2017年09月18日

柏原市と民俗宗教

 『生駒の神々』という本を紹介しました。私の住む柏原市は生駒山系の南端に位置し、延喜式内社が多くて雁多尾畑の松谷光徳寺のような大寺もあります。古代までさかのぼると、河内国分寺、国分尼寺、智識寺などの大規模な寺院が無数に存在していました。ところが、本書でとりあげられていたような民俗宗教的なものは恩智(八尾市)、信貴山(平群町)が南端で、柏原市域には殆ど存在しません。鐸比古神社(奥宮)や若倭姫神社は磐座的要素は強いですが、信仰圏は基本的に集落内におさまる鎮守の神であります。それらしきものといえば、葛城二十八宿満願の地である亀の瀬・龍王社や青谷にある弁財天磐座が修験的色合いを持っているのがあげられるくらいでしょう。朝鮮寺はおそらく皆無で、新宗教系のものはあることはありますが、集積しているとは言い難いです。

 ふと、市域は国分寺など官寺的な寺が多かったことから、市域は「公的」な領域となってしまい、民俗宗教が発達しなかったのではないか、と思いました。古代の製鉄も、当時豪族が行っていたとしても、その重要さゆえに朝廷と深く結びつきをもっていたと考えられます。地域の大寺社と言って挙げられる光徳寺(雁多尾畑)、龍田大社(元宮:雁多尾畑、本宮:三郷町立野)も、ともに皇室と結びつきの強い寺社であります。
東大阪で民俗宗教が発達したのは早い段階で鉄道が発達して参拝が容易になったから、という話もありましたがそれは柏原市にも同じことが言えます。石切さんなど機能神の存在が大きいとは言いますが、柏原の製鉄神群もややニッチではあり、規模も小さいですが機能神(産業神)となりえたでしょう。八尾市山畑、服部川など、民俗的色彩を帯びた寺社が中小のものだけで集積している地区もあるので、規模の問題は絶対的なものではないでしょう。
やはり、古に醸成された「公的領域」の間隔が近世・近代まで続いていた、というのが少しなりとも関係しているのではないでしょうか。東大阪などの事情は詳しくないので、あまり積極的な意見は言えませんが……。

 とは言え、金山彦・媛社(青谷・雁多尾畑)にあるお伊勢さんの遥拝所(比較的新しいもの)は独特だ、と柏原市を訪れた民俗学の某先生は言わはりましたし、平成21年に再興した真新しい真言宗河内国分寺(東条)があったり、先述の磐座や修験系の信仰地があったり、信貴山がすぐそばであったり…。なんだかんだで、民俗宗教の気風はうすくはありますが、柏原のほうまで届いているような気がします。

 柏原、三郷、平群、八尾、東大阪、生駒、大東、四条畷、交野…。また生駒山地の宗教を詳しく調べ、地域ごとの特徴をもっと深くまとめてみたいです。
posted by みさと at 16:31| 奈良 ☀| Comment(0) | 郷土 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

生駒の神々 現代都市の民俗宗教

生駒の神々 現代都市の民俗宗教

 宗教社会学の会編の本です。大阪と奈良の境に位置する生駒山地は、宝山寺、石切神社、信貴山寺などの大きい寺社とともに修験系、朝鮮系などを含めた中小の寺社がたくさんあります。所謂檀家や氏子をもつとは限らず、ある機能に特化したご利益(石切さんが「でんぼの神さん」であるように)を持ち、都市民衆が現世利益を祈願する寺社が多いという特徴があります。また既成の宗派の枠に収まらず、独特な民俗宗教的特色を持っているというのも注目すべきところ。
 大阪という大都市が近くも急峻な斜面、豊富な滝場を持つ生駒は聖と俗の境界性を持つ場所であり、民俗信仰の集積地となっています。宗教というものは合理性を重んじる近代都市と対立するもののように思われますが、生駒の神々は近代都市の存在ゆえに今も存続し続けているもののようにも思えます。それは都市が合理性ゆえに人間を疎外していることへのアンチテーゼというのも一つですが、いくら都市が合理性を旨としていても人間という不確実性に富んだものが集積する以上、都市もきわめて偶然性の強い生物的存在であるということも一つだと思います。その偶然は近代的な介入ではいかんともできないことも多く、神頼みという行為がいまだに力を持っているのでしょう。
 私の実家からはきわめて近いところに位置していますが、石切さんも生駒の聖天さんも意外と行ったことがない場所(幼いころに、というのはあるかもしれませんが…)。石切の辻占いや生駒新地の話はかねてから聞いており、この本で知ったことも踏まえて近く訪問してみたいな、と思っています。
 信貴山の大宇宙教断食道場は、ふらふらしているときにたまたま見つけて「なんやこれ」と思った記憶があります。そのあたりのこともいろいろ知れて面白かったです。
 かなりディープな生駒の信仰。これまで、柏原市、三郷町、平群町の領域にとどまってそれ以外の生駒山地について全然知らなかったことに気づかされました。生駒、東大阪、八尾ももっと深く探求してみたいと思います。

評価:B
posted by みさと at 15:56| 奈良 ☀| Comment(0) | 読書(小説以外) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月23日

フルコースな女たち

 新津きよみさんの短編集です。収録作品は『転落――食前酒』『ゼンサイのような女――前菜』『散骨――スープ』『水難の相――魚料理』『薬――お口直し』『男狩り――肉料理』『スイーツ・バイキング――デザート』『マタニティ・メニュー』です。

あらすじ
 陶芸家、ハンター、料理人である三人の女は、富永英作という男をそれぞれ憎んでいた。三人はふとしたことで知り合い、男を殺す計画を立てるが…。(男狩り――肉料理)




 久々に市立図書館で本を借り、久々に読んだ新津作品。料理にまつわった後味悪い系のお話が満載です。この感じ、懐かしい。
 一番印象に残ったのは「散骨――スープ」です。粉骨された「骨を飲む」という人間の倫理観を絶妙に利用した描写。しばしばミステリに出てくる人肉食というのは、見た目にもグロテスクですが、粉になった骨を飲むというのは見た目のおぞましさを伴わないがゆえの気味悪さを感じます。スープとの結びつき方、落としどころも秀逸です。
 他のお話も総じて佳作揃い。後味悪いお話を「食」と結びつけているところに作者の皮肉を感じます。コース料理のように、ぜひゆっくり味わって読んでください。

評価:B
posted by みさと at 15:07| 奈良 ☁| Comment(0) | 読書(新津きよみ) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

文化人類学入門

 祖父江孝雄さんの本です。人類学は以前から興味があったのですが、なんだかんだで結局一冊本を読み、授業を一つ受けだだけにとどまっていました。人文地理学、建築史と並んで私の所属する学系(文化環境学系)の専門で、私の興味のある分野と隣接した学問なのでしっかり学んでみたいな、と思って入門書を読んだ次第であります。
 内容自体は平易で、一般的な教科書類と比べると圧倒的に読みやすいです。ただ、書かれたのが昭和54年であり、かなり古い本であります。平成2年に増補改訂版が出されたようでありますが、こちらでも早27年前。とはいえ基礎の基礎を身に着けることはできたと思いますし、これからもっとたくさん文化人類学の関連書籍を読んでいきたいな、と思いました。祖父江さんは県民性の研究で有名ですし、そのあたりの本も読んでみたいです。

評価:B
posted by みさと at 12:46| 奈良 ☁| Comment(0) | 読書(小説以外) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

外道クライマー

 宮城公博さんの本です。私がワンダーフォーゲル部で行っている「沢登り」という行為。それを極限まで追求している宮城さんの体験談が書かれています。那智の滝登攀(失敗)、タイでの50日近いジャングル探検(連続遡下行)、台湾・チャーカンシー初遡行、称名滝冬季初登攀……。軽妙な文体で色々な意味ですごい記録が盛りだくさんです。
 宮城さんはワンゲルの先輩たちと考え方がどこか似ているなー、と思いましたが、ワンゲルの先輩たちがこれを読んで大いに影響をうけているのかもしれません。私自身は、宮城さんをすごいな、とは思いますが到底こうした思考になることはできないな、と感じました。

 解説で「山登りは反社会的な行為」だということが書かれているのですが、それを読んで色々と考えさせられました。命を危険にさらして、藪を漕ぎ、岩や滝を上り、泥つきにしがみつく。そこにはほとんど生産性なんてない。大人には「なんでそんな危ないことを」と後ろ指を指される。多くの山ヤ、沢ヤはそれを気にしないのかもしれませんが、私は、そう言われると胸が苦しくなります。社会の矩に従うこと、社会のためになることを旨として(青臭い上に、そうできているかは甚だ怪しいことですが)生きてきた私には、そうした非難に抗弁する術を持ちません。そういわれるたびに、それどころか、下界で日常生活を送り、さまざまな人と触れ合っているだけで常に「沢をやめようか」という思いが心に芽生えてきます。
 一方で、社会的通念へ反発する人への憧れが心のどこかにあるのも確かで、沢登を純粋に楽しいと思ったり、そこでさまざまなこと(生の実感や新たな自然観など)を得たりしていることも事実。実際に沢に行くと、沢を続けたいという気になります。
 こうした葛藤は沢をやる限り永遠に続くのだろうな、と思います。冒険家への憧憬はありますが、自分は冒険家にはなれない。

評価:A
posted by みさと at 12:33| 奈良 ☁| Comment(0) | 読書(小説以外) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月18日

グローバリゼーション・パラドクス

 ダニ・ロドリックさん著、大川良文さんと柴山桂太さん訳の本です。国民国家と民主主義とハイパーグローバリゼーションは鼎立しないという「国際経済のトリレンマ」を骨子に盲目的なグローバリゼーションを批判しています。
 詳述はしませんが、わかりやすいようにこれまでの例を挙げてみると
国民国家+民主主義:ブレトンウッズ体制
民主主義+ハイパーグローバリゼーション:ユーロ体制 (世界政府)
国民国家+ハイパーグローバリゼーション:金本位制
であります。ロドリックさんは、歴史・経済・政治の観点からグローバリゼーションを適度に抑える一つ目の選択肢を提唱しています。
 実はこの本は授業の教科書として読んだもので、その授業を担当したはったのが訳者の大川さん(非常勤講師としてですが)。また別のコマでは柴山さんの授業も受けていました(柴山さんは私の学部の先生!) ということで親しみのある人たちの訳したもので、興味深く読むことができました。
 とはいえ、全くの畑違いの分野で、読んでも「なるほど」とか「確かにそうか」くらいで、自分なりの考察は中々出来ません。そもそも根本となるところは理解できますが、細部の理論まで理解できたかというとかなり怪しいところ。
 しかし、私は普段グローバリゼーションを考える時に文化の面やナショナリズムとの関係の面ばかり考えがちでありましたが、貿易・金融面についても考えることができたというのはかなり勉強になったところだと思います。

 知識がなく、他にしっかりした経済書を読んだことがないがゆえに、グローバル経済について語ろうとすると、ロドリックさんや大川さん、柴山さんのおっしゃることの受け売りばかりになってしまっている気がします。もう少しちゃんと語れるようにしたいなぁ。

評価:B
posted by みさと at 23:23| 奈良 ☀| Comment(0) | 読書(小説以外) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

都市をたたむ

 饗庭伸さんの本です。人口が減少していくこれからの都市をどうデザインしていくかを考察しています。この本で根幹となる考え方は縮小都市の「スポンジ化」であります。都市が拡大する時、都市核から農地を虫食いにするように外へ拡大していくことが多く見られます(スプロールと言います)が、一方で都市が縮小する時。都市は外側から縮んでいくのではなく、中心部も縁辺部も含めて、モザイク状に空洞(空き地、空家)ができていくスポンジ化現象が見られます。ここに置いて、そうした空洞をイベントスペースや緑地など多様化するニーズに答える多様な使い方をすることが重要だというのが筆者の述べるところ。
 筆者は街を豊かな生活を送るための「道具」であることを徹底して考えているため、歴史・伝統や街の文化は軽く見る傾向があります。そういったところには同意しかねますが、スポンジ化する街をただ住宅で埋めるのではなく、多様に埋めていくべきという考えにはかなり共感を覚えます。(ニーズがどれくらいどのように多様化しているのかは議論する必要はありますが。)これの前に読んだ勝原文夫氏の『農の美学』において風景の観点から生産緑地の重要性が述べられていましたが、スポンジ化する街を再農地化していくことも一つの良い施策として考えられると思います。
 大都市郊外にある衛生都市の中心部では、商業施設が閉店したり町屋群を取り壊してできたスポンジの穴を分譲マンションで埋めることが見られますが、これは中心性喪失を助け、都市がただの住宅地になることを推し進めます。しばしばこういったところでは人口が減少しています。このような街での分譲マンションは将来のゴーストタウンの種を蒔くことにもなります。現時点でのニーズもそうですが、スポンジの穴を埋めるのに街の将来を考えて埋めることも必要だと思います。この辺りのことも暇があれば詳しく考察してみようかな(といいつついつも放置していますが(^_^;)。)
posted by みさと at 11:48| 奈良 ☁| Comment(0) | 読書(小説以外) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月03日

街を変える小さな店

 恵文社一乗寺店店長・堀部篤史さんの本です。京都市左京区内にある様々な個人店を紹介しています。
 左京区は現在私が生活の拠点としているまちなのですが、紹介されているお店の中で行ったことがあるのは恵文社と出町ふたばだけ。(恵文社は下宿のすぐ近所ということで通っていたり、出町ふたばは友達がバイトをしていたりしますが…)
 ほとんど喫茶店で気分転換したり、飲みに行ったりすることもなく、学校と下宿、あと数少ないお店(ほとんど定食屋)のルーティンで生活しております。下宿を初めて一年弱が立ちますが、左京区という町にまだなじみ切っていないような気も。
 町と深く結びついた、紹介されているような店々を訪ねてみたいな、という気持ちになりました。(そこを目的地として消費しにくというのはこの本の趣旨からは外れているような気もしますが^^;)

評価:B
posted by みさと at 18:48| 奈良 ☀| Comment(0) | 読書(小説以外) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月01日

日本風景論序説 農の美学

 勝原文夫さんの風景論です。風景論シリーズその3。人々は幼少期に過ごした自己形成空間から「個人的原風景」、また国民的風土・歴史的伝統によって形成される「国民的原風景」からなる「原風景」を基準にして風景を審美しているというのが本旨であります。「国民的原風景」というのは、「ふるさと」とか「春の小川」に歌われる、山河麗しい農村風景と考えられます。都市の住民であっても、農村の景色を見て懐かしい、と感じるのは国民的原風景があるからということです。
 中でも興味深かったのが、都市にある農地――生産緑地のお話。生産緑地は農村風景の一端を示すものであり、人々はそれを通じて農村風景への欲求を満たしているということ。なんとなく都市にある田園は好きでしたが、この本を見てその理由が解き明かされたようでおお、となりました。どんどんと宅地化の進む生産緑地をみると、少しやるせなく感じます。

この本を読んで、人々の「原風景の揺らぎ」についていろいろと思うところがあったのですが、授業のレポートにしてしまったので、書くのはやめておきます。レポートにした内容をブログに書くの、別に悪い訳ではないと思います(逆はアウトでしょうけれど)が、念のため。また気が向いたら書くかもしれません。
たぶん、風景論シリーズまだまだ続きます。笑。

評価:A
posted by みさと at 15:15| 奈良 ☁| Comment(0) | 読書(小説以外) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

われも恋う

 堀田あけみさんの連作集です。収録作品は『両手一杯にかすみ草』『桔梗のかなしみ』『われもこう』『クリスマスの花』『グッバイ ナルシス』『So Many Roses たくさんの薔薇の花』です。

あらすじ
 大学生の俺は、自分が信仰するように恋する有紀子のために起こした行動をきっかけに、花屋でアルバイトすることになった。六つの花をめぐる、六つの恋の物語。




 サークルの本棚でふと手に取ってみた本です。殆ど恋愛小説というものは読んだことがなかったのですが、中々楽しんで読めました。
吾亦紅の花、個人的に好きで手に取ったということもあります。すぎもとまさとさんの歌もあってか、もの悲しいイメージが強い花ですが、この小説でちょっとだけイメージが変わった気がします。われも、また、紅い。
一番のおすすめは『両手一杯にかすみ草』ですね。女性の不器用さ、変化がとても良い感じ。強がって着飾る女性と可憐なかすみそうの対比も好きです。両手一杯のかすみそう、素敵ですね。
『桔梗のかなしみ』も、花のイメージと物語があっていてよいな、と思いましたが、「トルコキキョウ」は私のイメージしていた桔梗とは違うみたいで……。でも、ちょっとやるせなくて、切なくて、悲しい良いお話です。
 ちょっといじっぱりで古風な主人公とか、かすみ草に出てくる女性とか、これが書かれた1991年だからでてきた発想なのだろうな、と思いました。現代のジェンダー観とか文化とかだと全然違うものが出てくる気がします。現代なら、携帯電話――ましてやスマートフォーン、ラインがあって恋愛の形も全然違ったものとなっていることでしょうし(19歳でありながら去年スマホを持ってから恋愛したことがない、自分に苦笑いですが)。

 いつ役に立つことがあるんや、なんて思いながらも花言葉を覚えてみたいな、とも少し思いました。


評価:B
posted by みさと at 14:53| 奈良 ☁| Comment(0) | 読書(その他の著者) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする