2019年03月17日

夢分析(新宮一成)

 新宮一成さんによる新書です。新宮さんは現在奈良大学の教授をされている精神医学・精神分析学の学者さんで、前任校が私の在籍する京都大学人間環境学研究科/総合人間学部です。私が入学する前年に退官されたので、直接お会いすることはありませんでしたが、後任の松本卓也先生の研究室に在籍する友人もおり、少し親しみがあります。京大教養部系の精神分析学はラカン研究に特色があるという話も聞いたことがありますが、新宮さんもラカン研究で業績を残されております。

 この本は、ラカンより以前のフロイトの『夢判断』を基礎として、夢分析を行い、人間の無意識を探るという内容。具体的事例を多く取り上げており、初学者でも平易に理解できると思います。
 空飛ぶ夢が言語の習得の記憶と結びついているとか、虫にたかられる夢は妊娠への意識を暗示しているだとか、車に轢かれることが性行為を意味するとか。エディプス神話と結びつく三つの類型夢(裸で困る夢、近親者が死ぬ夢、試験の夢)があるだとか。夢には汎人類的な類型があるというのが定説となっているように書かれていますが、中々初学者には新鮮で、どのように証明したのか(あるいは分析学の世界ではどのようなレベルで証明したということになるのか)気になるところであります。
 不思議な感じはしますが、面白い。とりわけエディプスのトリアス(三類型夢)がそれぞれ人間の社会的成長と深く結びついているという理論は興味深く読みました。
 モチーフばかりでなく、夢に現れる数字に意味があるというのも、中々信じがたいですが面白いところ。三はファルス(象徴的意味を持った男性器)、四は結婚と結びついているだとか。なぜ数が象徴的な意味を持つようになったかについて、新宮さんは、幼児が人間がいかにして増えて行くかについてーーひいては性の問題について、性行為ではなく、純粋に「数」で把握していたからではないかと述べています。人間は、数によって社会を把握していると言います。

 夢分析は中々興味深く、自分も夢日記をつけて分析しようかなと思うほど刺激的ではありましたが、詳しい理論を知らない私のような初学者にとっては、少し飛躍的な論理構成で、戸惑いも感じました。少しの勉強ではとんでも科学と簡単に結びつきそうで、もう少ししっかり精神分析学について学んでみたい気もします。

 そう言えば、精神分析学というものは人文科学、社会科学、自然科学のいずれに当てはまるのか、不思議な感じがします。医学系の研究者(フロムなんかは社会心理学ですが)が多いですが、明らかに人文主義的なアプローチをとっている。それを言えば、私の所属する建築学なんかも人文主義的なところが大きいですし、農村社会学や生態人類学なんかもそうですし、理系出身者が人文的な手法を取ることは普通のことなんだなぁと思います。(記事分類は新宮さんが医学出身ということで自然科学の方に入れてます)
posted by みさと at 14:37| 奈良 ☁| Comment(0) | 読書(他自然科学) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月14日

図説|伊勢神宮(松平乘昌監修)

 松平乘昌さん編の図説的ハンドブックです。伊勢神宮についての基本的知識と伊勢神宮の展覧会における図録的な意味をもって刊行されたものだそうです。執筆陣も学芸員の肩が連なります。松平氏自身は学芸員ではないようですが、展覧会などの企画・監修に多く関わられている方だそうです。美術/歴史の資料の図版たっぷりに伊勢神宮についての歴史的知識をわかりやすく学ぶことができました。絵地図や参詣曼荼羅なんかは眺めているだけで楽しいものです。
 お伊勢詣りの予習として読みました。3時間ほどで読了できたので、ちょうど良い感じ。神宮徴古館、農業館、美術館には行きそびれたので今度参拝するときにはぜひ訪ねてみたいです。
posted by みさと at 16:45| 奈良 ☀| Comment(0) | 読書(他人文科学) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月09日

潮騒(三島由紀夫)

 三島由紀夫さんの小説です。鳥羽沖に浮かぶ歌島(現実の神島)を舞台に展開される若い漁夫と海女の恋愛劇の物語。
 三島作品は『金閣寺』くらいしか読んだことがなかったので、全然違う作風に少し驚きました。『金閣寺』のような難解さはなく、極めて平易な内容です。
 明るい漁村風景の中繰り広げられる物語は、極めて健康的で、理性的、見ようによっては図式的でもあります。女性や男性の肉体を描いた描写も多いのですが、それも谷崎のような艶やかさはまるでなく、まるで彫刻の裸像を見ているよう。独特の、清々しい官能を感じます。
 佐伯彰一氏の解説によると、ギリシャの小説『ダフニスとクロエ』を現代日本に翻案したものだそうで、そう言われると確かにそんな感じもします。物語中に出てくる少年・少女たちはどこか神話の登場人物のように現実離れしていて感じられ、温かな伊勢鳥羽の海も地中海に似合います。
 離島漁村という世界設定は、日本の土俗性を感じさせながらも、現代(=都市の時代)からは隔絶した印象も受け、ギリシャ小説の日本への翻案にはぴったりな感じ。
 来週の月曜日から鳥羽旅行へ行くので、舞台となった神島を訪ねてみたいと考えております。小説の舞台を訪れ、登場人物の動きをなぞるというのが、最近お気に入りの物語の味わい方。この小説の場合だと現実の自分と、『潮騒』の世界と、古代ギリシャの世界の三重の入れ子で、また不思議な感じがしそうです。
 鳥羽では「文学旅行」をテーマに、伊良子清白の家や江戸川乱歩館も訪問する予定。今から楽しみです。
posted by みさと at 12:38| 奈良 | Comment(0) | 読書(近代文学) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月06日

近代とはいかなる時代か? モダニティの帰結(A.ギデンズ)

 アンソニー・ギデンズはモダニティーー近代性ーーについて、「脱埋め込み」という概念を立ち上げたことで有名な社会学者で、本書は彼のモダニティ論の中でも代表的なものであります。
 ギデンズの理論の最も基礎となるのが前回の記事で紹介した構造化理論です。これは、社会構造と人々の相互行為が再帰的に影響を及ぼし合っているというもの。モダニティ論も、この理論が根底にあります。
 ギデンズは、モダニティのダイナミズムを「時間・空間の分離」「象徴的通標」「再帰性」であると論じています。
 時空間の分離というのは、それまで個別の地域社会ごとにそれぞれ異なった時間軸を使っていたのが、グレゴリウス暦が世界を支配するようになることによって生じます。また、統一の尺度を持って時間を測ることができるようになったため、時間の空白化(モノ化とも言えるかもしれません)が進みます。
 さらに全世界が探検し尽くされ、地図に記載されるようになったことなどにより、空間も空白化、モノ化していきます。場所と空間が切り離されたとも言えます。グローバル化により、かつて対面においてのみ行われていた相互行為が、時間と空間を越えて行われるようになったのです。世界の裏側にいる人とも、電話をすることができるということにこの現象は象徴されるでしょう。

 また、「脱埋め込み」は行為を前後の脈絡、場所固有の価値からの切り離すという意味で、象徴的通票と専門家システムの二つの抽象的システムによって成立しています。
 象徴的通票はそれを手にする個人・集団にかかわらず流通できる相互交換の媒体で、貨幣に代表されます。従来物々交換で成り立っていた市場に登場した貨幣は、時間を括弧に入れ、市場をその場所その時間から脱埋め込みします。すなわち貨幣を媒介することによって、自らの商品を代償に欲しいものを手にいれる時間・場所を調整できるようにするのであります。
 専門家システムというのは、現代身の回りにあるありとあらゆるものが専門家によって、作られ、管理されているというものです。私たちは普段乗っている車の仕組みも知らなければ、道路がいかにして敷設されているのかも、その物理的・化学的特性も知りません。さらに、同じものーー例えば道路ーーを扱う専門家でも計画の専門家と構造の専門家とでは、互いに何をやっているか詳しくわかりません。このような状況は、原始社会の、身の回りのものは全て自分、ないしは家族で整え管理する世界とは全然違います。経験を隔離され、世界が断片化していると言ってもいいでしょう。

 「再帰性」というものがギデンズの唱える構造化理論にもっとも直接結びつくものであります。上に述べたような様々な事象により、人間の価値基準は、伝統的なものから脱却し、汎世界的なものとなりますが、「構造化理論」により、それは常に価値基準を問い直され続けることとなります。社会科学は社会を解釈し、理論や価値観を提示しますが、その理論や価値観は社会に影響を及ぼします。社会⇄社会科学の相互影響が常に発生し続けるということであります。

 言葉のキャッチーさから、「脱埋め込み」という言葉は様々な分野で頻繁に使われますが、実際ギデンズの理論を読んでみると、その理論の複雑さに驚きます。迂闊に社会理論の概念を使うと、頓珍漢なことを言ってしまいそうになるな、と感じ、教訓になりました。
 地理学や建築学の分野でも「近代」は一つのキーワードとなっています。しかし、その近代がいかなるものを指すのか、ここまで深く学ぶことはありません。。視覚的な空間現象を解析するのが地理や建築の役割ではありますが、その現象の奥底に流れるものを読み解く社会学の知見を学ぶことも、地理や建築の学生にとって必要なのではないかと思います。
 4月からは4回生で、卒業論文がそろそろ念頭に登ってきます。異分野のことを遠慮なく学べるのは今が最後のチャンスだと思い、勉強しております。遊びもするけど、できるだけ本を読もう…!
posted by みさと at 15:22| 奈良 ☁| Comment(0) | 読書(社会学) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月03日

ギデンズの社会理論-その全体像と可能性(宮本孝二)

 春休みは、思想・理論系の人文科学の知識を強化しようと思い、本を読んでおります。この本は桃山学院大学教授の宮本孝二さんが大阪大学人間科学研究科に博士論文として提出したものを書籍化したものであります。
 理論社会学の専門書ではありますが、ギデンズ理論の全体像を把握するために読みました。年代ごとにギデンズの社会理論を取りまとめ、最後にその理論の可能性を考察するという構成です。初学者の私には少し取っつきづらいところもありましたが、ギデンズの論考の大枠が把握できたと思います。
 ギデンズの理論の中心となるのは、「構造化理論」というものです。これは、主観主義的な理解社会学と構造主義的なパーソンズらの理論両者を批判し、それらを止揚するような形で唱えられたものであります。社会学史において、社会構造が人間行動を支配するか、人間行動が社会を形作るか、といった論争があったのですが、ギデンズは両者を一面的であると批判し、マルクス主義的な発想(利害、コンフリクト、パワーなど)を取り入れて「構造化理論」を唱えたのです。すなわち、構造が行為の条件となり、また同時にその帰結でもあるというものであります。
 また、ギデンズは「パワー」という概念を提示しております。パワーとは物的、精神的な資源(それには、時間や空間も含みます)を動員し、意思を実現/現実を変革する能力のことであります。すなわち、行為を行う際の能力であります。
 構造が変われば、パワーに必要な資源が変わって行う行為に変化が生じ、かつ、主体がなんらかの行為をなせば、ミクロの、ひいてはマクロな構造の変化をもたらすという仕組みであります。

 ギデンズ理論で面白いのは、やはりモダニティの話。「脱埋め込み」という議論はあまりにも有名ですが、恥ずかしながら初めてその理論の詳細を知りました。本書に引き続き、ギデンズ本人の『近代とはいかなる時代か?』を読んでいるので、脱埋め込みについてはそちらを読了した際にでも少し紹介したいと思います。

 また、ギデンズはマクロな社会理論のイメージが強いですが、ミクロな人間関係についても論考を発表しています。それは、近代における愛は、ロマンティックラブから「純粋な関係」でつながるコンフルエント(=流動的な)ラブに変化するというもの。近代に入って恋愛・性行為・結婚が一つながりのものとみなすロマンティックラブイデオロギーが支配的でありましたが、現代女性の自律化が進むと同時に避妊技術/生殖工学が発達し、三者が再び分解していきます。このような社会においては、人と人とのつながりは、純粋な互いの感情のみになり、流動的になるというシステムであります。
 現実には変化は一様ではなく、前近代の地縁・血縁に従属した結婚も残存していればロマンティクラブイデオロギーはまだまだ力を持っていますが、ギデンズのこの理論は、実感を持って理解することができます。
 
 社会学は、自分の普段考えているような、社会の分析を、極めて精緻な理論で説明してくれます。自分で何か、うまいこと思いついた!と思っても、高名な人がすでに概念化していたりすることがたくさんあって、少し悔しいような感じもしますが、とても面白いです。
posted by みさと at 13:14| 奈良 ☔| Comment(0) | 読書(社会学) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年02月27日

崇高の美学(桑島秀樹)

 なぜだか、春休みは思想系の本ばかり読んでおります。登山家として、山岳美学を巡ってよく取り上げられる「崇高」の概念を詳しく知りたくて手に取りました。
 この本の著者の桑島秀樹さんは阪大文学部美学科の出身で、現在は広大の総合科学部の教授をされている方。バークや崇高美学を巡る研究で功績を残されているそうです。
「崇高」とは、バークにより一つの美的カテゴリーとして定位され、カントによって厳格に体系化された概念で、苦・恐怖の中に沈潜していくうちに(カントにおいては、自らの「理性」を見出し、)反転的に創出される快の形であります。
 例えば、アルプスの山脈を訪れ、その圧倒的な量感を感じ、押しつぶされそうな、恐怖に打ち震えながらも、そこから感じられる、ある種の快。あるいは、石や岩、さらに現代においては鉄やアルミのような、無機物やそれで作られた人工物を見たときに感じられる、生への拒否感の恐怖、気味悪さの中から感じられる快。

 一番面白かったのが、3章「山と大地の崇高『崇高』 カントの人倫的崇高を迂回する道」における、崇高と「地」の結びつき。筆者はアルプスの山岳風景画などを描いたターナーを分析するラスキンの理論(地質学的視線)を通じて、崇高が「天」ではなく、「地」と深く結びついていおり、さらに日本の登山文化をめぐって、沢登りや藪漕ぎをピークハンティングと対置して「地」に沈潜する「崇高」を求める行為であると述べております。
 一般的に「天」をイメージするアルプスなどについても、ジンメルやラスキン、ターナーは、その著述、作品において大地に注目しているのです。

 私自身、沢登りや藪漕ぎをしておりますので、それらの崇高性は直感的に納得できます。しかし、作中で述べられていた冠松次郎や川崎精雄の感性とは、少し異なるような気もします。彼らは、地に沈潜する際、陶酔的で、自然の生の中に融解していくような美を述べていますが、私は彼らより臆病なのか、とりわけ沢登りをしていると、一歩踏み間違えば、集中力を切らせば死の世界へと転落していくのに恐怖を感じます。そこにあるのは、むしろラスキン=ターナー的な、あるいは、カント的な、苦や死の中に見出す快、「崇高」と言っても良いと思います。
 滝や岩の登攀。岩の割れ目を、凹凸を探り、つかみ、慎重に体を上げていく。あるいは、巻き(突破できない滝などを避ける行為)。どろどろの斜面に手を、足を突っ込み、木の根をつかみ、手足に精神を集中させ、這い上がっていく。
 体の、心の全てで、大地と、そして、自らの理性と、本能と、対話しているように思えます。

 他分野の本で、どうしても前提知識が不足しているため、理解が浅薄にとどまっているのは否定できませんが、「美学」という分野が、哲学の中でも実感を持って理解できる面が強いこともあり、楽しく読むことができました。他分野の、全然違う論理構成を知るのも興味深いし、良い勉強になりました。
posted by みさと at 12:57| 奈良 ☁| Comment(0) | 読書(他人文科学) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年02月25日

社会学理論のエッセンス(多田治)

 一橋大学の多田治さん著、デュルケム、ウェーバーからサイード、ライアンに至るまで、社会学の主要な理論研究を歴史に沿って概説した本です。平易な文体で140頁ほどにまとめられております。
 名前だけ知っている、という有名社会学者たちの言っていたことがざっくり理解できて、今後本を読んでいくときの基礎知識になりそうに思いました。

 最近とみに意識していた「集合的なものとして把握された集団の諸信念、諸傾向、諸慣行」について、デュルケムが「社会的事実」と名付けていたり、社会階層の再生産について「ハビトゥス」「界」「資本」をキーワードにして、わかりやすく整理していたり。自分の普段考えていることは過去の偉人たちがすでに高度に理論化している(しかも、それが基本的な学術的前提になっている!)ことを思い、巨人の肩に立たねば、新しいことを創造するのは難しいのだな、と痛感しました。人生をもっと深く考えるためにも、社会学はもっと勉強しよう…!

 各思想家ごとに参考文献もありますし、理論社会学初めの手引きにふさわしい一冊でした。
posted by みさと at 21:15| 奈良 | Comment(0) | 読書(社会学) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年02月08日

村落からみた市街地形成 人と土地・水の関係史 尼崎1925ー73年(沼尻晃伸)

 沼尻晃伸さんの尼崎関連の一連の研究論文をまとめ、加筆の入った本です。沼尻さんは立教大の社会経済史の先生です。
 図書館でふらふらしてたら見かけて、自分の関心にかなり近いものであったため、テストを控えていましたが、迷わず借りました。
 旧農村の郊外住宅地を論ずる、珍しい論文。旧農村の郊外住宅地はその数の多いにも関わらず、都市研究や農村研究の時代的・空間的末端として扱われ、あまり主題に据えられることが少ない印象があります。

 舞台となるのは尼崎市の橘と浜田。それぞれ土地区画整理がなされた年代が異なり、時期や諸条件の差異を通じた比較研究が行われています。
 土地台帳や農地委員会議事録などの行政資料を用いる一方で、地主の手記や自作農の日記も取り入れています。住民がどのような意図・意識を持って土地とかかわり、市街地形成に影響を与えてきたのか。行政や大都市を中心に据えて行う研究は多くありますが、このようなミクロな視点からの研究は珍しく、価値あるものだと思います。
 私も、この論文のような、農村から見た郊外住宅地開発が自分の中のテーマの一つとして存在しています。名所の認識史もやりたいので、卒論のテーマにするかは微妙ですが、地元・柏原でこれに近い研究をしてみたい気もします。柏原は尼崎と違って、土地区画整理がなされておらず(それゆえ史料も少なそうですが)、また立地条件もかなり異なるところもあり、また違ったことが見えてくる気がします。実家の日記や小作・借地関係史料も使えたら、史料的な独自性もありますし、いつかは挑戦してみたいです。

 私は都市史・建築史の研究室に分属になり、卒業論文にのぞむことになるのですが、ここまで歴史学的な勉強をあまりしていないことが、少し悔やまれます。地理学や建築関係の勉強に時間を費やしてきたのは決して無駄ではないでしょうし、研究に役立つとは思うのですが。。。
 経済史・農史・都市史など、他分野から歴史的研究をする学者の方々は、どのように学部生時代勉強をしていたのか、気になるところであります。
posted by みさと at 09:44| 奈良 ☁| Comment(0) | 読書(政治学/経済学) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年02月04日

いけばな 花の話を聞くとき(熊野寿哉)

 小原流の華道家・熊野寿哉さんのエッセイです。
 私は専門で空間論を勉強しているのですが、庭園を巡ったり授業で広場の計画を考えたりするうちに、空間の美、特に植物によって構成される空間の美について、もっと深く考え、感じてみたいと思うようになりました。華道は、空間の美の実践の一つの形、様式であります。そんなわけで華道を習いたいという思いが募ってきているさなかであります。
 それで図書館で手にとったのが、この本。蔵書の多い京大付属図書館においてもあんまり華道にまつわる本はなく、数少ないうちで一番入門書に近そうな本がこれでありました。
 はじめに生け方の様式が短くまとめられていて、それに続いて植物ごとの、いけばなの写真とエッセイがついているという構成。日本語と英語が併記されています。
 この本を読むだけで、華道の様式や作法の一通りがわかるわけではなく、入門書というよりも、あくまで軽い読み物といった感じです。それでも、華道の美の魅力はよく伝わってきますし、エッセイも文学的に素晴らしいというわけではありませんが、すっと入ってきて読みやすく心地よい。読んでいて華道への思いは高まってくる本でした。
posted by みさと at 13:31| 奈良 ☁| Comment(0) | 読書(その他) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年02月01日

卍(谷崎潤一郎)

 谷崎潤一郎の小説です。二人の女性の同性愛を中心に展開する卍がらみの人間関係をえがいた作品。一人称の女性が作者に語りかけるという形式で、訴えかけるような迫力があります。関西弁の一人称というのはなかなか珍しく、地の文にも使われている関西弁は、関西人の私にとっても、少し取っつきづらい感じがありますが、いざ作品に入り込むと抜け出せず、臨場感を高める役割を大いに果たしていると思います。
 この作品の一番の見所は、やはり登場人物たちの情動の描き方。ものすごく濃密で、複雑で、たくさんの感情が堆積し、撹乱され、圧縮された感じ。触るとドロッと糸を引きそうな。そのような激情を感じたことのない私にとって、読んでいて混乱するような、恥ずかしくなるような、不思議な感覚を覚えました。
 手紙の引用を持ち出すのも、かなり効果的に作品を盛り上げています。一定の長さの内容を持ち得て、かつ感情をそのまま吐露できるというのは、会話文や地の文の描写にできない手紙ならではの特色だと思います。
 終盤の光子の描かれ方は、『痴人の愛』のナオミと共通するところがあります。破滅的な、奔放な女性にあらゆるものをぐちゃぐちゃにされるというものが谷崎の理想美の一つなのかもしれません。
 作品の展開ごとに複雑に絡み合っていく人間関係、肉体関係、情動。「卍」というタイトルはミステリアスでありながら、それをよく表していて、この作品のえも言われぬ雰囲気をよく形成していると思います。
 そういえば、最近の若者言葉で「マジ卍」というものがあるのですが、それもこの作品を読みながら呟くのにぴったりの言葉だな〜、なんて、しょうもないことを考えたり。
posted by みさと at 16:25| 奈良 ☀| Comment(0) | 読書(近代文学) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする