2017年12月05日

海になみだはいらない

 灰谷健次郎さんの短編集です。収録作品は『海になみだはいらない』『きみはダックス先生がきらいか』『ひとりぼっちの動物園』です。

あらすじ(表題作)
 章太は海が大好きな島の少年。トクじじいの指導を受けながら、もぐりや魚とりをしている。ある日、都会から移住してきた少女・佳代と出会うが……。


 久しぶりに小説を読むと、面白くて一気に読み切ってしまいます。灰谷健次郎さん。以前、「子どもの隣り」を読んで惹かれた作家さんです。
 表題作は、二人の交流、海やトクじじいとの対話、お兄さんの事件を通じて章太や佳代が成長していく過程がみられます。章太と佳代のふれあいがどうも心に触れ、小学生の恋愛にドキドキしてしまいました。「真っ黒けと真っ白け〜」といって腕を比べるところが大好きです。
 ほかの作品も、物語を通して子どもたちが成長していく様子が描かれているものが多いです。『きみはダックス先生がきらいか』はその通底する主題が一番よく表れている作品。一般的な教師像と違う変わり者の先生にはじめは反発しながらも、次第にその人間性に触れ少年少女たちは成長していくというもの。児童文学らしく、明快で心地よい物語です。
 『ひとりぼっちの動物園』はさらに五つの異なる物語の集合です。どの話もわかりやすく、子供たちのかわいらしさ、たくましさ、成長がいきいき描かれています。『オシメちゃんは六年生』『三ちゃんかえしてんか』がおすすめですね。

 古い時代の話だからか、子供を題材にした話だからか、関西弁が使われているから(大学って地方から集まっているから結構標準語…)か、よんでいるとどうも懐かしい気持ちになります。スマホやパソコンなどデジタル機器にかこまれ、そうでなくても読書やハイキング、散歩くらいになっている自分にとって、この本の子供たちの遊ぶ様はとても懐かしく、うらやましいように思えました。
 最近大人に向かわざるを得ない義務感を強く感じる一方で、どうも子供への憧憬がますます強くなっていることをいろんなところで感じています。

評価:B
posted by みさと at 19:44| 奈良 ☀| Comment(0) | 読書(その他の著者) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月01日

図解 知識ゼロからの林業入門

 関岡東生さん監修の本です。東京農業大学の森林総合科学科の人たちが中心となって書かれています。林学の基礎の基礎がきわめてわかりやすく書かれてあるといった感じです。私は林学が専門ではありませんが、サークルで林業をやっており、また山村にも興味があるので、結構知っている内容が多かったのですが、まとまって確認できたのでよかったです。林産加工の話は全然知らないことばかりで、勉強になりました。
とてもわかりやすいので、林学入門書におすすめです。
posted by みさと at 17:29| 奈良 ☁| Comment(0) | 読書(小説以外) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月30日

郊外の社会学--現代を生きる形

 若林幹夫さんの本です。中川理さんの「風景学」を講読する授業を受けているのですが、自分の担当章の9章「郊外風景の没場所性」について発表するため、この本を読みました。ある地理的位置を占めながら、それはほかの街と明確に区別できない「没場所」な郊外。画一的な住宅でつくられた画一的な街並みが60-70年代につくられていく一方で、80年代後半以降はたとえば異国風の、たとえばテーマパークのような、独特な街ができていきます。南欧風の街並みで賛否の嵐を呼んだベルコリーヌ南大沢(八王子市)がその代表格です。このような「個性的な」街並みは、すべてを普遍・合理を旨とし、風景から意味を奪っていったモダニズムに対するアンチテーゼとして生まれたのでありましょう。しかし、こうしたポストモダニズムの街は、これまでの社会的・文化的な文脈とはまったく遊離したもの。南欧風の街は独特であったとしても、それが八王子の南大沢にあるという必然性はありません。これも、どこにあってもよい、「没場所」な眺めといえます。

 私自身の生まれた町・柏原もまた郊外。市にも同じような住宅がたくさん並んだところがたくさんあります。しかし、柏原を考えると、郊外の多様性も同時に見えてくるような気もします。一般に郊外として想起される大規模開発された団地は柏原にはほとんど存在せず、旧村落がスプロール化して郊外化した地域であります。郊外の形もいろいろあります。
 また、郊外に住んでいる住民。同じような街であれば、それを求める(求められる)人も同じようになり、住民の社会的階層も共通していくように考えられます(「青い郊外」「白い郊外」)。しかし、柏原のような旧村落のスプロール化した郊外では、古くから住んでいる元農民と、新しく住み着いた人々がいます。旧住民もライフスタイルとしてはサラリーマン化して均質となっていくという考え方もありますが、精神性を考えるといまだに大きな差があるように思えます。
 また柏原は、新住宅に住んでいる人も旧住民の二、三男がそれなりに多い印象。町内会や婦人会、青年団など地域組織が残っており、むしろ新住民にも拡大しています。このあたりのことを考えても、郊外が「没場所」とは言い切れないと思います。
 とはいえ、柏原を含めた「郊外」は現在進行形で確実に「没場所」化し続けているのも事実です。「没場所」は個々人のアイデンティティ、そして「風景」を揺るがします。
前期に引き続き、このへんの論考を深めていくのをとても楽しく感じます。

 僕の家は(確実には)江戸時代の初期から柏原の地に暮らしています。「郊外」の旧住民という立場。前近代的なものも、近代的(維新的、高度経済成長期的)なものも、ポストモダニズム的なものも、自分の周りをうずまいているのを感じます。
自分自身、「再埋め込み」的な発想をしているポストモダンな人間であることも強く感じていますが、ポストモダンのあり方を客観視し、「再埋め込み」するにしてもいかようにしていくか慎重に考えていきたいものです。
(社会学ほとんどやってないので、むちゃくちゃな論理&認識してたらごめんなさい)

評価:A
posted by みさと at 19:38| 奈良 ☁| Comment(0) | 読書(小説以外) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月10日

日本の祭りと神賑

 森田玲さんの本です。祭りを「神事」と「神賑」に分節し、祭りの構造を解説するとともに、だんじり、布団太鼓、唐獅子、神輿などの練り物について詳述しています。
 中でも面白かったのが神輿の節の、「ミアレ型」「オイデ型」「ミソギ型」に神の道行の分類です。あまりおみこしの出るお祭りになじみがないのですが、「神事」「神賑」について考えるわかりやすい例となっていました。
 また幼いころより慣れ親しんできただんじりや布団太鼓がいかに成立したのかも大変興味深かったです。
 祭りのあり方について深く考える基礎知識をつけるとともに、祭事の民俗学的なフィールドワークをするときの指針を与えてくれたように思えます。
 在野の方の本ですが、参考文献もかなりしっかりしているのでおすすめです。

評価:A
posted by みさと at 16:50| 奈良 ☀| Comment(0) | 読書(小説以外) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月24日

春昼・春昼後刻 春昼・春昼後刻 春昼・春昼後刻

泉鏡花さんの連作です。

あらすじ
 眠気を誘うような暖かな春の昼下がり、散策子は集落を歩いた後、ふと山寺に立ち寄る。彼は住職に、最近集落であった不可思議な恋の物語を聞くが……。




 春昼。ぽかぽかと暖かな陽気。とろとろと眠気を誘うようなのどかさを感じさせる舞台設定でありますが、鏡花特有の妖美さ、不気味さが感じられる作品です。
 白い半透明の幕を透かして見ているかのような、そんな気持ちにさせます。砂をつかむ、という描写が終盤にありましたが、それがこの物語を象徴しているようで。
 物語自体がうとうととゆったりとした夢のようでありましたが、最後急展開で終わりまうが、その緩急が素晴らしいところ。

――渚の砂は、崩しても、積る、くぼめば、たまる、音もせぬ。
posted by みさと at 17:03| 奈良 ☁| Comment(0) | 読書(その他の著者) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月18日

柏原市と民俗宗教

 『生駒の神々』という本を紹介しました。私の住む柏原市は生駒山系の南端に位置し、延喜式内社が多くて雁多尾畑の松谷光徳寺のような大寺もあります。古代までさかのぼると、河内国分寺、国分尼寺、智識寺などの大規模な寺院が無数に存在していました。ところが、本書でとりあげられていたような民俗宗教的なものは恩智(八尾市)、信貴山(平群町)が南端で、柏原市域には殆ど存在しません。鐸比古神社(奥宮)や若倭姫神社は磐座的要素は強いですが、信仰圏は基本的に集落内におさまる鎮守の神であります。それらしきものといえば、葛城二十八宿満願の地である亀の瀬・龍王社や青谷にある弁財天磐座が修験的色合いを持っているのがあげられるくらいでしょう。朝鮮寺はおそらく皆無で、新宗教系のものはあることはありますが、集積しているとは言い難いです。

 ふと、市域は国分寺など官寺的な寺が多かったことから、市域は「公的」な領域となってしまい、民俗宗教が発達しなかったのではないか、と思いました。古代の製鉄も、当時豪族が行っていたとしても、その重要さゆえに朝廷と深く結びつきをもっていたと考えられます。地域の大寺社と言って挙げられる光徳寺(雁多尾畑)、龍田大社(元宮:雁多尾畑、本宮:三郷町立野)も、ともに皇室と結びつきの強い寺社であります。
東大阪で民俗宗教が発達したのは早い段階で鉄道が発達して参拝が容易になったから、という話もありましたがそれは柏原市にも同じことが言えます。石切さんなど機能神の存在が大きいとは言いますが、柏原の製鉄神群もややニッチではあり、規模も小さいですが機能神(産業神)となりえたでしょう。八尾市山畑、服部川など、民俗的色彩を帯びた寺社が中小のものだけで集積している地区もあるので、規模の問題は絶対的なものではないでしょう。
やはり、古に醸成された「公的領域」の間隔が近世・近代まで続いていた、というのが少しなりとも関係しているのではないでしょうか。東大阪などの事情は詳しくないので、あまり積極的な意見は言えませんが……。

 とは言え、金山彦・媛社(青谷・雁多尾畑)にあるお伊勢さんの遥拝所(比較的新しいもの)は独特だ、と柏原市を訪れた民俗学の某先生は言わはりましたし、平成21年に再興した真新しい真言宗河内国分寺(東条)があったり、先述の磐座や修験系の信仰地があったり、信貴山がすぐそばであったり…。なんだかんだで、民俗宗教の気風はうすくはありますが、柏原のほうまで届いているような気がします。

 柏原、三郷、平群、八尾、東大阪、生駒、大東、四条畷、交野…。また生駒山地の宗教を詳しく調べ、地域ごとの特徴をもっと深くまとめてみたいです。
posted by みさと at 16:31| 奈良 ☀| Comment(0) | 郷土 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

生駒の神々 現代都市の民俗宗教

生駒の神々 現代都市の民俗宗教

 宗教社会学の会編の本です。大阪と奈良の境に位置する生駒山地は、宝山寺、石切神社、信貴山寺などの大きい寺社とともに修験系、朝鮮系などを含めた中小の寺社がたくさんあります。所謂檀家や氏子をもつとは限らず、ある機能に特化したご利益(石切さんが「でんぼの神さん」であるように)を持ち、都市民衆が現世利益を祈願する寺社が多いという特徴があります。また既成の宗派の枠に収まらず、独特な民俗宗教的特色を持っているというのも注目すべきところ。
 大阪という大都市が近くも急峻な斜面、豊富な滝場を持つ生駒は聖と俗の境界性を持つ場所であり、民俗信仰の集積地となっています。宗教というものは合理性を重んじる近代都市と対立するもののように思われますが、生駒の神々は近代都市の存在ゆえに今も存続し続けているもののようにも思えます。それは都市が合理性ゆえに人間を疎外していることへのアンチテーゼというのも一つですが、いくら都市が合理性を旨としていても人間という不確実性に富んだものが集積する以上、都市もきわめて偶然性の強い生物的存在であるということも一つだと思います。その偶然は近代的な介入ではいかんともできないことも多く、神頼みという行為がいまだに力を持っているのでしょう。
 私の実家からはきわめて近いところに位置していますが、石切さんも生駒の聖天さんも意外と行ったことがない場所(幼いころに、というのはあるかもしれませんが…)。石切の辻占いや生駒新地の話はかねてから聞いており、この本で知ったことも踏まえて近く訪問してみたいな、と思っています。
 信貴山の大宇宙教断食道場は、ふらふらしているときにたまたま見つけて「なんやこれ」と思った記憶があります。そのあたりのこともいろいろ知れて面白かったです。
 かなりディープな生駒の信仰。これまで、柏原市、三郷町、平群町の領域にとどまってそれ以外の生駒山地について全然知らなかったことに気づかされました。生駒、東大阪、八尾ももっと深く探求してみたいと思います。

評価:B
posted by みさと at 15:56| 奈良 ☀| Comment(0) | 読書(小説以外) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月23日

フルコースな女たち

 新津きよみさんの短編集です。収録作品は『転落――食前酒』『ゼンサイのような女――前菜』『散骨――スープ』『水難の相――魚料理』『薬――お口直し』『男狩り――肉料理』『スイーツ・バイキング――デザート』『マタニティ・メニュー』です。

あらすじ
 陶芸家、ハンター、料理人である三人の女は、富永英作という男をそれぞれ憎んでいた。三人はふとしたことで知り合い、男を殺す計画を立てるが…。(男狩り――肉料理)




 久々に市立図書館で本を借り、久々に読んだ新津作品。料理にまつわった後味悪い系のお話が満載です。この感じ、懐かしい。
 一番印象に残ったのは「散骨――スープ」です。粉骨された「骨を飲む」という人間の倫理観を絶妙に利用した描写。しばしばミステリに出てくる人肉食というのは、見た目にもグロテスクですが、粉になった骨を飲むというのは見た目のおぞましさを伴わないがゆえの気味悪さを感じます。スープとの結びつき方、落としどころも秀逸です。
 他のお話も総じて佳作揃い。後味悪いお話を「食」と結びつけているところに作者の皮肉を感じます。コース料理のように、ぜひゆっくり味わって読んでください。

評価:B
posted by みさと at 15:07| 奈良 ☁| Comment(0) | 読書(新津きよみ) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

文化人類学入門

 祖父江孝雄さんの本です。人類学は以前から興味があったのですが、なんだかんだで結局一冊本を読み、授業を一つ受けだだけにとどまっていました。人文地理学、建築史と並んで私の所属する学系(文化環境学系)の専門で、私の興味のある分野と隣接した学問なのでしっかり学んでみたいな、と思って入門書を読んだ次第であります。
 内容自体は平易で、一般的な教科書類と比べると圧倒的に読みやすいです。ただ、書かれたのが昭和54年であり、かなり古い本であります。平成2年に増補改訂版が出されたようでありますが、こちらでも早27年前。とはいえ基礎の基礎を身に着けることはできたと思いますし、これからもっとたくさん文化人類学の関連書籍を読んでいきたいな、と思いました。祖父江さんは県民性の研究で有名ですし、そのあたりの本も読んでみたいです。

評価:B
posted by みさと at 12:46| 奈良 ☁| Comment(0) | 読書(小説以外) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

外道クライマー

 宮城公博さんの本です。私がワンダーフォーゲル部で行っている「沢登り」という行為。それを極限まで追求している宮城さんの体験談が書かれています。那智の滝登攀(失敗)、タイでの50日近いジャングル探検(連続遡下行)、台湾・チャーカンシー初遡行、称名滝冬季初登攀……。軽妙な文体で色々な意味ですごい記録が盛りだくさんです。
 宮城さんはワンゲルの先輩たちと考え方がどこか似ているなー、と思いましたが、ワンゲルの先輩たちがこれを読んで大いに影響をうけているのかもしれません。私自身は、宮城さんをすごいな、とは思いますが到底こうした思考になることはできないな、と感じました。

 解説で「山登りは反社会的な行為」だということが書かれているのですが、それを読んで色々と考えさせられました。命を危険にさらして、藪を漕ぎ、岩や滝を上り、泥つきにしがみつく。そこにはほとんど生産性なんてない。大人には「なんでそんな危ないことを」と後ろ指を指される。多くの山ヤ、沢ヤはそれを気にしないのかもしれませんが、私は、そう言われると胸が苦しくなります。社会の矩に従うこと、社会のためになることを旨として(青臭い上に、そうできているかは甚だ怪しいことですが)生きてきた私には、そうした非難に抗弁する術を持ちません。そういわれるたびに、それどころか、下界で日常生活を送り、さまざまな人と触れ合っているだけで常に「沢をやめようか」という思いが心に芽生えてきます。
 一方で、社会的通念へ反発する人への憧れが心のどこかにあるのも確かで、沢登を純粋に楽しいと思ったり、そこでさまざまなこと(生の実感や新たな自然観など)を得たりしていることも事実。実際に沢に行くと、沢を続けたいという気になります。
 こうした葛藤は沢をやる限り永遠に続くのだろうな、と思います。冒険家への憧憬はありますが、自分は冒険家にはなれない。

評価:A
posted by みさと at 12:33| 奈良 ☁| Comment(0) | 読書(小説以外) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする