2018年09月21日

風景学入門

 中村良夫さんの本です。風景論の名著として名高い本であります。
 中村さん自身は土木の人なのですが、建築学、心理学、文学、地理学、美学、東洋思想などかなり幅広い範囲の学問を踏まえた内容となっています。
 ゲシュタルトをはじめとする視覚心理学はほとんど触れたことのない分野です。縁や連続物などが風景で注視されやすい点であり、風景中の図・対象物として認識されやすいのは水平角20°、鉛直角10°のうちであるということなど、とても新鮮で興味深かったです。こうした定量的な分析の視点はこれまで学んできた中で身についていないので、取り入れたいなと思いながらも中々難しそうです。

 またギブソンのいう「空間の操作的意味」というのも印象的でした。人が知覚する空間や物体は、自らの仮想の行動と結びついているというものです。具体的には、風景画に描かれる人物に自らを投射したり、道が描かれることで実際に周遊する気分になったり(臥遊)…。庭園や風景画の見方が新しくなった気がします。

 空海の風景論で使われていた「境」という言葉も重要な概念。「景」よりも領域性のある言葉です。中村さんは「境」を、現象的自我・客我の場と書いています。風景というものは、帰属意識、故郷意識、アイデンティティなどと良く結びつくものであり、このように捉えることは、「風景」を分析する上で一つの良い視点であると思います。

 風景は純粋美術と違い、実生活と関わる実用のものであります。それぞれの景観要素は他との縁ーー関係性によって風景全体の美を成り立たせているのだ、ということを中村さんは強調しております。このような認識は風景論の本を読んでいると多くに出てきますが、仏教思想とも結びきうることに、この本で初めて気がつきました。思想系もざっとさらえるくらいは勉強しないとな、と思います。


 この本は風景論上の重要な指摘が多く含まれているのは上に見てきた通りですが、文章自体が雅びており、読んでいてとても心地の良い一冊。文学的な風景の分析も多く織り込まれており、風景を鑑賞するお手本を示していただいた思いです。
 名著と名高いのも納得の一冊でした。
posted by みさと at 10:29| 奈良 ☔| Comment(0) | 読書(建築学/都市論) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年09月14日

街角図鑑

 三土たつおさん監修の本です。車止め、パイロン、境界標などなど路上にある様々なもののデザインを集めています。
 都市論や風景論系の本を読んでいると時折接する「路上観察」学の手引きのような本です。執筆陣の千葉大造園学の石川初さん、「工場萌え」で有名な大山顕さんは、個人的に少し縁があって、一度ずつお話ししたことがあります。そんなことで少し親しい気持ちで読み始めました。
 普段の生活では、さらにはある程度地理学や都市論の教養を積んでいても気にすることのないようなものまで詳細に観察されていて、面白かったです。

 路上園芸というのは私も以前から観察するのが好きで、前から見かければ足を止めたり、時には写真を撮ったりしていました。本来パブリックであるはずのスペースを私的に利用する。これは法的には良くないことなのかもしれませんが、緑の不足しがちな都市において自然発生的な緑化と捉えば有益なことです。さらに、植物の生育の話題を提供することで近隣とのコミュニケーションの発生を支えたり、手入れをする人の路上滞在時間が増えることで犯罪を抑制する効果が発生したりしているのです。(鈴木成文さんの路地に関する本に詳細に書かれていました。)

 街を歩くとき、何気なく目に入っている何かしらが、実は生活空間において大きな役割を果たしている。そんなことがあるかもしれません。これを機会に、目ざとく街を観察してみたいと思います。分節の仕方が変われば、風景は全く違うように見えてくるはずです。
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2018年09月11日

思考の整理学

 外山滋比古さんの一冊です。「東大生・京大生に一番読まれている本」と謳われており、周囲にも読んでいる人が多くて気になったので手に取りました。
 「ただ知識をつけるだけではなく、思考することが大切だ」「思考を熟成させるにはそれ自体から目を離し時間を置くことが大切だ」など、論じていることは多岐に渡ります。 現代では世間での通説となっているほど普遍的な真実と思えるようなことから、俄かには同意できないことまで色々ありました。表現も抽象論から、筆者の具体的な実践に至るまで様々です。
 知識を重視し、枠にはまった思考を助長するような教育は現代もいろいろな人によってしばしば批判されていますが、書かれたのが1983年ということを踏まえると、とても先進的であったのかもしれません。今尚残る問題ではありますが…。

 軽妙な文体で極めて読みやすく、議論も様々でありながらも整理されており、読み物としてとても秀逸だったと思います。

 もっとも印象に残ったのは「情報の”メタ”化」の項。情報には事件や事実をそのまま伝える第一次的情報と、それらを抽象・統合・整理した高次の情報があるというものです。前者にはニュース、後者には社説や評論などが当たります。前者を後者へと昇華させる方法論がこの本における大きなテーマであります。
 ふと、「今はネットがあるのだから、本などそんなに読まなくても良い」と中高時代の友人が言っていたことを思い出しました。先の二分では本もネットも高次の情報に入りますが、きちんとした本とネットの情報では大きな懸隔があると思います。ネットの情報は二次的と言っても、極めて質の悪い抽象のされ方をされたものも多く含まれておりますし、多くがその筆者の素性についても出典についても不明確であります。それに対し、本はそれらが明らかにされており、あまり質の悪いものは排除されております(胡散臭い本もありますが、、、)。名著と呼ばれるものは極めて質の高い抽象がされているのです。同じ高次の情報といっても、その質において、ネットと出版された本とでは違うのだと思います。
 高次の情報に触れるにしても、その質がよければ大いに学びになりますが、その質が悪く批判的思考が不十分であれば、ただバイアスを受けるというだけになってしまう気がします。本ーー特に、良い本を読むことは、とても重要だと思います。
 かなり脱線して個人的な意見を書いてしまいましたが、今日の読書録はこの辺りで。『思考の整理学』なのに、全然整理していない内容でごめんなさい、、、。
posted by みさと at 21:41| 奈良 ☁| Comment(0) | 読書(他人文科学) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年09月10日

家と村の社会学 増補版

 鳥越皓之さんによる村落社会学の入門書です。鳥越さんは環境社会学が専門の方で、民俗学にも造詣が深い先生です。
 村落社会学の基礎的事項について、極めて平易に概観できて、村落研究に興味がある人がはじめに読む本としてとても有効だと思います。

 私は地理学の基礎勉強はしましたが社会学の基礎を積んでおらず、かなり勉強になるところがありました。村落のあり方を類型化するには、「家」の存在のあり方を類型化することが有効であります。例えば、福武直のヨコのつながりの大きい「講組型」村落とタテのつながりの強い「同族型」村落の類型が一つです。
 地理学の分析では、外観的な分析(集村や散村)がまず存在し、人々の社会についての分析でも地理的空間や場所における差異(商圏の重層性など)に注目した研究が目立ち、こうした社会内面そのものにおける類型化はあまりないように思えます。もちろん浅学の私がここまで学んできた中で、のお話ですが。(この本で取り上げられていた鈴木榮太郎の自然村や社会地区の理論は地理学にも通じ、馴染みが深いです)

 「同族」と「親族」を始め「家」を巡る諸概念は、なんとなく経験上理解はありましたが、この本を読んである程度体系化できた気がします。最近「家」や地主制・土地制度史についても興味が出てきており、この辺り掘り下げてみたいな、と思いました。
 増補版だけのようですが、末尾に農村社会学についての文献解題がついているのも魅力。少し古くなってしまいましたが、興味のある文献もいくつかあったので、また読んでみたいと思います。

 地域研究をする上で、新たな視点を手に入れることができて、良い読書でした。
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2018年09月07日

紙婚式

 山本文緒さんの短編集です。収録作品は『土下座』『子宝』『おしどり』『貞淑』『ますお』『バツイチ』『秋茄子』『紙婚式』。
 結婚、夫婦の綻びをテーマにした短編集で、妹に勧められて読みました。
 夫婦生活というものは安定したものというイメージがありますが、外観の安定の中、実際の心中はどのようにあるのでしょうか。この短編集はそうした心情を描いた作品群です。印象に残ったのは『子宝』『秋茄子』『紙婚式』。
 『子宝』は「生」とその裏返しにある「死」がキーになったお話。梶井基次郎の『桜の樹の下には』を夫婦生活に落とせばこのようであろうか、という感じです。死が恐ろしいという気持ちが生のグロテスクさと繋がっているというのはよくわかります。
『秋茄子』は唯一?後味の良い終わり方をしている作品です。口ではああ言いながらも、母親への愛に溢れる旦那さんは子供っぽい一方で可愛らしくて、良い終わり方だと思います。
『紙婚式』はテーマが良い。婚姻届は単なる紙切れと言っても、本来他人であったものを家族にするという呪術性を持ったもの。契約というとドライなようですが、人間を深く結びつけるものでもあると思います。
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2018年09月06日

団地の時代

 原武史さんと重松清さんの対談です。東京の団地で生まれ育った原さんと、地方に生まれ、ニュータウンを転々として回った重松さんが、団地のあれこれについて考察しています。

 私の生まれた街・柏原も、大都市の郊外にあるベッドタウンではありますが、農村と在郷町がスプロール的に拡大してできた都市で、私団地という存在には接さずに育ってきました。
 こう言う経緯もありまして、私は農村や戸建てに対して団地・マンション・ニュータウンを一つのくくりにして考えることが多かったったのですが、この本ではこれらを明らかに違うものとして論じています。私にとってはそれが一つの衝撃でした。団地は戦後の住宅不足の対策として公団や自治体が作った画一的な住宅群であります。それに対して、ニュータウンはもう少し後の時代、多摩ニュータウンを代表に、住民・住宅ともにある程度多様な様相を見せる住宅群であります。

 団地を論ずる時、「画一的」と言うのが重要なキーワードとなります。それは、景観的にもそうですし、住民の社会的階層においてもそうです。
 団地の住民たちはかなりの近距離に住み、同質的な生活を送り、教育・インフラなど共同の課題をもっている。コンクリートの、堅固な一室は近隣とのつながりを阻むように思えますが、実際はしばしば強力なコミュニティが形成されたと言うところがこの本の大きなポイントだと思います。
 こうした自治会はしばしば革新勢力と結びつき、共産党や公明党の票田になります。

かつて「団地妻」のポルノが流行ったのが団地の空間的特性の現れであると言う指摘も、文化史・空間論的に興味深いことでした(と言っても実際見たことがあるわけではありませんが笑)。機密性の高い住居に加え、職住分離、家電の普及である程度時間に余裕のある「主婦」の誕生。冗談めかして話に上がっていることですが、中々重要な指摘だと思います。

 モダニズムの象徴として都市論の世界では良く取り上げられる「団地」。外から見ることはあっても、それ以上触れ合ったことのない対象です。原さんの生きた経験は、ものすごく新鮮でしたし、興味深かったです。
 団地、ニュータウン、旧集落、スプロール……。均質的と言われながらも、実は多様な様相を見せる「郊外」。研究対象として農村を志向していた私ですが、郊外に心をくすぐられる今日この頃です…。
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2018年09月04日

小公女

 フランシス=ホジソン=バーネット作の有名な児童文学です。曾野綾子訳の講談社・青い鳥文庫のものを読みました。
 名高い作品ですが、恥ずかしながら読んだのは、おそらく初めてです。

 児童文学とみなされる作品には、主人公が積極的に行動を起こし、自ら活路を切り開いていくというお話が多い気がしますが、このお話の主人公・セーラは少し違います。お金持ちのクルー家に生まれ、父の死により小間使いに転落し、父の友人との接触によって再び裕福になると言う風に、物語は主人公ではない外在的な営力によって進行されていきます。セーラは、気高き気丈な心と豊かな想像力をもってそうした運命に耐え、それらを導いているのです。物語・主人公がまさしく「運命」によって動かされていると言えるでしょう。
 受動的な展開ではありますが、だからこそこの作品のテーマである主人公の気高さ・気丈さが引き立っている気がします。気高さ・気丈さは「運命」と相性の良いテーマだと思います。

 また、セーラは屋根裏の自室で、粗末な部屋をバスティーユの監獄や豪華な部屋にいる「つもり」になる空想遊びをし、辛い気持ちにならないようにしていました。これは、粗末な、殺風景な部屋であるからこそできることだと思います。装飾も何もない、「意味」の削がれた空間であるからこそ、想像によって「意味」を付与したくなるのでしょうし、そうできるのでしょう。屋根裏部屋はセーラの想像力を活かすには良い環境であったと言えるでしょう。


 そういえば、小学生の時分、「小公女・セーラに似ている」と同級生に言われたことがやけに記憶に残っています。それはどのような文脈で、どのようなニュアンスで言われたことだったのかは、全く思い出すことはできないのですが……。
posted by みさと at 11:44| 奈良 ☁| Comment(0) | 読書(児童文学) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年08月23日

いわさきちひろの絵と心

 下鴨の古本市で購入した一冊。いわさきさんの絵と彼女のご子息・松本猛さんのエッセイから構成されています。
 いわさきさんが絵を描かれた絵本は、幼い頃そうと気づかず何度も読んだことがありましたが、最近ふとしたきっかけでいわさきさんのことを再認識しました。淡い色の水彩画で描かれた画風は今の感覚からしてもとても心惹かれます。彼女の描く子供達には、優しさの中にも、繊細で微妙な心の動きが現れている気がします。しばしば輪郭も曖昧で、色もパステルカラーを用いているからこそ、強すぎない、絶妙な心情の表出をなし得ているのでしょうか。

 松本さんのエッセイでは、いわさきさんの生涯や芸術理論が書かれており、これを読むことでより絵を深く感じられるようになった気がします。特に、彼女が共産党員
であり、議員の妻となっていたことには画風とのギャップに衝撃を受けましたが、水彩画の中に滲む意志の強さや社会的なテーマの絵(「戦火の中のこどもたち」など)があることを思い出だすと、それも納得です。
 また改めていわさきさんの描いた絵本を読んでみたいな、と思いました。
 この本に収録されている作品の中のお気に入りは、「かさと少女」、「たけくらべ」美登利、「枯れ草の中の少女」です。
posted by みさと at 18:01| 奈良 ☁| Comment(0) | 読書(児童文学) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年08月15日

刺青・秘密

 新潮文庫、谷崎潤一郎さんの短編集です。収録作品は『刺青』『少年』『幇間』『秘密』『異端者の悲しみ』『二人の稚児』『母を恋うる記』です。

 『細雪』に魅せられて、谷崎に手を出しています。 『細雪』は関西の上流社会を秀麗に描いた地理的小説、風土的小説と言えますが、この短編集は、江戸が物語の舞台であるものがほとんどです。

 とりわけ、『異端者の悲しみ』は江戸の庶民社会のに生きる人物を描いたものという意味で、『細雪』と対照的なものであると言えるかもしれません。この小説は作者・谷崎を思わせる東大の貧乏学生・章三郎の頽廃的な生活を描いたもの。
 ーーベルグソンの「時と自由意志」の論旨を…細かい理屈は何一つ覚えていなかった。にも拘らず、彼は自分が折に触れて、こう云う高尚な問題にまで考えを及ぼし得る智力がある事を、非常に嬉しく感じ始めた。(p140)
 己の能力を過信し、他者を卑下する事で成り立つ歪んだ自尊心が放埓な生活の中対照的に浮き彫りにされています。京大に通う私にも少なからず同じような心の動きがあり、うっと心に刺さるところがありました。
 また、ものうく荒廃した家庭と生活、精神の中に、病気の妹・お富の冷たい瞳が突き刺さるのも効果的で、非常に印象に残りました。
 ーー凹んだ眼科の奥に光って居る凄惨な瞳を、ごろりと一方へ回転させてじろじろと兄の様子を見据えた。(p138)
 

 地理的小説として秀逸だと思うのは、『秘密』です。普段生活している町の中にも、全く通ったことのない場所というものは少なからず存在します。この小説は、そうした場所がテーマ。幼い頃には点と線で構成されていた生活空間が、面的な広がりを持つようになってくるにつれ、こうした道は時折眼前に現れてくるようになります。私自身馴染みある町の見知らぬ姿は、不思議で、とても魅力的で、心踊ります。小説に取り上げられて見て初めて、とても不思議で面白い題材だな、と気づきました。
 ーー丁度瀬の早い渓川のところどころに、澱んだ淵が出来るように、下町の雑沓する巷と巷の間に挟まりながら…閑静な一郭が、なければなるまいと思っていた。(p98)
 大都市という巨大な空間には、ほとんどの人にとって知ることのないこうした場所があるのではないか、という感覚はすっと腑に落ちます。都市は巨大であり、人間の認識のスケールを超えているため、(実際は全ての人の生活空間を重ねれば都市全てを覆い尽くすのでありましょうが、)人間に埋め尽くされていながら空虚な隙間が生じていると感じてしまうのでしょう。
 「秘密」が暴かれたところで場所の魅力が消滅してしまうという結末は、このテーマをおとすには良い結末だと思います。

 『刺青』『少年』『幇間』は、世間で言われる谷崎のイメージ像を体現したような作品。猟奇的でやや性的な物語をぞっとするような美しさで描いています。特に『刺青』は極めて短い中にそれがよく現れており、さすが名作の誉れが高い小説だと感じました。
 『二人の稚児』はこの本書の中では特異な印象を受ける作品で、仏教説話的な物語です。見たことのない「女性」の煩悩に悩まされるというところは他作に見られる谷崎の筆がよく現れている気もします。
 『母を恋うる記』は幻想的な舞台の中、谷崎の作品の多く通底する母への慕情を描いた作品です。五感が極めて繊細に描かれており、極めて美しい一作です。

 性的倒錯を描きながらも、えぐみを感じさせず、極めて美しい物語群。思春期に『春琴抄』を読んで衝撃を受け、敬遠していた作家さんですが、二十歳になった今になってその世界に魅了されています。『痴人の愛』あたり、また他の作品も読んで見たいと思います。
posted by みさと at 22:34| 奈良 ☁| Comment(0) | 読書(近代文学) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年08月10日

古都

 川端康成さんの小説です。京の街に捨てられ、呉服問屋の一人娘として育った千恵子と、北山杉の里・中川で働く村娘の苗子。生き別れた双子の姉妹は祇園祭の日にめぐり合います。
 美しい四季の移り変わりに、京都、平易で流麗な文章。全体として、谷崎の『細雪』を連想させます。作中では、様々な行事、名所を用いて京都の四季を描いています。京都を舞台に、二人の娘をめぐる人間模様を描いているのか、二人の娘を通じて「京都」を描いているのか。京都の「名所図会」的な小説だな、と感じました。

 また、中でも近代化に揉まれる「京都」がこの小説ではよく描かれていると感じます。
ーーそのうちに、京都じゅうが料理旅館になってしまいそうな、いきおいやな(p186)
 という太吉郎の言葉。実際の生活から遊離し、観光地として概念化・テーマパーク化されていく京都への危惧がよく現れた言葉だと思います。
  また、苗子の言葉に、

ーーうちは、原生林の方が好きどす。この村は、まあ、切花を作ってるようなもんどっしゃろ……(p166)
 というのもあります。杉の植林も、現在では「自然」とみなされることも多いですが、人為によって構成されるものです。川端の嗜好として、恣意的に構築されたものを厭い、自然や人の営みによってありのままに成り立つものを求める傾向があるのかもしれません。もっとも、杉の植林を「冬の花」とか「数寄屋」に例える記述もあり、その美しさを、それなりには評価しているとは思いますが。

 私自身、杉の植林というのは、不思議な感じを受けます。昼間にみれば、人の営みを感じてとても親しい印象。厳しい沢を登っていて突如植林が現れればとても安心します。しかし、夜中にみる杉林は異様な感じがして、見ていると不安さえ感じます。のそっと真っ白な柱が屹立している様子。見てはいけない何かが露出している感覚。人間の白骨を見ているような感じ、とでも言えば良いのでしょうか。

 奈良の喫茶店で一気に読んでしまいました。このような雰囲気の作品は好きですし、色々感じること、考えることもありました。
posted by みさと at 00:07| 奈良 ☁| Comment(0) | 読書(近代文学) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする