く途中に通りましたが、雁多尾畑から遠く離れていました。南畑からは本当に至近距離にあるのが分かりました。
 大変静かで綺麗な風景で、歩いていて気持ちよかったです。
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posted by みさと at 11:30| 奈良 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | あの街この町 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月27日

卒研……

 先週、卒業研究の提出がありました。しかし、私は未完成で提出できず。「竜田」について調べているのですが、思った以上に書くことが多くて……。要件は「20頁以上」なのですが、それを越えても全然終わらない……。もうすぐ50頁目です。今更ながら、凄いテーマをえらんでしまったな、と思います。しかし、後悔はしていません。自分が好きなことを調べ、まとめるって結構楽しいですから。
posted by みさと at 18:18| 奈良 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月23日

武士道シックスティーン

 誉田哲也さんの長編スポーツ小説です。

あらすじ
 武蔵を心の師と崇め、兵法書をいつも読んでいる少女・磯山香織。無敵の実力を誇っていた彼女だが、中学最後の大会で、「甲本」という無名の選手に敗れてしまう。それを気にした彼女は、「甲本」のいる東松学園に入学を決意する。
 東松学園に入学した香織は西荻早苗という女子生徒と出会うが……。



 読み始めてすぐ、いかにも「ツクリモノ」な世界観にちょっと不満を抱きましたが読み進めて行くうちに、違和感は消えて、この世界観を楽しめるようになりました。香織も早苗も現実にいてあまり好ましいタイプではありませんが、この物語観にマッチしていて、巧いと思いました。
 若者向けのライトなスポーツ小説で、段々と成長してゆく少女達がよく描かれていました。試験中の良い気分転換にも成りました。しかし、文章が私の苦手なタイプで、あまり物語に飲み込まれるということがなかったのが残念です。

評価:B
posted by みさと at 21:55| 奈良 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書(その他の著者) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月20日

蒲生邸事件

 宮部みゆきさんの長編SF小説です。

あらすじ
 予備校受験の為に平河一番町ホテルに泊まった尾崎孝史。彼はホテルで暗い雰囲気の男を見かける。男を気にして何日目かの夜、孝史はホテル火事に遭う。そんな彼を助けたのは、あの暗い男だった。男は孝史を連れて過去の、二・二六事件の起こった時代にタイムスリップをしたと言うが……。




 あらすじを見ずにミステリだと思って読み始めたらSFだった……と思ったらやっぱりミステリ要素の強い小説でした。
 色々と詰め込まれた小説だな、というのが第一感。途中まで孝史のエゴイズムを疎ましく感じていましたが、最後現代に帰ろうとするあたりから一気に読みました。わがままなのも人間の特徴。そう思ってもやっぱり嫌な感じはしましたが、本当にリアルに描いていると思います。
 私は貴之、葛城医師の二人が気になりました。特に貴之は、何か自分と性格が近い気がしたので親近感が涌き、感情移入して読みました。貴之が次どうするのか、ひょっとして貴之が……というのが何故かやけに気になりました。
 孝史だけでなく、他の全ての登場人物の心情がリアルに描かれていたと思います。
 ラストはやっぱりちょっと哀しいですが、孝史と蓉子のこれからが楽しみで、宮部さんには続編を書いてもらいたいと思います。
 最後にやっぱり思ったのは太平洋戦争というのは多くの人に哀しい影響を与えているということですね。こんな悲惨なことは繰り返しては成らないと心から思います。

評価:B
posted by みさと at 22:42| 奈良 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書(宮部みゆき) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

試験が終わったから……

 さて、ここ三週間は風邪を引いたり習い事の発表会で東京に行ったり、中間試験があったりで多忙な日々を送っていました。そんな訳で、昨日ようやく衣替えを済ませました……。読書記事の更新も三、四冊残っていますが、まあのんびりとやりたいことをしていきます。ーーと、一旦は思ったのですが、また「卒業研究」という難敵があることに気づきました……。画用紙20枚以上という制限なので大した量はなく、現在10枚程度と、枚数だけを見ればまあまあ進んでいますが、いまだにようやく本題に差し掛かったところ……。まあ、これものんびりと(?)やっていきます。

 昨日金曜日は試験休みで授業がなく、午前に衣替えをした後、午後友人と信貴山へ行ってきました。三郷駅から三室山へ行き、そこから竜田本宮趾・御座峰を経て信貴山へ行きました。詳しくはまた後日書くと思います。それにしても、平日に中高生風の男二人が山を歩いているというのは人目を引くようで、
「君ら学校はどうしたんや?」
「試験は終わったんか?」
「今試験中(で終わるの早いん)か?」
などと、何度も言葉をかけられました。私達が学校をサボっていると思ったのでしょうか……。きっかけはそんなのでも、楽しくお話しできましたし、貴重な歴史に関するお話も伺えたので結果は良かったのですが、やはり少し気恥ずかしい気分に成りました。
posted by みさと at 22:35| 奈良 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月19日

写真差し替えなど

 記事「開運橋」の写真を差し替え、一部加筆しました。「信貴山東」「南畑」に写真を追加しました。
 また、カテゴリ「自転車の旅」を「日帰りの旅」に再統合しました。
posted by みさと at 21:51| 奈良 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 更新履歴 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月15日

太陽の坐る場所

 辻村深月さんの長編小説です。

あらすじ
 高校卒業から10年目、島津謙太が幹事を務め、クラス会が開かれた。そこには例年通り、女優となったクラスメイト・キョウコの姿はなかった。かつての苦い思い出を噛み締め、半田聡美をはじめとするクラスメイト達はクラス会に参加するが……。




 久しぶりに、図書館で借りたのでもなく、家族に借りたのでもなく、自分で買った本です。作者はそう、『鍵のない夢を見る』で直木賞を取った辻村深月さんです。9月、本屋に辞書を買いにいったのですが、「そういえば……」と思って辻村さんのコーナーへ。『鍵のない〜』ではなくこちらを選んだのは、あらすじが気に入ったからです。最初はそこまで……と思いましたが中盤あたりから物語に引き込まれ一気読みしました。
 羨望・嫉妬・愛憎……登場人物それぞれの心情が非常にリアルに描かれており、あまりの生々しさ、恐ろしさに思わずゾクッとしたりするような文章もありました。
 そして、最後の場面に明らかにされる壮大な仕掛け。それぞれの、秀逸だけど根幹には関わらないだろうと思っていた心情表現が物語を揺るがす伏線となっていて驚きました。
 仕掛けも凄いですが、やっぱりこの小説で一番凄いと思うのは心情表現ですね。仕掛けは辻村さんお得意のアレですが、描写が私達に感じさせる思いは、『スパイラル・エイジ』の新津きよみさんに一歩譲りますが、近いものがあると思います。本当にリアルで、生々しく、恐ろしいです。
 グロテスクなまでにリアルな人間を描けるというのは本当に難しいと思います。ありのままの、赤裸々な自己や知人を私達は文章にできるでしょうか。私は現実の人間を見つめ直し文章にするなんてとても出来ないです。しかも、新津さんや辻村さんは「物語を意識した上で」それをなさっていますからね。本当に凄いです。
 閑話休題。とにかく、新津さん作品特有だと思っていた生々しく恐ろしい心情描写が他の作品で味わえるだなんて、まったく思っていませんでした。ミステリの素晴らしさも生きていますし、一年に一度出会えるくらいの良い作品だったと思います。
 ぜひいろんな人に読んでほしいと思いますね。

評価:AA
posted by みさと at 22:02| 奈良 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書(辻村深月) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月14日

JR河内堅上駅(柏原市)

 今回はJR大和路線高井田・三郷間にある河内堅上駅を紹介します。構内は他の大和路線駅の例に漏れず、相対式の二面二線ホームです。

 この駅は生駒連峰と金剛連峰の出会い目の渓谷に建てられています。柏原市堅上地区・青谷集落の南東端で大和川の畔にあたります。
 駅周辺は小さな商店がいくつかある他は閑静な集落地・農地。少し離れれば川畑住宅や青谷運動場、スケート施設アクアピア、対岸には東条(ひがんじょ)住宅などがあります。路線バスは発着していませんが、ここ近辺まで市内循環バス・きらめき号の停留所が存在しています。
 明治44年に設置された青谷信号場がこの駅の前身で、昭和二年に駅に格上げされました。また、40年ほど前までは砕石輸送施設があり、対岸東条の砕石場からこの駅を通して石を運搬していたそうです。今でもその遺構が残っています。
 隠れた桜の名所としても知られており、列車と桜を絡めて撮影する鉄道ファンの姿が見られます。春の夜には桜がライトアップされ、大変きれいです。


 河内堅上駅舎。おそらく一回も立て替えていないのでしょう、ノスタルジックな駅です。駅周辺も静かな風景なので、昭和で時が止まっているようにも感じます。この駅近辺は、雁多尾畑集落・生津集落などの山村とはまた異なる、町風でかつ郷愁を感じさせる風景で好きです。何と言うのでしょう、少し古い市街地に埋もれた旧村で育った私にとって堅上の各集落は非日常な存在で、古くても新しい(逆説的な表現ですが、この言葉がしっくりきます)この駅周辺の景色の方がノスタルジアを感じさせます。
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posted by みさと at 22:12| 奈良 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 各駅探訪 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする