2019年05月17日

人口減少時代の土地問題(吉原祥子)

 「土地」と言って、何をイメージするでしょうか。私なんかは、人の記憶が蓄積する記憶の場といった風に、ある種のロマンティシズムを持って見てしまいます。
 しかし、同時に土地というものは複雑な法システムや資本主義経済システムが埋め込まれ、人々の怨念の絡みついたもでもあります。本書は、主に土地に関する法システムについて、人口減少を迎える現代どのような問題に直面しているかについて統計データを用いて考察した本であります。
 登記というシステムは、所有権の対抗要件となっていると同時に、旧土地台帳を統合しており、公共的な性質を少なからず持つ国土を管理するという役割も持っています。しかし、相続の際、資産価値の低い土地や慣例的に受け継がれている土地は、登記がなされず、相続が繰り返されるたびに法定相続人が増え続け、自治体が所有権を持つ者を把握できなくなってしまいます。実態として利用されていれば良いですが、放棄されてしまえば再利用が難しくなりますし、震災の復興住宅建設など公共用地として行政が取得したいとなっても権利調整が極めて困難となります。

 土地というものは、何気なく暮らしている舞台でありますが、学生の生活では、その背景に法的システムが存在しているということに中々気づきません。
 先日、由あって相続によって生じた複雑な権利関係、利害対立が土地に絡みついている様を見て、ゾッとしました。土地というものは、住まうにしろ耕すにしろ、人の営みに実際的にも法的にも深く結びついており、容易に逃れることのできない場であります。正当に放棄することも難く、放棄しては気づかぬうちに誰かに迷惑をかける。土地には、人文主義的のみならず法経済的にも、「地霊」が宿るのだと恐ろしく感じます。
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2019年05月11日

木(幸田文)

 幸田文さんの随筆集で、『えぞ松の更新』『藤』『ひのき』『杉』『木のきもの』『安倍峠にて』『たての木 よこの木』『木のあやしさ』『杉』『材のいのち』『花とやなぎ』『この春の花』『松 楠 杉』『ポプラ』が収録されています。
 ボックスの本棚で見かけ、表題に惹かれて手にとった本でありますが、幸田文がこんなに木に親しんできた人だとは知りませんでした。木に親しむ契機には、『藤』にあるように、土地柄、家庭環境が影響していたみたいで、父・露伴も木にかなり親しみを持っていた人物であることが記述されていました。私の貧困な知識では、露伴といえばまず思い浮かぶのが『五重塔』で、木造建築を描いた作品が評価されたのもこうしたところがあるのかな、と思ったり。この随筆集でも、『材のいのち』などで古社寺に関わる棟梁の話が出てきます。
 この本を読んでいると、常に私たちの視界の結構な部分を満たしている木々ーー立ち木であれ、材であれーーを、普段全然気にせず生きていることが痛感されます。私は登山をしており、林業にも関わっており、森林科学にも多少親しんできたのに、木々への感性が薄いと悲しく思います。
 印象的な作品はいくつかありますが、まず心引かれたのは、冒頭の『えぞ松の更新』。エゾマツの倒木更新なんていう、すごく森林科学的な、ニッチな題材で驚いて読み始めると、専門的な題材でありながらも、感性は学者ずれしていない、清新な感性で書かれています。古木の水漬き、乾き、温もり。五感に感ずる、素敵な文章でした。
『灰』も良い。雨に濡れて生コン化した火山灰にまとわりつかれ被害を受けた木々の話なのですが、夏に枝を落としたため秋に青葉を茂らせる楓の不気味さ、悲しさが印象に残ります。
 小川和佑『桜の文学史』を読んで以来、表象される植物や植物の文学的認識に心惹かれています。山屋としても、幸田文のような、文学的感性を持って、植物に接していけるようになりたいなぁ、と刺激になりました。
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2019年04月29日

よくわかる都市社会学(中筋直哉・五十嵐泰正編著)

 ミネルヴァ書房から社会学分野において多く出版されている「やわらかアカデミズム<わかる>シリーズのひとつです。
 見開きの記事が無数に載っている構成で、1章がいくつかの都市を取り上げた社会学的分析、2章・3章が都市社会学の理論の学説史を踏まえての紹介、4章がまちづくりに関する諸項目、5章がメディアとの関係の中で現れる都市、6章が調査法の古典、7章が主要な都市社会学者の評伝といった内容であります。
 平易に都市社会学の一通りが記述されているため、入門書として良書であると思います。隣接分野の建築学で勉強する過程でなんとなく聞いたことのある人名や概念を通史的におさえられて、勉強になりました。

 7章で扱われる学者が、デイヴィッド・ハーヴェイ(地理学)、ル・コルビュジエ(建築学)、前田愛(文学)など、社会学の分野に収まらないことからもわかるように、都市社会学は極めて学際的な分野であります。
 私自身は教養系学部の建築学の研究室にいますが、最近生きられる空間や表象された空間というものに強く惹かれています。本書でいう5章に相当するこうした関心は、人文主義地理学や都市社会学と融け合うところで、あんまり自分が「◯◯学」に所属するという意識がないのもこういうところにあります。地理学や建築学を中心に学んできましたが、一時期若林幹夫に傾倒していたように、社会学の理論・分析にはとても魅力を感じます。
 分野横断的に幅広い学識を取り入れて学んでいきたいととは思いますが、しっかり軸足を持ちたいというのも最近強く実感しております。
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2019年04月26日

学術論文の技法【新訂版】(斉藤孝・西岡達裕)

 論文の書き方というものって、意外と大学で習わないものです。いざ卒論を始めるという段階になって、一応ちゃんと書き方を学んで置こうと思って手に取ったのがこの本です。1977年に初版が出版され、時代を重ねるごとに度々改訂、重版されているロングセラーで、私が読んだのは2005年に新訂されたもの。
 斉藤さんは東大の西洋史を出て国際政治史を専門にされた学習院大の名誉教授。西岡さんはパソコンに対応するため新訂版から著者に加わった政治学を先行とされる桜美林大の教授です。この本自体は、政治学などに偏らず、人文・社会科学に広く対応しています。
 内容としては、三年間の学部生活でレポートを書いたり、論文を読んだりしているうちに何となく身についている部分が多かったのですが、脚注や参考文献の書き方はこれまでのレポートで適当だったり、文献目録を作ったことがなかったり、結構学ぶべきところが多くありました。
 この本の一番の良いところは、最後に「文献を探すための文献一覧」「文献を探すためのオンライン情報」が掲載されているところ。ただし内容は2005年のもので、変化はしているだろうな、とは思いますが、卒論を書くのに役立ちそうです。
 大変読みやすいので、当然知っている内容も多いかもしれませんが、卒論を書かんとする四回生は隙間時間に読むのに良いと思います。
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2019年04月18日

歌枕を学ぶ人のために(片桐洋一編)

 世界思想社の「◯◯を学ぶ人のために」シリーズの一つ。歌枕となっている地域に対する場所イメージの変化を卒論のテーマの案として考えているというのを動機に読みました。構成としては、歌枕の概説があった後、一章ごとの読み切りで歌枕の史的展開が5章、地理的展開が9章、諸国歌枕の一覧、歌学書・歌枕書の解題、主要参考文献の解説となっております。

 歌枕というと、吉野といえば桜、龍田といえば紅葉のように、特定に景物と結びつく名所と言った認識をされることが多いですが、元来(平安期くらいまで?)は枕詞や序詞も含んだ、歌語一般を指す言葉でありました。

 名所としての歌枕の意義は時代とともに変わってゆきます。万葉集の時代には「近江」ー「逢ふ」のような掛詞の出現に一般的意味、象徴的意味の萌芽は見て取れますが、基本的に実景との結びつきの中で地名表現がなされてきました。
 古今集の時代になると、歌枕は実景から離れてゆきます。縁語・掛詞が多く使われるようになり、地名の持つ自然的事物と人事的現象を音声的に結びつけて詠んだり、また本歌取りにより、特定の自然的事物と人事的現象の結びつきが一般に膾炙したりすることで、地名は歌枕となっていく、すなわち、特定の観念、象徴的意味が伴うようになったのです。また屏風絵を題に詠歌する「屏風歌」も歌枕と実景の乖離を助長しました。
 中世、十三代集の時代になると、掛詞を離れて歌枕が初句にくることが増え、情景の描写のため、イメージをはじめに提示するという傾向に変わってゆきます。

 時代による差異はあるものの、国文学的な概念である「歌枕」は、ある意味を伴った土地であるという点において、地理学や建築学の「場所」「ゲニウス・ロキ」の概念と通ずるところがあります。この本の執筆陣は、全員が国文学系の研究者で、地理学者や建築学者は一人もいませんでした。
 私自身は建築(史)学の学生ですが、国文学の論考をうまく取り入れ、なんとか歌枕となった名所の持つ意味合いの史的な変化について、双方の理論を合わせて何か意味のあることを叙述したいと野心を抱いております。とはいうものの、私自身に国文学的な素養が薄いし、いま対象地として考えている「龍田川」についての先行研究、また近代造園史的な史料が少なそうで、中々難しそう。どうしていこうか、悩ましいところであります。ともあれ、資料集めに励まないと。
posted by みさと at 11:58| 奈良 ☀| Comment(0) | 読書(言語学/文学) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月16日

日本の樹木ポケット図鑑(増村征夫)

 増村征夫さん著、340種を収録した樹木図鑑です。森林科学の人が使うような本格的な辞書ではありませんが、街路樹から山の木に至るまで、身近な樹木は一通り収録しています。花や葉、果実、樹皮など、植物をそれぞれ特徴的な部分ごとに分けて収録しているので、素人にも探しやすいです。
 文庫サイズで携帯しやすいのも良い。隙間時間の暇つぶしに、と思って通読しましたが、読み物としても面白いです。北原白秋の「この道」に出てくる「アカシヤ」は「ハリエンジュ」=「ニセアカシヤ」だとか、文学的な小ネタもところどころに入れてくれているのが私の関心とも合って嬉しかったです。
 最近造園への関心が強く、もっと植物を覚えたいという思いが強くなってきております。森林科学の人に声かけて、里山かどこかを一緒に歩いてもらおうかなぁ。
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2019年04月07日

詩的思考のめざめ(阿部公彦)

 阿部公彦さんによる詩論です。詩に抵抗感のある人も含む、一般向けに書かれております。日本の現代詩への入門書とも捉えることはできますが、阿部さん自身はそれを否定しており、「名前をつける」「声が聞こえてくる」ことなど、日常にも詩的思考は潜んでいるということを強調しています。実際、ピンクレディーの「ペッパー警部」や宮沢賢治の『なめとこ山の熊』のように、詩以外の題材を取り上げたりも。阿部さん自身の専門は英米詩ではありますが、文学一般に対して多く著書を書かれており、その広がりが納得できます。
 前半は詩的思考がいかなるものであるか、日常生活との関わりなどを詩を含む幅広い文学作品を取り上げながら考察している一方で、後半は実際の詩がいかに振舞っているか実際の詩一つ一つを取り上げながら解説を加えています。文体としては平易かつふわっとしたもので、この本を読んで厳密に詩を読み解けるようになった自信はありませんが、なんとなく詩を味わう面白さが増した気がします。

 この本を読んだきっかけは、最近、京大詩人会の人との交流ができ、触発されて「詩」というものにひかれていることからでした。私が普段読むのは基本的に小説ばかりで、詩歌には馴染みが薄かったのですが、これからは積極的に読んでいきたいです。この本を読んで、いくつか気に入った作品もあったので、そこから広げていければと思います。金子光晴「おっとせい」、萩原朔太郎「地面の底の病気の顔」、伊藤比呂美の「きっと便器なんだろう」あたりが好きです。
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2019年04月03日

空間の経験(Y・トゥアン)

 人文主義的地理学の端緒とも言われる、イーフー・トゥアンによる有名な著作です。人類学を始め、様々な学問を援用しながら、人文主義的地理学的な考え方を様々な観点から説明しています。序論で自ら書いていましたが、議論はあちらこちらへ移り変わり、学問的体裁が整っているわけではありませんが、「経験ーー感覚、感情、思考」と「主観性」をキーワードに、場所・空間を分析する人文主義的地理学の考え方を描いています。

 「空間」「場所」という概念は建築学や地理学を勉強しているとしょっちゅう耳にするキーワードでありますが、前者は抽象的でかつ、開放性、自由性を持ったものであり、後者は具体的、親密的で安全性・安定性を持っているという違いがあります。前者は例えば地理学者が軽量的手法で分析するものであり、後者はある人が生活する上で付き合う、生きられた世界であります。「場所」は、人によって親密なる意味を与えられた空間とも言っても良いと思います。この本ーーひいては人文主義的地理学が注目するのは、「空間」よりも「場所」で、人文主義的地理学や現代の建築学では「場所」の方を肯定する傾向があります。
 この本の延長上にあるのが、おそらく以前紹介したこともあるエドワード・レルフの『場所の現象学』であり、この本ではあまり取り上げられなかったが非常に共通項の多い学問である現象学の視点を積極的に取り入れ、学問的厳密性を強化するとともに「場所」性を失った現代社会の問題点を指摘しています。


 一つ、特に興味深かったトピックを紹介します。
 トゥアンは場所への愛着を解説している中で、エウリピデスの『ヒッポリュトス』を取り上げて、流浪の人文主義的地理学における意味について述べています(p273)。古代においては土地と宗教が密接に関連していたため、異教を流浪することは、人から生存のための資源を奪うのみならず、土地の神によって保証される法の保護をも奪ってしまうのです。このことは、前近代の流刑一般、さらには現代の禁錮・懲役刑にも近いことが言えるのではないかと思いました。現代の刑務所は、それまでその囚人が暮らしていた場所から囚人を隔離するものであると同時に、無味乾燥な、没個性的な、非場所的空間であります。囚人自らの個性からまるっきり離れたもの。神は死んだといえども、場所の不在はアイデンティティの基礎を奪い、安心を殺します。そう思えば、こうした刑罰はただ自由を制限される以上の苦痛を感じるものであるとわかります。

 そのほかにも色々と面白いトピックはありますが、全体として言っていることは、何となく知っている内容。それもおそらく、トゥアンの考え方はその後の地理学においてよく普及したからであるからでしょう。4回生が始まる前に、自らの分野、思想的基礎となる古典をおさえることができてよかったと思います。
posted by みさと at 16:40| 奈良 ☀| Comment(0) | 読書(地理学) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月30日

鏡の国のアリス(ルイス・キャロル)

 ルイス・キャロル作、中山知子訳の児童文学で、『不思議の国のアリス』と対になる作品ではあります。フォア文庫で読みました。『不思議の国〜』の方は即興で作られたものであり、破綻した世界観のイメージが強かったのですが、『鏡の国〜』は机上で書かれたものであるらしく、比較的整頓された印象。とはいえ、やっぱり『不思議の国〜』の香りは残して一つ一つのお話は、切り絵のように断片的で、夢を見ているような感じ。しっちゃかめっちゃかで面白いのですが、一つの物語として評価するには、少し難解な感じもします。
 チェスゲームの世界をモチーフにした物語で、アリスは白のポーンで、女王に「成る」ことを目指して世界を冒険して行きます。登場人物たちの行動も、それぞれチェスの動きに連動しています。こうした枠組みがあることが、『不思議の国〜』よりもとっつきやすさを与えている感じはしますが、やっぱり難しい。
 なんていうものの、とても魅力的なキャクター、世界感に彩られ、とても楽しく心躍る作品だと思います。子供心をとってもくすぐる。

 今では日常何気なく使っている鏡というものが、子供の頃は特別な存在であり、不思議で、怖くて、魅力的に感じていた記憶があります。覗くと現実世界と双子の空間が広がっているのに、決して入ることはできない。もし入ってしまったら、どうなるのだろうか。鏡ごしに向き合っている自分は一体何者なのか。どうやっても一部しか見ることのできない鏡の中の世界の先は、どんな風になっているのか。現実と同じように広がっているのだろうか。
 お話自体にも、鏡の要素がちらちら。トウィードルダム・トウィードルディーノ双子とか、白と赤の女王の性格の違いとか。あと、チェスのゲームの構造というのもそうですね。
 鏡って、素敵です。

 ジャバウォックの詩を始め、この作品にはしゃれや言葉遊びをたくさん散りばめられていますが、邦訳の際、どのように扱ったのかが気になるところ。友人が持っている新潮や角川の訳と比べてみると、その違いに驚きます。角川は韻踏みなどを忠実に守ろうとしているのですが、このフォア文庫の訳は子供向けでわかりやすくしているため、ある程度省略している。とはいえ、フォア文庫はフォア文庫で優しくて、角川や新潮にはない良差のある訳です。翻訳の難しさを感じます。。原文でも読んでみたいと感じる作品でありました。
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2019年03月28日

斜陽 他一篇(太宰治)

 岩波文庫で読みました、太宰治さんの小説です。『斜陽』のほか、『おさん』が収録されています。都内の家を追われ、伊豆に移住した敗戦直後の没落華族家庭の親子の様子を描いた作品であります。「斜陽」という言葉に没落の意味を与えたのはこの作品だったとかいう話も聞きます。
 語り手であるかず子は恋と革命を志向し、弟の直治は世間とのずれの中デカダンに向かい、母は「最後の貴婦人」の気品を保つ。政治体制の変革の中、滅びてゆく社会階層の哀しさが美しく描かれた作品だったように思います。母が華族であり続ける一方で、かず子・直治はそれぞれ古くからの名家の価値観と、新たな/民衆の価値観との価値観とに翻弄され流様子が描かれています。結婚・恋愛・性行為が一体となるロマンティックラブイデオロギーは近代特有のものでありますが、この作品ではそうした価値観とおそらく出会って間もない上流階級の反動的な?直情が感じられます。(性や愛にまつわる価値観の変遷をしっかり理解しきっていない気がするので、もっとしっかり勉強したいところであるとも感じました)
 とりわけ印象的なのは、かず子が恋を達成した直後に描かれる、直治の残した遺書。散々下品に、退廃的に描かれてきた直治でありますが、「姉さん。僕は、貴族です。」で終わる遺書の文体は訴えかけるようでありながら、なんとも優しく、気品があり、美しい。
 小説全体が、散文でありながら、どこか音楽的な美しさを持っているようにも思いました。流麗な朝餉の場面から始まり、都落ち生活を悲しくも穏やかに描き、直治の帰宅、上原の影がちらつくあたりから、激しさをまとってゆく。直治の日記やかず子の手紙も効果的に挿入され、作品に起伏をつけています。特に、母の死と同時に、「戦闘、開始。」のフレーズとともにかず子の恋と革命の情動が盛り上がって行くシーンなどは、イデオロギーの革命を表す効果を示すと同時に、この作品の音楽性を高めている秀逸な構成だと思います。そう、音楽。この作品を表すのに、「音楽的」という言葉がぴったりな感じがします。

 もともとこの作品を読み始めたきっかけは、谷崎『細雪』を読んで、没落してゆく上流階層の悲しくも華麗な世界に憧れたから。この作品は、時代が少し降ることもあり、谷崎のもの以上に没落の様子を強く描いた作品であります。
 太宰自身が津軽の地主の生まれで、この作品は農地解放後の凋落を受け、チェーホフの『桜の園』を自らの家になぞらえて作ったのがこの作品と言います。(太宰の生家・津島家住宅「斜陽館」は重要文化財にも指定されています)
 こうした話に惹かれるのは私自身も農地改革で一度没落した豪農の家系だからというところがあるからでしょうか。今では経済的には立て直したものの美的感覚などはかなり一般的な家庭と変わらなくなってしまっているため、かつて自分の数代前の先祖も持っていたかもしれない上流階級の美学や、かつて自らの家が体験した没落の悲しき美しさのようなものに(それが幻想かもしれないとしても)憧れを感じているからでありましょうか。チェーホフの『桜の園』もまた手にとってみたいです。

 太宰作品の中では、『女性徒』と並んで好きな作品です。あの作品の透明感と、この作品の音楽性。もともと『人間失格』のデカダンと『走れメロス』の明快さのイメージが強かったのですが、こうした美しい作品が、なんとも好きであります。
posted by みさと at 20:57| 奈良 ☁| Comment(0) | 読書(近代文学作品) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする